「それ、明日やりますね」と言われて、僕の六週間の工程表が死んだ
キックオフの翌日に、六週間の工程表が三日分に圧縮された。速さで勝とうとして、荒い分析を出して怒られた――千賀が、自分より速いクライアントの前で立ち尽くした最初の一ヶ月の記録。
オフィスにソファがあった。緑色の、たぶん有名なやつだ。その隣に、樽みたいな形のコーヒーサーバーがあって、豆が三種類選べた。自社のオフィスには、給湯室にインスタントの瓶が一つある。
千賀です。二十六歳、入社三年目。この案件が四本目で、初めて「若い会社」に入った。
アサイン ―― ARR二十八億、従業員九十四人
クライアントは、BtoBのソフトウェアを売っている会社だった。従業員九十四人。年間の経常収益が二十八億円で、去年まで前年比四十パーセントで伸びていた。それが今期、二十二パーセントに落ちた。
理由は新規が鈍ったからではなくて、解約が増えたからだった。月次の解約率が〇・八パーセントから一・四パーセントに上がっている。年間に直すと、大きい。
依頼は「解約率の改善と、契約体系の見直し」。窓口はCEOで、二十九歳だった。僕より三つ上だ。
チームはマネージャーの大道寺さんと僕の二人。大道寺さんは「この規模の会社にうちが入るの、珍しいんだよ」と言った。「フィーが合わないから。今回は、たぶん向こうが投資家に言われて入れてる」
立ち上がり ―― 工程表が三日で死んだ
僕は六週間の工程表を引いた。第一週にデータの受領と定義確認、第二・三週に解約顧客の分析、第四週に仮説、第五週にインタビュー、第六週に中間報告。教科書どおりだ。
キックオフで、それを出した。CEOは十秒くらい見て、言った。
「データ、いま出せますよ」
「――いま、ですか」
「うちのアナリストに言えば、たぶん今日中に。何の切り口が要りますか」
その日の二十一時に、Slackで八つのファイルが飛んできた。契約ID別の解約日、プラン、ARPU、利用ログの月次推移、サポートの問い合わせ件数、担当営業。全部きれいに整っていた。
第一週と第二週が、その日のうちに終わった。
翌朝、CEOから追加のメッセージが来た。「解約企業の一覧に、うちのCS(カスタマーサクセス)が持ってるヒアリングメモも紐づけました。それ、明日やりますね」。何を明日やるのかというと、僕が第五週に予定していたインタビューだった。彼はもう三社にアポを取っていた。
大道寺さんに電話した。「工程表、意味なくなりました」と言ったら、「うん、そうだろうね」と言われた。「じゃあ、千賀くんは何をする人になるの」
その問いに、僕はその場で答えられなかった。
その週の金曜、僕はセールスのVPと立ち話をした。三十一歳の人で、前職は別のSaaS企業だった。彼は世間話のつもりで、たぶん本当に悪気なく、こう言った。
「千賀さんたちって、ふだんどういう会社に入るんですか。うちみたいなの、珍しくないですか」
「大手のメーカーさんとかが多いです」
「ああ、なるほどね」とVPは言った。「あの規模だと、社内に分析できる人いないですもんね」
いない会社に行くのが仕事だ、と言われたわけではない。言われていないのに、そう聞こえた。聞こえたのは、こちらがそう思っていたからだと思う。
そのあと二週間、僕は「自分は何をする人か」を一度も言語化できないまま、資料を作り続けた。作る手は止まらない。止まらないのがいちばん危ない状態だということは、あとで知った。
空回り ―― 速さで勝とうとした
三週目、僕は速さで勝とうとした。いま思うと、これがいちばん悪い判断だった。
木曜の夜から金曜の朝までかけて、解約企業の分析を回した。利用ログのアクティブユーザー数の推移と、解約の相関。ログイン頻度が下がってから解約までの日数の中央値。プラン別、業種別、契約年数別。
金曜の十時に、僕は四十二ページの資料を出した。徹夜明けで、頭は妙に冴えていた。
CEOは十五分でめくり終えて、こう言った。
「千賀さん、これ、業種の分類って何を使ってます?」
