体験記 No. 30

経理部の島の端に、私の席が一つだけ用意されていた

案件化学品受託製造・原価計算と採算管理の再構築
話の中心アサイン
語り手馬淵 惣一 / 29歳・中途2年目(前職・監査法人)
読了約8分 · 4,900字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
製造間接費は売上高で一律配賦私の席は経理部の端

「一人で行ってもらう」と言われた案件だった。相談する相手が誰もいない場所で、精度の高い原価を三ヶ月かけて作り、そして作り直した――元・会計士の馬淵の記録。

案内された席は、経理部の島のいちばん端だった。左隣は書庫のスチール棚で、右隣は空席。空席の机には、前任者のものらしいマウスパッドが一枚残っていた。パソコンは自分のを持ち込んだ。電源タップだけ貸してもらった。

馬淵です。二十九歳、この会社に中途で入って二年目。前は監査法人にいた。

マネージャーの砺波さんは、初日の午前中だけ一緒にいて、昼前に帰った。「あとは週一で来ます」と言って。

アサイン ―― 「一人で行ってもらう」

話が来たのは、前の案件が終わって十日ほど経った頃だった。砺波さんに呼ばれて、「馬淵さん、原価やったことある?」と聞かれた。

「監査で見ていました」

「作るほうは?」

「ありません」

「じゃあ、ちょうどいい」と砺波さんは言った。それから、「一人で行ってもらう」と続けた。

クライアントは、化学品の受託製造をしている会社だった。他社ブランドの洗剤や工業用の薬剤を、レシピをもらって作る。売上は二百十億円、工場が二つ、品目は六百を超える。

依頼は「製品別採算の見える化」だった。社長の問題意識は明確で、「どれが儲かっているのか分からないまま、営業が値段を決めている」ということだった。

期間は六ヶ月。要員は私一人と、砺波さんが週一日。フィーは、たぶん二千万円台の前半だったと思う。私は自分の案件のフィーを、二年目まで正確には知らなかった。

立ち上がり ―― 一律配賦

初週、私は経理から原価計算の資料をもらった。

製造原価は、材料費と労務費と製造経費に分かれている。材料費は品目別に取れている。ここは正確だった。問題はその先で、労務費と製造経費、合わせて年間四十一億円が、製品別の売上高比で一律に配賦されていた。

つまり、高く売れている製品ほど、多くの費用を負っている。実際にどれだけ手間がかかったかとは、何の関係もない。

この方法で計算すると、全六百品目の原価率が、ほぼ同じ帯に並ぶ。並ぶから、どれが儲かっているか分からない。当たり前だ。

経理課長は五十八歳の方で、「これはもう二十年これでやってます」と言った。「監査でも指摘されたことはないですよ」

そのとおりだった。財務会計としては、総額が合っていれば問題ない。困っているのは管理のほうだ。私が前職で見ていたのは、まさに「問題ない」と言うための側だった。

三ヶ月 ―― 正確な表を作った

私は、活動基準で組み直すことにした。

製造の工程を、仕込み、反応、充填、包装、検査、切替の六つに分けた。工程ごとに、実際にかかった時間を取る。取り方は、工場の生産日報と、設備の稼働記録と、それから足りない部分は現場で測った。

工場に行った日は、ヘルメットをかぶって、記録用紙を持って、切替作業の時間を計った。切替は品目が変わるたびに発生して、洗浄が要る。洗浄の時間は、前の品目と次の品目の組み合わせで変わる。香料の入ったものの後は、長い。

六百品目のうち、上位百二十品目で売上の八十四パーセントを占めていた。私はその百二十品目について、工程別の時間を全部埋めた。

三ヶ月かかった。

出てきた数字は、はっきりしていた。売上上位十品目のうち、三品目が実質赤字だった。うち一つは、この会社の看板商品と呼ばれているものだった。少量多品種の受託品は、切替の時間が原価の三割を占めていた。従来の配賦では、そこがまったく見えていない。

