体験記 No. 24

検査値を書き換えていた人は、二十二年間、一度も遅刻していなかった

案件産業用フィルターメーカー・品質不正の再発防止
話の中心アサイン
語り手郷田 諒 / 33歳・マネージャー2年目
読了約8分 · 5,000字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
丸めていたのは十一年検査記録は手書きだった

規格外の測定値を「範囲内」に丸めることが、十一年続いていた。やっていたのは、無遅刻無欠勤の検査員だった――郷田が、調査の匂いのする案件に入った日からの記録。

工場の会議室には、貼り紙が三枚あった。「安全は全てに優先する」と、「五S」と、健康保険組合のインフルエンザ予防接種の案内だった。三枚目だけが去年の日付のままだった。

郷田です。三十三歳、マネージャーになって二年目。この案件は、僕が初めて一人で回すことになった案件で、初めて、誰かの経歴が終わる場所に立ち会う案件でもあった。

アサイン ―― 金曜の十七時

電話が来たのは金曜の十七時過ぎだった。パートナーの久米さんからで、用件は三十秒で終わった。

「郷田さん、月曜の朝九時、先方の本社。品質のやつ」

品質のやつ、で通じてしまうくらい、その週その話は社内で回っていた。産業用フィルターを作っている中堅メーカーで、出荷前の性能試験の記録に、規格を外れた値を「範囲内」に書き直していたものが見つかった。見つけたのは内部通報で、通報したのは退職者だった。

第三者委員会は別のところが入る。僕らはその後ろ、再発防止の設計だった。原因究明はしない、というのが契約上の線引きで、実際には線はそんなに綺麗ではなかった。原因が分からないと、防止策は書けない。

土曜、僕はその会社の有価証券報告書と、工場の見学ページと、採用サイトを読んだ。採用サイトには、検査工程で働く社員のインタビューが載っていた。「一つ一つの数値に責任を持っています」という見出しがついていた。ページは月曜の午前中に消えた。

日曜の夜、久米さんから追加のメッセージが来た。「郷田さん、この案件、社内でも人が選ばれてる。断ってもいい」。断ってもいい、という一文を三回読んだ。断る理由を探して、見つからなかったので、受けます、と返した。

いま思えば、あれは選択肢の提示ではなくて、覚悟の確認だったのだと思う。

立ち上がり ―― ストラップの色が違う

工場は本社から電車で一時間半、そこからバスで十二分だった。入構証は緑のストラップで、社員は青だった。色が違う。それだけで、廊下ですれ違うときに相手が視線を落とすのが分かった。

初日、僕らは三人だった。僕と、二年目の橘さんと、シニアの遠山さん。ヒアリングの部屋は工場棟の二階、窓のない小会議室で、机が中央にあって、こちら側に三脚、向こう側に一脚あった。

僕はその配置を見て、遠山さんに椅子を減らそうと言った。三対一は取り調べになる。橘さんは記録係として残し、遠山さんは別の部屋で資料を見てもらうことにした。

最初の相手は品質保証部の課長だった。座って、僕は言った。

「録音してもいいですか。したくなければ、しません。あと、どなたか同席された方がよければ、呼びます」

課長は少し驚いた顔をして、「録っていただいて結構です」と言った。それから、「そう聞かれたの、初めてです」と付け足した。

一日六人、二週間で四十一人に会った。誰も嘘はつかなかったと思う。ただ、全員が微妙に別の話をした。ある人は「一部の担当者の判断」と言い、ある人は「昔からの慣行」と言い、ある人は「営業が無理な仕様で取ってくるから」と言った。

七人目の、製造課の若い主任は、部屋に入ってくるなり「僕は何も知りません」と言った。座る前に言った。座ってから、四十分かけて、彼が知っていることを全部話した。知っている、と自分で認めるまでに四十分かかっただけだった。

十九人目のベテランは、逆だった。全部知っていて、全部話して、最後に「これ、僕らが悪いってことになるんですか」と聞いた。僕は「僕らはその判断をする立場ではありません」と答えた。正確ではあるが、誠実だったかどうかは分からない。彼が聞きたかったのは、たぶん判定ではなく、この先の見通しだった。

