体験記 No. 34

「このペン、なんで売れてるんですか」と聞いて、誰も答えられなかった

案件中堅文具メーカー・ブランド再構築と直販チャネルの設計
話の中心アサイン
語り手小暮 みなみ / 30歳・中途2年目(前職・広告代理店)
読了約8分 · 5,000字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
売上の11%が一本のペンインタビュー20人で理由が20通り

「小暮さん、広告いたよね」の一言でアサインが決まった。嬉しいのと馬鹿にされたのが同時に来た――前職から逃げてきたはずの領域に、二年目で戻された小暮の記録。

売場に立って、二十七分だった。同じ棚の前で、四人の人が同じペンを手に取って、そのまま買っていった。誰も他の商品と見比べていない。

小暮です。三十歳。広告代理店に七年いて、コンサルに移って二年目。前の職場では、いわゆるプランナーというやつをやっていた。

アサイン ―― 「小暮さん、広告いたよね」

金曜の十九時、パートナーの奥山さんに呼ばれた。

「小暮さん、広告いたよね」

はい、と答えた。

「文具のブランドの案件、入ってくれる?」

その瞬間に来た感情を、正直に書く。嬉しかった。指名されたのが嬉しかった。同時に、腹が立った。この会社で二年やって、私が覚えられているのは「広告の人」なんだ、と思った。

私は、数字で説明できないものが嫌になって広告をやめた人間だ。

前職の最後の二年くらい、企画を出すたびに「これ、どう効くんですか」と聞かれるようになっていた。答えられなかった。答えられるふりをして、それらしい図を作った。作りながら、自分が嘘つきになっていく感じがずっとあった。だから、ちゃんと数字で語れる側に行こうと思って転職した。

それで、二年目で戻された。同じ場所に。

その夜、私は帰りの電車のなかで、指名された理由を三通り考えた。

一つ目、私が本当にこの領域で価値を出せると思われている。二つ目、他に手が空いている人がいなかった。三つ目、クライアントに提案するときに「元・広告代理店のメンバーを入れます」と書けるから。

三つ目だと思った。三つ目でも別に構わないと思うことにした。思うことにした、という言い方をしている時点で、構っている。

土曜日、私は近所の文具店に行った。案件の資料はまだ一枚も来ていない。何をすればいいか分からなかったので、とりあえず千二百円ぶん買った。ボールペンを四本と、ノートを一冊。四本のうち一本が、後で主力商品だと知るペンだった。

日曜は、その四本で同じ文章を書き比べた。「明日の会議は十四時からです」という一文を、四本で二十回ずつ。ノートに八十行の同じ文章が並んだ。並べてみると、たしかに一本だけ違った。何が違うのかは、言葉にできなかった。

言葉にできないことを、月曜に「言語化するのが私の仕事です」と言って回ることになる。その落差のことを、私はいまも思い出す。

クライアント ―― 一本で売上の一割

クライアントは、創業六十八年の文具メーカーだった。売上百八十二億円、社員四百十人。工場は国内に一つと、海外に一つ。品目は三千四百ある。

そのうちの一本、二十年前に出したゲルインクのボールペンが、売上の十一パーセントを占めていた。単品で二十億円。

依頼は「ブランドの再構築」だった。社長は五十七歳の三代目で、危機感がはっきりしていた。「うちは商品はいいのに、会社として何者かを言えていない」。EC比率は四パーセントで、ほとんどが文具店と量販店経由。直販を伸ばしたいという話もあった。