私は、その表を作り終えた日、経理部の島で一人で少しだけ達成感を持った。持ったことを、誰にも言わなかった。言う相手がいなかった。

「誰が更新するんですか」

その表を、まず工場長に見せた。第一工場の工場長で、六十歳の方だった。

工場長は三十分ほど黙って見て、「これ、合ってると思う」と言った。合ってると思う、と言ってもらえたのは嬉しかった。

それから、こう聞かれた。

「馬淵さん、これ、来月から誰が更新するんですか」

私は答えられなかった。

正確に言うと、答えは用意していた。「経理部で月次の締めのタイミングで更新いただく想定です」と。だが、その言葉を口に出す前に、自分でその無理さが分かった。

私が三ヶ月かけて作った表は、工程別の時間データを毎月集める前提でできている。生産日報からの転記が一品目あたり十分弱。百二十品目で二十時間。経理部は五人で、うち原価を触れるのは二人だ。月次の締めは五営業日で終えないといけない。

無理だ。

工場長は「悪気で言ってるんじゃないですよ」と言った。「うちも二回、こういう表をもらってます。前は別の会社さんで。全部、半年で止まりました」

過去の資料は、書庫のスチール棚にあった。私の席の真横だ。三ヶ月そこに座っていて、一度も開けていなかった。

その日の夕方、開けた。二〇一四年と二〇一九年のバインダーが出てきた。中身は、私が作ったものとほとんど同じ発想の表だった。工程を分けて、時間を測って、配賦し直す。二〇一九年のほうは、私のより工程が細かかった。八工程あった。

最後の更新月は、どちらも導入の五ヶ月後で止まっていた。

私はそれを一時間ほど眺めて、それから自分の三ヶ月分のファイルを開いた。開いて、閉じた。その夜は何もせずに帰った。帰り道で、自分が腹を立てているのか落ち込んでいるのか判別がつかなくて、駅前で立ち食いそばを食べた。四百二十円だった。

組み直し ―― 精度を三段階落とす

そこから六週間、私は作ったものを壊した。

工程を六つから三つに減らした。仕込み・製造(反応と充填を統合)・後工程(包装と検査と切替を統合)。配賦の基準も、実測時間から標準時間に変えた。品目ごとに毎月測るのではなく、品目を製造難易度で九つのグループに分け、グループごとの標準時間を年に一度だけ見直す。

精度は落ちた。以前の表と比べると、品目ごとの原価が最大で七パーセントずれる。

代わりに、月次の更新作業が二十時間から一時間十五分になった。生産数量を入れれば、あとは自動で回る。

砺波さんは、週一の日にその案を見て、「馬淵さん、三ヶ月分捨てたね」と言った。はい、と答えた。

「いや、いいと思うよ」と砺波さんは言った。「捨てられない人のほうが多い。あと、あの精緻なほうも残しといて。年に一回、標準時間を見直すときの根拠になるから」

そう言われて、私は自分が三ヶ月を無駄にしたわけではないことに気づいた。気づくのに、他人の一言が要った。一人でいると、そういうことに自分では辿り着けない。

本当の論点 ―― 見積もりの承認フロー

もう一つ、途中で分かったことがある。こちらのほうが重かった。

この会社の営業は、新規の受託案件の見積もりを出すときに、原価を見ていなかった。見ていないというより、見る欄がなかった。見積書のフォーマットに、想定原価の記入欄がない。値段は、過去の類似品と、競合の相場と、営業部長の勘で決まっていた。

つまり、原価が分からないことが問題なのではなく、分かっても使われない導線になっていた。

私は見積承認のフローを変える案を追加した。見積書に、標準原価と想定粗利率を自動で表示する欄を作る。粗利率が十五パーセントを下回る案件は、営業部長ではなく取締役の承認にする。

