体験記 No. 11

四週間で会社を見抜け、と言われた。いちばん怖いものは資料室になかった

案件食品卸・高齢者配食サービスの買収DD
話の中心仮説構築
語り手戸倉 湊 / 28歳・入社6年目
読了約8分 · 5,000字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
VDRに1,842ファイルリスク一覧の11番目

開示資料は1,842ファイル。だが成長計画を支えていたのは、そのどこにもいない一人の所長だった――戸倉が、初めてモジュールを任された四週間のDDを綴った記録。

デューデリの部屋には、窓がない。先方が貸してくれた会議室は、8階の北側の、たぶん普段は誰も使っていない部屋だった。長机が二つ、モニタが一つ。空調の吹き出し口が僕の真上にあって、初日の夕方には、もう目の奥が乾いていた。コンタクトを外して眼鏡に替えたのは、2日目の午前中だった。

戸倉です、と自己紹介したのは、初日のキックオフの一度きりだ。入社6年目、28歳。それまでの5年は、誰かのモジュールの下でスライドを作る側だった。今回はじめて、市場・競合パートのリードを任された。任された、というより、人が足りなかった。マネージャーの尾関さんに「戸倉、市場と競合、一人で回せる?」と聞かれて、僕は「回します」と答えた。回せる、ではなく、回します、と言ったことを、後で何度か思い出した。

アサイン ―― 「4週間で、この会社を見抜いて」

案件は、業務用の食品卸が、高齢者向けの配食サービス会社を買う、という話だった。買い手は年商480億円ほどの中堅。既存の卸事業が価格競争で薄利になっていて、川下の、消費者に近いところに出たがっていた。

対象会社は、創業19年。拠点が8つ、正社員46名にパート212名。1食638円の配食を、1日およそ4,200食。ケアマネジャー経由の紹介で顧客を取っていて、直近3年の売上は年平均9%伸びていた。提出された事業計画では、これから5年で拠点を8から18に増やし、売上を2.4倍にすることになっていた。

キックオフで、買い手側の事業部長は開口一番、こう言った。「この案件は、うちにとって悲願です」。悲願、という言葉を、僕はノートに書き取った。DDの初日に依頼者から出る言葉としては、少しだけ危ない言葉だと思った。思ったが、その時点では、まだそれだけだった。

尾関さんは帰りのエレベーターで「4週間だからな」と言った。「4週間で、この会社を見抜いて」。それがこのPJの全部だった。財務DDは会計事務所が、法務は弁護士が並走していて、僕たちは事業のパートを持つ。要するに「この事業計画は達成できるのか」に答える仕事だった。

立ち上がり ―― 資料室には、良いことしか置いていない

開示資料はVDRにあった。ログインして最初にファイル数を見たとき、1,842とあった。全部は読めない。読めないことを前提に、何を読むかを決めるのが最初の仕事になる。

尾関さんに教わったやり方は単純だった。事業計画のいちばん効く前提を3つに絞って、その3つだけを、複数のファイルから殴り合わせる。今回で言えば、①拠点をあと10増やせるのか、②1拠点あたりの食数は本当に伸びるのか、③粗利率は維持できるのか、の3つだった。

僕は月次の拠点別データを引っ張って、8拠点それぞれの食数と粗利を、開設からの経過月数で並べ直した。地味な作業だ。深夜のDDルームで、エクセルのピボットを組み替えながら、これはこの4週間で誰もやっていない切り方だ、という手応えがあった。手応えというのは、たぶんこの仕事でいちばん危ない感情だと思う。

グラフができたとき、8つのうち1つだけが、明らかに形が違った。第3拠点。開設からの立ち上がりが、他の7つの倍の速さだった。1日の食数が、他拠点の平均の1.9倍。しかもその1拠点だけで、全社の営業利益の44%を出していた。

Q&Aシートに質問を書いた。「第3拠点の食数が突出している要因をご教示ください」。DDのQ&Aは、直接聞けない。シートに書いて、FAの人を経由して、対象会社の経営陣に届く。回答は、たいてい2営業日後に返ってくる。この2営業日が、4週間しかないDDでは、致命的に長い。

