体験記 No. 17

負けた提案書のことは、社内で誰も話題にしない

案件中堅印刷会社・事業ポートフォリオ再編
話の中心アサイン
語り手都築 / 30歳・入社7年目
読了約8分 · 5,100字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
提案書96部最後に消えた二文字

三週間、チャージできない仕事をした。負けた提案書は共有フォルダの奥に沈み、誰も話題にしない――都築が、初めて提案を回してから半年後の電話までを綴った記録。

紙で指を切ったのは、96部目だった。左手の人差し指の腹に、細くて赤い線が入る。血が出るまでに少し間があって、その間に「印刷会社に出す提案書を、自分で紙に出して綴じている」ということの間抜けさを考えた。時刻は午前3時20分。提出は当日の15時だった。

都築です。30歳、入社7年目。この年になると、社内で「若手」と呼ばれることはもうない。かといってマネージャーでもない。名刺の肩書はシニアコンサルタントで、それは「一人で回せるが、売れはしない」という位置だと自分では思っていた。

アサイン ―― チャージできない三週間

話が来たのは4月の火曜だった。パートナーの矢代さんに呼ばれて、「都築、印刷やる気ある?」と聞かれた。やる気の話ではなかった。前の案件が3月末で終わって、私は2週目のアベイラブルだった。

クライアント候補は、創業68年の商業印刷会社。売上410億円、従業員1,100人ほど。カタログ、チラシ、パッケージ、それと20年前に始めたデジタル印刷の小ロット事業。主力の商業印刷が7年連続で落ちていて、営業利益は前期でぎりぎり黒だった。

RFPが出ていて、3社コンペ。提案期限は3週間後。矢代さんは「これ、俺が20年見てる会社じゃないんだよね」と言った。つまり、関係が薄い。紹介で入った口だ。

提案活動は、うちのファームではチャージできない。クライアントに請求できない時間、という意味だ。3週間、私の稼働率はゼロで積み上がる。矢代さんはそれを分かっていて、「勝てば10ヶ月の案件になる」と言った。10ヶ月。私は「やります」と答えた。断る選択肢が実在したのかは、いまでも分からない。

立ち上がり ―― 誰も知らない会社を、三週間で分かった顔にする

チームは、私と、1年目の水上くんと、途中から入る予定のマネージャーの日下部さん。日下部さんは別案件のクロージング中で、実質2週間は私と水上くんの2人だった。

最初の1週間は、外から見える範囲を全部集めた。有価証券報告書はない。非上場だ。だから決算公告と、業界誌のバックナンバーと、印刷業の統計と、あとは求人票を読んだ。求人票はいい。どの部署が何人採ろうとしているかで、どこに金と期待がかかっているか分かる。この会社は、デジタル印刷の営業を3人、商業印刷の営業をゼロで募集していた。

水上くんが「これ、答えが出てませんか」と言った。1年目らしい良い勘だった。私は「出てる。ただ、出てる答えを持っていくと負ける」と答えた。答えているようで何も言っていない返事だ。あのとき私は、本当は自分でもよく分かっていなかった。

現場を見に行った。工場見学のふりではなく、公開されているショールームに一般客として入った。B2判のオフセット機のことを、私はその週に初めて知った。3日前まで「B2」がスライドのサイズだと思っていた。

仮説 ―― 「撤退」という二文字

2週目の後半に、骨子ができた。

主力の商業印刷は、市場が縮んでいる。この会社の設備は最新ではなく、価格でも勝てない。一方でパッケージは、中身の商品が食品と日用品に寄っていて、市場が落ちていない。デジタル印刷は売上こそ小さいが、粗利率が主力の2倍近い。

つまり、限られた投資と人を、どこに寄せるか。ポートフォリオの話だ。

私は、商業印刷の3工場のうち1つについて、「撤退」と書いた。設備の更新期が2年後に来る。そこに20数億を突っ込むか、やめるか。やめると書いた。書きながら手が少し速くなった。7年やってきて、提案書に自分の判断でその二文字を書いたのは、そのときが初めてだった。

