体験記 No. 40

十一社の間接部門を集める仕事の最中に、母の要介護認定の書類を書いていた

案件総合リース会社・グループ間接部門のシェアードサービス化
話の中心立ち上がり
語り手葛西 誠 / 42歳・マネージャー3年目(中途/前職・信託銀行)
読了約8分 · 5,000字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
帳票1240種類工数の合計が1.4倍

帳票は千二百四十種類あった。工数アンケートの合計は、実在の人数の一・四倍になって返ってきた――葛西が、集約される側の人たちと、入院した母のあいだで過ごした八ヶ月の記録。

葛西です。四十二歳。前職は信託銀行で、三十九歳のときにこちらに移った。マネージャーとしては三年目になる。

この案件が始まったのは、四月だった。

アサイン ―― 十一社

クライアントは、総合リース会社だった。本体のほかに、グループ会社が十一社ある。医療機器のリース、不動産、レンタル、小さな保険代理店。買収で増えた会社も三社あった。

依頼は、これら十一社の経理・人事・総務を、一つの会社に集めること。いわゆるシェアードサービス化だ。構想自体は三年前からあって、二度検討して二度止まっている。

止まった理由を、経営企画の担当役員は「機が熟していなかった」と言った。あとで別の人に聞いたら、一度目は反対が強くて、二度目は担当者が異動したからだった。

チームは五人。パートナーの藤懸さん、私、それから若手が三人。期間は八ヶ月。

現状の間接部門は、十一社と本体を合わせて百八十七人。この人数を出すのに、最初の二週間かかった。名簿の定義が会社ごとに違って、兼務の人をどう数えるかで三通りの数字が出た。

立ち上がり ―― 千二百四十種類

集約の検討は、業務の棚卸しから始まる。

私は最初に、工数アンケートを配った。各社の間接部門の全員に、自分がやっている業務を書いてもらい、それぞれに月何時間かけているかを答えてもらう形式だ。回収率は九十一パーセントで、悪くなかった。

集計して、合計を見た。

百八十七人ぶんの月間労働時間に対して、申告された工数の合計は一・四倍あった。

若手の一人が「盛ってますね」と言った。私は最初、そう思わなかった。信託にいたころ、同じような調査を受ける側でやったことがある。あのとき私は盛らなかった。盛る動機がある人もいるだろうが、四割は多すぎる。

原因は、二週間後に分かった。

たとえば、月次の決算で、あるグループ会社の担当者が数字を作る。それを本体の経理が受け取って、確認して、連結の形に直す。この一連を、両方が「月次決算業務」と書いていた。両方とも嘘ではない。

もっと極端なのもあった。ある帳票について、作成する人、押印を回す人、保管する人、それを月末に本体へ送る人。四人が四人とも、その帳票の名前を自分の業務欄に書いていた。

つまりアンケートは、業務の量ではなく、関与の量を測っていた。

私は方法を変えた。人に聞くのをやめて、帳票から入ることにした。

各社に、直近一年で作成・回覧・保管された書類の実物を出してもらった。システムから出る帳票、Excelの様式、紙の申請書。名前ベースで数えたら千二百四十種類あった。中身を見て統合すると、六百十種類になった。

同じ内容の様式が、会社ごとに三つ四つあった。買収した会社のものは、様式の下の隅に前の親会社の略称が残っていた。誰も直していない。直す理由がないからだ。

この作業を、四十日かけてやった。若手の三人は、後半かなり無口になっていた。

三週目に、一人が「これ、意味ありますか」と聞いてきた。二年目の女性だった。

私は「ある」と答えた。答えたあと、根拠を言わなければと思って、こう言った。「集約の議論は、必ず『うちの仕事は特殊だ』で止まる。特殊かどうかを判定できるのは、様式を並べた人だけだ」

言いながら、半分は自分に言っていた。四十日というのは長い。長いあいだ、我々は誰の役にも立っていない状態で座っていた。その状態に耐えられるかどうかが、この手の案件の分かれ目になる。

