「止める」と書いた11テーマのうち、9つは私が名前しか知らない技術だった
中身が分からない技術に、止めるか続けるかの線を引く。それが仕事だと分かっていて、それでも手が止まった――保坂が、34テーマの棚卸しで過ごした五ヶ月の記録。
研究所の会議室には、ホワイトボードが2面あって、片方は消されていなかった。前の打ち合わせの数式が残っている。私はそれを消していいのか分からず、空いている方を使った。5ヶ月通って、あの数式は一度も消えなかった。誰かにとっては、まだ途中だったのだと思う。
保坂です。36歳、シニアマネージャー3年目。マネージャーになったのが31のとき、その2年後にシニアになった。社内では、まあ順当と言われる速さらしい。順当という言葉には、褒めているのか安心させているのか分からない響きがある。
アサイン ―― 研究費の6%
クライアントは、創業63年の計測機器メーカー。売上980億円、そのうち研究開発費が58億円で、売上比6%弱。同業の平均より高い。高いこと自体は誇りで、社内報にもそう書いてある。
依頼は、研究開発テーマの棚卸しと、投資配分の見直しだった。窓口は、技術戦略室の室長の弓削さん。50歳、もともと研究者で、8年前に本社側に移った人だ。初回の打ち合わせで、弓削さんは「うちは、始めたテーマが終わらないんです」と言った。
数字で言うと、現行テーマが34。5年以上継続しているものが13。うち3つは10年を超えていた。一方で、新規に立ち上がったテーマは、直近3年で4つだけ。入口が細くて、出口がない。研究費は毎年少しずつ増えていて、増えたぶんは既存テーマの継続に吸われていた。
研究所は、本社から電車で1時間20分かかる場所にあった。最寄り駅からバスで12分。バスは1時間に3本で、乗り遅れると20分待つ。5ヶ月で3回乗り遅れた。3回とも、バス停の前の自販機で温かいお茶を買って、時刻表を見ながら飲んだ。あのバス停から見えるのは、田んぼと、送電線と、研究所の白い建物だけだった。
チームは、私と、マネージャーの千賀さんと、コンサルタント2人。理系の修士を出ているのは千賀さんだけで、専攻は情報系だった。この会社が扱っているのは光学と電気化学と材料で、千賀さんも門外漢だった。
立ち上がり ―― 分からない、という前提から始める
最初の1ヶ月は、34テーマのヒアリングに費やした。1テーマ60分。研究者本人に、テーマの内容、経緯、現状、今後を話してもらう。
3件目で、私は自分が何も理解できていないことを認めた。5件目で、それを口に出すことにした。
「すみません、私はこの分野の素人です。中身の良し悪しは判断できません。判断できないので、代わりに『どうなったら成功で、どうなったら失敗か』を教えてください」
この聞き方に切り替えてから、話が変わった。何人かの研究者は、明確に答えた。「あと2年で、この精度が出なければ製品化はできません」。何人かは、答えられなかった。答えられないこと自体が、情報だった。
ある材料系のテーマの担当者は、11年目のテーマについてこう言った。「成功の定義は、正直、途中で変わりました。最初は製品にするつもりでした。いまは、社内に技術を残すことが目的です」
私は「それは会社と合意されていますか」と聞いた。彼は「上司は知っています」と答えた。上司は知っている、と、会社が決めている、は違う。この差の中に、10年ぶんの予算が入っていた。
仮説 ―― 評価軸を七つ作って、四つ捨てた
2ヶ月目に、評価の枠組みを作った。最初に千賀さんが作ったドラフトは、軸が7つあった。市場性、技術的実現性、自社の優位性、投資規模、必要期間、他テーマとのシナジー、そして社会的意義。
きれいだった。きれいで、使えなかった。
試しに34テーマを7軸で採点してみると、上位と下位がほとんど動かない。動かないのではなく、軸が多いせいで、どのテーマにも「良い軸」が1つは見つかる。良い軸が1つあると、担当者はそこを盾にする。7軸は、全員に逃げ道を配る装置だった。
