体験記 No. 26

「標準時間」と言った瞬間、組合の書記長がペンを置いた

案件食品工場・生産性改善とライン再編
話の中心中間報告
語り手網野 / 35歳・中途4年目(前職・生産技術)
読了約8分 · 5,200字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
一分あたり百二十パック立ち仕事は七時間四十分

ラインの読み方は前職で覚えた。覚えていなかったのは、削る六人が誰なのかを先に確かめる作法だった――元・生産技術の網野が、五度の惣菜ラインで中間報告に殴られた記録。

工場の中は五度だった。白衣の下にインナーを二枚着て、その上からアームカバーをする。長靴の中には厚手の靴下。それでも三時間立っていると、足の裏から冷えが上がってくる。床がコンクリートで、その下は冷えている。

網野です。三十五歳、この業界に来て四年目。その前の十年は、別の業界のメーカーで生産技術をやっていた。ラインを見て、どこが詰まっているかを当てるのは、たぶん得意なほうだ。

得意だったから、この案件で四ヶ月かかった。

アサイン ―― 惣菜、三ライン

クライアントは、コンビニと量販店向けに惣菜を作っている会社だった。工場は一つ、ラインが三本。売上は百四十億円ほど。従業員は正社員が百二十人で、パートと派遣が三百四十人いる。

依頼は「生産性の改善」だった。原材料費が上がり、人が採れず、それでも納価は上げられない。営業利益率が一・八パーセントまで落ちていた。

私が入ったのは、工場長の要望だったらしい。「工場を分かる人を寄越してくれ」と言われたと、マネージャーの宗片さんが教えてくれた。

初日、工場長は私の経歴書を見て「同業じゃないんだね」と言った。違います、と答えた。「まあ、いいや。ラインは見られるでしょ」

立ち上がり ―― 半日、立たせてもらった

二週目に、私は半日だけラインに入れてもらった。見学ではなく、作業として。第二ラインの、盛り付けの後工程。

一分あたり百二十パックが流れてくる。私の担当は、蓋を載せて、シールの位置を確認して、次に送る。それだけだ。

十五分で、右の肩甲骨の下が張った。四十分で、指先の感覚が鈍った。手袋をしていても、五度の環境で手を動かし続けると、そうなる。一時間半で、私は集中が切れて、蓋を一枚落とした。

隣にいたパートの方が、何も言わずに拾って、私の手元の速度に合わせてくれた。

その人は六十二歳で、この工場に十九年いる方だった。あとで名前を知った。谷津さんという。

正社員は一日七時間四十五分で、休憩が四十五分。実際に立っている時間は七時間四十分ある。私が音を上げたのは、その五分の一だった。

その半日で、私は自分の分析の前提を一つ変えた。人の作業速度を平均値で置くのをやめて、時間帯別に置くことにした。八時台と、十四時台と、十六時台では、同じ人の同じ工程の処理量が違う。落ちるのは疲労であって、能力ではない。

休憩室にも入らせてもらった。四十五分の休憩のうち、白衣を脱いで、エアシャワーを抜けて、手を洗って、実際に座れるのは三十一分だった。座って、みんなスマートフォンを見ていた。誰も喋らない。喋らないのは仲が悪いからではなく、ラインの音の中で四時間声を張った後だからだ。

工場の音は、耳栓をしても残る。コンベアの駆動音と、シーラーの空気の抜ける音が、七時間、同じ周期で続く。二日目の夜、私は自宅の風呂でその音が聞こえた気がして、目を開けた。

分析 ―― 詰まっているのは真ん中

一ヶ月かけて、三ラインの工程を全部測った。ストップウォッチと、天井に付けたカメラの映像。

分かったことは、わりに単純だった。第一ラインと第三ラインは、真ん中の工程で詰まっている。前工程が速く、後工程が速く、真ん中だけが遅い。だから前後の人が待っている。待ち時間は、一直あたり合計で八十分ほどあった。

もう一つは、段取り替えだった。品種が変わるたびに、洗浄と器具の交換で平均十七分止まる。一日に六回から八回ある。前職の感覚だと、これは半分にできる。器具のセット化と、洗浄の並行化で。

工程を組み替えて、待ち時間をならせば、一直あたり六人分の工数が浮く。段取り替えを短縮すれば、一日あたり五十分の稼働時間が増える。合わせて、年間で一億二千万円ほどの効果になる計算だった。

