土曜の七時四十二分に電話が鳴って、そこから十一営業日、紙で商売を回した
土曜の朝、電話で叩き起こされて、月曜から十一営業所の受注を紙に戻す段取りを作ることになった。危機のなかで役に立つ感覚は、思っていたより気持ちよかった――富永の、十一営業日とその後の記録。
土曜の七時四十二分に、携帯が鳴った。マネージャーの八巻さんだった。
「富永、月曜から入れる案件がある。建材の商社。システムが全部止まってる」
寝起きで、最初に聞き返したのは「全部というのは、どのくらいですか」だった。八巻さんは「全部だよ」と言った。
富永です。三十歳、入社五年目。前の案件が金曜に終わったばかりで、翌週は二日ほど休むつもりでいた。
アサイン ―― 全部というのは全部だった
クライアントは、創業六十八年の建材の専門商社だった。石膏ボード、断熱材、サッシ、床材。工務店とゼネコンの下請けに売る。営業所が十一か所、社員は四百人ちょっと。
木曜の未明に、基幹システムが使えなくなった。受注も、在庫も、出荷指示も、請求も、全部そこに入っている。
僕らに来た依頼は、システムの復旧そのものではない。それは別のIT会社がやる。僕らがやるのは、システムが戻るまでのあいだ、どうやって商売を続けるかの段取りだった。
月曜の朝八時に本社に着いた。四階の大会議室が復旧本部になっていた。長机が口の字に並べてあって、ホワイトボードが三枚。壁に模造紙が貼ってあって、上のほうに「対応事項」と書いてあった。項目が四十くらい並んでいて、番号は振られていなかった。
僕が最初にやったのは、その四十項目に番号を振ることだった。振ってみたら三十七項目で、うち十一項目が同じ内容の言い換えだった。
立ち上がり ―― 何を諦めるかを先に決める
その日の午前中、僕は営業所に電話をかけ続けた。十一か所のうち八か所と話した。
分かったのは、現場はもう勝手に動いているということだった。金曜の時点で、営業所の何人かが手書きの伝票を切って出荷していた。伝票は倉庫にあった古い三枚綴りの複写式で、二枚目が薄くて読みにくい。
品目は、コードでなく品名で書かれていた。「ボード12.5」と書く人と「PB12.5」と書く人と「石膏12.5三×六」と書く人がいた。同じ商品だ。
四番目にかけた営業所の所長は、五十代の男性だった。開口一番、「本社は何をしてるんですか」と言われた。
僕が「復旧の見通しを立てているところです」と言うと、「見通しはいいですよ。うちは明日、現場が四十件あるんです」と返ってきた。
建材は、現場に入る日が決まっている。ボードが着かなければ、その日の職人が手ぶらになる。手ぶらになった職人の日当は、誰かが払う。それが分かっているから、営業所は勝手に紙で出していた。彼らは混乱していたのではなく、判断していた。
僕は「明日ぶんは、いま出ている紙のまま進めてください」と言った。所長は「はい」とだけ言って切った。あとで聞いたら、その所長は木曜の夜から二日、営業所に泊まっていた。
昼に本部で報告したとき、僕は「バラバラです」と言った。パートナーの梶井さんが「バラバラでいいよ。まず止めるな」と言った。
その日の夕方までに決めたのは、次の三つだった。
一つ、受注と出荷だけ回す。請求と入金の消込は当面やらない。売掛は後で立てる。 二つ、在庫は引き当てない。営業所ごとの現物を数えて、その範囲でしか売らない。他所からの融通は電話で個別に取る。 三つ、紙の伝票は必ず本社に送る。ファクスで一日二回、締めは十二時と十七時。
三つ目を決めたとき、僕は自分で「これは後で効く」と思った。実際にはこれが、いちばん甘い判断だった。
仮説構築 ―― 二千九百行
火曜、本社に集まってきた紙の量で、規模が分かった。
このクライアントの一日の受注は、行数にしておよそ二千九百行だった。伝票の枚数でいうと八百枚前後。それが十一営業所からファクスで来る。
ファクスは本社に四台あった。二台が古くて、感熱紙だった。感熱紙のほうは、三時間くらいで文字が薄くなり始める。