実際、六百十種類に絞ったあとの議論は速かった。速かったが、その速さを見て「最初から絞れたのでは」と言う人が、クライアント側にも社内にもいた。絞れない。並べないと、どれが同じかは分からない。

五月 ―― 電話

五月の連休明けの火曜、十四時二十分に、実家の近所の方から電話が来た。

母が、自宅の玄関で転んだ、と。七十一歳になる。父はもういない。

私はそのとき、クライアントの会議室で、経理の分科会をやっていた。参加者は九人。廊下に出て、五分話した。救急で運ばれて、大腿骨だった。手術になる、と言われた。

会議室に戻って、私は「すみません、少し中座します」と言った。藤懸さんに引き継いで、その日は夕方の新幹線に乗った。実家までは片道二時間十分で、六千八百円かかる。

翌週から、私の週は形が変わった。

金曜の夜に実家に行き、日曜の夕方に戻る。平日は、ケアマネジャーとの連絡や、病院への確認の電話が昼に入る。介護保険の要介護認定の申請は、家族が書く欄が思っていたより多い。母の生活の様子を、細かく書く。「入浴に介助が必要か」「金銭の管理ができるか」。

書きながら、私はこの一年で母と何回会っただろうと考えた。三回だった。

私は藤懸さんに、事情を話した。話すかどうかを二日迷った。話したのは、隠したまま平日の昼に何度も抜けるほうが、チームに悪いと思ったからだ。

藤懸さんは「分かった」とだけ言って、次に「稼働、どのくらい落とす?」と聞いた。私は「落とせません」と答えた。落とせないというより、落とし方が分からなかった。マネージャーの仕事は、時間を減らすと誰かの時間が増える形をしている。

結局、私は落とさなかった。移動中に資料を見る時間が増えただけで、総時間はむしろ増えた。

仮説構築 ―― 集約できる業務、できない業務

六百十種類の帳票を、三つに分けた。

一つ、完全に集約できる業務。給与計算、社会保険の手続き、支払処理、固定資産の管理。ルールが法令と社内規程で決まっていて、判断の余地が小さいもの。百九十四種類あった。

二つ、集約できない業務。各社の事業に密着していて、現場と会話しないと処理できないもの。医療機器のリース会社の、病院向けの請求条件の調整などがこれにあたる。百三十種類。

三つ、判断が分かれるもの。二百八十六種類。いちばん多い。

三つ目の中に、この案件の本体があった。

たとえば、月次の予算実績の差異分析。数字を作るところは集約できる。だが、なぜ差が出たかを説明するには、事業を知っている人が要る。どこで線を引くか。

線を引く作業を、私は各社の経理課長と一対一でやった。全部で十四人と話した。

五十五歳の経理課長

そのうちの一人が、いちばん古い子会社の経理課長だった。五十五歳の男性で、この会社に三十年いる。名前は野原さんという。

野原さんは、最初の面談で、ほとんど話さなかった。私が帳票の束を出して、「この処理を集約した場合、何が困りますか」と聞くと、「困りません」と答えた。

二回目のとき、私は聞き方を変えた。「この様式、いつからありますか」と聞いた。

野原さんは、少し考えてから、「私が作りました」と言った。二十六年前だそうだ。当時、リースの物件の管理が紙の台帳で、月末に必ず合わなくなる。それで、途中の受渡しを記録する様式を自分で作った。

「システムに入ったあとも、これだけ残ってるんです」と野原さんは言った。「入れ忘れが出るので」

私は、その様式を集約対象の一つ目、完全に集約できる業務に入れていた。ルールが決まっていて判断が要らない、と見えたからだ。実際には、この様式が拾っているのは、システムに入る前の隙間だった。

三回目の面談のとき、野原さんは自分から「私は、たぶん残れないと思ってるんですよ」と言った。私は否定しなかった。否定できる立場ではなかった。

野原さんは続けて、「残れないのは、別にいいんです。ただ、なんでこの仕事が要らないのかを、ちゃんと説明してほしいんです」と言った。

その日の帰り、電車の中で、私は自分のことを考えていた。四十二歳で入ってきて、三年目で、ここにいる。私の仕事が要らないと言われる日が来たときに、私は説明を求めるだろうか。求めると思う。

