体験記 No. 12

「うちの電気代を、何に使うんですか」と聞かれて、答えられなかった

案件中堅アパレル・GHG排出量算定と開示支援
話の中心アサイン
語り手桧山 / 25歳・入社1年目
読了約7分 · 4,900字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
142社に送って31社「うちの電気代を何に使うのか」

案件が付かない二週間のあと、私に回ってきたのは社内の誰もやったことのない領域だった――桧山が、意味の分からない数字を集めつづけた一年目の入口から出口までを綴った記録。

案件が付かない期間のことを、うちでは「アベイラブル」と呼ぶ。稼働可能、という意味の、ずいぶん前向きな言葉だ。実際は、朝10時に出社して、社内研修の動画を見て、経費精算を済ませて、それでも15時になってしまう時間のことを指す。私はそれを、2週間やった。

桧山です、と名乗る相手も、その2週間はいなかった。入社1年目、25歳。理系の修士を出て、この会社に入った。研究室では高分子の物性をやっていた。同期の半分はメーカーの研究職に行って、2人はそのまま博士に進んだ。私は、社会実装がしたいです、という面接用の言葉を、何度か本気で信じかけながら、ここにいる。

3週目の月曜、マネージャーの郡司さんから声がかかった。「桧山さん、GHG算定って、興味ある?」。興味の有無を聞かれているのではないことは、1年目でも分かる。「あります」と答えた。「よかった。社内、経験者いないんだよね」と郡司さんは笑った。

アサイン ―― 誰もやったことがない、ということの意味

クライアントは、創業47年の中堅アパレル。婦人服が主力で、企画は自社、製造は国内外のOEM先に出している。売上は390億円ほど。取引先の金融機関から、サステナビリティの開示を求められた、というのが発端だった。上場していて、有価証券報告書に何かを書かなければいけない。書くための数字が、社内に一つもない。

Scope1、Scope2、Scope3という区分があることを、私はアサインの週末に初めてきちんと理解した。Scope1が自社で燃やしたぶん、Scope2が買った電気のぶん、Scope3がそれ以外の全部。「それ以外の全部」というのが曲者で、原材料の製造から、輸送、店舗での販売、顧客が服を洗濯する電気、廃棄まで、全部入る。

アパレルの場合、排出量の大半はScope3のカテゴリ1、つまり「購入した製品・サービス」に集中する。要するに、自社ではなく、縫製工場と紡績工場が出しているぶんだ。自社の工場を持たない会社が、自社の数字として、他社の排出を報告する。この構造を理解したとき、私は率直に、なんだそれは、と思った。

郡司さんに正直にそう言ったら、「うん、最初はみんなそう思う」と言われた。「でも、そう思わない人がやると、たぶん数字だけ埋めて終わるから」。それが褒め言葉なのか、単に人手がなかっただけなのか、いまだに分からない。

立ち上がり ―― 意味より先に、締切があった

キックオフは6月の第1週。先方の担当は、経営企画のなかの1人と、総務の兼任がもう1人。専任はいない。開示の締切は、翌年6月の報告書。逆算すると、算定を終えるのが11月28日。私はその日付を、自分のノートの1ページ目に書いた。

Scope1と2は、意外なほど早く終わった。本社ビルと物流センターと直営店38店舗の電気とガスの請求書を集めて、排出係数を掛けるだけだ。3週間で終わった。数字も、そう大きくない。全体の、たぶん数%。

問題は、残りの90%以上を占めるScope3のカテゴリ1だった。ここを一次データで算定するには、取引先に「あなたの工場で、うちの製品を作るのに、どれだけエネルギーを使いましたか」を聞くしかない。取引先は、国内外あわせて142社あった。

私は、Excelの依頼シートを作った。3シート構成。1枚目が記入要領、2枚目が電力・燃料の使用量を書く表、3枚目が当社向けの生産数量。ここまでは、丁寧に作れた。丁寧に作るのは、得意だ。研究室で実験ノートを書いていたときと、同じ手つきだった。

