再検査の封筒を、三週間バッグに入れたまま常駐していた
家賃を払う部屋には週末しか帰らない。貯金だけが増え、再検査の封筒は開けないまま――岸が、事件の起きない常駐生活の三ヶ月と、封筒を開けた日を綴った記録。
出張バッグの内ポケットに、開けていない封筒が入っている。健康診断の結果で、表に「再検査のご案内在中」と印字されている。3週間、そこにある。開けない理由は、忙しいからではない。開ける5分がないわけがない。ただ、開けて何か書いてあったら、その対応をする余力がいまない、ということを、僕はうっすら分かっている。
岸です、28歳、入社4年目。いまは地方のインフラ系の会社に、月曜から金曜まで常駐している。業務のやり方を標準化する、という3ヶ月のPJだ。炎上もしていないし、詰められてもいない。ただ、粛々と、消耗している。この記事は、そういう「何でもない三ヶ月」の話だ。
封筒は、東京の自分の部屋のポストに届いていた。常駐が始まって最初の週末、金曜の夜に帰った部屋で、他の郵便物と一緒に拾い上げた。開けようとして、開けなかった。土曜は洗濯と、溜まった食器と、月曜の段取りで終わる。日曜の夜には、もう次の週のホテルの予約確認メールが来ている。開けるタイミングは、いつも「次の週末」に送られた。そして次の週末は、来なかったわけではなく、来るたびに同じように過ぎていった。封筒は、いつのまにか部屋のテーブルから出張バッグの内ポケットに移っていた。移した記憶はない。たぶん、月曜の朝に何かと一緒に掴んで、そのまま新幹線に乗った。
立ち上がり ―― 常駐という生活様式
常駐PJの初日にまず決まるのは、仕事の中身より、生活の型だ。どのホテルに泊まるか。朝、客先に何時に着けば会議室の鍵が開いているか。夜、経費で落ちる夕食の相場はいくらか。エレベーターは何時から動くか。ゴミの日はいつか――他人のビルのゴミの日まで、常駐者はいつのまにか覚える。僕の一週間は、こうやって型が決まった。
月曜、6時半に起きて、7時12分の新幹線に乗る。指定席は取らない。自由席で、A4のノートを膝に開いて、その週の段取りを書く。10号車の、いつも同じあたりの窓側。何度も乗るうちに、この車両のどこが空いているかを身体が覚えた。現地の駅前のビジネスホテルに着くのが10時前。フロントの人が僕の顔を覚えて、鍵を出す前に「今週もよろしくお願いします」と言うようになった。荷物を置いて、11時から会議。木曜まで、ホテルと客先を往復する。夜はだいたいコンビニか、駅前の同じチェーンの定食屋。定食屋の券売機のボタンは、上から三番目の生姜焼き定食を、もう見ないで押せる。金曜の夜、また新幹線に乗って、自分の部屋に帰る。帰りの車内では、段取りは書かない。ただ窓の外の、名前を覚えない街の灯りを見ている。
ホテルの部屋は、どこも同じだ。同じ配置のベッド、同じ小さな机、同じ湯沸かしポット。違うのは窓から見える駐車場の形くらいで、朝、目が覚めた瞬間に、自分がどの街にいるのか一瞬わからなくなる日がある。壁が薄くて、隣の部屋の目覚ましが自分のより先に鳴る。それで起きることも、慣れると悪くない。ワイシャツは、3枚を回している。木曜の夜に、洗面台で下着を洗って、暖房の吹き出し口にかけておく。翌朝には乾いている。この、乾いた下着を畳む手つきだけが、平日の僕の「家事」だった。
僕は都内に1Kを借りている。家賃9万4千円。でも、平日はホテルにいるから、その部屋にいるのは週末だけだ。月に、実質8日しか住んでいない部屋に、9万4千円払っている。ホテル代は経費で、日当も出る。だから、皮肉なことに、貯金だけは順調に増える。増えていく残高を見ても、あまり嬉しくない。使う時間がないから貯まっているだけだ、と分かっているからだ。一度、電卓を叩いてみたことがある。8日で割ると、一泊あたり1万1千円を超える部屋に、僕は住んでいないのに払い続けている。計算した後で、しなければよかった、と思った。数字にすると、割り切れなさが逃げ場をなくす。
中盤 ―― 標準化される側の、標準化されない事情
PJの中身も、実は生活と似ていた。僕らがやっていたのは、支社ごとにバラバラだった事務のやり方を、一つの標準に寄せる仕事だ。標準化。言葉は綺麗だ。でも現場に入ると、各支社の「バラバラ」の一つひとつに、ちゃんと理由があった。
