最終報告のあと、現場が静かになった理由をずっと考えている
最終報告は拍手で終わった。成功と評価された。なのに現場から雑談が消えていた――マネージャー初仕事を終えた三宅が、成功の後味と半年後の答えを綴った記録。
最終報告は、拍手で終わった。
案件は、中堅の生命保険会社の事務改革。紙とハンコと再入力で回っていた保全事務を、6ヶ月かけて作り替えた。処理時間は平均で4割短くなる試算で、役員は満足していた。三宅です、33歳、このPJが僕のマネージャーとしての初仕事だった。
だから、この話は「失敗談」ではない。むしろ、成功したのに、なぜか胸の奥が重い、という、どこにも報告できない種類の話だ。マネージャーになると、成功の輪郭が少しだけ変わる。プレイヤーの頃は、報告会で拍手が起きればそれで終わりだった。今は、拍手の音が鳴っているあいだに、その裏で何が静かになったのかが、なぜか先に聞こえてしまう。
立ち上がり ―― 非効率の温床、と僕は呼んでいた
半年前、僕が初めてその事務センターに入ったとき、フロアには雑談があった。ベテランの女性たちが、処理の合間に「昨日のドラマ見た?」とか「孫が熱出しちゃって」とか、そういう話をしながら手を動かしていた。窓際の島には、勤続20年を超える人が三人いた。中でも田口さんという人は、書類を捌く速さが誰よりも速いのに、なぜか合間にいちばんよく喋る人だった。
僕はそれを、最初は「非効率の温床」として見ていた。実際、業務フローを引き直すと、その雑談が生まれる「間」――書類が次の人に回るのを待つ時間、システムの読み込みを待つ時間――が、削れる工数として何十時間も積み上がっていた。ストップウォッチを持ってフロアを回ると、一件あたり平均で90秒ほど、「何もしていない待ち」があった。それが一日で数百件、月で数万件になる。数字は、雑談を敵として指し示していた。
現場のリーダーは、佐野さんという40代後半の女性だった。最初、僕らに冷たかった。「東京から来た若い人が、うちの何を分かるの」という空気を、隠さなかった。当然だ。僕は入って2週間、ひたすら横に座って処理を見ていた。名刺を出しても、最初の一週間は目も合わせてもらえなかった。三日目に、僕が持ち込んだノートPCの置き場所を、無言で少しだけ端に寄せられたのを覚えている。ここはあなたの席じゃない、という、言葉にしない意思表示だった。
僕は反論しなかった。ただ、朝いちばんに来て、コピー機の紙を補充した。昼は社員食堂で、一人で食べた。誰も僕を誘わなかったし、僕も誘われるための努力を、あえてしなかった。観察したかったのは、彼女たちが僕を警戒していない瞬間の動きだったからだ。ずるいやり方だったと思う。信頼を得るためではなく、フローを盗み見るために、僕はそこに静かに座っていた。
見ていると、彼女たちの「無駄」に見える動きの半分は、実はミスを防ぐための、経験から来る二度確認だった。田口さんは、契約者の住所変更を入力するとき、必ず前の画面に一度戻って、旧住所を指でなぞってから新住所を打っていた。僕が「それ、二度手間じゃないですか」と聞くと、彼女は手を止めずに言った。「番地の枝番だけ違う人がね、この地域は多いのよ。一回戻らないと、たまに前の人のに上書きしちゃう」。フロー図には出てこない。事故報告書にも、防がれた事故は載らない。防いだ人だけが、それを知っている。僕はそれを、フロー図の余白に、手書きでメモした。二度確認、削るな、と。
中盤 ―― 削れる無駄と、削ってはいけない無駄
改革の設計で、僕がいちばん時間をかけたのは、「削れる無駄」と「削ってはいけない無駄」の線引きだった。待ち時間は削れる。システムの読み込みは、サーバーを増強すれば消える。二度確認の一部は、入力の時点でシステム側が旧データを並べて表示すれば、人が指でなぞらなくても済む。でも、ベテランが新人に「それ、この場合は例外だから」と横から声をかける、あの一瞬のやり取りは、フロー上は無駄でも、削ったら事故が増える。
