「半分だけ閉める」がいちばん悪いと知っていて、私はそこで引き下がった
二十三店を閉める案が、十一店になった。妥協は最悪の解だと分かっていて、私はその場で引き下がった――蒲池が、自分の負け方を二年後に取り違えていたと知るまでの記録。
十一月の、国道沿いの駐車場。夕方の四時半で、もう暗い。店の看板は白地に赤で、下から二本目の蛍光灯が切れていた。駐車場に車は六台。うち二台は店員のものだと、あとで店長に聞いた。
蒲池です。三十一歳、シニアコンサルタント。この案件で、私は四十八の店のうち二十三を閉めるべきだと書いた。
アサイン ―― 一坪あたり月商
クライアントは、地方を中心に四十八店を持つ書店チェーンだった。売上は百九十億円、うち書籍が六割強、残りが文具と雑貨とカフェの併設分。
書店という業態は、粗利率が構造的に低い。書籍の粗利は二十二パーセント前後で、そこから家賃と人件費を払う。四十八店のうち、営業黒字が二十六店、赤字が二十二店。全社の営業利益は九千万円で、営業利益率は〇・五パーセントだった。
依頼は「収益構造の改善」という、やわらかい言い方で来た。実際には店舗網の再編で、それは初回の面談で社長本人が言った。社長は五十七歳、創業者の次男で、就任三年目だった。
チームは四人。マネージャーの筒見さんと、私と、二年目が二人。
分析 ―― 数字は素直に出た
三ヶ月で、私は四十八店の全部を数字にした。
店舗別の営業利益と、一坪あたりの月商。賃料負担率。人時生産性。商圏人口と競合の出店状況。賃貸借契約の残存期間と、中途解約時の違約金。原状回復の見積もり。それから、閉店した場合の人員の配置転換の可否。
一坪あたり月商の中央値は十四万八千円だった。上位五店は二十万円を超え、下位十一店は九万円を割っていた。九万円を割ると、どうやっても黒字にならない。家賃が固定だからだ。
契約の残存期間を重ねると、話が具体的になった。赤字二十二店のうち、二年以内に契約更新を迎えるのが十四店。ここは違約金なしで抜けられる。残りは違約金が発生するが、そのうち八店は違約金を払っても二年で回収できる。
私が出した案はこうだ。二十三店を閉める。即時に十二店、契約更新時に十一店。三年かけて、四十八店を二十五店にする。閉店に伴う一時費用は四億二千万円。三年後の営業利益は、四億八千万円になる計算だった。
数字は素直だった。素直すぎて、私はこの案が通ると思っていた。
数字を作る合間に、私は店に行った。冒頭の、蛍光灯が切れた国道沿いの店にも行った。
店長は五十四歳の男性で、この店に十六年いた。入って三十分ほど棚を見せてもらった。児童書の棚が、店の面積のわりに広かった。理由を聞くと、「近くに小学校が二つあるんです」と言った。
一坪あたり月商は八万一千円。私のリストでは、下から四番目だった。
帰り際、その人はレジの下から一冊出してきて、「これ、うちでしか置いてないんですよ」と言った。地元の郷土史の本だった。地域の出版社が出していて、取次を通していない。年に四十冊ほど売れるらしい。
私はそれをメモに書いた。書いて、分析には使わなかった。年四十冊は、八万一千円の前では何の意味も持たない数字だ。
意味を持たない、と判断したのは私だ。判断は正しかったと、いまも七割くらいは思っている。
中間報告 ―― 一店ずつの話にならなかった
中間報告は、役員会でやった。社長、専務、営業本部長、管理本部長、それと社外取締役が二人。
私は二十三という数字を出した。出した瞬間に、部屋の空気が変わったのが分かった。
最初に口を開いたのは専務だった。「二十三は多い」と言った。理由は説明されなかった。多い、という言葉だけが出た。
営業本部長が「どこですか」と聞いた。リストを出した。上から順に、店舗コードと所在地と、一坪あたり月商。
三番目の店で、社長が止めた。
「そこは、父が二番目に出した店だ」
会議は、そこから四十分、その一店の話になった。地元での知名度。長く勤めている店長。その市に他の店がないこと。図書館との連携イベント。