最初の一ヶ月は、ひたすら現状を「見える化」する作業だった。各支社の担当者に、いまどういう手順で仕事をしているかをヒアリングして、フローに起こす。付箋を壁に貼って、線を引く。同じ「請求処理」という名前の仕事が、A支社では4ステップで、B支社では11ステップあった。11ステップの支社の担当者は、悪びれもせず「昔、一度大きなミスがあって、そのときチェックを足したんです」と言った。そのミスの当事者は、もう定年で退職している。でも、その人が足したチェックは、名前も知らない後輩たちの手順の中で、いまも生き続けていた。効率だけを見れば削るべきステップだ。でも、それは誰かの反省の化石でもあった。僕は付箋を一枚、剥がしかけて、やめた。
ある支社の年配の女性が、「うちのこのやり方、たしかに非効率なんだけど、これじゃないと山間部のお客さんの検針が回らないんですよ」と言った。標準の型は、平野部の支社を基準に作られていた。山の上の集落に月に一度しか行けない支社の事情は、その型からこぼれ落ちていた。検針票を、彼女は手書きの一覧で管理していた。システムに入れ直すのは二度手間だ。でも、その手書きの一覧には、「この家は火曜の午前しか在宅していない」「この道は冬に凍る」といった、システムの項目にはない書き込みが、鉛筆で細かく足されていた。標準の型に寄せるということは、この鉛筆の書き込みを、いったん全部消すということでもあった。
僕は、彼女の話をノートに書きながら、平日は都内の部屋にいない自分のことを、なぜか思い出した。標準化される側にも、標準化されない僕の生活にも、型からはみ出す事情がある。それだけのことなのに、少し疲れているとき、その符合が妙に胸に残った。効率のいい標準に寄せることが、この仕事の正しさだ。それは分かっている。分かっているのに、鉛筆の書き込みを消す側に自分がいることが、その日はやけに重かった。
会議では、支社長たちの本音と建前も見えた。表向きは「全社最適に賛成です」と言う。でも休憩時間に煙草を吸いに出た支社長が、僕にだけ聞こえる声で「まあ、うちのやり方が一番だと思ってますけどね」と笑った。抵抗している、というほど強くない。ただ、長年やってきたものを他所の型に合わせろと言われることの、静かな不服だった。僕はその不服が、少し分かる気がした。自分の生活の型を、誰かにこうしろと言われたら、たぶん同じ顔で笑うだろう。
生活は、少しずつ雑になる
自炊はしない。する台所が、平日はない。野菜は、コンビニのサラダで帳尻を合わせているつもりでいる。ドレッシングのぶんのカロリーは、たぶん帳尻を合わせていない。運動は、ホテルの部屋で気が向いたら腹筋を10回。気が向くのは週に一度あるかどうか。10回目で、もう息が上がる自分に少し驚く。散髪は、2ヶ月に一度、金曜の夜に無理やり予約を入れる。歯医者は、半年前から「そろそろ行かないと」と思っているだけで、まだ行っていない。奥歯の詰め物が、たまに舌に引っかかる。その引っかかりも、封筒と同じで、「来週にする」の箱に入っている。
金曜に部屋に帰っても、冷蔵庫にはほとんど何もない。買っても、平日にいないから腐らせる。だから、金曜の夜と土日のぶんだけ、その都度コンビニで買う。冷蔵庫のいちばん立派な使われ方は、経費精算のためにとっておいたレシートの束を、飛ばないように挟んでおくことだった。休日の昼、テレビをつけっぱなしにして、誰とも喋らないまま夕方になる日がある。喋らないと、夜になって声が少しかすれていることに気づく。自分の声を、その日はじめて聞く。
いちばん減ったのは、人と喋る時間だ。客先では喋る。でもそれは仕事の喋りで、雑談ではない。大学の友達のグループLINEは、既読だけつけて返していないのが溜まっている。誰かの結婚報告に、スタンプ一つ押しそびれたまま、話題が三つ先に進んでいる。いまさら戻って押すのも変で、そのまま流した。前に付き合っていた人とは、この生活が始まってしばらくして、自然に連絡が減って、消えた。誰が悪いわけでもない。ただ、金曜の夜に疲れて帰ってくる僕には、会う元気がなかった。「今週も地方だった」と説明することすら、面倒になっていた。それだけの、静かな別れだった。最後のやりとりが何だったかも、もう思い出せない。喧嘩ですらなかった。
