体験記 No. 29

ドライバーの平均年齢は五十四歳で、私のチームの平均は二十九歳だった

案件食品物流企業・配送網再編とドライバー稼働の再設計
話の中心最終報告
語り手芝原 / 41歳・入社12年目(プリンシパル)
読了約8分 · 5,000字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
拠点を十四から九へ深夜二時の仕分け

本丸がどこにあるかは、提案書を書く前から分かっていた。分かっていて、契約の枠の外に置いた――案件を取る側に回って六年目の芝原が、深夜二時の物流センターで考えていたこと。

深夜二時の仕分け場は、思っていたより明るかった。天井の水銀灯が全部点いていて、影がほとんどない。コンベアの上をオリコンが流れて、パートの人が四人、ラベルを見て振り分けている。冷蔵の区画から出てくると、白い息が出た。

芝原です。四十一歳、入社十二年目。いまはプリンシパルという肩書きで、平たく言えば、案件を取ってきて、人を張って、採算を見る立場だ。現場に来る理由は、もうあまりない。

この日、私が来た理由は、うまく説明できない。

案件を取るまで ―― フィーの決め方

クライアントは、地場の食品物流会社だった。冷蔵・冷凍の三温度帯を扱っていて、拠点が十四、ドライバーが四百八十人。売上は三百二十億円。

相談の入口は、社長からの電話だった。ドライバーの時間外労働の上限規制が本格化して、いまの配送網では運びきれない、という話だった。単純に言えば、一人が一日に走れる時間が減る。減った分を人で埋めようとしても、人が採れない。

提案は三週間かけて書いた。書きながら、私はこの案件の本丸がどこにあるかを、たぶん二日目には分かっていた。

拠点の数でも、車両の積載効率でもない。荷主が「朝八時までに納品」と言っていることだ。これがあるから、夜中に仕分けをして、未明に出発して、待機が発生する。ここを一時間ずらせるかどうかで、必要な車両数が二割変わる。

ただし、荷主はクライアントの客だ。しかも、大手の小売と食品メーカーが並んでいる。そこへの交渉支援を提案に入れると、フィーは倍になり、決裁は経営会議どころか荷主との関係の話になり、そして高い確率で「今期はまず社内でできることから」と言われる。

私は、荷主交渉を提案から外した。外して、拠点再編と配送ルートの再設計で書いた。四ヶ月、四千八百万円。マネージャー一人と若手三人。

社長は一週間で決裁した。値引きは三百万円だけ求められて、それは飲んだ。

立ち上がり ―― 人を張るということ

チームを決めるとき、私は三十分ほど迷った。

マネージャーは林田を入れた。三十四歳、物流案件は三本目で、確実な男だ。若手は、二年目の宇治が一人と、三年目の和久井が一人。もう一人は、四月に入ったばかりの新人にした。

新人を入れたのは、彼女に経験を積ませたかったからではない。単価が安いからだ。四ヶ月四千五百万円で、マネージャーとシニアを二人張ると、採算が合わない。合わせるためには、下に薄い人を入れるしかない。

これは、私が十二年で覚えたことのうち、いちばん人に言いにくいことだ。案件の答えの深さは、提案書を出す前、要員表を組んだ三十分で決まっている。

林田には「四人で、四ヶ月」とだけ言った。林田は「拠点統合、いけますね」と言った。「本丸は納品時刻ですけど」と続けた。

「分かってる」と私は答えた。「今回は触らない」

林田は「はい」と言って、それ以上は聞かなかった。この男のこういうところが、私は少し怖い。

分析 ―― 十四を九に

三ヶ月で、答えは出た。

拠点別の入出荷量と、配送先の分布と、ドライバーの拘束時間を全部プロットすると、十四拠点のうち四つが、隣接する拠点と商圏を八割方重ねていた。統合できる。もう一つは、中継輸送を入れることで、長距離の一人運行を二人分割にできる。

