四十五歳で、三十二歳に「この一枚、何が言いたいんですか」と聞かれた
購入品は四千百点、うち一社からしか買えないものが千百八十点。辿れていたのは九点だった――四十四歳で職を変えた梶原が、二十三年ぶんの経験を毎日棚に上げ下げしている記録。
会議室のホワイトボードの前に、私はもう十四分立っています。書いたのは三行で、そのうち二行を消しました。
梶原と申します。四十五歳。前は電機メーカーの購買部門に二十三年おりまして、最後の四年は部長をしておりました。いまは、この仕事に移って一年目です。
なぜ移ったか
事情は、あまり格好のいいものではありません。
前の会社で、私のいた事業が売却されることになりました。売却先に移るか、本体に残って別の仕事をするか、あるいは出るか。四十四歳の春に、その三つを選ぶことになりました。
本体に残る話も来ていました。ただ、示された部署が、私が二十年やってきたこととあまり関係のないところでした。関係のないところで、あと十五年やる。それを想像したときに、思っていたより強い抵抗が出ました。
それで、出ました。転職の面接では「経験を活かして」という言い方をしましたが、正直に言えば、活かしたかったというより、これまでを無駄にしたくなかったのだと思います。
アサイン ―― 四千百点
入って十ヶ月目に、この案件に入りました。
クライアントは、自動車部品を作っている会社です。完成車メーカーに直接納めているのではなく、一次のサプライヤーに納める、いわゆる二次のポジション。売上は三百四十億円、従業員は八百八十人、工場が三つ。
依頼は、供給途絶のリスクを可視化して、調達の複線化を設計すること。きっかけは、数年前に部材が止まって、ラインを三週間停めたことでした。停めた三週間で、この会社は取引先から相当な言われ方をしています。
購入品は四千百点ありました。
そのうち、一社からしか買っていないもの――単一調達が、千百八十点。単一調達自体は悪ではありません。数量をまとめたほうが安いし、品質も安定します。問題は、その中に「他社では作れない」ものがどれだけあるかです。
購買部長の方と一緒に洗いました。六十一点でした。設計上、その会社の製法でないと成立しないもの。
そして、その六十一点について、供給元のさらに先――二次、三次の調達先まで把握できていたのは、九点だけでした。
九点という数字が出たとき、購買部長の方は「そんなものでしょう」と言いました。
私も、そんなものだと思いました。前職でも同じでした。一次までは全部見ています。その先は、聞けば教えてもらえることもありますが、体系的には持っていません。持っていないことを、誰も問題だと思っていない。止まるまでは。
工場にも行きました。三つのうち、いちばん古い工場です。プレスの音が、二十メートル離れていても腹に来ます。案内してくれた製造課長が、途中で棚を指して「ここが空になったら、うちは二日で止まります」と言いました。
棚には、樹脂の成形品が入ったコンテナが十二個ありました。二日ぶんです。その部品の供給元は一社で、六十一点のうちの一つでした。
二日、という数字を、私はその日から資料の随所に書くようになりました。「在庫日数二日」と書くのと、「棚に十二個」と書くのでは、読む人の反応が違う。これは柚木さんに教わったことではなく、その棚を見て自分で思ったことです。この一年で、自分で思ったことは、数えるほどしかありません。
最初の一ヶ月 ―― スライドが通らない
内容の話をする前に、私の一年目の話をします。
マネージャーは柚木さんという方で、三十二歳です。私より十三下になります。
最初の中間レビューで、私は自分で作った資料を十六枚出しました。柚木さんは三枚目で止めて、こう聞きました。
「梶原さん、この一枚、何が言いたいんですか」
その一枚には、単一調達の点数を部門別・金額別に分けた表が載っていました。私は「現状の分布です」と答えました。
「分布は分かるんですけど、これを見た購買部長が、次に何をすればいいですか」
答えられませんでした。
私は二十三年間、この種の表をたくさん見てきました。見てきたし、部下に作らせてもきました。作らせるときに、私が何を求めていたかというと、「議論の材料」でした。材料を見て、判断は自分がする。それが部長の仕事でした。
コンサルタントは、材料までで止まってはいけないのだそうです。判断の一歩手前まで持っていく。柚木さんの言い方だと、「読んだ人が次の動きを決められる形」。
理屈は分かりました。分かってから、手が動くまでに三ヶ月かかりました。
その三ヶ月、私は自分の資料が赤で戻ってくるたびに、少しずつ何かを削られている感じがしていました。恥ずかしいというのとは違います。もっと静かなものです。二十三年ぶんの何かが、この職業ではそのままでは使えないと、毎週確認されます。
一度だけ、深夜に自分の前職の資料を引っ張り出して見返しました。役員会に出した購買方針の紙です。いま見ると、たしかに何も決まりません。当時は通っていました。通っていたのは、私が説明の場に同席していたからです。
柚木さんは、私に対して丁寧です。丁寧すぎるくらいです。「梶原さん」と呼び、指摘のあとに必ず「いかがでしょうか」と付ける。
その丁寧さが、しばらく苦しかったです。同じ内容を、二十六歳の若手には「これ違う」と一言で返しているのを、私は横で見ています。私に対してだけ、一往復多い。
三ヶ月目に、思い切って言いました。「私にも、短く言っていただいて構いません」と。
柚木さんは少し考えて、「じゃあ、そうします」と言いました。その日から短くなりました。短くなったら、指摘の数が倍に増えました。増えて、楽になりました。長い前置きは、たぶんお互いの時間を使っていただけでした。
言ってよかったと思っています。ただ、言うのに三ヶ月かかったのは、私の側の見栄です。
前職が邪魔をした一件
一方で、前職の感覚が完全に無駄だったかというと、そうでもありません。ただし、出し方を間違えました。
