体験記 No. 33

アラートは月に千四百件出て、そのうち本物は、たぶんゼロだった

案件信用金庫・マネロン対策とコンプライアンス態勢の高度化
話の中心立ち上がり
語り手成瀬 / 26歳・入社2年目
読了約7分 · 4,900字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
月間アラート1412件営業店での滞留は平均11日

検知シナリオは十二本、月に千四百十二件鳴る。半年で届出に至ったのは三件だった――法学部を出て公務員試験を受けなかった成瀬が、誰も褒めない仕事の入口で過ごした五ヶ月の記録。

地下の書庫は、蛍光灯が二本切れていた。棚は十四列あって、そのうち三列が本人確認書類の写しだった。年度ごとに段ボールに入っている。いちばん古いのは二〇〇六年だった。

成瀬です。二十六歳、入社二年目。法学部で、ゼミは行政法だった。公務員試験は受けなかった。理由は、いま思い出しても、あまり立派なものではない。

アサイン ―― 「地味だよ」

案件の説明を受けたとき、マネージャーの久我さんが最初に言ったのは「地味だよ」だった。

クライアントは、東日本のある県にある信用金庫だった。店舗が三十八、職員が六百二十人ほど、預金は九千二百億円。信金としては中規模より少し上。

依頼は、マネーロンダリング・テロ資金供与対策の態勢を高度化すること。もう少し噛み砕くと、「怪しいお金の動きを見つけて、記録して、当局に届け出る」という一連の仕組みを、説明できる形に作り直すことだった。

期間は五ヶ月。チームは久我さんと、シニアの日下部さんと、私。私は主に、現状の手続と実績データを全部見る係になった。

「成果、何になるんですか」と私は聞いた。二年目の質問としては、悪くない質問だったと思う。

「何も起きないこと」と久我さんは言った。「うまくいったら、来年も再来年も何も起きない。誰も褒めない」

立ち上がり ―― 千四百十二件

最初の二週間で、私は三つの数字を手に入れた。

一つ目。取引モニタリングの検知シナリオは十二本あった。高額の現金入出金、短期間の反復送金、口座開設直後の大口取引、といった類型で、それぞれに閾値が設定されている。

二つ目。そのシナリオが鳴らすアラートは、直近十二ヶ月の平均で月に千四百十二件だった。

三つ目。同じ期間に、疑わしい取引として当局に届け出た件数は、半年で三件だった。

千四百十二分の、月に〇・五件。残りは全部、誤検知か、確認したうえで問題なしと判断されたものだ。

私は最初、この数字を見て「シナリオの精度が悪い」と思った。実際、精度は良くない。ただ、精度を上げれば済む話でもなかった。閾値を厳しくすれば、見逃しのリスクが上がる。見逃した先に何があるかというと、当局の検査であり、報道であり、最悪は業務改善命令だ。

つまり、この仕組みは精度のために作られていない。説明できることのために作られている。

もう一つ、初週で見つけたものがある。顧客リスク評価だ。

法人の取引先について、実質的にその会社を支配しているのが誰かを確認して、記録する。これが必要な先が、この金庫には約一万一千社あった。そのうち、直近三年以内に確認が取れているのは四千二百社だった。残りの六千八百社は、口座を作ったときのままになっている。二〇〇〇年代前半に作った口座も、そのまま残っている。

なぜ止まっているのかを聞いたら、答えは単純だった。誰が確認しに行くかが決まっていないからだ。本部は「営業店で」と言い、営業店は「本部の依頼があれば」と言う。どちらも嘘をついていない。間に、依頼を出す手続が存在していないだけだった。

こういう空白は、たぶんどの会社にもある。ないのは悪意ではなく、担当を決める会議のほうだ。

営業店に降りていくもの

千四百十二件は、本部で全部さばいているわけではなかった。

一次確認は営業店に降りる。渉外係や窓口の担当者が、システムから飛んできた照会に「取引の背景」を書いて返す。この滞留日数を集計したら、平均で十一日だった。内規では五営業日以内となっている。