キックオフで、私は最初の仮説として「若年層向けのリブランディング」を持っていった。前職の癖だ。ブランドと言われたら若年層の話にする。それしか知らなかった。

奥山さんは何も言わなかった。何も言わないのが答えだったと、あとで分かる。

「なんで売れてるんですか」

二週目、商品企画部と営業本部の合同のヒアリングで、私はこう聞いた。

「このペン、なんで売れてるんですか」

八人いた。誰も答えなかった。

十秒くらい沈黙があって、商品企画の課長が「書き味、ですかね」と言った。語尾が上がっていた。

営業本部長が「価格じゃないか」と言った。百六十五円。競合はもっと安いのも高いのもある。

若手の担当者が「学生に人気があるので」と言った。私が「学生の構成比は?」と聞いたら、「たしか……」と言って、その場では出てこなかった。

あとで出てきた数字は、購入者の年齢構成で、十代が九パーセント、二十代が十四、三十代が二十六、四十代が二十九、五十代以上が二十二だった。

学生の商品ではなかった。全員が「学生に人気がある」と思っていた。二十年前に、そういう売り方で立ち上がった商品だったからだ。

私が持っていった「若年層向けリブランディング」は、この時点で死んだ。二週目に死んでよかったと思う。

二十人に聞いた

そこから一ヶ月、ユーザーインタビューをやった。二十人。前職でさんざんやった作業だ。ここだけは速かった。

条件は、直近半年でその商品を二回以上買っている人。年齢と職業をばらけさせた。

面白かったのは、「なぜこれを買うのか」の答えが、二十人で二十通りだったことだ。

大学四年生の男性は「インクが減るのが見えるから」と言った。残量を見て、就活のときに安心したらしい。

四十四歳の経理の女性は「紙が薄くても裏に抜けない」と言った。彼女の会社の伝票が薄いのだそうだ。

三十七歳の看護師の方は「手袋をしていても滑らない」と言った。そんな使い方は、たぶん設計時に想定されていない。

五十一歳の設計の男性は「二十年、これしか使ってない」と言った。理由を聞いたら、「理由ないですよ」と言われた。それがいちばん強い理由だった。

共通点は、書き味でも価格でもなかった。全員、他の商品を試していない。一度これに決めて、決めたことを二度と検討し直していない。

私はそれを「習慣化された第一想起」という言葉で資料に書いて、奥山さんに直された。「それ、前職の言い方」と言われた。書き直した言葉は、「検討されない商品」だった。

工場にも行った。国内の工場は北関東にあって、駅からタクシーで二十二分。ペン先の金属部品を組む工程は、想像していたよりずっと静かだった。

案内してくれた工場の課長が、途中で「ちょっとこれ、持ってみてください」と言って、組み上がる前のペン先を一つくれた。三ミリくらいの部品だった。手のひらに乗せると、重さがほとんどない。

「これの内側の径、ここ十八年変えてないんです」とその人は言った。「変えると書き味が変わるので。設備は二回入れ替えてるんですけど、径だけは同じにしてます」

私は「なんで売れてるんですか」の答えの一つを、そこで聞いた気がした。ただ、その話を資料に書こうとすると、途端に安っぽくなる。「職人のこだわり」という言葉に丸まってしまう。丸まった瞬間に、それは他社の資料と区別がつかなくなる。

結局、その話は本文には書かず、報告の口頭でだけ話した。奥山さんに「なんで書かなかったの」と聞かれて、「書くと嘘になる気がしました」と答えた。「それは分かる」と言われた。分かると言われて、少し救われた。救われたけれど、書ける人はたぶん書ける。

中間報告 ―― 「で、いくら伸びるの」

三ヶ月目、役員会での報告。専務が最初に言ったのが、これだった。

「で、いくら伸びるの」

私は、前職で七年かけて答えられなかった問いに、また当たった。しかも今度は、答えられなければ職業的に無能ということになる立場で。

そのとき用意していた答えは、正直、良くない答えだった。EC比率を四パーセントから十二パーセントに引き上げると売上が十四億増える、という試算。前提は三つ置いた。三つとも、根拠が薄かった。

専務は資料を見て、「この十二パーセントって、どこから来た数字?」と聞いた。同業の平均です、と答えた。「うちは同業と流通が違うでしょう」と言われた。そのとおりだった。

