反対していたのは、部長の隣で黙っている課長のほうだった
大声で噛みついた部長を攻略した、と思った。翌週PJは静かに止まった――止めたのは会議で一言も喋らなかった課長。芦田がキーマンを読み違え、立て直すまでの記録。
中間報告で、僕は部長を「攻略した」と思った。その思い込みが、翌週、PJを静かに止めた。
案件は、地方の卸売業の営業改革。営業担当が長年の勘と付き合いで動いていたのを、もう少し仕組みで回せるようにする、という話だった。芦田です、入社3年目、この案件では顧客セグメントの分析を担当していた。
立ち上がり ―― 勘で回る現場に、数字を持ち込む
最初の1ヶ月、僕は営業に同行して回った。朝7時半、まだ薄暗い営業所の駐車場で、いちばんベテランの担当者――田所さんという、50代半ばの人の助手席に乗せてもらった。軽トラックのダッシュボードには、手帳が3冊、輪ゴムでまとめて突っ込んであった。パソコンの中ではなく、そこに、この人の営業がぜんぶ入っているらしかった。
ベテランの営業担当は、驚くほど数字を持っていなかった。先月の売上は、と聞いても、「まあ、いつもくらい」としか返ってこない。代わりに、取引先の社長の家族構成から、倉庫番の機嫌の良し悪しまで、頭に入っていた。「この会社は、月末に電話すると機嫌が悪いから、月初に顔を出す」「あそこの専務は、天気の話から入らないと本題を聞かない」。そういう、データ化されていない知恵で、売上が回っていた。
同行して3軒目の、古い金物問屋でのことをよく覚えている。田所さんは店に入るなり、レジ横の新商品には目もくれず、奥の棚のいちばん下、埃をかぶった一角に目をやって、「社長、あれ、そろそろ動かしましょうか」と言った。半年前に社長が仕入れて売れ残っている商品のことだった。社長は苦い顔をして笑い、伝票を切った。車に戻ってから、なぜあれが分かったんですか、と聞いた。田所さんは「あの人、売れ残りがあると、そこだけ見ないんだよ。目が逃げる」と言った。僕のノートには、その日、注文金額は書けても、「目が逃げる」は書けなかった。
その日の昼は、田所さんの行きつけの、国道沿いの定食屋だった。日替わりの生姜焼きを食べながら、田所さんは注文の数字の話は一切せず、「あそこの社長、去年、奥さん亡くしてな」と、僕がノートに取りようのない話ばかりした。取引先の一軒一軒に、そういう話が一つずつぶら下がっていた。次にどこを回るかは、地図でもルート表でもなく、「今日は火曜だから、あそこは仕入れで忙しい、明日にする」という、頭の中のカレンダーで決まっていた。僕は、そのカレンダーを一度エクセルに落とそうとして、途中でやめた。曜日と時間だけを抜き出すと、いちばん大事なものが、指のあいだから抜けていく感じがした。夕方、営業所に戻ると、田所さんはその日の訪問を、システムには何も入力しなかった。全部、輪ゴムでまとめた手帳の方に、鉛筆で書いていた。「これが消えたら、俺が消えるようなもんだ」と、笑いながら言った。その一言を、僕は当時、ただのベテランの冗談として聞き流していた。後になって、それが今回の案件のすべてだったと気づく。
僕の仕事は、その勘を否定することではなかった――はずだった。勘の効かない新人や、担当交代のときに落ちる売上を、仕組みで支える。頭ではそう整理していた。でも、僕が作った顧客セグメントの分析は、出来上がってみると、どこかベテランの勘を「非効率」と裁いているような、そういう匂いがしていた。赤字の取引先を赤く塗ったマトリクスの、その赤の中に、田所さんが20年通い続けた店がいくつも入っていた。それに、僕自身が最初は気づいていなかった。数字は正しかった。正しさが、何かを踏んでいることに、気づいていなかった。
中間報告 ―― 声の大きい人を、黙らせる
中間報告は、その分析を役員と部門長に見せる場だった。会議が始まってすぐ、営業部の部長が噛みついてきた。声の大きい人だった。「数字で営業を語るな、うちは人でやってるんだ」と、資料の3ページ目で机を軽く叩いた。会議室の空気が固くなった。でも、この反論は想定内だった。僕は準備していた顧客別の収益データを出して、「勘で回してきた結果、実はこのセグメントで毎年赤字が出ています」と、丁寧に、でも引かずに説明した。