私は軸を3つに減らすと決めた。3つにしたのは、意思決定に本当に効くのは「これが実現したときに会社の何が変わるか」「そのために足りないものは何で、それは自社で埋められるか」「いつまでにその見極めがつくか」の3つだと考えたからだ。
減らす提案を弓削さんに持っていったとき、弓削さんは長く黙っていた。それから「社会的意義を落とすと、研究所は納得しないと思います」と言った。
私は「落としません。ただ、社会的意義は投資判断の軸ではなく、判断のあとで説明するための言葉だと整理します」と答えた。屁理屈に近い。近いが、この整理をしないと、社会的意義という言葉は全部の停止案を止められる万能の盾になる。
弓削さんは「保坂さんは、はっきり言いますね」と言った。褒められたのか警戒されたのか、その場では分からなかった。
中間報告 ―― 十一という数字
4ヶ月目の中間報告。相手は、研究担当役員、技術系の部門長5人、経営企画。会議室に14人。
私たちが出したのは、34テーマを4つの区分に分ける案だった。集中投資が6、現状維持が11、条件付き継続が6、そして停止が11。
停止が11。この数字を映した瞬間、部屋の空気が変わった。変わり方が、私の想像と違った。怒りではなかった。静かになった。静かなまま、誰も最初の質問をしなかった。
30秒くらい経ってから、材料系の部門長の茂木さんが口を開いた。60手前の、白髪の人だった。
「保坂さん。この11のうち、あなたご自身が中身を説明できるものは、いくつありますか」
私は答えに詰まった。詰まってから、「2つです」と答えた。
嘘をつく選択肢はあった。実際、一瞬考えた。「概要は把握しています」と言えば、その場は流れる。流れて、そのあとの5ヶ月が全部嘘の上に乗る。
「2つです。残りの9つについて、私は名前と、いま伺った成功条件と、投資額しか知りません」
茂木さんは「そうでしょうね」と言った。責める調子ではなかった。
「それで、止めろと言われる」
「はい」
「ずいぶん乱暴だと思われませんか」
私は、そこで一度息を吸った。この案件で、いちばん覚えている20秒だ。
「乱暴だと思います。ただ、中身を理解できる方が34全部を並べて比べたことは、この会社で一度もないと伺っています。私にできるのは、比べる土俵を作ることだけです。土俵の上で、9つを残すという判断をされるなら、それはこの会議で決めていただくことだと思っています」
茂木さんは、それには答えなかった。答えないまま、資料の11テーマの一覧を、指で上から下までなぞった。指が2番目のところで少し止まった。あとで調べたら、そのテーマは茂木さんが課長時代に立ち上げたものだった。
会議のあと、エレベーターホールで茂木さんに追いつかれた。茂木さんは「保坂さん」と呼んで、それから「立ち入ったことを伺いますが、御社のチーム、この5ヶ月でおいくらですか」と聞いた。
答えていいのか一瞬迷って、答えた。契約金額は、この会社の年間の研究開発費の0.7%にあたる額だった。
茂木さんは「そうですか」と言った。「うちの研究員の年収で言うと、まあ、そういうことですね」
責める調子ではなかった。ただの確認だった。ただ、その日から、報告書を書くたびに私はその比率を思い出すようになった。止めた11テーマの担当者の給与と、私たちが5ヶ月で受け取る額。並べて意味のある数字ではない。意味がないと分かっていて、並べてしまう。
詰められる側 ―― パートナーとの三十分
その週の金曜、パートナーの久世さんとの定例があった。
私は中間報告の顛末を説明した。久世さんは「2つですって答えたの」と確認して、それから笑った。「それは正直だな。正直だけど、保坂、それ次から使えないぞ」
「使えない、というのは」
「同じことを最終報告で聞かれたら、今度は答えが変わってなきゃいけない。中間から最終までの2ヶ月で、9つのうち何個かは中身を理解しに行くべきだ。そうしないと、正直さが2回目には無責任になる」
正しかった。私は中間報告のあと、少し自分に酔っていた。正直に答えたことを、誠実さだと思っていた。誠実さは1回目までで、2回目からは怠慢になる。
