体験記 No. 23

「前のファームでは」と言うたびに、会議室の温度が一度ずつ下がった

案件総合商社・投資先の経営管理高度化
話の中心仮説構築
語り手大久保 / 29歳・同業他社から転職1年目
読了約8分 · 5,000字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
出資先は74社「で、誰がその会議に出るの」

型を持って移ってきたはずだった。その型が、いちばん邪魔をした――同業のファームから転職した大久保が、商社の投資先管理で三ヶ月間的を外しつづけた記録。

会議室の椅子が、革張りだった。前のファームで担当していたクライアントは、たいてい事務椅子だったから、座った瞬間に少し身構えた。窓の外に、ビルと、その向こうにまたビルが見えた。地上の景色が一つも見えない部屋で仕事をするのは、久しぶりだった。

大久保です。29歳。うちのファームに来て、この案件が2件目。その前は、別のファームに5年いた。同業からの転職だ。

社内では「即戦力」と言われた。実際、入社初日に困ったことは何もなかった。用語も、資料の作法も、レビューの受け方も、全部そのまま使えた。使えたから、余計に気づくのが遅れた。

アサイン ―― 74社

クライアントは、総合商社。単体の従業員が4,300人、連結だと2万人を超える。依頼は、ある本部が持っている出資先の経営管理を高度化する、という内容だった。

その本部が持つ出資先は74社。連結子会社が22、持分法適用が18、それ以外が34。業種はばらばらで、食品加工から物流から、海外の販売会社まである。取得の経緯も、20年前のものから去年のものまで幅がある。

問題意識は明確だった。74社のうち、業績を毎月ちゃんと見ているのは20社ほどで、残りは年次の決算でしか状況が分からない。赤字が続いている会社が9社あって、そのうち3社は5年以上赤字だ。「見えていないから、手が打てない」というのが、担当役員の言葉だった。

チームは、マネージャーの真砂さん、僕、それとコンサルタントの1人。真砂さんはこのクライアントを7年見ている人だった。

立ち上がり ―― 三週間で骨格を出した

前職で、僕はこの手の案件を4本やっていた。グループ会社の管理体制の設計だ。型がある。

出資先を「重要度」と「リスク」の2軸で層別する。層ごとにモニタリングの頻度と項目を変える。KPIを財務と非財務に分けて、月次で取る指標を10個以内に絞る。レポーティングのフォーマットを統一する。会議体を再設計する。

僕は3週間で、その骨格を作った。60ページ。前職の資料の構成をそのまま使ったわけではないが、頭の中の順番は同じだった。速かったと思う。真砂さんも「早いね」と言った。

初回のディスカッションで、僕はそれを出した。先方は、経営企画室の3人と、本部の管理部長の日下さん。

僕は説明した。層別の考え方、KPIの選び方、月次のフォーマット。一通り話し終わったところで、日下さんが言った。

「大久保さん、これ、誰がやるんですか」

「モニタリングの実施は、本部の管理部門を想定しています」

「うち、管理は5人です。74社を、5人で毎月」

「重要度で層別しますので、月次で見るのは上位の20社程度です」

「その20社の月次資料は、誰が作るんですか」

「出資先側で作成いただく前提です」

日下さんは、少し黙った。それから「向こうにも経理は1人か2人しかいない会社が多いんですよ」と言った。

僕は「では、項目を絞る形で」と答えた。そのやり取りが、ずれの始まりだったと、いまなら分かる。あのとき僕は、日下さんの質問を「実現可能性の懸念」として処理した。処理して、項目を10個から7個に減らす方向で持ち帰った。

日下さんが聞いていたのは、たぶん、そういうことではなかった。

ずれ ―― 「前のファームでは」

2ヶ月目、ディスカッションの回数が増えた。増えるほど、話が進まなくなった。

僕は、自分が正しいことを言っている自覚があった。層別の考え方は標準的だ。KPIの選び方も、教科書どおりだ。それなのに、先方の反応が鈍い。鈍いというより、丁寧に受け取られて、次の週にはまた同じ論点に戻っている。

