体験記 No. 19

三月三十一日という締切だけは、誰にも動かせなかった

案件中核市・窓口業務改革(行政DX)
話の中心立ち上がり
語り手榎並 / 24歳・入社2年目
読了約8分 · 5,100字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
1階の待合に椅子が92決裁欄が7つ

民間の速さは、ここでは無礼になる――人口24万人の市役所に通った榎並が、年度と議会と要綱に一度も勝てなかった立ち上がりの記録。

市役所の1階は、朝8時40分に音が変わる。それまで職員の靴音しかしなかった空間に、自動ドアが開く音と、番号札の発券機の電子音が混ざりはじめる。8時45分に窓口が開くと、10秒くらいで、音は人の声に上書きされる。

私はその音の変わり目を、3ヶ月で60回くらい聞いた。榎並です。24歳、入社2年目。この案件が2件目だった。

アサイン ―― 「公共、行ける?」

金曜の夕方に、マネージャーの真柄さんから電話が来た。「榎並さん、公共、行ける?」。行けます、と答えた。2年目に選択肢はない。

案件は、人口24万人の中核市の窓口業務改革。転入転出、住民票、印鑑登録、国保、児童手当。市民が「1階」で用を足す業務の全部だ。市長が2期目の公約に「待たせない市役所」を掲げていて、それを形にする、というのが表向きの依頼だった。

期間は6ヶ月。契約は単年度で、3月31日に終わる。契約書に書いてある業務完了日が3月31日で、それは動かない。真柄さんは「これ、動かないから」と2回言った。2回言われた意味を、私はそのときまだ分かっていなかった。

チームは、真柄さん、シニアの茅野さん、私。茅野さんは公共を6年やっている人で、初日に私に「民間の癖、いったん置いてきて」と言った。何のことか分からなかった。

立ち上がり ―― 決裁欄が七つある

初日、担当課の係長の日置さんに挨拶をした。40代半ばの、疲れた顔の人だった。挨拶の直後に、日置さんは「すみません、今日は3時までしか時間が取れません」と言った。3時から、議会の答弁調整があるという。

議会。私はその言葉を、それまで自分の仕事の隣で聞いたことがなかった。

最初の2週間で、私は3つのことを学んだ。

一つ、この市役所では、何かを決めるのに決裁欄が7つある。担当、係長、課長補佐、課長、次長、部長、副市長。紙の起案文書が回る。急ぐときは「持ち回り」といって、担当者が紙を持って各階を歩く。日置さんが4階から2階まで歩いているのを、私は3回見た。3回目に、階段の踊り場ですれ違った。日置さんはファイルを胸に抱えていて、少し息が上がっていた。「エレベーター、使わないんですか」と聞いたら、「4人待ってると、階段の方が早いので」と言われた。庁舎は昭和54年の建物で、エレベーターは2基しかない。決裁の速度がエレベーターの基数で決まっている役所が、この国にはたぶんいくつもある。

二つ、年度がすべての単位である。4月に予算がつき、3月に消える。年度をまたぐ約束は、原則できない。だから「来年度から」という言葉は、民間の「来期から」より重い。

三つ、公平性がすべてに優先する。私が2週目に出した「まず1つの窓口で試行して、効果を見てから広げる」という案は、日置さんに「一部の市民だけサービスが違うのは、説明が難しいです」と言われた。私は「試行ですから」と言った。日置さんは「試行でも、その日にその窓口に来た方には、それが本番です」と答えた。

もう一つ、私は3週目に「オンライン申請を増やせば、そもそも来庁が減る」と提案した。日置さんは「増やしています」と答えた。実際、この市はオンラインで完結できる手続きを28まで増やしていた。ただ、1階に来る人の用事の上位3つ――転入、印鑑登録、それとおくやみ――は、いずれも本人確認か対面が要る。オンラインで減らせるのは、そもそもあまり来ていない人だった。来る人は、来る理由があるから来ている。私の案は、来ない人をさらに来なくする案だった。

その返答に、私はその場で反論できなかった。夜、ホテルの部屋で考えて、反論できない理由が分かった。私が民間で覚えた「まず走って直す」は、対象を選べる商売の作法だ。市役所は、来た人を選べない。