なぜ守られていないのかを知るために、私は三つの店舗に一日ずつ座らせてもらった。

いちばん驚いたのは、その作業が「片手間」ですらなかったことだ。渉外係は午前中に外に出る。戻るのは十六時前後。そこから日報と、稟議の下書きと、翌日の訪問先の整理をやる。照会の回答は、その全部が終わったあとに残る。一件あたり十五分から二十分かかる。それが週に四、五件来る。

三店舗目で、四十代の渉外係の方に聞いた。

「これ、正直どう思われますか」

「必要なんでしょうね」とその人は言った。「ただ、うちの支店で一番よく鳴るの、笹岡建設さんなんですよ。四十年取引があって、現金で職人さんの手間賃を払うから、毎月まとまった金額が動く。それが毎月鳴る。毎月、同じことを書いてます」

「同じ文章ですか」

「同じです。前の月のをコピーしてます」とその人は言って、それから少し笑って、「これ、書いちゃまずいですか」と言った。

まずくはない。というより、その運用こそが問題だった。コピーで済む照会は、実質的に確認されていない。確認されていない記録が、確認された証拠として何年も積み上がっていく。当局が見るのは、鳴った件数ではなく、鳴ったあとに何をしたかのほうだ。

私はそのとき、自分が探すべきものが「精度の高いシナリオ」ではないことに気づいた。探すべきは、同じ答えを毎月書かされている状況を止める方法だった。

仮説 ―― 件数ではなく一件あたりの時間

私が組み立てた考え方は、単純だった。

第一に、継続的に取引実態が確認できている先については、顧客リスク評価を先に確定させ、その評価に応じてシナリオの適用を変える。毎月同じ理由で鳴る先を、鳴らないようにするのではなく、鳴ったときの確認を三分で終わる形にする。

第二に、現場に降ろす照会の様式を変える。いまは自由記述の欄が一つあるだけだった。だから毎回、一から文章を書くことになる。選択式にして、選択で説明が足りない場合だけ記述を求める。

第三に、届出の判断基準を、本部の担当者三人の頭の中から文書に出す。判断が属人化していると、その三人が異動した瞬間に態勢が消える。

三つとも、派手なところは一つもない。効果額も出ない。私はこれを、久我さんに三回突き返された。三回目に言われたのは、「正しいけど、これを読んだ理事が何を決めればいいか分からない」だった。

四回目に、私は「理事会が決めること」を三つに絞って冒頭に置いた。顧客リスク評価の再実施をいつまでにやるか。営業店の照会作業に、年間で何時間を使うと決めるか。届出判断の責任者を誰にするか。それで通った。

中間報告 ―― 「やらないとどうなるの」

理事会での報告は、九月の水曜だった。役員が九人、常勤が五人。

三十分の報告のあと、いちばん最初の質問がこれだった。

「これ、やらないとどうなるの」

聞いたのは、六十代の常勤理事だった。悪意のある質問ではなかったと思う。純粋に、範囲と優先度を知りたかったのだと思う。

久我さんが答えた。要旨としては、検査で指摘を受けた場合の対応コストと、そこに至った同業の事例では業務の一部が制約された、という話だった。事例は公開されている範囲のものだけを使った。

理事は「なるほど」と言った。それから、「うちみたいなところにも来るのかね」と言った。久我さんは「来ます」と答えた。

もう一つ、質問があった。営業店の作業時間の話だ。私が出した年間四千百時間という数字に対して、常務理事が「これ、渉外が外に出ている時間から引かれてるってことだよね」と言った。

「はい」

「じゃあ、この四千百時間で、うちはいくら貸せてないんだろうね」

その計算はしていなかった。できるかと聞かれて、私は「できます」と答えた。答えてから、それを計算して出すことが正しいのかどうか、その場では判断がつかなかった。

結局、次の回に持っていった。渉外一人あたりの訪問件数と、訪問から実行に至る割合と、平均の実行額をかけ合わせた粗い数字だ。前提を三つ置いた、当たるはずのない試算だった。それでも、その一枚が出たあとから、理事会の空気は変わった。規制対応の話が、初めてこの金庫の商売の話になったからだ。