「先方からいただいたマスタの業種コードです」
「あれ、営業が入力してるんですよ。埋まってないのが四割くらいあって、埋まってるのも適当です」
四十二ページのうち、十一ページが業種別の分析だった。
僕は「確認が漏れていました」と言った。CEOは怒らなかった。怒らないで、こう言った。
「間違ってていいんですよ。うちも毎日間違ってるので。ただ、どこが怪しいかは先に言ってほしい。そうすれば僕らも、そこは見ないで聞けるので」
僕はその日、帰りの電車で立ったまま少し泣きそうになった。泣きそうになった理由が、怒られたからではなくて、優しくされたからだというのが、いちばんきつかった。
気づき ―― 誰も持っていなかった情報
四週目、僕は方針を変えた。速さで勝つのをやめた。
代わりに、この会社が「構造上、見に行っていない場所」を探した。
彼らは自社のデータをよく見ている。異常なほどよく見ている。ログも、ARPUも、NPSも、日次で見ている。見ていないものがあるとすれば、それは自社のシステムに入っていないものだ。
それで、解約した二十九社について、僕は一つずつ調べた。調べたのは、解約企業の側の人事異動だった。
方法は原始的だった。先方のCSのメモと、名刺管理のデータと、公開されている人事情報と、あとは電話だ。解約企業のうち十四社に、僕は直接電話をかけた。「以前ご担当されていた方は、いまも同じ部署にいらっしゃいますか」と聞くために。
この十四本の電話に、四日かかった。つながらない。つながっても取り次いでもらえない。名乗り方を三回変えた。四回目に、「解約された経緯を伺いたい」ではなく「当時ご担当だった方に、御礼をお伝えしたい」と言うようにしたら、通るようになった。
これはたぶん、この会社の誰もやらない仕事だった。彼らは十四本の電話に四日かけない。四日あればプロダクトの改善が二回まわる会社だ。時間の使い方の常識が違う。
CSの担当者に「何やってるんですか」と聞かれて、電話をかけていますと答えたら、笑われた。「アナログですね」。はい、と答えた。笑われながら、僕はこのとき初めて、少し落ち着いていた。ここは僕の速度でよかった。
結果はこうだ。解約した二十九社のうち、十九社で、導入を決めた担当者が解約の前十二ヶ月以内に異動または退職していた。
継続している顧客の側でも同じ調査をした。異動があったのは、こちらは百四十一社中の三十三社だった。
差は明らかだった。この会社の解約は、製品の問題でも価格の問題でもなく、「導入先の一人」に紐づいていた。その一人がいなくなると、契約は宙に浮く。宙に浮いたまま更新月が来て、誰も理由を説明できないので止まる。
そして、この会社は顧客企業の組織図を、一枚も持っていなかった。
中間報告 ―― 二十分で決まった
中間報告は、僕が想像していたものと違った。
会議室ではなく、あのソファのところでやった。参加者は五人。僕が資料を三枚出して、十九社という数字を出した。
CEOは、その数字が出た画面を三十秒くらい黙って見た。それから、隣にいたCS責任者に「これ、うちのオンボーディングって何人巻き込んでる?」と聞いた。
「基本は一人です。決裁者と、あとは現場のキーマン一人」
「じゃあ、そこですね」
そこから二十分で、方針が決まった。オンボーディングの標準を「一人」から「三人以上、うち一人は部長職以上」に変える。導入九十日目に、顧客側の関係者マップを作る面談を必須にする。契約単位を、いまの「一社一契約」から「部署単位で複数契約」に開ける。
二十分だ。僕が六週間の工程表を引いた案件で、いちばん大事な意思決定が二十分で終わった。
嬉しかった。嬉しかったのと同時に、自分の仕事の量と、意思決定の速さが、まったく比例していないことに少し混乱した。
大道寺さんは帰り道に「いい仕事したね」と言った。「あの十九って数字、うちが取りに行かなかったら、この会社は永遠に持ってないよ。ログの外にあるから」
生活 ―― 二十九歳のCEOと、二十六歳の僕