現場 ―― 椅子を数える

3週目に、私は待合の椅子を数えた。1階の待合には、椅子が92脚あった。番号札の呼び出し表示は3台。窓口は17。

なぜ数えたかというと、真柄さんに「榎並さん、この案件でいちばん詳しくなるべきなのは、市民の動線だ」と言われたからだ。「職員に聞くと、職員の視点しか出てこない。榎並さんは、券売機の前に立って、来た人が最初にどこを見るかを見てきて」

3日間、午前中だけ立った。分かったことがいくつかある。

自動ドアを入った人の多くは、まず正面ではなく右を見る。右に案内板があるからではなく、右に総合案内のカウンターがあって、そこに人が立っているからだ。人がいる方を見る。

番号札を取った人の約2割が、5分以内に一度席を立って、総合案内かどこかの窓口に何かを聞きに行く。聞いている内容を、私は近くで聞いた。多かったのは「この番号でいいのか」という確認だった。つまり、券売機で選んだ手続きの区分が、自分の用事と合っているか自信がない。

転入の手続きに来た人は、平均で3つの窓口を回る。住民異動、国保、それと子どもがいれば児童手当。市の資料には「ワンストップ化」と書いてあったが、実態は「同じ階の3ヶ所」だった。

私はこのメモを持って、日置さんに見せた。日置さんは全部読んで、それから「そうなんですよね」と言った。「私たちも、分かってはいるんです」

その「分かってはいる」を、私はしばらく、言い訳だと受け取っていた。

仮説 ―― 何が本当の制約か

4週目に、真柄さんと茅野さんと、論点を整理した。

私が最初に立てた仮説は「窓口の配置と番号発券の設計が悪い」だった。動線の観察から素直に出てくる。茅野さんは「それは事実だけど、論点じゃないかも」と言った。

「榎並さん、なんで3つの窓口が別々だと思う?」

「システムが別だからです」

「それもある。でも、もっと手前がある。国保は国保の課で、児童手当は子ども家庭の課。課が違うと、予算も、人事も、システムの所管も違う。窓口を1つにするって、課の仕事の一部を別の課の人にやらせるってこと。それ、誰が決められると思う?」

副市長か、市長だ。担当課の係長ではない。

そこで初めて、私は日置さんの「分かってはいる」の意味を理解した。彼は分かっていて、彼の権限では動かせない場所に問題がある、と言っていた。私はそれを言い訳だと思っていた。2年目の私は、自分がどれだけ失礼だったかを、4週目に知った。

詰め ―― 十月に言われたこと

10月の第2週、真柄さんとの内部レビューで、私は初期案を出した。窓口の統合、フロアマネージャーの配置、申請書の統合様式。よくある案だ。

真柄さんは、1枚目で止めた。

「榎並さん、この案、来年度の予算要求に間に合う?」

「……予算、ですか」

「予算要求の締切は、この市だと10月末。そこに乗らないと、この提案は再来年度になる。再来年度って、市長の任期の何年目?」

任期は残り2年半だった。再来年度に着手する施策は、任期中に効果が出ない。

「僕らが3月に納品する報告書はさ」と真柄さんは言った。「読まれるために作るんじゃなくて、来年度の予算と、6月議会の答弁に使われるために作るんだ。それが公共の成果物。榎並さんの案は正しいけど、いま出すと、正しいまま使われない」

私は、そのとき悔しかった。何が悔しいのか自分でも整理できないまま悔しくて、レビューが終わったあと、庁舎の外の喫煙所の脇のベンチに10分座っていた。吸わないのに、そこしか座る場所がなかった。11月手前の風が冷たくて、そのおかげで顔が引き締まった。

その日の夜、私は真柄さんの言った「答弁に使われる」という言葉を、否定的に受け取っていた。政治のための資料を作るのか、と思った。いまは少し違う受け取り方をしている。予算がつかなければ職員は1人も動かせないし、議会が納得しなければ予算はつかない。答弁に使えるとは、実行に届くということだ。ただ、それを24歳のあの日に飲み込めというのは、たぶん無理だった。

組み替え ―― 三月三十一日から逆算する

10月の後半から、私たちは工程を全部引き直した。

3月31日に納品。そこから逆算して、2月中旬に最終報告。1月に庁内調整。12月に副市長への中間報告。11月末までに、来年度予算要求に乗せる項目を確定。10月末までに、日置さんが起案文書を書けるだけの材料を渡す。