僕はマネージャーとして、この線引きを、チームの若いメンバーと何度も揉めた。及川という2年目のコンサルタントがいて、彼は優秀だった。優秀すぎて、彼の作る削減案は、いつも定量で殴ってきた。「三宅さん、この『声かけ』、年間で1,100時間です。残す根拠、数字で出せますか」。出せない。それが僕の弱いところだった。数字にならない「声かけの価値」は、報告書に載せにくい。載せにくいものを守ろうとすると、僕は途端に、感情論を振りかざす鈍い上司になった。
一度、深夜11時過ぎのプロジェクトルームで、僕は及川に少し語気を強めてしまった。ホワイトボードには、彼が書いた削減効果の数字が並んでいて、そのどれもが正しかった。「事故が出てからじゃ遅いんだよ」。言った直後に、これは反論ではなく、ただの立場の押し付けだと自分で分かった。彼は正しく、僕はそれに数字で応えられないから、経験と役職で黙らせた。及川は一瞬だけこちらを見て、それからマーカーのキャップを静かに閉めた。その音が、やけに大きく聞こえた。マネージャーの権限は、こういうときに、いちばん安易に使える。そして安易に使うたびに、若い誰かが、数字で語ることをほんの少し諦める。僕はプレイヤーの頃、その「半年後」を見る前にPJが終わる側にいた。だから声かけを削る快感の側にいた。マネージャーになって初めて、線の外側まで責任の射程が伸びた――伸びたはずなのに、その射程の中身を、僕はまだ数字で語れなかった。
翌朝、佐野さんに現場の判断を仰いだ。三週間ほど前から、彼女は少しだけ口をきいてくれるようになっていた。きっかけは些細なことで、僕がフロー図の余白に書いた「二度確認、削るな」の手書きメモを、たまたま彼女が横から見て、「あなた、これ分かってるのね」と一言だけ言ったのだ。それ以来、聞けば答えてくれるようになった。信頼、とまでは言えない。ただ、こいつは現場を数字だけで潰しには来ないかもしれない、という程度の、留保つきの猶予だったと思う。
彼女は、削っていい二度確認と、絶対に残すべき声かけを、こちらが聞くより先に、業務の内側から仕分けてくれた。「読み込み待ちは、正直しんどいから消して。あれで喋れてたのは事実だけど、あの待ちのために身体を悪くしてる子もいるの。でも、新人が例外契約に当たったとき、誰かが気づいて声をかける、あの流れだけは残して。あれは、マニュアルじゃ間に合わないから」。皮肉なもので、いちばん冷たかった人が、いちばん正確な線を持っていた。彼女は雑談を守れとは一言も言わなかった。守れと言ったのは、事故を防ぐ声かけのほうだった。雑談を惜しんでいたのは、たぶん僕のほうだった。
僕らはその線を、及川の定量案に上書きした。彼は最後まで納得しきらない顔をしていたが、「三宅さんが責任取るなら」と引いてくれた。責任を取る、と口で言うのは簡単だった。何に対して責任を取るのかを、僕はまだ本当には分かっていなかった。事故が起きなければ、僕が残した線が正しかったことは、永遠に証明されない。うまくいけばいくほど、削らなかった判断は、ただの臆病に見える。それがこの線引きの、いちばん厄介なところだった。
結局、僕らは処理速度を上げつつ、二度確認と声かけの「間」は、意図的にフローに残した。数字だけ見れば、もっと削れた。及川の案なら、あと二割は縮んだ。削らなかったのは、僕の判断だった。正しいと信じていた。今も、たぶん正しかったと思っている。ただ、正しさと、そのあとフロアに降りた静けさは、別のものだった。
最終報告 ―― そして、静かになったフロア
最終報告会のあと、担当役員が僕の手を握って「三宅さん、いいチームだった」と言ってくれた。「処理時間40%削減、年間換算で約1.2万時間の創出」。スライドの最後のページに、その数字は太字で載っていた。数字の上では、これは成功したPJだ。役員会の空気は明るく、及川も、あの夜のことなど忘れたように、達成感のある顔をしていた。それでいい、と思った。