拠点を九に集約し、中継拠点を二つ設ける。車両は三百九十台から三百四十台に減る。一人あたりの拘束時間は平均で一日五十二分短くなる。年間の効果は六億八千万円。

きれいな答えだった。きれいな答えが出るのは、たいてい、いちばん難しい変数を固定したときだ。私たちは納品時刻を固定していた。

途中で一度、宇治が私の席に来た。二年目の子だ。手にドライバーの日報の束を持っていた。

「芝原さん、これ、待機が長いんですけど」

日報を見ると、納品先での待機が一運行あたり平均で四十七分あった。荷受け側の都合で、着いてから降ろせるまで待つ。その待ち時間は、拘束時間には入るが、こちらの分析では「所与」として扱っていた。

「そうだね」と私は言った。

「これ、荷主さん側の話ですよね」

「うん」

宇治は「触らないんですか」と聞いた。私は「今回は触らない」と答えた。彼女は「分かりました」と言って、席に戻った。

戻る背中を見ながら、私は自分がいま何をしたかを分かっていた。二年目の子が見つけた、この案件でいちばん筋のいい発見を、一言で棚に上げた。棚に上げた理由は説明しなかった。説明すると、この仕事の仕組みを教えることになる。教える必要はいずれ来るが、二年目の九月ではないと判断した。

その判断が正しかったかどうかは、いまも分からない。

深夜 ―― 二時の仕分け場

三ヶ月目の終わりに、私は一度だけ現場に行った。分析はもう終わっていて、行く必要はなかった。

いちばん大きい拠点の、深夜シフトに入れてもらった。二十三時から翌朝五時まで。

仕分けをしているのは、女性が多かった。話を聞くと、近所の主婦の方と、あとは昼に別の仕事をしている人。四時間で終わって帰る人もいる。

ドライバーの点呼は一時四十分から始まった。アルコールチェックをして、体温を測って、健康状態を口頭で申告する。並んでいる人を見ていて、私は自分が事前に見た数字を思い出した。この会社のドライバーの平均年齢は五十四・三歳。五十五歳以上が四割強。二十代は七パーセントしかいない。

私のチームの平均年齢は、二十九歳だ。

三時過ぎに、六十一歳のドライバーの方と少し話した。この会社に二十七年いる人だった。私が「拘束時間、どのくらいですか」と聞くと、「十三時間ちょいかな」と言った。「昔は十六時間だったから」

「短くなって、いかがですか」

「給料は減ったね」と、その人は笑って言った。「まあ、身体はね。うん」

そのあと、少し黙ってから、「息子には勧めない」と言った。

四時四十分に外へ出たら、東の空がわずかに白かった。駐車場で車のドアを開けた瞬間、自分の口から白い息が出て、ああ、自分はいま身体でこれを見に来たんだな、と思った。数字は三ヶ月前から手元にあった。

その夜、私は自分の分析の中で「一人あたり五十二分短縮」と書いた数字のことを考えていた。五十二分は、四百八十人分を平均した数字だ。平均の中には、二時間短くなる人と、一分も変わらない人がいる。どちらがどれくらいいるかを、私は分布で出していなかった。出していなかったのは、意思決定に影響しないからだ。

影響しない、というのは、この場合、経営の決裁に影響しないという意味でしかない。

翌週、林田に分布を出してもらった。二時間以上短くなるのが六十一人、三十分未満が二百七人いた。二百七人にとって、この四ヶ月は何も起きていないのと同じだ。

その表は、最終報告の資料には入れなかった。参考資料の十九ページ目に置いた。置いたことに意味があるかどうかは、自分でも怪しいと思っている。

生活 ―― 四十一歳の稼働表

私の一週間は、会議と面談でできている。案件の現場に入っている時間は、月に二十時間もない。

代わりに見ているのは表だ。担当している四件の進捗と、十九人のメンバーの稼働率と、来期のパイプライン。パイプラインが薄い月があると、その月に空くメンバーの顔が先に浮かぶ。空いた人は、評価が下がる。下げないために、私は案件を取る。

年収の話をすると、この職位で二千万円台の前半だ。十二年前、一年目のときは五百八十万円だった。

使い道はほとんどない。家のローンと、子どもが二人(小六と小三)で、あとは妻に渡している。趣味は、五年前にゴルフを始めて、二年でやめた。いまは何もない。休日に何をしていますかと聞かれると、答えに詰まる。