3回目か4回目のディスカッションで、僕は言ってしまった。

「前のファームで似た案件をやったときは、この形で回りました」

言った瞬間の空気を、僕はいまでも覚えている。誰も何も言わなかった。日下さんが「そうですか」と言って、資料の次のページをめくった。

会議のあと、真砂さんに廊下で言われた。

「大久保さん、あれ、言わない方がいい」

「事例として、参考になるかと」

「参考にならないよ」と真砂さんは言った。「あの部屋にいる人は、大久保さんの前職のクライアントのことなんて知らない。知らない会社でうまくいった話は、比べられてる感じにしかならない。それに――」

真砂さんはそこで少し言い方を選んだ。

「大久保さんの前職のクライアント、事業会社が多かったよね。うちが今やってるのは商社。事業会社の管理と、商社の管理は、目的が違うんだ」

気づき ―― 管理の目的が違う

その夜、僕は真砂さんの言葉の意味を考えた。考えて、分からなかったので、翌日、直接聞いた。

真砂さんは、ホワイトボードに2つ書いた。

事業会社のグループ管理は、「本体の戦略に、子会社をどう合わせるか」。だから管理の目的は統制で、KPIは本体の目標からブレイクダウンされる。

商社の投資先管理は、「持ち続けるか、売るか」。だから管理の目的は、投資判断のための情報収集だ。KPIは、本体の目標からは降りてこない。降りてくるのは、その投資をいつまでにどうするか、という時間軸のほうだ。

「だから、日下さんは『誰がやるんですか』って聞いたんだよ」と真砂さんは言った。「あの人が気にしてるのは、管理の手間じゃない。管理して集めた情報を、誰がどの会議で、どういう判断に使うのか。使い道が決まってない情報を集める仕組みを作ると、3ヶ月で誰も埋めなくなる。あの人、それを2回経験してる」

2回経験している、というのは重要な情報だった。この会社は、過去に2度、別のファームを入れて同じ設計をしていた。フォーマットは残っていて、使われていなかった。

僕はその事実を、2ヶ月目まで知らなかった。知らなかったのは、聞かなかったからだ。前職の型があったから、聞く必要を感じなかった。

組み直し ―― 会議体から逆算する

3ヶ月目から、僕は順番を逆にした。

まず、この本部で投資に関する判断が実際にどこで行われているかを調べた。制度上は本部の投資委員会が四半期に1回。だが実質は、本部長と副本部長と管理部長の3人が、月初の火曜に1時間やっている打ち合わせで、ほとんどの方向が決まっていた。

その1時間で、彼らが実際に見ている紙を見せてもらった。A3が1枚だった。日下さんが自分で作っていた。74社が全部載っていて、直近の売上と利益と、日下さんの手書きのコメントが入っている。手書きだ。

「これ、いつから作ってるんですか」と聞いた。「4年です」と日下さんは言った。「毎月、金曜の夜に作ってます」

僕はそのA3を写真に撮らせてもらって、ホテルで1時間見た。粗い。定義が揃っていない。為替の扱いがばらばらだ。それでも、そのA3は4年間、毎月使われていた。僕が作った60ページの設計は、まだ1度も使われていない。

設計を組み直した。核にしたのは、日下さんのA3を「公式の資料にする」ことだった。項目を7つに固定し、定義書をつけ、為替の換算ルールを決め、出資先から取るデータの様式を、そのA3を埋めるためだけの最小限にした。新しいフォーマットは作らない。

真砂さんは「地味だね」と言った。「はい」と答えた。「でも、いいと思う」と真砂さんは言った。

中間報告 ―― 恥をかいたページ

中間報告で、僕は1枚だけ、当初案と修正案を並べたページを入れた。

当初案:74社を4層に分け、層別に18項目のKPIを月次で収集。 修正案:74社を2層に分け、7項目。既存の管理帳票を正式な様式に格上げ。

真砂さんは「これ、出す?」と聞いた。出します、と答えた。自分の初期案を否定するページを自分で映すのは、正直、みっともない。みっともないが、この2ヶ月のずれを言語化しないと、先方はまた「3回目のコンサル」として僕らを見る。