部長は、何度か言葉を継ごうとして、そのたびに数字の前で止まった。最後には黙った。役員が「なるほど、これは見ないといけない数字だな」と言って、会議は僕らの案を「進める」方向で終わった。帰り道、マネージャーの三浦さんが「芦田、今日はよく引かなかったね」と言ってくれた。僕は、抵抗勢力の親玉を正論で黙らせた、と思っていた。その夜、実家に電話して、母に「今日はちょっと大きい会議で、うまくいった」と、めずらしく仕事の話をした。うまくいった、と自分で言葉にしたとき、少しだけ、胸の奥が引っかかった。何が引っかかったのかは、そのときは分からなかった。
すれ違い ―― 誰も反対しないのに、進まない
その部長の隣に、営業課長が座っていた。会議のあいだ、その課長――佐野さんは一言も喋らなかった。うなずきもしなかったが、反論もしなかった。手元の資料を、ページをめくるでもなく、ただ最初のページのまま開いて、指先を置いていた。僕は正直、その人のことをほとんど見ていなかった。喋らない人は、いてもいなくても同じだと、どこかで思っていた。
翌週から、PJは進むはずだった。営業現場に、新しい顧客管理のやり方を試験導入する段取りになっていた。でも、進まなかった。現場に配ったフォーマットが、返ってこない。使い方の説明会を設定しても、「今週は繁忙で」と延びる。電話をすると出るし、感じも悪くない。「ええ、やりますよ、来週には」と言う。その来週が、三度、来なかった。誰も、明確には反対していない。反対していないのに、何も動かない。
三浦さんと原因を探って、2週間目にようやく分かった。止めていたのは、あの、黙っていた課長だった。佐野さんは、営業部で27年、現場を実質的に仕切っていた人だった。部長は3年前に他部署から来た人で、声は大きいが、現場の人望は課長の方にあった。営業担当たちは、部長の指示より、課長の顔色で動いていた。試しに、と田所さんに世間話のふりで聞いてみると、「ああ、あれね。佐野さんが何も言わんから、まあ、様子見てるんだわ」と、あっさり言われた。反対しろ、とは誰も言っていない。ただ、いつもなら「これ、やっとけ」と背中を押す課長が、今回はその一言を言わなかった。それだけで、現場は動かなかった。反対の意思表示は、机を叩くことではなく、手を動かさないことだった。
僕はぞっとした。僕が中間報告で「攻略した」のは、いちばん声の大きい人で、いちばん力のない人だったかもしれない。本当のキーマンは、僕が視界にすら入れていなかった、黙っている方の人だった。あの日、資料の最初のページに指を置いたまま動かなかった手を、僕は思い出した。あれは、退屈でも、同意でもなかった。あれが、答えだった。
立て直し ―― 分析の話を、一切しない
三浦さんは、「よくあることだよ」と言った。「組織で本当に力を持ってる人は、だいたい会議で喋らない。喋らなくても物事が自分の思う方に動くから、喋る必要がないんだ。声が大きい人ほど、実は現場を動かせなくて、焦って大きい声を出してる」。それから、少しだけ声を落として、「で、こっちも大概、大きい声のほうを相手にしちゃう。喋ってくれる人のほうが、楽だからね」と言った。楽だから、という言葉が、妙に長く残った。
僕は、佐野さんのところに、三浦さんと一緒に頭を下げに行った。応接室ではなく、向こうが指定したのは、営業所の裏手の、パイプ椅子が二脚あるだけの給湯室だった。分析の話は一切せず、まず「現場のやり方を、僕はまだ何も分かっていませんでした」と言った。用意していった数字の資料は、鞄から出さなかった。佐野さんは、インスタントのお茶を二つ淹れて、片方を僕の前に置いてから、初めて少しだけ喋った。「あんたの数字は、たぶん正しいよ」と言った。「正しいけど、現場は正しさで動かない。うちの若いのが、あんたのフォーマットで楽になるって腹落ちしたら、俺は止めない」
そこから、僕はフォーマットを作り直した。というより、佐野さんと一緒に作り直した。週に二度、その給湯室に通った。ベテランの勘を「非効率」として消すのではなく、勘を新人に引き継ぐための道具、という位置づけに変えた。佐野さんは最初、パソコンの画面を僕のほうに押し返して、口で言った。それを僕が項目に起こした。「月末は電話するな」みたいな、データ化されていなかった知恵を、フォーマットの備考欄に書けるようにした。
