体験記 No. 22

復職一本目のキックオフで、私は「21時に帰ります」と先に言った

案件地方銀行・法人営業の生産性向上
話の中心アサイン
語り手相良 / 31歳・入社6年目(休職9ヶ月からの復職)
読了約8分 · 5,000字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
九ヶ月ぶりのIDカード21時という自分で決めた線

戻ってきた人間は、戻ってきたことを証明したくなる。その衝動がいちばん危ない――九ヶ月の休職から復職した相良が、一本目のアサインを受けた日からの記録。

九ヶ月ぶりにIDカードをゲートにかざしたら、エラーが鳴った。赤いランプが点いて、扉が閉じたままだった。後ろに人が並びはじめて、私は横にずれて、受付の人に「すみません、休職から戻ったんですけど」と説明した。説明しながら、自分の声が思ったより小さいことに気づいた。

再発行に15分かかった。その15分、私はロビーのソファに座っていた。9時5分。人がどんどん入っていく。みんな早足だった。この速度の中に戻るのか、と思った。

相良です。31歳、入社6年目。そのうち9ヶ月は、働いていない。

休職まで ―― 何がいけなかったのかは、いまも整理できていない

一昨年の秋から、うまく眠れなくなった。それ自体は、この仕事をしていれば珍しくない。珍しくないと自分で処理していたのが、いま思えば最初の失敗だった。

12月ごろから、資料が頭に入らなくなった。読んでいるのに、3行前が思い出せない。ファイルの名前をつけるのに5分かかる。会議で自分が何を言うつもりだったかを忘れる。エクセルの単純な作業に、以前の3倍の時間がかかった。

それでも回してはいた。回していたつもりだった。1月の終わりに、クライアントとの定例の途中で、理由もなく涙が出た。泣くような場面ではなかった。誰かに詰められていたわけでもない。ただ、目から水が出た。自分でも何が起きているのか分からなくて、「花粉かもしれません」と言った。1月末に、花粉と言った。

その週にマネージャーと面談して、その足で病院に行った。診断名は書かない。医師に言われたのは「今日中に休職を申し出てください」だった。抵抗した。案件の途中だと言った。医師は「その案件は、あなたがいなくても終わります」と言った。腹が立った。腹が立ったことを覚えているうちは、まだ元気だったのかもしれない。

休職中の収入は、最初の数ヶ月は会社の制度で、そのあとは傷病手当金になった。手取りは、働いていたときの6割くらいだ。家賃は12万3千円で、そこは変わらない。貯金が減っていくのを、通帳ではなくスマホの残高で毎週見ていた。減る速度が一定なのが、かえって怖かった。復職して最初の給与明細を開いたとき、私は金額より先に「支給日」という文字を見た。

最初の1ヶ月は、ほとんど寝ていた。2ヶ月目に、洗濯物をたためるようになった。3ヶ月目に、本を最後まで読めた。4ヶ月目に、平日の昼のスーパーが混んでいることを知った。9ヶ月かかった。

復職の面談 ―― 「軽い案件」という言葉

復職前の面談で、人事と、パートナーの穂積さんと話した。

穂積さんは「最初は軽い案件から」と言った。私はその言葉に、そのときは素直に頷いた。頷いてから、家に帰る電車の中で、少しずつ嫌になっていった。軽い案件、というのは、私が軽い人間として扱われる、ということだ。

そう受け取ってしまう自分が、いちばん厄介だった。9ヶ月休んだ人間は、休んだぶんを取り返そうとする。取り返そうとして、また同じところに行く。そのパターンを、休職中に読んだ本にも書いてあったし、産業医にも言われた。分かっているのに、身体が勝手に前に出る。

だから私は、復職の面談で一つだけ自分から条件を出した。

「稼働の上限を、私から言わせてください。21時までにします」

穂積さんは「いいよ」と言った。あっさりしていた。あっさりしすぎていて、私は「本当にいいんですか」と聞き返した。穂積さんは「相良さんが決めたなら、それが条件だよ」と言った。それから、「ただ、それはチームとクライアントに、相良さんの口から言ってね」と付け足した。