夜、ホテルの机で議事メモを整えながら、橘さんが「疲れますね、これ」と言った。分析より疲れる。人の言い方の揺れを、こちらが一日中、拾い続けているからだ。

仮説 ―― 守れない基準

三週目に、僕は測定データを全部もらった。過去五年、出荷ロットごとの試験値。二十六万行あった。橘さんが二日でクレンジングして、規格値のすぐ内側に張り付いている分布が出てきた。

正規分布ではなかった。上限のわずか内側に、不自然な山があった。数字が、壁に寄りかかっていた。

書き換えは、少なくとも十一年続いていた。始まった時期を工程の履歴と突き合わせると、ある年に受注した製品群の仕様が、それまでより厳しかった。営業がその仕様で取ってきて、工場の設備能力ではぎりぎり届かない水準だった。設備更新の稟議は、その二年前に一度出て、見送られていた。

つまり、こういうことだ。届かない基準が現場に配られ、現場は誰にも相談できず、帳尻を合わせた。合わせているうちに、それが作業標準の一部になった。

検査記録は、その十一年のあいだ、ずっと手書きだった。所定の用紙に鉛筆で書き、係長が朱色で押印する。押印した係長が三代替わっても、様式は同じだった。手書きは、書き直せる。書き直せることを咎める規定は、どこにもなかった。規定がなかったのは、書き直す必要が生じると誰も思っていなかったからだ。

橘さんが「これ、悪意っていうより、逃げ場がないですね」と言った。僕は「逃げ場がなかったことにする方が、僕らは楽なんだよ」と答えた。答えてから、その言い方は先輩ぶっていて嫌だな、と思った。

僕はこの構造を、中間報告の骨子にした。原因は個人の逸脱ではなく、能力と要求の乖離を吸収する場所がなかったことにある、と。

微妙な判断 ―― 「言い訳」に分類した二十分

その途中で、僕は一人の検査員に会っている。五十四歳。書き換えを実際に手で行っていた人だった。

彼は、こちらの質問に淡々と答えた。手順、記録の書き方、誰に報告していたか。答えながら、一度だけ、質問されていないことを話した。設備の話だった。「あの装置、暖まるまで四十分かかるんです。朝いちばんの一本目は、いつも外れるんですよ」

僕は「なるほど」と言って、メモを取り、次の質問に移った。正直に書くと、そのとき僕はその話を「言い訳の類」に分類していた。四十分の暖機の話は、書き換えの正当化にはならない。ならないから、論点ではないと処理した。

その二十分を、あとで橘さんの録音で聞き直すことになる。

中間報告 ―― 安堵した顔

中間報告は、役員会議室で四十分だった。社長と、工場を管掌する専務と、品質保証の担当役員。

僕は分布の図を出し、時期の一致を出し、稟議の履歴を出した。原因は個人ではなく構造にあります、と言った。

専務が、そこで小さく息を吐いた。肩が三センチ下がるのが見えた。

安堵だった。その安堵は、たぶん人として自然なものだ。自分の会社に悪人がいたのではなく、仕組みが悪かった。そう言われて楽にならない経営者はいない。

ただ、その瞬間から、質疑の中身が変わった。前半は熱心だったのに、僕が後半で用意していた話――設備更新の投資額と、受注時に仕様を工場と確認する手順を入れると、営業のリードタイムが平均で九日延びるという話――には、ほとんど質問が出なかった。

「仕組みの問題」は、免罪符としてよく効く。効きすぎる。僕はそれを、自分の口から渡してしまっていた。

会議のあと、久米さんが廊下で「良かったんじゃない」と言った。良くなかったです、と僕は言った。久米さんは「うん、まあ、後半だよね」と言って、それ以上は言わなかった。この人はたぶん、会議室の中で同じものを見ていた。見ていて、僕に先に言わせるつもりだったのだと思う。

次の週から、僕は資料の順番を変えた。設備投資とリードタイムの話を、原因分析の前に置いた。安心する前に、値札を見てもらう順番にした。

生活 ―― 十四階建てのホテルの朝食

その三ヶ月、僕は週に三泊、駅前のビジネスホテルにいた。一泊七千八百円、朝食付き。六時半に降りていくと、僕と同じ会社のスーツの人と、工事の作業服の人と、それから工場の日勤に入る人が同じ列に並んでいた。