火曜の夜、僕は総務の女性と二人で、届いた伝票をコピー機で複写し直した。二百三十枚くらい取った。そのあいだずっと、コピー機の光が下から上に走るのを見ていた。二十三時を過ぎていた。
このとき僕が考えていたのは、復旧したあとのことだった。
システムが戻ったら、この紙を全部、システムに入力し直さないといけない。八百枚 × 営業日。一週間止まれば四千枚になる。誰が、いつ、どの順番で入れるのか。
僕はそこで「復旧後にまとめて入力する」という前提で段取りを組んだ。営業所ごとに、日付順に束ねて保管する。番号を振る。それだけ決めた。
その前提が間違いだった。
中間報告 ―― 入力できる人が足りない
木曜の朝の本部会議で、経理部長が言った。
「入力って、誰がやるんですか」
僕は「営業所の事務の方に、順次お願いする形かと」と答えた。
部長は少し黙ってから、「うちの事務は、一人が一日に百五十行くらいですよ」と言った。
計算をした。止まった期間が仮に十日なら、二万九千行。事務員は全社で十九人。全員が通常業務をやめて入力だけしても、十日かかる。通常業務はやめられない。実際には、日中の受注をさばきながらなので、一日にできるのは五十行くらいだろう、と部長は言った。
五十行なら、五十八日かかる。
会議室が静かになった。梶井さんが「これ、月内には終わらないですね」と言った。誰も答えなかった。
その日から、段取りを組み直した。
紙を全部入力するのはやめた。売掛の請求に必要な情報だけを、伝票から抜いて表に打つことにした。行単位でなく、伝票単位。取引先、日付、金額、品目は要約でいい。在庫の動きは、復旧後に実地棚卸で合わせる。過去の受注履歴は、再現しない。
つまり、十一営業日ぶんの受注データは、この会社の履歴から永久に落ちることになった。
僕はその案を持って行くときに、少し緊張していた。「なかったことにする」と言うのと同じだからだ。
経理部長は聞き終わってから、「それでいいです」と言った。あっさりしていた。「うちは月次で見てるんで。日別の履歴は、正直、使ってないです」
使っていないものを完璧に戻そうとして、僕は三日を使っていた。
この三日のことを、僕はしばらく人に話さなかった。話すと、自分が何を大事にしていたかがはっきりするからだ。僕が守ろうとしていたのは、この会社の履歴ではなく、たぶん「きちんと戻した」と言える状態のほうだった。
十一営業日目 ―― 戻った日
システムは、十一営業日目の木曜に、受注の機能だけ戻った。
その日、営業所から本社に電話が二十七本かかってきた。ほとんどが「もう紙じゃなくていいんですよね」という確認だった。僕は同じ返答を二十七回した。夕方には声がかすれていた。
戻ったあとの一週間のほうが、止まっているあいだより混乱した。
理由は単純で、紙とシステムが並走したからだ。木曜の午前に紙で受けた注文を、午後にシステムにも入れた営業所があった。同じ注文が二回出荷されかけた件が、その週に六件あった。うち二件は実際に二重で出た。戻ってきたボードが、本社の駐車場に三日置いてあった。
「復旧した日を境に切り替える」とだけ決めて、切り替えの手順を紙に落としていなかった。それは僕の抜けだった。手順書を六枚書いたのに、いちばん切り替わる日のことを一行も書いていなかった。
戻った日の夜、本部の片づけをした。模造紙を剥がして、丸めて、段ボールに入れた。三十七項目のうち、消し込めていたのは二十九だった。残りの八は、再発防止のほうに送られる項目だった。
僕はそのとき、正直に言うと、気持ちよかった。
この十一営業日、僕は明らかに役に立っていた。電話をして、番号を振って、束ねて、決めた。誰も僕に「示唆は」と聞かなかった。作った資料は、A4の手順書が六枚と、営業所別の連絡表が一枚だけだ。パワーポイントは一枚も作っていない。
その気持ちよさに気づいたとき、少し気味が悪くなった。この会社にとっては十一営業日の事故で、僕にとっては充実した十一営業日だった。