日下さんは、そのページで初めて、身を乗り出した。

「大久保さん、当初案が悪かったわけじゃないと思いますよ」と日下さんは言った。「あれは、うちが上場子会社をたくさん持ってる会社だったら、たぶん正解です」

僕は「勉強になりました」と言った。言ってから、それが本当に自分の口から出た言葉かどうか、少し疑った。前職の5年で身につけた反射の一つかもしれない。

生活 ―― 引っ越さなかった部屋

転職して1年、僕は引っ越していない。前職の頃に借りた部屋のままだ。家賃14万8千円、駅から徒歩9分。転職して年収は少し上がったが、上がったぶんは何にも使っていない。

平日の夜、オフィスを出るのはだいたい22時半だった。前職のときと変わらない。変わったのは、帰り道にコンビニで買うものが、おにぎりからカップの味噌汁になったことだ。理由はない。強いて言えば、29歳になって、冷たいものを夜に食べると翌朝に残るようになった。

前職の同期とは、まだ月に1回くらい飲む。飲むと、必ず「そっちどう?」と聞かれる。僕は「まあ、慣れました」と答える。慣れました、は嘘ではない。ただ、この3ヶ月のことは話していない。話すと、転職の判断そのものを弁明することになる気がして、面倒だった。

日曜の夜、部屋で前職の頃に作った資料のフォルダを開くことがある。開いて、閉じる。捨てられない。捨てられないうちは、まだ引きずっているのだと思う。

11月に、前職のときの上司からメッセージが来た。「元気? うちに戻る気ない?」という、二行だった。飲みに行った。1杯目のビールで、僕はこの3ヶ月の話をした。しないつもりだったのに、した。元上司は最後まで聞いて、「そりゃそうだろ」と言った。「お前が5年やってたのは、うちのクライアント層の癖に最適化された仕事だよ。そこは俺が教えた。悪かったな」

悪かったな、と言われて、僕は何と返せばいいのか分からなかった。戻る話は、その日は出なかった。出なかったことが、たぶん答えだった。

最終報告と、その後

最終報告は5ヶ月目だった。A3を正式化した管理帳票と、7項目の定義書と、月初火曜の打ち合わせを「投資モニタリング会議」として規程に載せる案。それだけだ。ページ数は、当初案の3分の1になった。

赤字9社のうち、5社について「2年以内に判断する」という期限が設定された。設定されただけで、判断はまだ先だ。僕らの案件では、そこまでしか行かない。

半年後、日下さんからメールが来た。7項目のうち1つを、現場が埋められないので落とした、という報告だった。6項目になった。落とした項目は、僕が「これは絶対に必要です」と主張したものだった。

後記 ―― 型は持ってきていい

同業から移った人間が最初にやることは、たぶん、自分の型を一度使ってみることだ。使ってみないと、どこが効いてどこが効かないか分からない。僕は3ヶ月かけてそれをやって、盛大に外した。

いま思うのは、型そのものは間違っていなかった、ということだ。層別も、KPIの設計も、技術としては正しい。間違っていたのは、その技術が効く前提――クライアントがどういう構造で意思決定していて、過去に何を試して何に懲りているか――を、一緒に持ってきたつもりでいたことだ。前提は、移籍と一緒には移らない。

「前のファームでは」を、僕はもう言わない。代わりに「この会社では、どうやって決まってますか」と聞くようになった。同じ情報が手に入って、しかも敵が減る。それだけの違いなのに、気づくのに3ヶ月かかった。

あの革張りの椅子は、3時間座ると腰に来た。滑るので、姿勢が少しずつ前にずれていく。ずれるたびに座り直す。5ヶ月かけて、僕はその椅子の滑り方に合わせた座り方を覚えた。覚えたころに、案件が終わった。

日下さんの手書きのA3は、いまも毎月作られているらしい。ただし手書きではなくなった。それを進歩と呼ぶかどうかは、たぶん日下さん本人にしか決められない。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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