これまでの話
十一社の間接部門を集める仕事の最中に、母の要介護認定の書類を書いていた
グループ十一社の経理・人事・総務を一つに集める案件。誰も自分の仕事を説明できないところから始まった。同じ時期に母が転倒して、私は平日の昼に何度も会議室を出た。集約される側の五十五歳と、自分を切り離して考えられなかった。四十二歳、マネージャー三年目の記録。
序盤 十一社の棚卸し 重なる時間「精度」という言葉を、この会社の誰も定義していなかった
人材紹介会社のマッチング改善。私は正解ラベルを内定承諾に置いて、精度を十四ポイント上げた。三ヶ月後、そのモデルが学習していたのは、押しの強いアドバイザーの癖だと分かった。数字は合っていて、意味が違った。入社三年目、理系修士卒の記録。
中盤 データの正解ラベル 正しさの空回り土曜の七時四十二分に電話が鳴って、そこから十一営業日、紙で商売を回した
基幹システムが止まった建材商社に、月曜の朝から入った。受注も在庫も出荷も見えない。復旧本部で僕がやったのは、電話とファクスと三枚綴りの伝票で商売を回す段取りだった。役に立っている実感が、少し気持ちよかった。それがずっと引っかかっている。入社五年目の記録。
入口 復旧本部 高揚と後ろめたさ四十五歳で、三十二歳に「この一枚、何が言いたいんですか」と聞かれた
二十三年勤めた会社で購買部長までやって、四十四歳でコンサルに移った。一年目の私は、スライドが一枚も通らない。部品四千百点の供給リスクを洗う案件で、前職の経験がどこで効いてどこで邪魔になるかを、毎日確かめている。
序盤 購買部の応接室 老いた新人二人でやっていた仕事を、ある月曜から一人でやることになった
六十万件の顧客の採算を引き直す案件。同期と二人で分担していた分析を、十一月の月曜から私が全部やることになった。最終報告は間に合った。間に合わせたことを、いまも手放しでは喜べていない。入社四年目の記録。
終盤 誰もいない席 罪悪感削減対象の中心は四十代で、私は三十九歳だった
地方紙の構造改革。固定費を十八億円落とすには、人件費に手をつけるしかなかった。百二十人という数字を最初に口に出したのは私だ。シニアマネージャーになって一本目の案件で、恨まれ役を引き受けるということの意味を知った記録。
中盤 経営会議室 恨まれ役「このペン、なんで売れてるんですか」と聞いて、誰も答えられなかった
数字で説明できないものが嫌になって広告をやめた。コンサルに移って二年目、最初に名指しで呼ばれたのは「ブランドの案件」だった。売上の一割を一本のボールペンが稼ぐ文具メーカーで、私はまた同じ場所に立っていた。
入口 文具売場 逃げた先で同じ壁アラートは月に千四百件出て、そのうち本物は、たぶんゼロだった
信用金庫のマネーロンダリング対策。誰も褒めず、うまくいっても何も起きない。成果が「何も起きなかったこと」である仕事に、二年目で放り込まれた。地下の書庫と蛍光灯と、閾値をめぐる五ヶ月の記録。
序盤 地下の書庫 報われなさ二百四十七本の追加開発要望を、一本ずつ人の名前に置き換えた
基幹システムの刷新。標準機能に業務を寄せるはずが、現場からの追加開発要望は二百四十七本あった。原則論で切りにいって総スカンを食らい、やり方を変えた。四十八回の会議で数を減らしつづけた入社五年目の記録。
中盤 要件定義の会議室 数の暴力「残すのは四館です」と、八行の銀行員の前で言った
温泉旅館を八館持つ会社の再生計画。畳んだほうがいい四館は、三週目には分かっていた。分かってから会議室でそれを口に出すまでに、二ヶ月かかった。畳む仕事に慣れてきた自分を、少し怖いと思っているマネージャー五年目の記録。
中盤 債権者会議 慣れの怖さ経理部の島の端に、私の席が一つだけ用意されていた
六百品目の受託製造で、どの製品が儲かっているか分からない会社。原価計算をやり直すために、私は一人でそこに常駐した。マネージャーは週に一度しか来ない。レビューがないというのは、こういうことだった。
入口 経理部の島 一人アサインドライバーの平均年齢は五十四歳で、私のチームの平均は二十九歳だった
拠点を十四から九へ。配送網の再編は数字の上できれいに解けた。本丸が荷主の納品時刻にあることを分かっていて、私はそこをスコープから外した。売上責任を持つ側の、四ヶ月の記録。
終盤 深夜の物流センター 背負うもの「半分だけ閉める」がいちばん悪いと知っていて、私はそこで引き下がった
四十八店ある書店チェーンの、二十三店を閉める案を書いた。通ったのは十一店だった。中途半端がいちばん悪い、と主張して負けた。二年後、私の負け方は私が思っていたのと違う場所にあったと分かった。