日下部さんが合流したのは、提出の5日前だった。ドラフトを読んで、日下部さんは「いいね」と言った。それから、「矢代さんが何て言うかだけど」と付け足した。

詰め ―― 二文字が消えた木曜

木曜の20時から、矢代さんのレビューだった。1時間の枠が、2時間半になった。

矢代さんは前半、ほとんど分析の話をしなかった。聞いたのは「この提案、誰が社内で説明するの」だった。私は「経営企画の部長だと思います」と答えた。「思います、じゃなくて」と返された。RFPの発信者は経営企画部長の名前だった。でも、社内で本当に説明する人が誰かは、確かに私は知らなかった。

その後、矢代さんは40枚のうち3枚だけを何度も見た。「撤退」と書いたページと、その前後だ。

「これ、削ろう」

「根拠は出てます」と私は言った。実際、出ていた。設備投資額の回収年数も、受注単価のトレンドも、競合の統廃合の状況も。

「根拠の話をしてない」と矢代さんは言った。「都築、この会社の社長は創業家の3代目で、この工場は2代目が建ててる。初回の提案書に外部が撤退って書いたら、その紙は読まれずに閉じられる。読まれない紙に正しいことが書いてあることに、意味はないんだ」

私は「では、いつ言うんですか」と聞いた。矢代さんは「受注してから、半年かけて言う」と答えた。

いま書き起こすと、矢代さんの言っていることは筋が通っている。あのときの私は、それを政治的な弱腰だと受け取った。二文字は「事業構造の再定義」という表現に置き換わった。私はレビューのあと、22時過ぎのオフィスで、置き換えた文字列を10分くらい見ていた。腹の底が、少し冷たかった。

翌週の月曜、水上くんに「これ、丸くなってません?」と聞かれた。私は「丸いんじゃなくて、順番の話」と答えた。矢代さんの言葉をそのまま使った。自分の言葉になっていない受け売りを口にすると、口の中が乾く。

提出 ―― 96部と、指の傷

提案書は最終的に52ページになった。プレゼンは45分、質疑15分。先方の役員が8人並ぶと聞いた。

想定問答は、水上くんと2人で62問作った。62問のうち、当日に実際に出たのは3問だ。残りの59問を作った時間は、統計上は無駄になる。ただ、59問を用意した状態で座っていると、質疑の15分がまったく怖くない。怖くないことは資料には写らないが、話し方には写る。リハーサルは4回やった。3回目のリハーサルで、矢代さんが「都築、その”我々は”を全部”御社は”に変えて」と言った。40枚ぶん、1つずつ直して、通しでもう1回読んだ。読みながら、主語を替えるだけで同じ紙が別の提案に見えることに、少しぞっとした。

紙で出す指定だった。データではなく紙。印刷会社だからか、単に古いのか、理由は聞かなかった。製本を業者に出す時間がなかったので、オフィスの複合機で刷って、自分たちで綴じた。8部を提出用に、残りは社内保管とリハーサル用。刷り直しが2回あって、最終的に96部を触った。

刷り上がった紙は、思ったより温かい。積むと、重い。指を切ったのはその96部目で、絆創膏を貼ってから、私は自分が提案しようとしている会社が毎日どれだけの紙を刷っているのかを、初めて具体的に想像した。3週間ずっと数字で見ていた「印刷」が、そこで初めて手のひらの温度になった。それを提案書に書き足す時間は、もうなかった。

プレゼン当日は、矢代さんが冒頭の5分、私が30分、日下部さんが施策のパートを10分話した。手応えはあった。役員のうち2人がメモを取っていた。専務らしい人が「デジタル印刷の粗利、この数字はどこから」と聞いた。想定質問の3番目だった。私はきれいに答えられた。

結果 ―― 3営業日後の、二行のメール

連絡は3営業日後に来た。経営企画部長の岩淵さんから、二行のメールだった。慎重に検討した結果、他社にお願いすることになりました、ご尽力に感謝します。

矢代さんは「そうか」とだけ言って、次の会議に行った。日下部さんは「お疲れさま、良い提案書だったよ」と言ってくれた。水上くんは「悔しいです」と言った。1年目が悔しがれるのはいいことだ。