返ってきた回答は、一行だった。「立地条件が良好なため」。

仮説 ―― 成長計画の前提が、人の名前だった

立地条件では説明がつかなかった。人口動態も高齢化率も、第3拠点の商圏は他と大差ない。むしろ競合の事業者は、そこがいちばん多かった。

マネジメントインタビューは90分が2回だけ。貴重な枠を、僕は第3拠点の話に30分使わせてもらった。社長は最初、一般論をしゃべっていた。地域密着だとか、スタッフの定着だとか。僕が「第3拠点だけ、ケアマネさんからの紹介比率が他の拠点の3倍近いんですが」と数字を出したところで、社長の話し方が変わった。

「あそこは、内海が回してますんでね」

内海さん、というのが、第3拠点の所長の名前だった。60歳。元は地域の福祉施設で介護職をしていた人で、この地域のケアマネジャーの、ほとんど全員と個人的に付き合いがあるらしい。「あの人が紹介してくれるなら」で決まる、という話だった。社長は誇らしそうに言った。誇らしそうに言われるほど、僕は背中のあたりが冷たくなっていった。

つまり、この会社の営業利益の44%は、一人の人間の人間関係の上に乗っていた。そして事業計画では、これから開設する10拠点も、第3拠点と同じ立ち上がりカーブを前提にしていた。内海さんは1人しかいない。60歳で、あと5年で定年だった。役員でも株主でもないから、ロックアップも効かない。買収後に残る保証は、どこにもなかった。

離職率の資料を追加で請求した。返ってきたのは、全社の年次の数字だけで、拠点別も職種別もなかった。「拠点別は集計しておりません」。集計していないのか、出したくないのか、4週間では判別できない。僕は判別できないという事実を、そのままメモに残した。

その夜、僕はDDルームで朝5時まで作業した。始発までの時間、駅前の牛丼屋で、並盛と味噌汁を食べた。券売機のボタンが一つだけ光っていなくて、その暗いボタンをしばらく見ていた。頭の中では、修正事業計画の再計算をしていた。第3拠点の突出を「再現不能」として、他拠点の平均カーブを新規10拠点に当てはめると、5年後の営業利益は、先方計画の54%になった。正常化EBITDAも、2億3,400万から1億9,100万に落ちた。

数字が出たとき、僕は正直、少し嬉しかった。見つけた、と思った。6年目にして、初めて自分の分析でディールの根っこに触れた気がした。その感情を、あとで何度も思い返すことになる。

四週間という生活

DDの4週間は、生活の形が変わる。正確に言うと、生活がいったん止まる。

僕はこの期間、家に帰ったのが12日だけだった。残りはDDルームの近くのビジネスホテルで、朝チェックアウトして夜チェックインする、というのを繰り返した。1泊9,800円。経費で落ちる。落ちるので、何も考えずに泊まる。3週目の水曜、フロントの人に「いつもありがとうございます」と言われて、少しぎょっとした。ホテルの人に顔を覚えられるくらい、同じ場所にいた。

洗濯は、コインランドリーでもホテルのランドリーでもなく、駅前の店に出した。Yシャツ1枚250円。5枚出して、受け取りに行く時間がなくて、3日放置した。取りに行ったとき、店の人が「お忙しいんですね」と言った。忙しいです、とは言わなかった。忙しいと言うのが、なんとなく格好悪い気がしていた。6年目のくせに、そういうところは3年目のころと変わっていない。

身体は、順番に壊れる。まず目が乾く。次に腰が来る。3週目からは、朝起きると右の肩甲骨の内側が固まっていて、シャワーで温めないと腕が上がらなかった。カフェインは1日に4本まで、と自分で決めていて、3週目の木曜に6本飲んだ。夜、心臓が速くて眠れなかった。眠れないまま、天井を見ながら、第3拠点のグラフの形を思い出していた。あの1本だけ跳ねた棒グラフを、目を閉じても再現できるようになっていた。