四十分かけて、その一店は「保留」になった。残りの二十二店の議論には入らなかった。時間が来た。
私は、この会議の設計を間違えていた。二十三という総量を先に出したから、相手は総量に反応した。総量に反応した人は、そのあと個別の話をしない。個別の話をすると、自分が二十三に同意したことになるからだ。
会議のあと、筒見さんとエレベーターで下りながら、私は「順番を変えるべきでした」と言った。
筒見さんは「うん」と言って、それから「でも、俺も止めなかった」と言った。「二十三って数字、俺も気持ちよかったんだよ。あれだけ調べたんだから」
気持ちよかった、というのは的確な言葉だと思う。三ヶ月かけて四十八店を全部数字にすると、その総量を見せたくなる。見せたいのはこちらの都合で、相手には何の関係もない。
次の週から、私は資料の構成を変えた。一枚に一店ずつ。所在地の地図、写真、契約の残存、直近三期の推移、閉めた場合と続けた場合の五年分。二十三枚。作るのに二週間かかった。
その二十三枚を出した会議で、初めて個別の議論になった。なったが、遅かった。役員の頭の中では、もう「二十三は多い」が前提になっていた。
主張 ―― 中途半端がいちばん悪い
その後の二ヶ月、案は削られていった。二十三が、十八になり、十四になり、最終的に十一になった。
削られ方には理屈があった。地域の看板になっている店。雇用の受け皿がない地方の店。閉めると近隣の店まで印象が悪くなる店。
私は、最終報告の三日前の打ち合わせで、一度だけ強く言った。
「十一店では、固定費の削減が中途半端に終わります。本部機能は四十八店を前提に組まれていて、二十五店なら本部も縮小できますが、三十七店だと縮小できません。半分だけ閉めるのが、いちばん効きません」
筒見さんは何も言わなかった。社長は「分かっている」と言った。分かっている、と言われて、私は次の言葉を持っていなかった。
持っていなかったので、引き下がった。その日の議事メモに、私は「十一店案で合意」と書いた。書きながら、これは負けた記録だと思っていた。
生活 ―― レンタカーと、ロードサイドと
この案件の八ヶ月で、私は三十一の店に行った。行けなかった十七店は、二年目の二人が回った。
移動はほとんどレンタカーだった。空港か駅で借りて、国道を走って、店の駐車場に入る。同じような景色が続く。回転寿司、ドラッグストア、コインランドリー、その次に書店。どの県でも順番がだいたい同じで、三ヶ月目には車窓を見なくなった。
ビジネスホテルは、素泊まりで六千円台のところが多かった。夜、コンビニでサラダチキンと、ゼロカロリーの飲み物を買う。この八ヶ月で、この組み合わせを百回以上買った。
三十一歳になった。この案件の途中で、四年付き合った人と別れた。理由を一つに書くことはできない。書けないが、三ヶ月連続で週末に予定を入れられなかったことと、無関係ではないと思う。別れ話は、こちらが出張から帰った日曜の夜にした。相手はすでに整理を終えていて、私だけが準備できていなかった。
昇進の話は、この案件の最終報告の翌月に出た。マネージャーへの推薦を出す、と筒見さんに言われた。「今期じゃなくて、来期な」と付け加えられた。理由は聞かなかった。聞かなくても、たぶん、あの三日前の打ち合わせで引き下がったことと関係している。関係していると自分で思うことにしたほうが、次に活かせる気がした。
本は、この案件のあいだ、ほとんど読まなかった。四十八の書店を回って、レジ横の平積みを毎回写真に撮って、それを商品構成の分析に使って、自分では一冊も買わなかった。
八ヶ月目の最後の出張の帰り、駅の売店で文庫を一冊買った。移動中に四十ページ読んで、寝た。その本は、いまも四十ページのところに栞が挟まっている。
最終報告と、その後
最終報告は八ヶ月目だった。十一店の閉店計画と、残る三十七店の商品構成の見直し、文具・雑貨比率の引き上げ、本部の間接業務の削減。
