体験記 No. 01

水曜の中間報告が飛んだ日

案件食品スーパー・中期経営計画
フェーズ中間報告
語り手匿名 / 4年目
読了約3分 · 1,700字
案件の時間軸
アサイン
立ち上がり
仮説
中間報告
炎上
最終報告
試作 · 検閲前

スポンサー役員の交代で、47枚のスライドが夜の底に沈んだ。「論理で押し返せる」と思っていた僕の、月曜から水曜までの記録。

日曜の21時40分、マネージャーの佐野さんからTeamsが飛んできた。「明日9時、15分だけいい?」。用件が書いていないメッセージは、だいたい良くない知らせだ。僕は読みかけの漫画を閉じて、既読をつけるかどうかで3分迷った。

PJは、北関東を地盤にする創業68年の食品スーパーの中期経営計画。店舗数112、営業利益率は業界平均をわずかに下回る。僕らのチームは4人で、僕はネット販売強化の分科会を持っていた。水曜に経営会議への中間報告を控えていて、スライドは47枚まで育っていた。47枚のうち11枚は、僕が先週の火曜と水曜、2日連続で25時までかけて作った需要予測のパートだった。

月曜9時、佐野さんは開口一番こう言った。「スポンサーが替わる。専務が退任して、後任は営業本部長の常務。ネット販売のパート、たぶん全部ひっくり返る」


常務は「店の人」だった。40年、店頭に立ってきた人。前任の専務が推していたネット販売強化は、常務にとって「本部の若いのが考えそうな話」でしかない。初回の顔合わせで常務は僕らの資料を3枚めくり、めくった3枚目で止めて、こう言った。

「これ、うちのパートさんの時給が何円か知ってて書いてる?」

知らなかった。正確には、平均人件費として数字は持っていたが、「時給が何円か」という聞かれ方に対応する解像度では持っていなかった。隣で佐野さんが何かフォローを言ったが、頭に入ってこなかった。胃の下のほうがずっと重かった。会議室の窓から、駐車場の隅で買い物カートを回収するスタッフの姿が見えた。

その日の帰り、駅前のコンビニで肉まんを買った。2月の夜で、白い湯気が上がるのを見ながら、なぜか少しだけ安心した。まだ水曜まで2日ある、と思った。


ここからが、あとから思えば僕の判断ミスだった。

僕は「論理で押し返せる」と思ったのだ。需要予測のモデルは筋が良かったし、感度分析も3パターン用意していた。常務が懐疑的なのは情報が足りないからで、丁寧に説明すれば理解してもらえる。そう考えて、月曜の夜、僕は11枚のスライドをさらに14枚に増やした。補足の根拠を足して、脚注を増やして、想定問答を12個書いた。

火曜の23時、レビューで佐野さんは14枚を眺めて、長い沈黙のあとに言った。

「これ、常務を説得する資料だよね。常務が会議で恥をかかない資料に作り替えて」

意味がわかるまで、数秒かかった。新任のスポンサーが最初の経営会議で、前任者の路線をそのまま追認したように見えたら、常務の立場がない。だから論点を「ネット販売をやるか否か」から「店舗の強みを起点に、どの順番で手を打つか」に組み替える。ネット販売は3年目の選択肢に後退させる。数字は全部正しいまま、物語の主語を替える。

正直に書くと、僕はその場で「それは逃げじゃないですか」と言った。佐野さんは怒らなかった。「逃げだよ」とだけ言って、「でも水曜の会議が燃えたら、この中計は6月まで前に進まない。パートさんの時給の話も、その間ずっと放置される」と続けた。

25時半、タクシーの中で、僕は自分の14枚を7枚に削る作業をしていた。悔しかったはずなのに、削れば削るほど資料が良くなっていくのがわかって、それが一番悔しかった。


水曜の中間報告は、燃えなかった。常務は「店舗起点」の再構成案に3つ質問をして、2つ目の質問のとき、初めて資料を指でなぞった。会議は11分早く終わった。

帰り道、佐野さんは「今日のは君の勝ちだからね」と言った。どこがですか、と聞いたら、「7枚に削るとき、需要予測のロジックを1ミリも曲げなかったでしょ。ああいうのは残るんだよ」と言われた。嬉しかった。嬉しかったが、家に着いてスーツを脱ぎながら、鏡の中の自分に聞いてしまった。

僕が守りたかったのは予測モデルだったのか、それとも25時まで働いた2日間のほうだったのか。

その答えはまだ出ていない。中計は先月、無事に取締役会を通ったらしい。ネット販売は「3年目に検討」のまま、たぶん誰も検討していない。

ことわり この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

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