正しいやり方だったとは、いまも思っていない。私はコンプライアンスの必要性を、貸出の機会損失で説明したことになる。順序が逆だ。逆だと分かっていて、通ったほうが早いと思って出した。

その日の帰り、私は駅前のビジネスホテルに戻って、報告資料の一枚目をもう一度見た。タイトルは「態勢高度化に向けたご報告」だった。この五ヶ月で私が作った資料は、たぶん全部、この種の温度の言葉でできている。

生活 ―― 朝食バイキングの納豆

五ヶ月のうち、三ヶ月半はその県にいた。

ホテルは駅から徒歩六分、一泊七千八百円。朝食バイキングが付いていて、納豆とご飯と味噌汁と、あとは温泉卵。同じものを、たぶん七十回くらい食べた。三週目から、フロントの人が私の顔を覚えて、鍵を出す前に「二〇八号室ですね」と言うようになった。

夜は二十時までには作業を終える。営業店のデータは持ち出せないので、ホテルに帰ってからできる仕事があまりない。手が空いた夜は、駅前の居酒屋か、コンビニで買ったものをホテルの部屋で食べた。

同期の連絡が来る。全社戦略の案件に入っている同期が、「役員合宿のファシリやった」と書いてくる。私は「アラートの滞留日数を数えてる」と返す。返してから、少し惨めな気持ちになる。

土曜に一度、その県の海まで行った。電車で四十分、駅から歩いて十五分。八月の終わりで、海の家はもう畳んでいた。二時間座って、何もせずに帰った。ホテルに戻って、結局その夜は資料を直した。海に行ったことは誰にも言っていない。

惨めな気持ちになりながら、同時に、私はこの仕事を嫌いではなかった。地下の書庫で二〇〇六年の段ボールを開けたとき、中に、本人確認書類の写しと一緒に、当時の担当者の手書きのメモが挟まっていた。「本人来店確認済。息子さん同伴」とだけ書いてある。二十年前の誰かが、二十年後の誰かに向けて書いた一行だ。

規制対応というのは、そういう一行の積み重ねなのだと、そのとき初めて思った。

年収は五百六十万円で、家は実家から通っている。二十六歳で実家にいることを、私はやや恥じている。恥じているが、この五ヶ月は月の半分ホテルにいたので、実際にはほとんど家にいなかった。

五ヶ月の終わりと、その後

最終報告は二月だった。顧客リスク評価の再実施計画と、照会様式の改定案と、届出判断の基準書。それから、営業店の作業時間を年間で四千百時間と見積もり、そのうち千六百時間を削る道筋。

削減額には換算しなかった。換算できたが、しなかった。換算した瞬間に、この案件が「業務効率化」として理解されてしまう気がしたからだ。この判断が正しかったかは分からない。効果額を出さない報告は、後から評価されにくい。

私たちが抜けたあと、態勢の運用は本部のコンプライアンス統括部が回している。担当は三人から四人に増えたと聞いた。

一年後、久我さんが別件でその金庫を訪ねたときに、照会の平均滞留日数を聞いてくれた。六・二日になっていた。内規の五日は、まだ守られていない。

後記 ―― 何も起きていない

あれから、あの信用金庫では何も起きていない。

検査で大きな指摘を受けたという話も聞かないし、報道に出たこともない。それが私たちの仕事の成果なのか、単に何も起きなかっただけなのかを、区別する方法は原理的にない。区別できないものに、私は五ヶ月を使った。

ただ一つ、はっきり分かっていることがある。あの渉外係の方は、いまも毎月、四十年取引のある建設会社について何かを書いている。書く時間は、たぶん十五分から三分になった。三分になったところで、その三分は返ってこない。

私は次の案件で、初めて数字が動くタイプの仕事に入った。効果額が出る。会議で褒められる。褒められて、素直に嬉しかった。嬉しかったことに、少し後ろめたさがある。

地下の書庫の蛍光灯は、たぶんまだ二本切れている。あれは私たちの契約範囲ではなかった。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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