終盤 郊外のロードサイド 遅れて来る後悔「それ、明日やりますね」と言われて、僕の六週間の工程表が死んだ
従業員94人のSaaS企業に、解約率の改善で入った。分析は向こうのアナリストが一日で出す。意思決定は僕が資料を作る前に終わっている。三年目の僕が、自分の存在意義を探して空回りした立ち上がりの記録。
序盤 ソファのあるオフィス 速度負け「標準時間」と言った瞬間、組合の書記長がペンを置いた
惣菜工場の生産性改善。前職は生産技術だったから、ラインの読み方は分かっていた。分かっていなかったのは、この工場に守られる人と守られない人がいることだった。中途四年目の中間報告の記録。
中盤 五度の惣菜ライン 冷たい床「あなた、途中でやめた人でしょう」と、教授は最初の五分で言った
定員が埋まらない私立大学の学部再編。博士課程を四年で中退して入社した一年目の私が、畳む側の資料を書くことになった。数字は正しく出た。そのぶん、自分が捨てた道の輪郭がはっきりした。
中盤 研究棟の三階 未練検査値を書き換えていた人は、二十二年間、一度も遅刻していなかった
品質不正が出た工場で、再発防止の仕組みを作る。原因は個人ではなく構造だった――そう報告したとき、役員が安堵した顔をした。その顔が、いまも消えない。マネージャー二年目の記録。
入口 工場の会議室 居心地の悪さ「前のファームでは」と言うたびに、会議室の温度が一度ずつ下がった
同業から移って一年目。型は持っている、作法も知っている、スライドも速い。それなのに、商社の投資先管理の案件で、僕は三ヶ月間ずっと的を外していた。転職の履歴書に書けない種類の失敗の記録。
中盤 商社の会議室 剥がれるプライド復職一本目のキックオフで、私は「21時に帰ります」と先に言った
九ヶ月休んで戻った。最初のアサインは地方銀行の法人営業の生産性向上。宣言した稼働の上限を、私は三ヶ月目に自分から破りかけた。戻ってきた人間が、戻ってきたことを証明したくなる仕組みの記録。
入口 復職 揺れ会長は最終報告のあと「面白かった」と言った。それが結論だった
創業81年の建設会社。専務である長男に事業を引き継がせるための経営体制づくり。四ヶ月かけて作った移行案は、七十九歳の会長の一言で宙に浮いた。地銀から転職して二年目の記録。
終盤 同族企業 蚊帳の外「止める」と書いた11テーマのうち、9つは私が名前しか知らない技術だった
研究開発テーマの棚卸し。34あるテーマを評価軸に載せ、投資を集中させる。理屈は単純で、実際にやることは、二十年やってきた研究者の前で「これは止めます」と言うことだった。シニアマネージャー三年目の記録。
中盤 研究所の会議室 判断の重さ三月三十一日という締切だけは、誰にも動かせなかった
人口24万人の市の窓口業務改革。民間なら二週間で決まることが、庁内では二ヶ月かかった。それでも年度末だけは絶対に動かない。入社二年目が、議会と年度と要綱に殴られながら立ち上がりを過ごした記録。
序盤 市役所の一階 空回り安全在庫の理論値を出す前に、三週間かけて品番を数え直した
在庫を三割減らす、という依頼。統計の教科書どおりに需要のばらつきを測ればいい仕事のはずだった。だがマスタには存在しない品番が2,000あり、同じ商品が三つの名前で登録されていた。昇進を一度降りた入社十年目の記録。
中盤 データの泥 職人の意地負けた提案書のことは、社内で誰も話題にしない
三週間かけた提案書は、印刷会社のコンペで落ちた。チャージできない三週間と、最後に一語だけ削られた提案。半年後、同じ会社の経営企画部長から個人の携帯に電話がかかってくるまでの記録。
入口 提案とコンペ 悔しさ「現場が分かる」が武器のはずだった。それが最初の三週間を潰した
88席のコールセンター改革。店舗のエリアマネージャーから転職した僕は、現場の言葉が分かることを強みだと思っていた。ヒアリングは順調で、そして何も進んでいなかった。中途3年目の立ち上がりの記録。
序盤 コールセンター 現場出身の罠「あの客だけは上げられない」と所長は言った。僕は原則論で押し切った
3,800品番の価格改定。分析は正しく、平均7.2%の値上げは通り、効果は年3.6億円出た。数字の上では完勝だった。半年後に離れていった1社のことを、それでもまだ考えている。入社3年目の記録。
終盤 価格改定 勝ったのに待ち時間の中央値は47分。それは、この病院の論点ではなかった
412床の地域中核病院の経営改善。綺麗に出た数字に飛びついた初期仮説を、看護部長の一言が根元から壊した。もう自分では手を動かせなくなったマネージャー4年目が、その壊れ方を見ていた記録。