三年目の僕の年収は、七百四十万円だ。同い年の友達と比べれば多いほうだと思う。
クライアントの会社には、僕と同い年のエンジニアが何人かいた。話していると、ストックオプションの話が普通に出てくる。「上場したら、まあ」みたいな言い方で。僕はそれを、ちゃんと羨ましいと思った。羨ましいと思ったあとで、じゃあ自分は何を持っているんだろうと考えて、うまく言えなかった。
たぶん僕が持っているのは、四本の案件で四つの違う業界を見た、という経験だ。それは資産だと言われている。売れるかどうかは、まだ分からない。
家は会社から四駅の1Kで、家賃九万三千円。この案件のあいだ、二十二時前に帰れる日が週に三日あった。これは僕の三年間でいちばん多い。ソファの会社は十九時になると人が減る。減るのに、進んでいる。何なんだこれは、と思いながら僕もオフィスを出た。
出て、時間が余ったので、ジムに入会した。二回行って、行かなくなった。会費は引き落とされ続けている。
同期の飲み会が月に一回ある。十一人いた同期が、三年目のいま、八人になっている。二人は事業会社に行って、一人は連絡が取れない。
飲むと、必ず「今どこ入ってる?」から始まる。僕が「九十四人の会社です」と言うと、だいたい「小さ」と言われる。小さいですね、と返す。返しながら、あのソファのことは話さない。話すと、羨ましがっているように聞こえる気がするからだ。実際、少し羨ましい。
母から電話が来て、「ちゃんと寝てるの」と聞かれた。寝てる、と答えた。この案件では本当に寝ていたので、嘘をつかずに済んだ。嘘をつかずに済んだのが三年目にして初めてだったことは、言わなかった。
最終報告と、その後
最終報告は九週目だった。当初の工程表より三週間短い。
打ち手は四つ。オンボーディングの複数名化、九十日面談、契約単位の部署化、それから解約予兆のアラートに「顧客側の担当者変更」を入れること。最後のは、CSが手で入力する運用になった。自動化はできない。彼らの好きなやり方ではないが、他に方法がなかった。
契約体系の見直しは、結局、価格そのものは触らなかった。触るべきだという分析はできたが、いま触ると営業の説明が二重になる、というのが向こうの判断だった。僕は納得しなかった。納得しなかったが、それは僕が決めることではない。
大道寺さんには「食い下がらなかったの」と聞かれた。一度は言いました、と答えた。「一度か」と言われた。それ以上は言われなかったので、僕は自分でその一度のことを何度か思い返している。二度目を言わなかったのは、相手が二十九歳で、決断が速くて、その速さに逆らうのが面倒だったからだ。面倒だった、というのが正直なところだと思う。
四ヶ月後、CEOからメッセージが来た。月次の解約率が一・一パーセントまで下がったという報告と、それから「千賀さん、うちに来ませんか」という一行だった。
後記 ―― 速さの外側
僕は、その誘いに返事をするのに十一日かかった。
断った。理由を三つくらい並べて送ったけれど、本当の理由は一つだと思う。僕は、あの会社の速さについていける自信がなかった。三週目に徹夜して四十二ページ作って、業種コードの一言で沈んだ日のことを、まだ引きずっている。
あの会社の人たちは、僕より速い。速くて、正しい。それでも十九社のことは知らなかった。知らなかったのは能力の問題ではなくて、自分たちのシステムの外を見る習慣が、あの速度の中には組み込まれていないからだ。
僕の価値がそこにあるらしい、というのが、この案件で分かったことだ。分かったけれど、それを毎回できる気は、まだしない。
コーヒーサーバーの豆は、三種類のうち真ん中のやつがいちばん美味しかった。名前は覚えていない。最終報告の日に、CS責任者の人が「これ、千賀さんいつも飲んでましたよね」と言って、豆の袋を一つくれた。うちの給湯室にはミルがない。袋は、いま僕の机の引き出しに入ったままだ。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。