僕がやっていたことは、よく考えると、コンサルタントの技能ではなかった。番号を振る。電話をかける。誰と誰が同じことを言っているかを見つける。それだけだ。四百人の社員が全員自分の持ち場で必死になっているときに、持ち場を持たない人間が一人いるというだけで、たまたま役に立つ位置にいた。
八巻さんに一度だけ、そのことを言った。「僕、何もしてないですよね」と。八巻さんは「してないな」と言って、少し間を置いて「でも、してない人がいないと回らない仕事はあるよ」と言った。慰められたのか、釘を刺されたのか、いまだに分からない。
最終報告 ―― 再発防止のほう
そのあと六週間かけて、再発防止の検討をやった。
内容は、業務継続の手順を文書にすることだった。優先して戻す業務の順番、紙で回すときの様式、入力を諦める範囲の判断基準。あとは、営業所ごとにバラバラだった品名の呼び方を、コードに寄せる作業。これは終わらなかった。着手だけした。
コードに寄せる作業が終わらなかった理由は、途中で分かった。営業所ごとの呼び方の違いは、間違いではなかった。厚みと寸法の言い方が、取引先の職人の言い方に合わせてあった。ある営業所の「三×六」は、その地域の大工がそう呼ぶからそう書いてある。
つまり、社内の表記を統一するというのは、営業所と客のあいだの言葉を一つ剥がすということだった。それを僕が決めていい話ではなかった。報告書には「継続検討」と書いた。この案件で唯一、僕が自分で書いた「継続検討」だった。
最終報告は、役員七人の前で九十分やった。僕が四十分話した。
社長は、最後に一つだけ質問をした。「これ、もう一回起きたら、何日で戻りますか」
僕は「業務のほうは、三日目から回せます」と答えた。それは本当だった。手順書があるから。
社長は「システムは」と聞いた。僕は答えられなかった。それは僕らのスコープではなかったし、原因についての説明を、僕は最後まで受けていなかったからだ。
生活 ―― 二週間の食事
この二週間、僕は本社の近くのビジネスホテルに泊まった。一泊八千二百円で、朝食が付いていた。朝食は一度も食べていない。
夕食は、本部に届く差し入れだった。三日目に取引先からカステラが届いて、それが二日残った。段ボールに座って、カステラを食べながら伝票を数えた日がある。甘かった。甘いものを食べたのが久しぶりだったので、口の中がびっくりしていた。
体重は変わらなかった。変わったのは目で、コンタクトが乾いて、四日目から眼鏡にした。眼鏡の僕を見て、八巻さんが「誰かと思った」と言った。
年収は七百四十万円。家賃は九万三千円の1K。この二週間の稼働は、たぶん百四十時間くらいだった。
休むつもりだった二日ぶんの予定は、友人の引っ越しの手伝いだった。土曜の朝に電話を受けたあと、僕はその友人に「行けなくなった」と送った。既読が付いたのは夜で、「まあ、そうだろうと思ってた」と返ってきた。この「そうだろうと思ってた」を、僕は五年目にして何回言われただろうと考えて、数えるのをやめた。
後記 ―― 番号だけが残った
原因は、最終報告のときも、その後も、僕のところには降りてこなかった。
知っているのは、たぶん社内でも十人いない。それでいいのだと思う。僕らが呼ばれたのは、原因を知る仕事ではなかった。
一度だけ、経理部長と廊下で立ち話をしたときに、「あの伝票、どうしました」と聞いたことがある。「倉庫にありますよ、まだ」と言われた。番号を振った束が、そのまま置いてあるらしい。
僕があの二週間でやったことのうち、いちばん形が残っているのは、たぶんあの番号だ。
いま、僕は別の会社で在庫管理の案件をやっている。パワーポイントを作っている。六十三枚ある。
会議で「示唆は」と聞かれるたびに、あの二週間のことを少し思い出す。思い出して、それを懐かしいと感じる自分のことを、あまり信用しないようにしている。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。