六十一点の供給元をどう辿るか、という議論のときのことです。取引先に情報を出してもらう必要がある。私は「訪問して直接聞くのがいちばん早い」と言いました。実際、前職ではそうしていました。購買部長の名刺があれば、たいていの取引先は先の調達先まで教えてくれます。
私はそれを、クライアントの購買部長に提案しました。提案というより、「私が同行しましょうか」と言いました。
その方は、一拍置いてから「梶原さん、うち、二次なんですよ」と言いました。
その意味が、私はすぐには分かりませんでした。
つまり、この会社は買う側であると同時に、売る側でもある。取引先に「あなたの仕入先を教えてください」と踏み込めば、同じことを自分たちも一次のサプライヤーから求められる。実際、その要求はすでに来ています。どこまで開示するかが、この会社の中でまだ決まっていません。
前職は、業界の中で買う側の力が強い会社でした。私の「早いやり方」は、その立場でしか成り立たないやり方だった。
私は謝りました。購買部長は「いや、助かります、勢いのある方は」と言ってくださいました。優しさだと分かるので、余計にこたえました。
やり方を変えた ―― 書面と、見返り
そこから、依頼の設計をやり直しました。
訪問して聞くのではなく、書面で依頼する。依頼する項目は三つだけにする。当該部品の製造拠点の所在地、代替製造が可能な拠点の有無、主要な原材料の調達国。それ以上は聞かない。
そして、出してくれた取引先には、こちらからも情報を返す。こちらの生産計画の見通しを、四半期ではなく半年先まで共有する。取引先にとって、それは在庫と人繰りの計画に直結します。
この「見返りを先に決める」という設計は、前職の経験そのものです。今度は、出し方を間違えませんでした。柚木さんに見せたら、「これはいいと思います」と言われました。三ヶ月ぶりに、ほぼ赤の入らない資料が出ました。
回収率は、六十一点のうち四十七点でした。八割弱。うち十四点で、こちらが把握していなかった依存が見つかりました。いちばん驚いたのは、別々の三社から買っている表面処理の部品が、三社とも同じ地域の同じ工場で処理されていたことです。
複線化しているつもりで、していませんでした。三社に分けていた意味が、そこだけ消えていました。
中間報告 ―― 起きていない問題
四ヶ月目に、経営会議で報告しました。
対策には金がかかります。代替先の認定に、一点あたり四百万から千二百万。在庫を積むなら、運転資金が要る。全部やると七億円台になります。
社長は五十九歳の方でした。ひととおり聞いて、こう言いました。
「これ、何年に一度の話ですか」
これが、この類型のいちばん難しいところです。起きていない問題に、いくら払うか。確率で語ると、必ず「それなら他に使う」となります。
柚木さんが出したのは、確率ではなく、日数と金額でした。この六十一点のどれか一つが止まった場合、代替の立ち上げに何日かかり、その間の売上と、取引先への補償と、失注のリスクがいくらか。三週間停めた前回の実績が、社内に残っていました。
社長は資料を長く見て、「前は十一億でしたね」と言いました。
投資は、初年度で三億二千万が通りました。全額ではありません。六十一点のうち、二十四点が対象になりました。残り三十七点は、来年度以降の検討です。来年度以降の検討というのが、実務上どういう意味かは、私も二十三年やってきたので知っています。
生活 ―― 四十五歳の体
朝は五時半に起きます。前職のころからそうです。
変わったのは、夜です。前は二十時には帰っていました。いまは二十二時、二十三時になる日があります。四十五歳の体で二十三時まで働くと、翌日に残ります。二十代のころとは、残り方の質が違う。眠いのではなく、判断が雑になる。雑になっていることに、自分では気づけない。
だから私は、二十二時を過ぎたら資料を直さないと決めています。読むだけにする。直すのは翌朝五時半から。この習慣は、たぶんこの仕事を続けるためのものです。
老眼が進みました。資料の八ポイントの文字が読めません。眼鏡を二つ持ち歩いています。
年収は、前職より七十万下がって千八十万円です。下がることは分かって移りました。妻には「三年は下がる」と説明しました。子どもが二人、上が高校二年、下が中学二年。上のほうの進路の話が、そろそろ本格化します。
同期入社という言い方が、この会社にはあります。私の同期は、二十四歳から三十歳が中心です。歓迎会で、二十四歳の子に「梶原さん、何年目ですか」と聞かれて、「一年目です」と答えました。その子は少し困った顔をしました。困らせたのは私の答え方が悪かったからです。
後記 ―― まだ途中です
この案件は、いま実行の支援に入っています。二十四点の代替先認定を、月に二点ずつ進めています。
私のスライドは、通るようになりました。ただ、それが上達したからなのか、柚木さんが私に求める水準を下げたからなのかは、正直、判別がつきません。聞けばいいのだと思いますが、聞いていません。聞いて後者だったときに、どう受け止めればいいか分からないからです。
前職で二十三年やったことは、この一年で二回、はっきり役に立ちました。取引先への依頼設計と、対策の優先順位を工程の実現性で並べ替えたところ。それ以外の三百六十日ほどは、たぶん邪魔でした。
割に合っているかと言われると、分かりません。ただ、四十四歳のあの春に、関係のない部署で十五年やる自分を想像したときの、あの抵抗の強さのことは、いまでも覚えています。あれよりはましだと思って、毎朝五時半に起きています。
三社が同じ工場を使っていた、という話を、私はいろいろな場所でしています。あれを見つけたのは私です。そのことだけは、少し自慢に思っています。四十五歳が自慢することとしては、小さすぎるかもしれません。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。