体験記 No. 14

待ち時間の中央値は47分。それは、この病院の論点ではなかった

案件地域中核病院・経営改善
話の中心仮説構築
語り手賀来 / 38歳・マネージャー4年目
読了約8分 · 5,000字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
待ち時間の中央値47分看護部長の一言

数字が綺麗に出る論点ほど、本体からは遠い。自分の手ではもう直せない場所で仮説が壊れていくのを見ていた――賀来が、412床の病院で過ごした八ヶ月の記録。

病院の廊下は、においで場所が分かる。外来の待合は、人のにおいがする。3階の病棟に上がると、消毒液のにおいに変わる。エレベーターホールの自販機の前だけ、なぜかコーヒーのにおいがする。8ヶ月通って、私はそれを覚えた。覚えたところで、何の役にも立たなかった。

賀来です、と名乗る回数が、この2年で明らかに減った。マネージャー4年目、38歳。名乗るのは、たいてい初回の挨拶と、謝るときだけになった。手を動かす仕事は、もう1年以上していない。エクセルを開くのは、若手が作ったものをチェックするときだけだ。開いて、数式を追って、「ここ、根拠は」と聞く。それが私の仕事になった。

アサイン ―― 手を動かさない仕事に慣れた頃

クライアントは、1961年開設の地域中核病院。412床。急性期の一般病棟に加えて、地域包括ケア病棟が1つある。外来は1日平均840人。職員は、医師62人、看護師380人ほど、事務が70人。設置母体は公的な法人で、赤字が3期続いていた。

依頼は、要するに「収支を改善してほしい」だった。事務長の谷さんが窓口で、60歳近い、静かな人だった。初回の打ち合わせで、谷さんは「先生方は、こういうお話がお好きではないので」と、最初に言った。先生方、というのは医師のことだ。この一言を、私はもっと重く受け取るべきだった。

チームは、私と、シニアの1人と、2年目の蓑輪さん。蓑輪さんは24歳で、この案件が3件目だった。分析が速くて、丁寧で、そして自分の作ったものが否定されるのが、まだ怖い年次だった。

立ち上がり ―― 医局会は、火曜の17時30分

最初の3週間で分かったのは、この病院には会議体が29個ある、ということだった。運営会議、診療部長会、医局会、看護部会、医療安全委員会、感染対策委員会。それぞれに構成員がいて、それぞれに議事録があって、どれが実質的な意思決定の場なのかが、外からは全く見えない。

私たちが呼ばれたのは、運営会議だった。院長と副院長と事務長と、各部門の長が並ぶ。組織図の上では、ここが最上位だ。

実際に何かが決まるのは、火曜17時30分からの医局会だった。医師しか入れない。議事録は、要旨しか出てこない。谷さんに「私たちが出ることは」と聞いたら、「難しいと思います」と言われた。難しい、というのは、この国の組織では「無理」の丁寧な形だ。

蓑輪さんが、初日にデータ請求のリストを作った。よくできたリストだった。診療科別の患者数、病床稼働率、平均在院日数、DPCのデータ、外来の受付時刻と診察開始時刻のログ、部門別の人件費。私はそれをチェックして、2つだけ足した。看護師の部署別の離職者数と、時間外の申請実績。足しながら、なぜ足したのかを、そのときは自分でもうまく説明できなかった。

仮説 ―― 47分という、綺麗すぎる数字

データが返ってきたのは、4週目だった。外来の受付ログが、とにかく綺麗だった。1年分、1件ずつ、受付時刻と診察開始時刻と会計終了時刻が揃っている。

蓑輪さんは3日でそれを分析して、待ち時間の分布を出した。中央値47分。上位10%は102分を超える。曜日別、診療科別、時間帯別に、きれいに差が出た。月曜の午前の整形外科がいちばん長い。予約枠の設計と、実際の来院分布がずれている。

いいグラフだった。私は率直にそう思った。「これ、効くね」と蓑輪さんに言った。蓑輪さんは、少し嬉しそうだった。

私たちは、初期仮説の一本目を「外来のスループット改善」に置いた。予約枠を組み替えて、待ち時間を短縮する。患者満足度が上がり、外来の回転が上がり、収益が改善する。ロジックとして、通っている。