これは、原価計算の話ではなく、権限の話だ。私の契約範囲かどうかは微妙だった。砺波さんに聞いたら、「入れて。それがないと今回のやつ、置物になる」と言われた。

営業部長には、最終報告の前に一度、単独で会いに行った。五十三歳の方で、この会社の売上の三割を自分で取ってきた人だ。

私が案を説明すると、「粗利十五パーセントで取締役決裁ね」と言って、少し笑った。「馬淵さん、それだとうちの新規、半分止まりますよ」

「止めたい案件が、その中にあると思います」

「あるだろうね」と部長は言った。それから、「でも、止めた分の売上、誰が埋めるの」と聞いた。

私はそこで詰まった。詰まったまま、「そこは、私には答えがありません」と言った。

部長は「正直でいいね」と言って、その日は終わった。承認フローの案は、最終的にほぼそのまま通った。通ったのは私が説得したからではなく、たぶん、その日に正直に詰まったからだと思っている。確かめようがない。

生活 ―― 昼を一人で食べる訓練

一人アサインの生活は、思っていたより静かだった。

朝は八時四十分に着く。経理部の朝礼に、私はもちろん入らない。島の端で、パソコンを開けて、前日の続きをやる。

昼が難しかった。最初の二週間、私は工場の食堂に行って、一人で食べた。経理の人は、だいたい四人で固まって食べる。誘われるわけがないし、こちらから入る理由もない。

三週目に、若い経理担当の方に「馬淵さん、こっち来ます?」と声をかけられた。行った。それから、週に二回くらい一緒に食べるようになった。その人が、結局この案件でいちばんの情報源になった。過去の表がなぜ止まったか、誰が何を嫌がるか、営業部長がどういう人か。

壁打ちの相手を自分で調達するところまでが仕事だ、というのを、私はこの三ヶ月で身体で覚えた。前の案件では、隣に必ず誰か座っていた。

夜は十九時半には出た。忙しくなかったわけではない。むしろ、レビューがないぶん、自分で「これでいいのか」を確かめる時間が要る。オフィスを出て、駅前のチェーン店で夕飯を食べながら、その日作ったものを自分で読み返す時間を、毎日一時間取った。

年収は、監査法人の頃より百八十万円上がって、九百二十万円になった。前職の繁忙期は一月から三月に集中していて、その代わり夏は休めた。いまは、山と谷が案件ごとにばらばらに来る。どちらが楽かは、まだ判断がついていない。

独身で、家は1LDK、家賃十一万五千円。土曜は洗濯と掃除で終わる。日曜は、たまに簿記の問題集を解いている。もう受ける試験はないのに、解いていると落ち着く。

最終報告と、その後

最終報告は六ヶ月目だった。私が一人で四十分話した。砺波さんは横に座っていて、質疑で二回だけ喋った。

内容は、三つの工程区分による製品別原価と、九グループの標準時間表と、見積承認フローの変更案。それから、看板商品が実質赤字であるという一枚。

社長はその一枚を長く見て、「これ、値上げの話になるな」と言った。「はい」と答えた。「相手は?」と聞かれて、私は「受託先の大手さんです」と答えた。社長は「そうか」と言って、それ以上は言わなかった。

半年後、経理課長からメールが来た。月次の原価表は回っている、と。九グループの標準時間は、まだ一度も見直していない。見直しの時期は来年の四月だ。

看板商品の値上げ交渉は、進んでいないと書いてあった。

後記 ―― 一人でいるということ

一人アサインで得たものは、たぶん、自分の判断を自分で疑う癖だ。誰も見ていないから、自分で二回見る。それは残った。

失ったものもある。私は三ヶ月、誰にも「それ違うよ」と言われないまま走った。走り切って、工場長の一言で止まった。あの一言がなければ、私は精緻な表を納品して、それが半年で止まるのを知らないまま次の案件に行っていた。

砺波さんは、たぶん最初から分かっていたのだと思う。週一で来て、私が何を作っているか見て、それでも三ヶ月間、止めなかった。止めなかった理由を一度だけ聞いたことがある。「止めても分かんないでしょ、あれは」と言われた。そうだと思う。

いま、別の案件で、私には後輩が一人ついている。二年目の子だ。その子が精度を上げようとしているのを、私は今のところ止めていない。止めるべきかどうか、毎週、少し迷っている。

経理部の島の端の席は、私が抜けたあと、書類の一時置き場になったらしい。あの空席のマウスパッドは、最後の日まで同じ位置にあった。誰のものだったかは、結局聞かなかった。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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