142社に、Excelを送る

送付は7月の中旬。返信の締切を8月末に置いた。8月末、返ってきたのは31社だった。142社のうち、31社。回収率21.8%。

そこからの3ヶ月が、この案件のほとんど全部だ。私は電話をかけつづけた。1日に多い日で28本。相手はたいてい、工場の総務か、社長本人だった。国内の縫製工場は、従業員が10人前後のところも多い。総務という部署がなくて、社長の奥さんが経理をやっている、みたいな会社が普通にある。

9月の、たしか2週目だった。中部地方の、従業員11人の縫製工場に電話をかけた。社長が出た。私が趣旨を説明すると、しばらく黙って聞いていて、それから言った。

「あの、うちの電気代を、何に使うんですか」

嫌味ではなかった。本当に分からない、という声だった。私は、用意していた説明を読んだ。サプライチェーン全体の排出量の可視化であること、開示が求められていること、いずれ取引条件になる可能性があること。読みながら、自分の声が、だんだん小さくなっていくのが分かった。

社長は最後まで聞いて、「まあ、うちの電気代なんて、たかが知れとりますけどね」と言って、笑った。そして「分かりました、探してみます」と言ってくれた。2週間後、封筒で紙のコピーが届いた。Excelには入っていなかった。手書きの数字が、電力会社の検針票のコピーに、蛍光ペンで囲ってあった。

私はそれを、自分で入力した。入力しながら、少し泣きそうになった。理由は、うまく説明できない。たぶん、この人の11人分の電気代が、390億円の会社の報告書の、たった1行の内数になることが、悲しかったのか、ありがたかったのか、どちらでもあった。

夕方、耳が熱かった。1日に何十本も電話をかけると、受話器を当てている側の耳だけが熱を持つ。ハンズフリーにすればいいと言われたが、なぜかそうしなかった。オフィスの窓から、9月の、まだ明るい空が見えた。研究室にいたころ、この時間はだいたい実験の3本目をセットしていた。データが出るまで、私は自分の手が何を作っているかを、いつも知っていた。いまは、知らない。

一年目の、生活のほう

この案件のあいだ、私の生活は、たぶん世間が想像するコンサルとは少し違った。徹夜は、数えるほどしかなかった。GHG算定は、深夜に頑張っても相手が電話に出ないので、構造的に夜が空く。代わりに、朝が早い。工場は7時半には動いていて、社長が電話に出やすいのは8時前後だと気づいてからは、私は7時50分に会社にいた。

初任給の手取りは、思っていたより少なかった。額面から社会保険と税を引かれて、残ったものを、家賃9万4千円の1Kと、奨学金の返済と、電気代に配っていく。修士まで行ったぶん、返済は月1万4千円ある。同期の飲み会で「1年目で家賃9万は攻めてるね」と言われた。会社から近いところに住むのが正解だと、内定者の懇親会で先輩に言われたのを、そのまま信じた。実際、正解だった。7時50分に会社にいるためには、そうするしかない。

土日は、片方は寝ていた。もう片方は、洗濯と、スーパーと、あとは何もしない。研究室のころは、土曜も実験をしていて、日曜に映画を見ていた。いまは、映画を見る体力が残らない。見はじめて、30分で寝る。それを何度か繰り返して、そのうち再生しなくなった。

不調は、静かに来た。11月ごろ、朝起きると、なぜか先に「今日は何社に電話するか」を数えていることに気づいた。数えてから、目を開ける。その順番が、少しおかしいと自分でも思った。同期の子に話したら、「それ、私も似たようなのある」と言われて、少し安心して、安心したことに少し不安になった。

中間報告と、簡易法という逃げ道

10月末の中間報告で、回収率は58社まで来ていた。142社中58社。40.8%。全然足りない。

郡司さんが言った。「桧山さん、残りは金額ベースでいこう」

金額ベースというのは、簡易法のことだ。一次データがない取引先については、その会社への支払金額に、業種別の平均的な排出原単位を掛けて推計する。GHGプロトコルでも認められた方法で、開示上は何の問題もない。締切には、確実に間に合う。