数字はきれいに出た。きれいに出たときは、だいたい何かを見ていない。それは前職で嫌というほど覚えたはずだった。

中間報告 ―― ペンを置く音

中間報告は、工場の会議室でやった。工場長、製造部長、人事課長、それと労働組合の書記長が同席した。

同席する、と聞いたとき、私は「情報共有のためだろう」と思った。それが第一の間違いだった。

資料の八ページ目で、私は「あるべき標準時間」という言葉を使った。工程ごとに、この作業はこの秒数でできるはずだ、という表だ。技術用語として、私は十年使ってきた言葉だった。

書記長が、ペンを置いた。

音が聞こえるくらい、はっきり置いた。それから、彼は最後まで何も言わなかった。質疑の時間にも、まとめの時間にも。

会議のあと、人事課長が私を廊下で捕まえて言った。

「網野さん、あの言葉は使わないでください」

「標準時間ですか」

「うちの組合、二十年前に一度、それで揉めてます。当時のコンサルが入って、作業のノルマを決めて、その年に人が二十人辞めた」

知らなかった。調べていなかった。過去にこの工場に誰が入って何をしたかを、私は一度も聞いていなかった。

気づき ―― 六人が誰なのか

もう一つ、その日に分かったことがある。こちらのほうが重かった。

浮く六人分の工数は、誰の工数か。私は資料に「一直あたり六名の工数削減」と書いていた。人数だけ書いて、区分は書いていない。

第一ラインと第三ラインの真ん中の工程は、ほぼ全員がパートと派遣だった。正社員は、ライン長と検品と設備保全にいる。

労働組合は正社員の単組で、パートは組合員ではない。

つまり、私の案で人数が減るのは、この会議室で誰も代表していない人たちだった。書記長がペンを置いたのは、たぶん標準時間という言葉のせいだけではない。彼はその表を見て、削られるのが自分の組合員ではないことも、同時に分かっていた。分かったうえで、何も言わなかった。

私は帰りの電車で、その構図を紙に書いてみた。書いてみて、自分がそこに「誰も守らない層」を作る側として立っていることが、はっきりした。

翌週、人事課長にもう一度会いに行って、雇用区分別の在籍表をもらった。パートが二百六十一人、派遣が七十九人。パートの平均勤続は八年二ヶ月で、平均年齢は五十一歳だった。派遣は平均勤続が一年に届いていない。

「この方たち、契約はどういう単位ですか」と聞いた。「パートは六ヶ月更新です」と課長は言った。「更新しないという判断は、うちは滅多にしません。ただ、しないと決めれば、明日からできます」

明日からできます、という言い方が、その日ずっと耳に残った。私の効果額の一億二千万円は、その「明日からできる」を前提にして初めて成立する数字だった。前提を書いていなかったのは、書かなくても計算が回るからだ。回ってしまうことが、この種の分析の一番たちの悪いところだと思う。

宗片さんに電話で報告した。宗片さんは少し黙って、「網野さん、それ、前職では気づけた?」と聞いた。気づけなかったと思います、と答えた。前職の工場に、パートはほとんどいなかった。

組み直し ―― 減らさない案

そこから六週間、私は案を組み替えた。

方針を一つ決めた。人数を減らす提案はしない。代わりに、同じ人数で処理量を上げる。

やったことは三つ。真ん中の工程を二人分の設備で置き換えるのではなく、作業台の高さと配置を変えて、動線を一・八メートル短くした。段取り替えの器具をセット化して、十七分を九分にした。それから、時間帯別の要員配置を作った。十四時から十六時のあいだだけ、二人増やす。増やすぶんの人件費は、段取り替えの短縮で吸収できた。

効果額は、当初案の六割の七千三百万円になった。宗片さんは「六割か」と言って、それから「まあ、それが通る額だよ」と言った。

一つ、うまくいかなかったことがある。第三ラインの動線を短くする案を谷津さんに見せたとき、その人は「これ、歩けなくなるね」と言った。

意味が分からなかった。歩く距離が減るのは良いことのはずだ。

「歩いてる二十歩のあいだにね、手首を下ろしてるんですよ」と谷津さんは言った。「ずっと同じ高さで持ってると、こっちが先に来る」と、手首の内側を指した。

私は動線を、一・八メートルではなく〇・九メートルだけ短くした。図面の上では、中途半端な数字だ。

宗片さんに「なんで〇・九?」と聞かれて、私は説明に困った。「手首を下ろす場所を残しました」と言ったら、「それ、資料に書ける?」と言われた。書けません、と答えた。書けない理由は、根拠が一人の証言しかないからだ。