翌日、僕は現場の事務センターに、最後の挨拶に行った。半年通った場所だった。フロアは、静かだった。新しいシステムは速い。無駄がない。読み込みの待ちも消えた。みんな、画面を見て、黙って、手を動かしていた。僕が「お世話になりました」と挨拶すると、何人かが顔を上げて会釈をして、また画面に戻った。田口さんが「若い先生、瘦せたんじゃない」と一言だけ笑ってくれたが、その声は、以前のフロアの音量より、明らかに小さかった。以前あった雑談は、消えていた。
帰り際、佐野さんが給湯室のところまで見送りに来てくれた。半年前、僕のPCを無言で端に寄せた人だ。「お疲れさま」と、それだけ言った。僕は何か気の利いたことを返したかったのに、口から出たのは「静かになりましたね、ここ」という、我ながら間の抜けた一言だった。彼女は少しだけ黙って、「速いのは、悪いことじゃないのよ」と言った。責めるでも、慰めるでもない、ただの事実の口調だった。その口調が、かえって長く残った。
僕は意図的に「間」を残したはずだった。声かけのフローも、システムの上には確かに生きている。なのに、雑談は消えていた。効率化というのは、こちらが線を引いて守ろうとしても、いざ速くなると、人は自然に無駄口をやめてしまうものらしい。待ち時間がなくなると、喋る隙も、喋っていい空気も、一緒になくなる。速いフロアには、速いフロアの空気がある。僕が守ったつもりの「間」は、制度としては残っても、空気としては消えていた。達成感の代わりに、僕はうまく名前をつけられない感情を持ち帰った。帰りのタクシーの中で、及川が「いいPJでしたね」と言った。僕は「そうだな」と答えた。嘘ではなかった。ただ、そのあと窓の外を見ている僕の横顔を、彼が少し不思議そうに見ていたのを、ミラー越しに知っていた。
後記 ―― 半年後、リーダーからのメール
帰りの電車で、僕はマネージャーになったばかりの自分のことを考えていた。効率化とは、誰かの一日から「余白」を削ることでもある、という当たり前のことが、初めて重さを持って分かった。1.2万時間。その時間で、あの人たちは何をするのだろう。別の仕事を振られるのか、早く帰れるのか、それとも人数が見直されるのか。僕は知らない。PJは終わったから、僕はもう知る立場にない。マネージャーというのは、線を引いて、引いた線の外へ出ていく仕事なのだと、その電車の中で思った。
半年後、あの冷たかった佐野さんから、一通のメールが来た。名刺を渡していたのを、覚えていてくれたらしい。短いメールだった。要約すると、こうだ。「最初はあなたたちが嫌いでした。でも、二度確認と声かけを残してくれた。あれがなかったら、今ごろ事故が出ていたと思う。実際、先月、新人が例外契約に当たって、田口さんが横から気づいて止めました。あなたが残した、あの流れです。雑談は減ったけど、そのぶん定時で帰れる人が増えました。孫の熱で早退しても、前より気まずくない」。
僕はそのメールを、通勤電車で3回読んだ。雑談が消えたフロアの静けさは、僕がずっと後ろめたく思っていたものだった。でも、その静けさの中で、誰かは前より早く家に帰っていた。孫のところに行けていた。田口さんの二度確認は、システムに置き換えなかったぶんだけ、まだ人の手の中で生きていて、先月、一件の事故を止めていた。それは、報告書の「1.2万時間」が、初めて人の顔をして返ってきた瞬間だった。及川が数字で殴ってきた1,100時間の「声かけ」は、半年後に、止められた事故一件という、これも数字にならない形で返ってきた。
効率化の報告書には、給湯室から消えた笑い声を書く欄がない。書く欄がないものは、成功したことになる。僕はいまも、その静けさが良かったのか悪かったのか、綺麗には割り切れない。あのとき及川を役職で黙らせたことが正しかったのかも、割り切れない。ただ、割り切れないまま、それでも佐野さんがわざわざメールをくれた、その一点だけは、握りしめておこうと思う。マネージャーの仕事は、線を引くことだ。引いた線の外で何が起きたかを、たいていは知れないまま次へ行く。でも、ごくたまに、半年後に、答え合わせのメールが来ることがある。この仕事を続ける理由は、たぶん、その稀なメールの側にある。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。