つまり、私たちの実質的な締切は10月末だった。契約の6ヶ月のうち、勝負は最初の2ヶ月半で終わっていた。

材料は3つに絞った。総合案内の機能強化、券売機の区分の見直し、それと転入時の3手続きを1枚の様式にまとめる案。どれも、課をまたいだ組織再編を伴わない。伴わないから、日置さんの課長までの決裁で起案できる。

窓口の統合は、報告書の「中長期の検討事項」に置いた。私が最初にいちばん時間をかけた案が、いちばん後ろのページに小さく載った。

生活 ―― ホテルの朝食と、実家

その市には、月曜から木曜まで泊まっていた。駅前のホテル、6,400円。朝食のバイキングに、毎朝同じ地元の納豆が出た。3ヶ月で、私は納豆をよく食べるようになった。

11月の3連休に、実家に帰った。母が「市役所の仕事してるの?」と聞いてきた。そうだと答えたら、「こないだ印鑑証明取りに行ったら、40分待たされた」と言われた。うちの実家は、その市ではない。全然関係ない市の話だ。それでも私は、その40分を自分のことのように受け取った。

母は続けて「あんた、ちゃんと寝てるの」と聞いた。寝てる、と答えた。実際、この案件では寝ていた。庁舎が18時に閉まるからだ。18時に追い出されて、ホテルで作業する。深夜までやることはあるが、22時には終わる。前の案件よりずっと健康だった。健康なのに、なぜか毎晩、頭の芯が疲れていた。速く動けないことに、身体が慣れていなかったのだと思う。

中間報告と、最終報告

12月の副市長への中間報告は、40分だった。副市長は最後に「これは、今年度中に何ができるのですか」と聞いた。真柄さんが「1月から総合案内の運用を1つ変えられます」と答えた。券売機の前に、職員が1人立つ。ただそれだけの案だ。

副市長は「それは、いまの人員でできますか」と聞いた。日置さんが「シフトを組み替えれば」と答えた。「では、やってみてください」と副市長は言った。3秒で決まった。7つの決裁欄を回る案件が2ヶ月かかるのに、副市長が口で言うと3秒で決まる。この落差も、行政のリアルだった。

2月の最終報告は、90分。部長級が8人並んだ。質問は4つ。うち3つは「その数字の出典はどこか」だった。丁寧に答えた。丁寧に答えるための資料は、茅野さんが1ヶ月前から作らせていた。

3月31日、私たちは報告書を紙で12部と、データで納品した。日置さんが受領印を押した。押す前に、朱肉を2回つけ直していた。

後記 ―― 92脚は、まだそこにある

翌年度の6月に、日置さんからメールが来た。件名は「6月議会のご報告」だった。市議から窓口の待ち時間について質問があり、答弁で私たちの報告書の数字が使われた、という内容だった。総合案内に職員を配置した効果として、券売機の区分誤りが減った、という部分だ。

添付には議事録が付いていた。読んだ。私が書いた文章が、ほとんどそのまま市長の答弁に入っていた。名前は出ない。当たり前だ。

そのメールの署名を見て、私は日置さんが別の部署に異動していることを知った。行政の異動は3年か4年で来る。6ヶ月かけて説明し、納得してもらい、最後には味方になってもらった人が、翌年度にはもういない。引き継ぎ資料に私たちの報告書が添付されている、と日置さんは書いていた。添付されている、は、読まれている、という意味ではない。

その年の秋、私は別の案件で、その市の隣の県にいた。乗り換えのついでに、少し寄った。1階の椅子は、まだ92脚あった。券売機の前に、青いベストを着た職員が1人立っていた。私が提案した配置だ。立っている人は、日置さんではなかった。

待合には、平日の午前だというのに、40人くらいが座っていた。待ち時間は、たぶんあまり変わっていない。私が動かせたのは、17ある窓口の手前の、2メートルくらいの範囲だけだった。

それを小さいと思うか、動いたと思うかは、いまも日によって違う。ただ、あの3月31日という締切だけは、この先どの案件でも、私はもう軽く見ない。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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