項目を一つ増やすたびに、佐野さんは「これは、いらん」「これは、若いのが書けん」と、細かく削った。僕が最初に得意げに並べた分析用の欄は、半分近くが消えた。代わりに、「前回いつ、何の話をしたか」を一行書くだけの欄が残った。「営業なんて、結局これだけよ」と佐野さんは言った。田所さんの「目が逃げる」を、どう書けるようにするか、二人で30分くらい話した。結局、うまい言葉にはならなくて、備考欄に自由に書ける、という当たり前の形に落ち着いた。うまく設計しようとするほど、現場の知恵は逃げていく、というのが、そのとき僕が身体で覚えたことだった。
三度目に給湯室に行った日、佐野さんは自分の手帳を持ってきていた。田所さんのと同じ、輪ゴムでまとめた、角の擦り切れた手帳だった。「これ、俺のを見せるのは初めてだ」と言って、あるページを開いた。そこには、取引先ごとに、担当者の名前と、その横に小さく、「気が短い」「値引きに弱い」「奥さんが経理」といった、一行のメモがびっしり書いてあった。僕が半年かけて作ろうとしていた顧客セグメントの、いちばん大事な部分が、そこに、鉛筆で、もうできていた。僕は言葉が出なかった。佐野さんは、「これを、若いのに一冊ずつ書かせるのは、無理だ」と言った。「だから、あんたの箱がいる。書く場所さえあれば、あいつらは、俺が言わなくても書く」。そのとき、僕はようやく、自分の仕事が何だったのかが分かった。僕は知恵を作る人ではなかった。すでにある知恵に、置き場所を用意する人だった。フォーマットの列を一つ増やすより、佐野さんが手帳を開くまでの三週間の方が、この案件では長くて、大事だった。給湯室の蛍光灯が一本切れかけていて、時々ちらついた。そのちらつきを見ながら、僕は、中間報告で机を叩かれたときより、この静かな時間の方が、ずっと本当の仕事だと感じていた。
佐野さんは、出来上がった備考欄を見て、「これなら、俺が引退しても残るな」と言った。そのとき初めて、僕は佐野さんが何を守ろうとしていたのかが分かった気がした。27年ぶんの知恵が、自分の引退と一緒に消えることを、たぶん、いちばん恐れていた。僕の分析は、その知恵を「非効率」と数えて、消しにかかっているように見えていた。反対されて当然だった。攻略する相手ですらなかった。
後記 ―― 半年後、備考欄が埋まっていた
PJは、そこから動き始めた。試験導入は、まず佐野さんの子飼いの若手2人から始まった。彼らが「これ、楽になりますね」と言った、その一言が、フォーマットが返ってこなかった停滞を、静かに溶かした。佐野さんは相変わらず会議では喋らなかったが、現場に戻って「あれ、やっとけ」と言ったらしい。その一言のあとで、延び続けていた説明会が、あっけなく翌週に開かれた。
半年後、三浦さんが教えてくれた。あの営業部では、僕らが作ったフォーマットが、まだ使われているらしい。しかも、いちばん埋まっているのは、僕が中間報告で誇らしげに見せた収益セグメントの欄ではなく、あとから付け足した「備考欄」の方だった。ベテランたちが、自分の勘を、そこに書き残し始めていた。田所さんの欄には、「専務、天気の話から」と書いてあったと聞いた。それを聞いて、僕は少し笑って、それから、なぜだか少しだけ寂しくなった。あの助手席で書けなかった一行が、僕のいないところで、ちゃんと書かれていた。僕の分析は、たぶん、その備考欄を現場に受け入れさせるための、入場券のようなものだった。
いま僕は、新しい現場に入るとき、まず「いちばん喋らない人は誰か」を探すようになった。会議室で誰が喋ったかではなく、会議のあと誰が黙って手を止めるかを見る。資料の最初のページに指を置いたまま、動かない手を探す。それを覚えたのは、中間報告の成功ではなく、そのあとの2週間の停滞と、頭を下げに行った給湯室の、あのぬるいインスタントのお茶の方だった。たぶん、それでもまた読み違える。声の大きいほうが楽だから、と三浦さんが言った、その楽なほうに、僕はまた引き寄せられる。でも、少なくとも、黙っている人を「いないもの」として扱うことは、もうしない。声の大きさと、力の大きさは、たいてい、比例しない。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
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