いま振り返ると、私たちがその論点を一本目に置いた本当の理由は、データが揃っていたからだ。他の論点――病床の稼働、看護配置、診療科ごとの採算――は、データが汚いか、そもそも取れないか、取るために医師に聞かなければならなかった。取りにくい論点は、自然と後ろに回る。回ったことに、誰も気づかない。マネージャーの私が気づくべきだった。

私は気づかなかった。というより、気づく余裕がなかった、というのが正直なところだ。この時期、私は同時に別の案件のクロージングを抱えていて、病院に行けるのは週2日だった。残りは、蓑輪さんが作ったものを、夜に画面越しに見ていた。画面越しに見るものは、たいてい、よくできて見える。

看護部長の、一言

中間報告の3週間前、私たちは各部門にヒアリングを回った。看護部は、部長の宇佐美さんが1人で応対してくれた。50代後半で、この病院に35年いる人だった。

蓑輪さんが、外来の待ち時間の分析を説明した。うまく説明できていた。宇佐美さんは、最後まで黙って聞いていた。それから、言った。

「その47分の間、患者さんは待合にいますよね。看護師は、そこにはいないんです」

私は、意味がすぐには取れなかった。宇佐美さんは続けた。「外来が混んでいるのは、うちでは前からです。困っているのは、そこじゃないんですよ。病棟です。3階の看護師が、いま12人足りていません。足りないから、地域包括ケア病棟の受け入れを絞ってます。絞ると、急性期のベッドが空かない。空かないから、救急も断ってます」

蓑輪さんが、メモを取る手を止めた。

宇佐美さんは、責める調子ではなかった。むしろ、ずっと誰かに言いたかった、という調子だった。「先生方に言っても、それは看護の話だからって言われます。事務長さんに言うと、採用は募集をかけてます、で終わります。だから、外から来た方に言うのが、いちばん早いかと思って」

その日の帰り、蓑輪さんは電車の中でほとんど喋らなかった。3週間かけて作った分析が、論点ではなかった。24歳にとって、これはかなりこたえる出来事だ。私は「あの分析は無駄じゃない」と言った。言いながら、慰めとして正しいだけの言葉だな、と思っていた。実際、外来の待ち時間の分析は、最終的に3ページだけ使われた。3週間で3ページだ。

組み直しと、中間報告

論点を組み直した。本体は、病棟だった。看護配置基準を維持できるかどうかで、入院基本料の点数が変わる。人が足りないと基準が維持できず、維持できないと収入が落ちる。落ちると、採用の原資が減る。この輪の中で、この病院は3年回っていた。

離職率を出した。全体で12.8%。3階の病棟だけ、19.4%だった。私が最初に足させた「部署別の離職者数」が、ここで効いた。効いたのは偶然ではないと思いたいが、正直、勘だった。勘が当たったことを、成果として報告するのは、少し後ろめたい。

中間報告は、運営会議で60分。私が説明した。1年以上ぶりに、自分で全部のページをしゃべった。院長は、途中で一度だけ「その19.4%は、いつからですか」と聞いた。「3年前からです」と答えた。院長は「そうか」と言った。それだけだった。

会議のあと、谷さんが「あの数字は、院内では出したことがなかったです」と言った。出せなかったのか、出さなかったのかは、聞かなかった。

その週の金曜、娘の保育園の発表会があった。行くと言っていた。行けなかった。夫が撮った動画を、日曜の夜に、スマホの小さい画面で見た。娘は、後ろの列の右から2番目にいて、ほとんど映っていなかった。それでも3回見た。3回目に、自分がその動画を「業務の合間」に見ていることに気づいて、画面を閉じた。38歳の私の生活は、そういう形をしている。