水曜の夜、ホテルの部屋で、僕は封筒のことを思い出した。内ポケットから出して、しばらく眺めて、また戻した。角が少し折れて、白い紙が毛羽立ってきている。3週間、内ポケットで揉まれ続けた封筒は、もう新しい郵便物の顔をしていない。明日会議が3つある。もし何か悪い数字が書いてあったら、その3つの会議に、いまの僕は集中できなくなる。だから、来週にする。来週も、たぶん同じことを思って、再来週にする。28歳の身体は、まだ何を先送りしても、翌朝ちゃんと起きて新幹線に乗れる。乗れてしまうから、先送りが成立する。もし翌朝起きられない身体だったら、僕はとっくにこの封筒を開けていた。健康であることが、健康診断の結果を開けさせない。その倒錯を、水曜の夜のベッドで、ぼんやり考えた。
終盤と、後記 ―― 封筒を開けた日
PJは、3ヶ月で一応終わった。標準の型は、山間部の支社向けに「例外運用」を一つ残す形で決着した。綺麗な標準化ではない。全社最適の資料には、注釈のように小さく「※一部支社は地域特性により例外運用」と書かれるだけの、目立たない決着だ。最初にあの手書きの検針票を見たとき、僕はこれを「消すべきもの」として付箋に起こしていた。三ヶ月かけて、僕はそれを「残すべきもの」に書き換えた。効率の観点からは、たぶん少しだけ間違っている。でも、あの年配の女性の検針は、回る。
最終報告の日、彼女が「例外、残してくれてありがとう」と小さく言った。僕がこの3ヶ月でいちばん嬉しかったのは、その一言だった。役員の評価より、ずっと。役員は、標準化率が何パーセントになったかの数字を見て頷いていた。その数字の裏に、鉛筆の書き込みが一つ生き残ったことは、資料のどこにも載っていない。載らないことのほうが、たぶん正しい。でも、僕はそれを知っている数少ない一人として、その日、少しだけ胸を張っていいような気がした。喋る相手のいない平日を三ヶ月続けた僕にとって、「ありがとう」と面と向かって言われることは、思っていたより効いた。
常駐が終わって、都内の部屋に本当の意味で帰ってきた最初の日曜、僕はようやく封筒を開けた。PJが終わって、来週の段取りを書かなくてよくなって、初めて「悪い数字が書いてあっても、対応する余力がある」状態になったからだ。開けるのに、特別な決意はいらなかった。ただ、余力ができたら、手が自然に動いた。あれだけ3週間動かなかった手が、拍子抜けするほど普通に、封を切った。
中身は、要再検査の項目が一つ。深刻なものではなかった。念のため受けてください、というレベルの、灰色の結果だった。拍子抜けした。3週間、いや、そこから数えれば1ヶ月半、僕はこの灰色の紙一枚を開けられずに、内ポケットに入れて全国を移動していた。開けてみれば、5分で読めて、翌週に予約を入れれば済む話だった。紙を裏返してみたが、当然、裏には何も書いていない。この程度のことに、僕は三ヶ月ぶんの「開けられない」を積み立てていた。
倒れるような話ではない。倒れないから、こうやって続く。この仕事のいちばん見えにくいコストは、詰められることでも徹夜することでもなく、こういう「何でもない先送り」が、静かに、少しずつ溜まっていくことだ。封筒は、開けてしまえば5分だった。でも、その5分に手をつけられる「余力のある日」は、常駐の三ヶ月のあいだ、一日も来なかった。溜まっていたのは、疲労でも仕事でもなく、「あとで自分で自分に対応する」ための余白のほうだった。その余白を、僕はいつも、いちばん後回しにしていた。
再検査は、来月受ける。次のアサインが始まる前に。たぶん、また常駐だ。そのときは、封筒を、現場に持っていかないようにしようと思う。それくらいのことしか、いまの僕には決められない。でも、それくらいは、決めておこうと思う。角の折れた封筒を、僕はまだ捨てられずに、部屋のテーブルの上に置いたままにしている。捨てるのも、たぶん、余力のある日にする。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。