結局、設計の意図欄に「作業姿勢の変化点を一箇所確保」と書いた。嘘ではない。ただ、あの二十歩の話は、そこには残っていない。

工場長には、この案を出す前に一度見せた。工場長は図面を三十秒見て、「網野さん、これ現場から出てきた案でしょ」と言った。半分は、と答えた。「じゃあ通るよ」と工場長は言った。「うちの現場は、外から来た案は三ヶ月で戻すからね」

生活 ―― 五時起きは変わらなかった

前職の工場勤務のとき、私は五時に起きていた。転職して、いまも五時に起きている。変わったのは、着るものが作業着からスーツになったことと、年収が二百四十万円上がったことだ。

上がったぶんは、住宅ローンの繰上げ返済に入れている。子どもが二人いる。上が小学三年で、下が年中。

前職と違うのは、家に帰る時間が読めないことだった。工場にいる日は十九時に上がれる。オフィスで資料を作る日は、二十三時を過ぎる。子どもの寝顔しか見ない週が、月に一度か二度ある。

工場の食堂で、五百二十円の日替わりを食べていると、たまに前職を思い出す。あのころ私は、外から来たコンサルタントを「現場を知らない人」として見ていた。いまは見られる側にいる。見られる側になってみると、あの視線は敵意ではなくて、ほとんど期待の裏返しだったと分かる。分かったところで、こちらの立ち位置は変わらない。

転職して良かったかと聞かれると、答えに詰まる。給料は上がった。扱う会社の数は増えた。前職では十年で三つの工場しか見なかったが、四年で十一の現場を見た。

ただ、前職では、自分が変えたラインが五年後もそこにあった。いまは、四ヶ月で離れる。半年後に誰かが戻したかどうかを、私は知らない。知らないまま次に行く。それが向いているかどうかは、まだ決めかねている。

妻には「前より楽しそう」と言われた。楽しそうに見えるらしい。自分ではよく分からない。ただ、休日に子どもとスーパーへ行って、惣菜売り場のパックを裏返してシールの位置を確認している自分に気づいたときは、少し笑った。前職のころは、こんな癖はなかった。

最終報告と、その後

最終報告は四ヶ月目だった。書記長は、また同席した。

私は資料から「標準時間」という言葉を全部消して、「工程ごとの目安時間」と書いた。中身は変えていない。呼び方だけ変えた。逃げだと言われれば、そのとおりだと思う。

質疑で、書記長が初めて口を開いた。「十四時から十六時に二人増やすというのは、これは恒久ですか」

「恒久です」と私は答えた。

「分かりました」と彼は言った。それだけだった。

半年後、宗片さんが工場に行った帰りに連絡をくれた。段取り替えは平均十一分で回っているらしい。九分にはなっていない。動線の変更は入っている。

そして、その期のパートの契約更新が、前年より二十二人少なかったと聞いた。理由は私の案ではなく、量販店向けの一品目が終売になったからだ。無関係だ。無関係だが、二十二という数字を聞いたとき、私は自分の案の六人のことを考えた。

後記 ―― 冷たい床のこと

私はいまも、あの床の冷たさを覚えている。長靴の底を通って、かかとから来る冷たさだ。三時間目から来て、六時間目には感じなくなる。感じなくなるのは、慣れたからではないと思う。

生産性の改善は、たいてい正しい。工程を測れば無駄は出るし、無駄は削れる。私が四ヶ月かけて学んだのは、その正しさが誰の身体を通って実現するのかを、資料の上で一度も名指ししないでいられてしまう、ということだった。

「一直あたり六名」と書くのは簡単だ。六名の内訳を書くには、雇用区分の一覧を人事にもらいに行かないといけない。もらいに行けば、そこに何が書いてあるかを見てしまう。見てしまえば、その表は書けなくなる。

谷津さんは、いまも第二ラインにいるらしい。手首の話は、その後の作業台の設計基準に一行だけ残っている。「腕の高さを変えられる休止点を、一工程内に一箇所設ける」。誰が書いたかは、記録に残らない。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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