7月に、業界の会合で別のファームの知り合いに会った。あの案件そちらでしたか、と聞いたら、うちじゃないです、と返ってきた。ただ、勝ったところの提案は「工場の話まで踏み込んでいたらしい」と、伝聞の伝聞として聞いた。踏み込んでいた、が「撤退と書いていた」という意味なのかどうかは、確かめようがない。確かめようがないまま、私はその話を、自分の紙から消えた二文字と結びつけて記憶した。人は、自分に都合のいい因果をすぐ作る。作った因果は、たいてい半年くらいよく効く。

社内で、負けた提案の話をする場はない。勝率という数字にだけ残る。振り返り会はやろうと言われて、日程が2回リスケされて、消えた。私は5月の3週目から次の案件に入って、6月には印刷という言葉を思い出さなくなった。

6月の評価面談で、上長から「4〜5月の稼働が低いのが、数字上は少し」と言われた。「提案に3週間入ってました」と言った。「知ってる」と返ってきた。知っていて言うのだ。そういう仕組みなのだと理解している。理解しているのと、納得しているのは違う。

その月の個人のクレジットカードの明細に、深夜のタクシー代が2万8千円あった。全部、提案期間中のものだった。22時以降なら会社持ちだが、提案期間の分は自分で出すのがうちの空気だった。空気は請求書に載らない。

半年後 ―― 個人の携帯が鳴る

11月の木曜、知らない番号から着信があった。岩淵さんだった。会社の代表電話ではなく、名刺に書いてあった私の携帯にかけてきていた。

「あのときの提案書、私はまだ持っています」と岩淵さんは言った。それから、いま進んでいるプロジェクトが止まっている、という話をした。詳しくは言われなかったし、私も聞かなかった。ただ、「絵は綺麗なんですが、うちの工場長たちが一人も動かないんです」という一言だけが残った。

改めて依頼が来たのは、12月だった。ただし、10ヶ月の全社ポートフォリオではない。デジタル印刷事業に絞った、2ヶ月の「事業性の再検証」。金額は、春に出した見積の3分の1以下だった。

矢代さんは「取っておこう」と言った。私は今度は素直に「はい」と答えた。

デリバリー ―― 撤退とは書かなかった

2ヶ月のプロジェクトは、私がリードで回した。水上くんも入った。

やってみて分かったのは、春の私の提案が、少しずれていたということだった。デジタル印刷の粗利率が高いのは事実だが、その受注の4割は、主力の商業印刷の営業が「ついでに」持ってきていた。切り離して伸ばそうとすると、その4割の入口が消える。設備と粗利だけを見ていた私には、見えていなかった経路だ。

最終報告で私たちが出したのは、撤退でも集中でもなく、「主力を縮めながら、その営業網を2年間だけ残す」という案だった。縮める、という言葉は使えた。使えたのは、春に矢代さんが二文字を削ってくれた紙が、半年間あの会社の中で読まれていたからかもしれない。かもしれない、以上のことは分からない。

報告のあと、岩淵さんが「春の資料の、38ページ目のグラフ」と言った。設備更新の回収年数を並べたページだった。「あれ、うちの取締役会で1回、映しました」。私はそのとき、初めて、負けた提案書が死んでいなかったことを知った。

後記 ―― 共有フォルダの奥

年が明けて、社内の共有フォルダを整理していたら、春の提案書のファイルが出てきた。最終版のファイル名は「_v14_FIX_最終_2」だった。FIXのあとに最終が来て、そのあとに2が来る。うちのファイルは、だいたいそうなる。

3月に、別のチームの若手から連絡が来た。印刷業の提案を作っているので、あのファイルを流用していいですか、という内容だった。どうぞ、と返した。返してから、彼が使うのは私の52ページのうち、たぶん市場環境の6枚だけだろうな、と思った。実際、そうだったらしい。

負けた提案の三週間を、私はまだうまく評価できていない。あれは無駄だったのか、と聞かれれば、半年後に電話が来たのだから無駄ではない、と答えられる。ただ、電話が来なければ無駄だったのか、という問いには、答えたくない。答えると、次にまた3週間を賭けるときに、賭け方が変わってしまう気がする。

指の傷は、2週間で消えた。いまでも紙の束を持つと、左手の人差し指を少しだけ浮かせる癖がある。癖だけが残っている。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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