私は、それに反対しなかった。反対する材料がなかったし、11月28日は動かない。ただ、そのとき自分が何を捨てているかは、うっすら分かっていた。金額ベースで出した数字は、取引先が省エネをしても減らない。支払額が減れば減るだけだ。つまり、削減の打ち手に、接続しない。

数字は、そこから2週間で全部埋まった。全社の排出量は、Scope1が0.9%、Scope2が4.2%、Scope3が94.9%。そのScope3の、さらに8割がカテゴリ1。私が3ヶ月かけて集めた58社の一次データは、全体の、たしか17%ぶんだった。残りは、掛け算で出た。

11月28日、私は締切に間に合わせた。郡司さんは「よくやった」と言ってくれた。パートナーからも短いメッセージが来た。嬉しかった。嬉しかったことを、正直に書いておく。意味が分からない仕事でも、間に合わせると嬉しい。この感情は、たぶん一生消えない。

最終報告と、その先

最終報告は、翌年1月。役員会で、削減ロードマップの案まで出した。短期は自社の電力を再エネに切り替える案、中期は物流の見直し、長期はサプライヤーとの協働。長期のところに、私が3ヶ月電話をかけた142社の話が、1枚だけ入った。

役員のひとりが「これ、取引先に強制はできないよね」と言った。できません、と先方の経営企画の方が答えた。「じゃあ、まあ、お願いベースか」と役員は言って、話は次に移った。

その通りだと思う。強制はできない。あの11人の工場に、省エネ設備を入れてくださいとは、誰も言えない。私が集めた58社ぶんの一次データは、報告書のどこにも「58社」とは書かれていない。書かれているのは、算定範囲と算定方法の注記だけだ。注記は、9ポイントの文字で、4行ある。

ただ、会議のあとで、先方の経営企画の方が廊下で言ってくれたことがある。「桧山さん、うちの調達の担当が、この算定の途中で、取引先の工場に初めて行ったんですよ」。データが返ってこない工場に、しびれを切らして訪ねていったらしい。行ってみたら、20年取引しているのに、担当者が工場を見たのはそれが初めてだった。「見に行ったら、いろいろ分かったって言ってました。数字とは関係ないことばっかりですけど」

数字とは関係ないこと。私は、その言葉を、帰りの電車でずっと考えていた。私の仕事の成果物は、Excelと、報告書の4行の注記だ。副産物は、誰かが20年ぶんの取引先を、初めて自分の目で見たことだ。どちらが本体なのかは、たぶん、私が決めることではない。決めることではないが、後者のほうが嬉しかった。嬉しかったことを、郡司さんには言わなかった。言うと、報告できる成果ではないことが、はっきりしてしまう気がした。

後記 ―― 研究室の同期に、会った

3月に、大学の研究室の飲み会があった。博士に進んだ同期が、学会でポスター賞を取ったと言っていた。メーカーに行った子は、開発中の材料の話を、守秘に触れない範囲で楽しそうにしていた。

「桧山は、何やってんの」と聞かれた。私は「アパレルの会社の、二酸化炭素の排出量を計算してた」と答えた。「へえ、環境系」と言われた。「そんな感じ」と答えた。それ以上、うまく説明できなかった。自分の手が何を作ったのか、いまも一行で言えない。

2年目のアサインは、また別の会社のGHG算定に決まった。社内で「経験者」になってしまったからだ。誰もやったことがない領域に一度入ると、二度目からは、あなたがやるべき人になる。それが専門性の入口なのか、単なる押し付けなのかは、まだ分からない。

ただ、次の案件では、依頼シートを送る前に、電話をかけようと思っている。「うちの電気代を、何に使うんですか」に、答えを持って。持てるかどうかは、正直、分からないけれど。あの手書きの検針票のコピーは、まだ私のデスクの引き出しにある。捨てられていない。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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