この付け足しが、いちばん重かった。

アサイン ―― 地方銀行の、法人営業

一本目の案件は、地方銀行だった。預金量2兆円規模、店舗が94、行員が2,200人ほど。依頼は、法人営業の生産性向上。要するに、渉外担当が取引先を回る時間が減っていて、その原因を突き止めて改善する、という内容だ。

「軽い案件」ではなかった。期間は6ヶ月、チームは4人。私はコンサルタントとして、渉外の実態把握のパートを持った。

キックオフは、銀行の本部の大会議室だった。先方が14人、こちらが4人と、パートナーの穂積さん。

自己紹介の順番が回ってきて、私は名前と担当を言ったあと、続けた。

「私は事情があって、原則21時までの稼働にしています。それ以降のご連絡には、翌朝お返事します。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」

言った直後、会議室が少し静かになった。3秒くらいだったと思う。長かった。

そのあと、先方の事務局の課長の宗方さんが「あ、うちも本部は19時消灯なので」と言った。誰かが笑って、空気が戻った。宗方さんが助けてくれたのか、単に事実を言っただけなのかは、いまも分からない。

立ち上がり ―― 21時に、席を立つということ

宣言することと、実行することは別だった。

最初の2週間、私は21時に席を立った。立つとき、他の3人はまだ座っている。1年目の白鳥くんも座っている。私が「お先に失礼します」と言うと、白鳥くんは「お疲れさまです」と明るく返してくれる。明るく返されるほうが、きつい。

21時に立つとき、私はまずノートパソコンを閉じて、電源ケーブルを巻く。巻くのに40秒くらいかかる。その40秒がいちばん居心地が悪い。誰も見ていないのに、見られている気がする。3週目から、帰る5分前に「今日はここまでにします」とチャットに書くことにした。書いてから閉じると、40秒が少し楽になった。

3週目の木曜、21時に立てなかった。翌日のミーティングの資料が終わっていなかった。22時40分までいた。誰も何も言わなかった。何も言われないことに、私は少し安心した。その安心が危険だと、頭では分かっていた。

翌週、マネージャーの喜多村さんに呼ばれた。喜多村さんは私より2つ下で、この案件のマネージャーだった。

「相良さん、先週の木曜、遅かったですよね」

「すみません」

「謝ってほしいわけじゃなくて」と喜多村さんは言った。「あの資料、木曜に完成してる必要ありました?」

なかった。金曜の午前でよかった。私が「木曜中に終わらせるもの」だと勝手に決めていた。

「相良さんが21時って言ってくれたおかげで、僕はタスクの置き方を考えるようになったんです。それ、僕にとって助かってるので。破られると、僕の設計が間違ってたことになるので、教えてください」

この言い方に、私は救われた。配慮としてではなく、設計情報として扱ってくれた。喜多村さんがそう言えるようになるまでに、この人にも何かがあったのだろうと思うが、聞いていない。

分析 ―― 移動時間ではなかった

3ヶ月目、実態把握の結果が出た。

行動記録は、頼み方で回収率が変わる。最初に喜多村さんが作った依頼文は「業務改善のため、2週間の行動記録にご協力ください」だった。私はそれを書き直させてもらった。直したのは3ヶ所。一つ、「本部が集計する」を「支店ごとに集計してお返しする」に変えた。二つ、記録の粒度を30分から15分に細かくする代わりに、選択肢を14個に固定して自由記述をなくした。三つ、依頼者の名前を本部の部長から、各エリアの次長に変えた。

回収率は、32人中30人だった。以前の案件で似たことをやったときは、6割に届かなかった。差がどこから来たのかを厳密に言うことはできない。ただ、「本部に吸い上げられる」と感じさせるかどうかで、人は15分ぶんの記憶を思い出す気になったりならなかったりする。

渉外担当32人に、2週間の行動記録をつけてもらった。15分単位で、何をしていたか。集計すると、取引先と実際に対面している時間は、労働時間の18.4%だった。移動が11%。残りの7割が、内部の作業だ。