社長は最後に「蒲池さん、ありがとう」と言った。社交辞令ではない言い方だった。私は「二十三店の案も、資料として残しておきます」と言った。社長は少し笑って、「残しておいてください」と言った。
閉店は、翌年の三月から順に始まった。十一店。私が最初に行った、蛍光灯の切れた国道沿いの店は、その中に入っていた。
閉店の日程表は、管理本部長が作った。私はそれを見せてもらっただけだ。十一店の閉店日が、三月から翌年の一月まで、ばらばらに散らしてあった。理由を聞いたら、「同じ月に三つ閉めると、地元の新聞に書かれるので」と言われた。
そういう変数は、私の資料のどこにも入っていなかった。
二年後 ―― 前提のほうが外れていた
二年後、筒見さんから連絡が来た。この会社の決算が出て、営業利益が三億四千万円になった、と。
十一店しか閉めていない。私の試算では、十一店案の三年後の利益は一億九千万円だった。倍近く上振れている。
理由を聞いて、私は自分の分析の弱いところを、二年遅れで知ることになった。
閉めた店の顧客が近隣店に移る率を、私は保守的に三十パーセントと置いていた。書店は商圏が狭いから、店がなくなればその客はネットに行くだろう、と考えたからだ。
実際は、五十四パーセントだった。閉めた十一店の客の半分以上が、二十分ほど離れた同じチェーンの店に移っていた。移った理由は、ポイントカードの残高と、取り置きの習慣と、あとは「そこにしか売っていない地元の本」があったからだと、あとで調べて分かった。
つまり、こういうことだ。私が「二十三店閉めるべきだ」と言ったとき、私の数字はその主張を裏づけるには弱すぎた。移転率三十パーセントの前提で作った試算は、閉店の効果を過小に見せる。私は自分の主張を、自分のモデルで削っていた。
社長が二十三に反対したのは、感情のせいだけではなかったのかもしれない。あの人は毎週店に行っている。客がどこに移るかを、たぶん肌で知っていた。
もう一つ、上振れの理由があった。閉店セールだ。十一店が三月から順に閉まって、そのたびに在庫を処分した。書店の在庫は返品できるものが多いから、通常は処分しない。処分せずに返品すれば粗利はゼロだが、セールで売れば二十パーセントは残る。
この効果は、私の試算に一行も入っていない。閉店を「費用の発生」としてしか見ていなかったからだ。
筒見さんは電話で「あれは俺たちが見落としてた」と言った。「まあ、上振れの見落としだから、怒られないけどな」。怒られない見落としのほうが、たぶん、後で効く。
あの郷土史の本のことも、聞いた。あの店の在庫は、二十分離れた店に移されて、いまもそこで年に三十冊ほど売れているらしい。移したのは、あの店長だった。異動して、その店の店長代理になっている。
後記 ―― 負け方を間違えていた
私は二年間、この案件を「主張を通せなかった話」として記憶していた。中途半端な決着を許した自分の弱さの話として。
そうではなかった。私が負けたのは、総量で議論する設計を選んだことと、自分の案を支える前提を保守的に置きすぎたことだ。前者は会議の作り方の問題で、後者は分析の作り方の問題だ。どちらも技術の話で、根性の話ではない。
引き下がったこと自体は、たぶん間違っていない。あそこで押し切っていたら、十一店も閉まらなかった可能性がある。
ただ、一つだけ心残りがある。通らなかった十二店について、私は「次の機会に」としか書かなかった。閉める条件を書いておくべきだった。一坪あたり月商が三期連続で何万円を割ったら、とか、契約更新のこの月までに何を満たさなければ、とか。書いておけば、二年後のいま、その紙が誰かの机の上に出ていたかもしれない。
十二店は、いまも営業している。四十八から三十七になった会社の中で、たぶん、どこも数字は良くなっていない。
あの国道沿いの店の跡地は、去年、中古車の販売店になった。看板の色は、白地に赤だった。同じ色だ。通りかかって、一瞬、店がまだあるのかと思った。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。