中盤 医療現場 管理職の無力現地で正しかったことは、本社の会議室では正しくなかった
東南アジアへの市場参入。42度の厨房で機械を触り、合弁こそ正解だと確信して帰ってきた。だが空調の効いた本社の会議室で、その確信は7分で否決された。昇進を二度見送られた9年目の記録。
中盤 海外出張 焦り「うちの電気代を、何に使うんですか」と聞かれて、答えられなかった
二週間のアベイラブルの末に配属されたのは、誰もやったことのないScope3の算定だった。取引先142社にExcelを送り、返ってきたのは31社。意味の分からない仕事に、意味を探しつづけた入社1年目の記録。
序盤 脱炭素 意味の在処四週間で会社を見抜け、と言われた。いちばん怖いものは資料室になかった
買収前のビジネスDD。開示された1,842ファイルを読み込んでも、事業計画の本当の前提は出てこなかった。それは人の名前だった。初めてモジュールを任された28歳の、論点設計から最終報告、そして一年後までの記録。
中盤 デューデリ 時間圧「下がるのは43人です」と、自分の声で言った日
ジョブ型への移行。制度は正しく設計できたと思う。ただ、年収が下がる43人の名簿の3行目に、いちばん協力してくれた人の名前があった。人事制度改革PJの、立ち上がりから説明会、そして一年後までの記録。
終盤 制度説明会 加害の手触り反対していたのは、部長の隣で黙っている課長のほうだった
クライアントの抵抗勢力は、いちばん大きな声で反対する人ではない。中間報告で堂々と噛みついてきた部長を攻略したと思った翌週、PJは静かに止まった。止めたのは、あの会議で一言も喋らなかった課長だった。読み違えてから立て直し、最終的に営業改革が現場に根づくまでの記録。
中盤〜決着 中間報告 誤読と修復再検査の封筒を、三週間バッグに入れたまま常駐していた
家賃を払う部屋には週末しか帰らない。平日はビジネスホテル。貯金だけが増えていく。健康診断の再検査の封筒は、開けないまま出張バッグの内ポケットにあった。三ヶ月の常駐PJの立ち上がりから終わり、そして封筒を開けた日までの記録。
立ち上がり〜終盤 常駐生活 消耗最終報告のあと、現場が静かになった理由をずっと考えている
業務改革のPJ。最終報告は拍手で終わり、マネージャー初仕事は成功と評価された。でも報告のあと現場に行くと、以前あった雑談が消えていた。立ち上がりの二週間から、線引きで揉めた中盤、最終報告、そして半年後に僕が知ったことまで。成功したPJが残した、一つの静けさの話。
立ち上がり〜その後 最終報告 割り切れなさ統合初日に、給湯室が二つあることに気づいた
対等合併のはずだった。制度も、システムも、組織図も、机上ではもう一つになっていた。でも現場には給湯室が二つあって、どちらのポットを使うかで人はまだ戦っていた。PMIが燃えた三週間から、統合が一応の決着を見るまで、そして一年後までの記録。
山場〜その後 統合の現場 板挟みイシューツリーが綺麗に描けたときは、だいたい現場を知らない
コスト削減PJで、僕は入社4ヶ月にして完璧なイシューツリーを描いた。褒められた。そのツリーは購買課長への一回のインタビューで根本から崩れた。仮説が崩れてから、倉庫に通った3週間、数字が詰まっていく中間報告、そして半年後の現場までの記録。
中盤〜決着 仮説と手戻り 現場の重さ「示唆は?」と十回聞かれて、示唆が出せなかった最初の十日
事業会社から中途で入って一年。製造業のDX戦略PJで、僕は「事実」なら誰よりも詳しいのに、「示唆」が一行も書けなかった。前職の強みが通用しなかった立ち上がりから、現場が新ツールを使わない壁を越え、PJが最後にどう着地したかまでの記録。
序盤〜決着 DX戦略 劣等感と再起土曜のドトールで、知らない業界を好きになる練習をした
金曜の夜にアサインの連絡。名前も知らなかった業界を、月曜までに「元から興味がありました」の顔で語れるようにする。そこから始まった新規事業PJの、立ち上がりから最終報告、そして半年後の後日談までの記録。
序盤〜決着 新規事業 予感と徒労「コンサルは激務だからやめとけ」と言われて迷っている人へ
やめとけと言われる理由の中身を、稼働の構造から分解する。激務の実態、消耗する人としない人の違い、判断の材料をまとめた。
水曜の中間報告が飛んだ日
中期経営計画のPJ、報告3日前。スポンサー役員の交代で、47枚のスライドが夜の底に沈んだ。それでも僕は「粘れば通る」と思っていた。
中盤 役員報告 悔しさ炎上PJ、最初の七日間
基幹システム刷新、遅延4ヶ月。PMOとして追加投入された僕の初週は、議事録も課題管理表もない会議室から始まった。
序盤 常駐 混乱