不思議なもので、この期間、僕は不幸ではなかった。むしろ、たぶん、この6年でいちばん集中していた。誰も来ない北側の会議室で、1,842のファイルのうち自分が選んだ40ほどを何度も往復して、数字が形になっていく。あれは、面白かった。面白かったと書くと、自分の身体を粗末に扱ったことを美化しているようで嫌なのだが、事実として面白かった。しんどさと面白さが同じ場所から出ていることを、僕はこの4週間ではじめて、はっきり自覚した。

中間報告と、リスク一覧の11番目

中間報告は、買い手の会議室で、3日後だった。尾関さんに前日の夜にドラフトを見せた。尾関さんは、僕の再計算のページで手を止めて、「これ、根拠は所長一人だよな」と言った。「そうです」と答えた。「その所長、辞めるって言ってる?」「言っていません。会ってもいません」

「じゃあ、断定はできない」

断定はできない、というのは、正しい指摘だった。僕は所長本人にインタビューしていない。DDのスコープでは、拠点の所長までは会えない。会えないから分からない、というのは、DDでは日常的に起きる。

僕は、修正事業計画のメインシナリオを、先方計画の54%ではなく、82%に置き直した。第3拠点の突出は「一部再現可能」という扱いにして、再現不能のケースは、感度分析の下振れシナリオに移した。そして、キーマン依存の指摘は、リスク一覧に書いた。全部で18項目あるリスク一覧の、11番目に。

見出しの文言も、僕自身が和らげた。最初に書いたのは「特定拠点の収益が個人の関係性に依存」だった。提出したのは「主要拠点の営業体制について、継続的なモニタリングが必要」だった。誰にも言われていない。自分で書き換えた。

書き換えた理由を、当時の自分は「断定できないから」と説明していた。今になって思えば、あの会議室で「悲願です」と言った事業部長の顔と、4週間しかない日程と、初めてモジュールを持たされた僕の立場が、全部その一文に効いていた。中間報告で、リスク一覧の11番目について質問は出なかった。18項目のうち、議論されたのは3つだけだった。

最終報告 ―― ディールは、成立した

最終報告は、4週目の金曜。僕たちのレポートは、結論として「事業計画は下方修正が必要だが、修正後でも投資判断は成立しうる」という書き方になった。買収価格の調整には、財務DDが見つけた在庫評価の論点が効いて、数億円が動いた。僕の指摘は、価格には効かなかった。

会議のあと、事業部長は握手を求めてきた。「よく短期間で、ここまで見ていただいた」。悪い人ではなかった。むしろ誠実な人だと思う。誠実な人が、既に決めていることのために材料を集めているとき、その材料を作っているのが僕だ、という構図に、僕はその握手のあいだ気づいていた。気づいて、握手を返した。手は温かかった。

打ち上げは、なかった。DDは終わると、ぱたっと終わる。翌週から僕は別の案件のスライドを作っていた。1,842のファイルは、アクセス権が切れて開かなくなった。

後記 ―― 一年後、その名前を検索した

クロージングは、その年の秋だったと聞いた。PMIには別のチームが入って、僕は関わっていない。

一年ほど経ったころ、僕は一度だけ、その配食サービス会社のウェブサイトを開いた。拠点一覧のページを見た。8つのままだった。増えていなかった。

第3拠点のページに、所長の顔写真とコメントが載っていた。名前は、内海さんではなかった。別の人だった。

それが定年なのか、退職なのか、単なる異動なのかは、分からない。調べる手段もないし、調べる立場でもない。ただ、一年前の深夜に僕が作った再計算のエクセルが、共有フォルダのどこかにまだあって、あのときメインシナリオから外した「54%」の数字が、シートの3枚目に残っていることは知っている。

僕はいまも、リスク一覧を作るとき、11番目に何を書いたかを一度確認する癖がある。癖がついただけで、次に同じ場面が来たときに1番目に書けるかというと、正直、自信はない。断定できないものを断定するのは、6年目でも、たぶん10年目でも怖い。

去年、別件であの駅を通った。始発を待った牛丼屋は、なくなっていた。居抜きで、コインランドリーになっていた。あの券売機の、一つだけ光っていなかったボタンが何のメニューだったのかは、結局わからないままだ。押せばよかった、と思った。押していれば、たぶん、売り切れですと言われて、それで済んだ。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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