中間報告 ―― 百八十七を百三十四に

八月の中間報告で出した案は、こうだった。

新会社に集約するのは百九十四種類の業務。移管の対象人員は六十八人。集約後の必要人員は、三年目時点で四十五人。差の二十三人は、各社の事業側の管理部門へ配置転換する。全体では、百八十七人が百三十四人になる。

削減の数字を出したとき、担当役員は「思ったより小さいですね」と言った。

私は「大きく出すこともできます」と答えた。「ただ、その場合は、いま線を引ききれていない二百八十六種類を、集約側に寄せることになります。移した先で回らなくなる可能性が高いです」

役員は「分かりました」と言った。この会話は、たぶんこの案件でいちばん重要な三十秒だった。

最終報告と、その後

最終報告は十一月末だった。設立は翌年の十月と決まった。

報告の最後に、私は一枚だけ、予定になかったスライドを足した。「移管前に説明が必要な業務」という一覧で、三十七件あった。野原さんの様式もそこに入れた。

このスライドは、藤懸さんに事前に見せたときに、「これ、うちの仕事じゃないぞ」と言われた。たしかにスコープ外だった。「入れます」と私は言った。藤懸さんは「まあ、入れとけ」と言った。

役員会でこの一枚に反応した人はいなかった。質問も出なかった。議事録には「説明対象の業務について一覧の提示があった」と一行だけ残った。

私はそこまで見ていない。案件は設立準備の手前で終わり、そこから先は各社の人事とプロジェクト室が引き取る。

野原さんが最後にどうなったかは、聞いていない。聞ける立場だとは思っている。連絡先も残っている。していないのは、たぶん、知りたくないからだ。

生活 ―― 分かれた週

この八ヶ月で、私は新幹線に三十四回乗った。往復で二十三万円くらい使って、そのうち経費で落ちるのは一円もない。当たり前だが、たまに理不尽に感じた。

睡眠は、分断されるようになった。夜中の二時に目が覚めて、そのまま母のことを考えて、四時ごろにまた寝る。それが週に三回か四回。

腰は、もともと悪い。前職のころからだ。九月に整形外科に行って、レントゲンを撮って、「年齢相応です」と言われた。年齢相応という言葉に、少し傷ついた。

実家の冷蔵庫を、六月に一度、全部出して捨てた。奥に、賞味期限が二年前の瓶詰めが四つあった。母は昔、そういうことをする人ではなかった。捨てながら、私はこの八ヶ月の案件のことを考えていた。奥のほうにあるものを全部出して並べる、という点では、やっていることは同じだった。同じだと思ったことを、そのとき少し不謹慎に感じた。

年収は千三百八十万円。家は都内の賃貸で、家賃十六万五千円。妻と二人で、子どもはいない。妻には、母が運ばれた日の夜に全部話してある。妻は「あなたが行けないときは私が行く」と言った。実際に二回行ってくれた。そのことを、私は妻にきちんと言えていない。

後記 ―― まだどちらも途中

母は、九月に退院して、いまは要介護二で、週に三回デイサービスに行っている。歩ける。杖を使う。手術の前より、話す量が減った。

案件は終わって、シェアードサービス会社は、来年の秋にできる。予定どおりならば。三年前に二度止まっているので、今度も止まるかもしれない。止まったとしても、私はもうその場にいない。

私が八ヶ月でやったことのうち、いちばん形が残るのは、たぶん六百十種類に整理した帳票の一覧だと思う。あれは、この会社の間接部門が二十年以上かけて作ってきたものの、最初の目録だった。

野原さんの様式は、その一覧の中で、集約対象から外して「移管前に要検討」という欄に移してある。誰かがいつか読むかもしれないし、読まないかもしれない。

先週、母から電話があった。「元気にしてるの」と聞かれて、「してるよ」と答えた。それから、「あんた、忙しいんでしょう」と言われた。

忙しい、と答えるのは簡単だった。答えたあとで、母が電話を切りたがっていないことに気づいて、私はもう五分、天気の話をした。五分で切った。次の会議が十九時からあった。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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