その週末、私は11テーマのうち、投資額の大きい4つについて、担当研究者に個別に時間をもらった。土曜の午前に2件、オンラインで。うち1件の研究者は、休日に画面越しで、1時間半、自分のテーマの説明をしてくれた。話しながら、途中で「こんなに聞かれたの、初めてです」と言った。
その1件は、最終的に停止案から外した。技術的な理由ではない。彼の説明で、そのテーマが別の2テーマの基礎になっていることが分かったからだ。止めると、上流が消える。7軸のときも3軸のときも、その関係は表に出てこなかった。私たちが作った土俵は、そこまで細かくなかった。
最終報告 ―― 数字は変わらなかった
最終報告は5ヶ月目。停止は11のまま出した。1つ外して、1つ増やしたからだ。増やしたのは、条件付き継続に置いていたテーマで、担当者自身が「見極めの期限を決められない」と言ったものだった。
役員会での議論は90分。決まったのは、停止が7、継続が2、判断保留が2。私たちの案は、丸ごとは通らなかった。通らないだろうとは思っていた。
保留になった2つのうち1つが、茂木さんが指を止めたテーマだった。役員会で茂木さんは一言も発言しなかったと、あとで弓削さんから聞いた。
停止した7テーマの研究者は、11人いた。そのうち9人は、既存の集中投資テーマに移った。2人は、開発部門に異動した。異動が本人の希望だったかどうかは、私は知らない。知らないまま、報告書には「人員の再配置により、集中領域の開発速度が向上する見込み」と書いた。書いた文章としては正しい。正しい文章が、11人の異動辞令の上に乗っている。
千賀さんは、最終報告の1週間前に「保坂さん、僕、この案件きつかったです」と言った。理由を聞いたら、「7軸を作ったの、僕なので」と言った。3軸に減らしたのは私の判断で、彼が2週間かけたものを捨てた形になっている。私は「あれがないと3軸は選べなかった」と言った。本当のことだ。本当のことだが、慰めとして機能したかどうかは分からない。彼はそのあと「はい」とだけ言って、資料に戻った。
生活 ―― 二十三時の白湯
この案件の間、私はほとんど毎晩、23時ごろに白湯を飲んでいた。去年、胃をやって、コーヒーを夕方以降やめた。やめてから、夜に手持ち無沙汰になった。
マグカップを持って、部屋の窓から外を見る。マンションの向かいの棟の、同じくらいの高さの部屋にも、明かりがついている。何をしている人かは知らない。5年住んで、一度も見たことがない。
36歳になって、私はもうエクセルの数式をほとんど書かない。書けないわけではない。書くと、千賀さんの仕事を取ることになる。取ると、千賀さんが育たない。だから見る。見て、聞く。「これ、何が起きたら結論が変わる?」。私が1日で最も多く発する質問がそれだ。
その質問は、たぶん研究者に対して私がした質問と同じものだ。分からない領域に対して、私が持っている唯一の道具が、それしかない。道具が1つしかないことを、心細いと思う夜がある。白湯は、ぬるいうちに飲まないと美味しくない。
後記 ―― 消えなかった数式
案件が終わって1年後、弓削さんから年賀のメールが来た。新規テーマが3つ立ち上がった、という報告が添えてあった。3年で4つだったのが、1年で3つ。私たちが作った枠組みが機能した、という言い方を、弓削さんはしてくれた。
同じメールに、保留になっていた2テーマのうち1つが、その年度末に停止になったとも書いてあった。理由は書かれていなかった。
止めた11テーマの中身を、私はいまも9つ説明できない。名前は覚えている。投資額も覚えている。成功条件も、ヒアリングメモを開けば出てくる。ただ、その技術が何を可能にするはずだったのかを、私は自分の言葉で言えない。
あの研究所の会議室のホワイトボードに残っていた数式は、私が最後に行った日にも消えていなかった。あれは、止めたテーマのものだったのか、続いているテーマのものだったのか。聞けばよかった。聞かなかったのは、たぶん、答えを知るのが怖かったからだ。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。