私が詰められる側だった、金曜の夜

論点を組み替えた週の金曜、パートナーの白石さんとの定例が入っていた。1時間の枠だ。

私は、組み替えた論点構成を説明した。外来から病棟へ、本体を移すこと。看護配置と入院基本料の関係を軸に置くこと。白石さんは、最後まで聞いてから、こう言った。

「賀来、その組み替え、いつ気づいた?」

「4週目です。看護部長のヒアリングで」

「4週目か。工程の何割だ」

「3割です」

白石さんは、少し黙った。それから「3割で気づけたのは悪くない。ただ、その3割で蓑輪さんの3週間が消えてる。消し方が問題だ」と言った。

正確な指摘だった。論点が壊れること自体は、この仕事では日常だ。問題は、壊れるまでに若手を何週間走らせたか、そして壊れたあとに立ち直る時間を工程表のどこに置いてあるか。私は、置いていなかった。工程表は、外来の分析が当たる前提で組んであった。

「賀来はさ」と白石さんは言った。「案件を2本持って、両方それなりに回してる。それは能力だ。ただ、両方それなりだと、若手の仮説が歪んでるのに気づけない。どっちを削るかは、賀来が決めていい」

削れるものは、なかった。もう1本の案件は、その時点でクロージングの2週間前だった。私は「病院の方の稼働を上げます」と答えた。白石さんは「そうか」とだけ言った。そうか、というのは、この人が納得していないときの言い方だ。9年一緒にやっていれば、それくらいは分かる。

その夜、私はオフィスに残って、工程表を引き直した。中間報告までの残り3週間に、「予備」という名前の空白を4日ぶん入れた。入れてみて、こんな単純なことを1年やっていなかったのか、と思った。手を動かさなくなると、工程表は「進捗を管理するもの」に見えてくる。本当は、誰かが失敗できる余白を、先に取っておくための道具なのに。

23時過ぎに、家に電話した。娘はもう寝ていた。夫が「発表会、来週だから」と言った。行くと答えた。行けなかったのは、その翌週の話だ。

最終報告 ―― 動くものと、動かないもの

最終報告は、8ヶ月目だった。施策は12本。動いたのは、そのうち4本だ。

動いたのは、病棟の勤務シフトの組み方、夜勤の人員配置、看護補助者の業務範囲の見直し、そして事務部門の紹介状の処理フロー。いずれも、看護部と事務が自分たちで決められるものだった。

動かなかったのは、診療科別の採算に踏み込むものだ。不採算の科をどうするか、という論点には、最後まで入れなかった。医局会に、私たちは一度も出られなかった。院長は「先生方には、私から話します」と言い続けた。話されたのかどうかは、分からない。

収支は、翌年度に少し改善した。赤字幅が、3割ほど縮んだ。改善の大半は、病床稼働の回復によるものだった。宇佐美さんの一言から始まった線だ。

後記 ―― 半年後の、あんぱん

半年後、別件でその町を通ったとき、私は少しだけ病院に寄った。用事はなかった。1階の売店で、あんぱんを買った。8ヶ月間、昼をそこで済ませていた。130円。値段は変わっていなかった。

宇佐美さんは、まだ看護部長をしていた。廊下で偶然会って、「3階、少しマシになりました」と言われた。「まだ8人足りませんけど」。12人が8人になった。それが私たちの成果なのか、単に採用市況なのかは、分からない。

3階にいた医師が1人、その年度末で辞めたと聞いた。理由は聞いていない。私たちの提案が原因だとは思わない。思わないが、思わないと決めた瞬間に、確かめる道が閉じるのも知っている。

蓑輪さんは、次の案件で別のマネージャーの下についた。少し前に社内で会ったとき、「あの病院の外来のやつ、いま別の案件で使えてます」と言われた。3ページになった分析のことだ。使えているならよかった、と答えた。答えながら、あのとき電車で黙っていた背中を思い出した。私は、あの3週間の前に、論点の並べ方を一度でも一緒に見るべきだった。週2日しか行けなかったことは、理由になるが、言い訳にはならない。

マネージャーの仕事は、手を動かすことではない、と教わってきた。その通りだと思う。ただ、手を動かさない人間が、手を動かしている人間の仮説の歪みに気づくには、画面越しの週2日では足りない。足りないと分かっていて、私は次の案件も、たぶん同じ回し方をする。もう1件抱えろと言われれば、抱える。それが4年目のマネージャーの、いちばん現実的な振る舞いだからだ。

あんぱんは、駐車場の車の中で食べた。8ヶ月ぶんの昼と、同じ味だった。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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