内訳が問題だった。いちばん大きかったのは、稟議書の作成と修正で、22%。次が本部への報告資料で、13%。3番目が、他部署からの照会対応で9%。

面白かったのは、稟議書の「修正」の回数だった。1件あたり平均3.8回、審査部との往復がある。往復の理由を100件サンプルで分類したら、6割が「記載の形式・不足」だった。内容の議論ではない。書き方の指摘だ。

私はこの数字を出したとき、久しぶりに、仕事が面白いと思った。思った瞬間に、少し怖くなった。面白いと思うと、私は時間を忘れる。忘れると、9ヶ月前と同じところに行く。

その週、私は初めて自分から喜多村さんに言った。「今週、私、少し飛ばしすぎてます」。喜多村さんは「分かりました」と言って、翌週の私のタスクを1つ、白鳥くんに移した。白鳥くんは何も聞かずに引き受けた。

中間報告 ―― 「行員のせいにしないでほしい」

中間報告は、役員6人と部長級10人に対して90分。

数字を出したとき、営業統括部の部長が「渉外の意識の問題ですね」と言った。会議の空気が、その方向に流れかけた。

私は、そこで挙手した。手を挙げてから、心臓が速くなった。9ヶ月ぶりに人前で反論するのは、思ったより身体に来る。

「意識の問題であれば、店舗ごとのばらつきが人の配置で説明できるはずですが、説明できていません。稟議の往復回数は、支店より審査部の担当者ごとの差のほうが大きく出ています」

補足の資料は用意していた。喜多村さんが「出して」と言ってくれて、映した。

審査部の担当者12人ごとに、差し戻し回数を並べたグラフだった。いちばん多い人と少ない人で、2.7倍の開きがある。

会議は静かになった。審査部長が「これは、うちの中でも認識はあります」と言った。認識はある、というのは、この国の組織で「まだ手をつけていない」の丁寧な形だ。

そのグラフを作ることを提案したのは、白鳥くんだった。私は最初「審査部を名指しするのは早い」と止めた。止めた理由は、たぶん、揉めることを避けたかったからだ。9ヶ月前の私なら、真っ先に作らせていた。慎重さと、逃げは、外から見ると同じ形をしている。

最終報告と、それから

最終報告は6ヶ月目。施策は8本、そのうち稟議の様式簡素化と、審査部の指摘基準の統一が、翌期から実行に入った。対面時間は、半年後の追跡で18.4%が23.1%になったと聞いた。目標は28%だった。届いていない。

私は、6ヶ月のうち21時を超えた日が、11日あった。数えていた。カレンダーに印をつけていた。11日は、多いのか少ないのか、比べる相手がいない。休職前の私は、たぶん月に11日どころではなかった。

最終報告の翌週、宗方さんが「相良さんの、最初のあれ」と言った。キックオフの自己紹介のことだった。「あれ、うちの部で話題になりました。うちにも、時間に制約のある行員が何人もいるので」。それだけの話だ。それだけの話が、半年後に返ってきた。

後記 ―― 印をつけるのをやめた日

案件が終わって、次のアサインが決まった。今度は製造業で、期間は8ヶ月。キックオフで、私はまた同じことを言った。2回目は、少しだけ言いやすかった。少しだけだ。

カレンダーに印をつけるのは、その案件の3ヶ月目にやめた。数えていること自体が、たぶん一種の緊張だった。やめたら、少し楽になった。楽になったぶん、また境目が曖昧になっていくのかもしれない。それはそのとき考える。

去年の秋、休職前に同じチームだった人と社内で会って、「戻ってこられてよかったですね」と言われた。よかったです、と答えた。答えながら、「戻る」という言葉が正確なのかを考えていた。私はたぶん、元いた場所には戻っていない。同じ会社の、同じ職位で、同じ仕事をしているのに、働き方の設計だけが違う。それを復職と呼ぶのか、別の何かと呼ぶのかは、まだ決めていない。

ゲートのIDカードは、いまでも時々エラーが鳴る。再発行したときの磁気の相性が悪いらしい。かざし直せば通る。通るまでの2秒が、毎朝ちょっとだけ嫌だ。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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