朝食のご飯をよそう順番で、僕は毎朝、その人たちの後ろに並んだ。前に並ぶ気にならなかった。理由はうまく説明できない。

マネージャーになって変わったのは、夜に見る画面がスライドから稼働表になったことだ。橘さんの今月の稼働が百九十時間を超えていて、来月の要員が一人足りない。それを見ながら、僕は缶ビールを開けずに冷蔵庫に戻す日が増えた。飲むと、その二つの数字を明日に持ち越す気がした。

体重は四ヶ月で四キロ増えた。工場の食堂の日替わりは三百八十円で、揚げ物の日が週に三回ある。

家では、この案件の話をほとんどしていない。話せる範囲がどこまでかを毎回考えるのが面倒で、面倒だと思っている自分が少し嫌だった。妻に「今の仕事、楽しい?」と聞かれて、「難しい」と答えた。難しいは答えになっていない。なっていないと分かっていて、その日は使った。

三ヶ月目の日曜、久しぶりに何もない一日があって、僕は昼まで寝た。起きて、洗濯機を回して、それから工場のヒアリングメモを開いた。休みの日にわざわざ開いたのは、そのときが初めてだった。開いて、四十一人分の発言を、時系列ではなく人ごとに並べ替えた。並べ替えても何も出なかった。出ないことが分かったのが収穫だった、ということにした。

最終報告と、その後

最終報告は五ヶ月目だった。試験記録の電子化、装置ごとの暖機時間を作業標準に明記、規格に対する社内管理値の再設定、受注時に工場が仕様の可否を返す手順、そして通報窓口の外部化。

ぜんぶ、教科書に載っている。載っているものを、この会社の工程に合わせて具体的に書いた。それが僕の仕事だった。

一つだけ、揉めた。受注時に工場が仕様の可否を返す手順で、営業本部長が「九日は無理だ」と言った。競合は三日で見積もりを出してくる、と。

僕は、その九日のうち六日は工場の測定待ちで、測定装置を一台増やせば四日になります、と答えた。装置は四千二百万円です、とも言った。

営業本部長は「そういう話じゃない」と言った。専務が「そういう話です」と言った。二人が同じ会社の役員として、その場で数分言い合った。僕は黙っていた。黙っているのが正しかったと、いまも思う。あれは、僕らが持ち込んだ論点を、この会社が自分たちの言葉で引き取った数分だった。

結論は、当面は九日で運用し、装置は翌期の設備計画に載せる、というものになった。翌期に載ったかどうかは、僕は知らない。

検査員の彼は、報告の前に会社を辞めていた。懲戒だったと聞いた。詳しいことは僕らには共有されない。

辞めたあとで、人事の人が雑談のつもりで教えてくれた。あの人は二十二年間、一度も遅刻も欠勤もしていなかったそうだ。勤怠表を出す作業をしていて気づいた、と。

その夜、僕は橘さんに頼んで、あのヒアリングの録音を送ってもらった。四十分の暖機の話をしているところを、三回聞いた。声は落ち着いていて、少しだけ早口だった。彼はたぶん、あのとき一度だけ、この件の本当の入口を差し出していた。僕はそれを受け取らなかった。

後記 ―― 仕組みは人を救わない

一年後、その会社の再発防止の進捗報告に呼ばれた。電子化は終わっていて、朝一本目の測定は暖機完了の記録とセットでないと登録できなくなっていた。数字は壁から離れて、正規分布に近づいていた。

僕は自分の仕事が効いたと思った。思ったあとで、少し気持ちが悪くなった。

僕が設計したのは、彼がやっていたことを二度と起こさない仕組みだ。同時にそれは、彼が十一年やっていたことに、はじめて名前をつけて公式化したもの――「朝一本目は外れる」という、彼だけが知っていた事実の、正式な採用だった。

彼の名前は、その資料のどこにも出てこない。

工場の会議室の貼り紙は、三枚のままだった。三枚目の予防接種の案内は、日付が新しくなっていた。誰かが去年のものを剥がして、新しいのを貼ったらしい。剥がした跡が、少しだけ壁に残っていた。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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