会議のあと、奥山さんに「あれ、無理して数字にしたね」と言われた。はい、と答えた。

「いくら伸びるかを聞かれたら、いくら伸びるかを答えなくてもいいんだよ。何を決めれば伸びるかを答えればいい」

私はこれを、前職で誰にも教えてもらえなかった。教えてもらえなかったというより、聞ける相手がいなかった。

やらないと決めた

最終報告は四ヶ月目だった。

結論の一枚目は、「主力商品には手を入れない」だった。

パッケージも、名前も、価格も変えない。理由は、この商品が「検討されない」ことで売れているからだ。何かを変えれば、消費者は一度立ち止まる。立ち止まった瞬間に、二十年ぶりに他の商品と比べられる。二十億円のうちのいくらが比較の場に引きずり出されるか、誰にも分からない。

そのうえで提案したのは三つ。

一つ、ブランドの定義を「言葉」ではなく「作らないものの基準」として決める。この会社が今後どういう商品を出さないかを、三行で決める。

二つ、直販のECは、主力商品を売る場所にしない。替芯と、限定色と、名入れ。すでに買っている人が二回目に来る理由だけを置く。

三つ、商品企画の会議に、購入者の年齢構成を毎回貼る。「学生に人気」という思い込みが二十年もったのは、誰も数字を貼らなかったからだ。

社長は「一つ目が一番難しいな」と言った。実際、そうだった。私が四ヶ月で作った「作らないものの基準」の三行は、その後の半年で二回書き換えられたと聞いている。

三行のうち、いちばん揉めたのは二行目だった。「他社が先に出した形式の商品は追わない」。

これを出したとき、営業本部長が「それ、うちの売上の三分の一を否定してますよ」と言った。否定していた。この会社の商品の多くは、他社が作った市場に後から入って、少し安く、少し使いやすくして取っていったものだ。それはそれで立派な商売で、四百十人の給料はそこから出ている。

私は引っ込めなかった。引っ込めなかった理由は、たぶん正義感ではなくて、四ヶ月かけて出したものを一回で下げたら次から何も言えなくなると思ったからだ。

結果として、その行は「追う場合は、追う理由を企画書の一行目に書く」という形に薄まって残った。薄まったが、残った。半年後に商品企画の人からもらったメールに、「一行目、書いてます」とあった。それが、この案件でいちばん嬉しかった連絡だ。

生活 ―― ペンだこの位置

この四ヶ月で、私は自分の指を何度も見た。

インタビューの二十人に、みんな握り方を実演してもらった。人によって、ペンだこの位置が違う。中指の第一関節の横にある人と、少し下にある人がいる。私は後者だった。

自分の手を観察するようになったのは、この案件が初めてだ。ブランドの仕事なんて七年やっていたのに、一度もやらなかった。

生活のほうは、地味だ。家は二十三区の西のほうで、1Kの家賃九万四千円。年収は前職から百四十万上がって、九百三十万円。上がったのに、貯金は増えていない。前職のころの外食の癖が抜けない。

前の会社の同期とは、まだ月に一度くらい飲む。転職した私に、みんな一度は「どう?」と聞く。「数字は増えた」と答えると、だいたい笑われる。

この案件のあとの飲み会で、一人に「結局、広告のほうが向いてたんじゃない」と言われた。言った本人に悪気はない。私はその場では「かもね」と返した。帰りの電車で、それが今年いちばん効いたことに気づいた。効いたということは、たぶん図星ではなく、まだ答えが出ていないということだと思う。

土曜は、文具売場に行く癖がついた。案件が終わってからも行っている。冒頭に書いた二十七分の観察は、契約が終わったあとの土曜のことだ。誰にも報告していない。

後記 ―― また同じところに立っている

私は、数字で説明できない領域から逃げてコンサルに来て、二年目にその領域に呼び戻されて、結局「数字では説明できません」に近いことを言って帰ってきた。

前職と違うところが一つだけある。前職では、説明できないことを隠していた。今回は、説明できない範囲を線で囲んで、囲んだうえで「ここには手を入れない」と提案した。それが仕事になった。

なったけれど、四ヶ月かけて「やらない」を出した資料は、いま見返しても薄い。二十三枚しかない。前職の企画書は、いつも六十枚あった。六十枚のほうが偉く見える。二十三枚のほうが正しい気がする。

気がする、で止まっている。三十歳の二年目が、そこから先に行くには、たぶんもう何本か案件が要る。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

タイプ診断へ 他の話を読む