去年の健康診断で、尿酸値と肝機能に印がついた。再検査に行った。行ったことは、うちのチームには言っていない。若い頃の私は、上の人がそういうものと無縁だと思っていた。

この案件の四ヶ月で、私が現場に行ったのは、あの深夜の一回だけだ。

十二年前、私は毎日クライアントの会議室にいた。いまは、私が行くと現場が構える。プリンシパルが来ると、何か決まる、と思われる。だから行かない。行かないでいると、判断は速くなる。速くなった判断が浅いかどうかを、教えてくれる人は、もう社内にほとんどいない。

深夜の帰り、タクシーの中で林田に一行だけメッセージを送った。「拠点、行ってきた」。返信は朝の八時に来て、「何かありましたか」だった。

何かあったわけではない。あったのは、六十一歳の人の「息子には勧めない」という一言と、白い息だけだ。それを林田に説明する言葉を、私はまだ持っていない。持っていないから、「特にない」と返した。

最終報告と、その後

最終報告は四ヶ月目の第三週だった。役員十一人。

林田が四十分話して、私は最後の五分だけ喋った。喋ったのは、拠点統合の実行体制の話と、それから、報告書の最後に入れた一枚の話だ。

その一枚には、こう書いた。「本施策の効果は、現行の納品時刻を前提としています。仮に主要荷主十社との間で納品時刻を一時間後ろ倒しできた場合、追加で年間四億二千万円の効果が見込まれます」

数字だけ置いて、やり方は書かなかった。書けば、それは提案になる。提案にすると、この場は荷主との関係の議論になって、拠点統合の決議が流れる。

社長は、その一枚を見て、「これ、うちが自分でやる話だな」と言った。

「はい」と私は答えた。

役員の一人が「芝原さん、これはやれるんですか」と聞いた。荷主交渉のことだ。

「やれます」と私は答えた。「ただ、これは分析の案件ではなく、御社の営業の案件になります。うちが前に出ると、荷主さんは身構えます」

半分は本当で、半分は自分の商売の話だった。混ぜて喋るのが、この職位でいちばん上手くなってしまった技術かもしれない。

会議のあと、社長から「来期も何かお願いしたい」という話が出た。嬉しかった。素直に嬉しかった。嬉しがっている自分を、少し離れたところから見ている自分もいた。両方とも本物だと思う。

半年後、拠点は十一まで減った。九には届いていない。二つは、地元との関係で残った。中継輸送は入っている。

統合された拠点のドライバーは、大半が近隣拠点に移った。移らなかった人が十四人いて、そのうち九人は定年間近だったと聞いた。残りの五人がどうしたかは、聞いていない。聞けば分かる立場ではあった。聞かなかったのは、聞いて何かできるわけではないからだ、と自分に説明している。

荷主との納品時刻の話は、一社だけ動いたと聞いた。四億二千万円のうちの、たぶん十分の一にもならない。

後記 ―― 外に置いたもの

私は、この案件で正しい商売をしたと思っている。

取れる案件を取り、四ヶ月で出せる答えを出し、採算を守り、若手を四人育てた。新人の子は、この案件で拠点別のデータベースを一人で作った。次の案件では、もう新人ではない。

同時に、私はいちばん効く打ち手を、契約の枠の外に置いた。置いた理由は、その方が案件が取れるからだ。それ以外の理由もあるが、いちばん大きいのはそれだ。

これを不誠実だと言われれば、たぶん半分は認める。残りの半分では、こう思っている。荷主交渉を提案に入れていたら、この案件は取れず、拠点統合も起きず、あの六十一歳の人の拘束時間は一分も短くならなかった。

十三時間ちょい、が十二時間台になるのが、私の四ヶ月の成果だ。四億二千万円のほうは、たぶん誰かがいつかやる。誰かがいつか、というのは、この仕事でいちばん使ってはいけない言葉だと、若い頃に教わった。

あの仕分け場の水銀灯は、たぶんいまも点いている。統合で閉まる四拠点の中に、あの拠点は入っていない。入っていないことに、私はどこかで安心している。安心する理由はない。分析の上では、あの拠点が残ったのは効率がいいからだ。それだけの話だ。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

タイプ診断へ 他の話を読む