「あの客だけは上げられない」と所長は言った。僕は原則論で押し切った
例外を一つ認めれば、全部が崩れる。その原則は正しかったし、効果額もそれを裏づけた――須賀が、3,800品番の値上げを設計してから半年後までを綴った記録。
営業車の助手席は、思っていたより揺れる。後部座席よりも酔う、というのを、僕はこの案件で知った。夏の午後、エアコンの風が正面から当たって、フロントガラスの向こうに国道と、ロードサイドの中古車屋と、同じ看板のコンビニが3回出てきた。運転しているのは、第7営業所の所長の、宮下さんという人だった。
須賀です、と自己紹介したのは、その日の朝が初めてだった。入社3年目、25歳。この会社に入って、僕がやってきたのは、ほとんどがデータの整形と分析だ。数字を触っているときは、正直、楽しい。人に会う仕事は、いまも少し苦手だ。得意なものを伸ばした方がいい、というのは、この業界では概ね正しい。概ね正しいことの、正しくない部分に、僕はこの日ぶつかった。
アサイン ―― 「値段を上げるだけの案件」だと思っていた
クライアントは、創業52年の産業用消耗品メーカー。研磨材と、切削工具まわりの消耗品を作っている。工場が2つ、営業所が14、取引先は代理店と直販あわせて約2,100社。年商は310億円。
原材料と物流費が上がって、粗利率が3年で4.8ポイント落ちていた。それで「価格を見直したい」という相談だった。単純な話に聞こえる。実際、キックオフの前に僕は、これは3ヶ月で終わる案件だな、と思っていた。
マネージャーの垂水さんに「須賀、価格の案件やったことある?」と聞かれて、「ないです」と答えた。「じゃあ、まず値段の履歴を全部見て」と言われた。全部、というのが、3,800品番だった。
立ち上がり ―― 3,800品番の、値段の履歴
もらったデータは、ひどかった。基幹システムから吐き出した、5年ぶんの受注明細。1,100万行ある。品番マスタと、得意先マスタと、明細が、それぞれ別のIDで紐づいていて、しかも品番マスタには廃番のフラグが立っていないものが混ざっていた。
最初の3週間は、ほとんどデータの掃除だった。廃番を落とし、社内取引を落とし、単位が「本」と「箱」で混ざっているものを揃える。この作業は、誰も見ていないし、報告のスライドにも1枚も出ない。それでも、僕はこの3週間が嫌いではなかった。データが揃っていくときの感じは、部屋が片付いていくのに似ている。
掃除が終わって、最初に出したグラフが、この案件の全部だった。同じ品番を、取引先ごとにいくらで売っているか。その価格のばらつきを、品番ごとに描いた。
ばらついていた。想像の3倍ばらついていた。ある研磨ディスクは、いちばん安い取引先といちばん高い取引先で、単価が2.7倍違った。数量で説明がつくかというと、つかない。いちばん安く買っている会社が、いちばん買っている会社ではなかった。
垂水さんに見せたら、「これはいい」と言われた。「価格の案件は、たいてい、ばらつきを見つけたら8割終わり」。実際、そのとおりだった。
仮説 ―― ばらつきを潰す、という設計
僕たちが組んだ設計は、シンプルだ。品番ごとに、数量帯別の「あるべき価格」のレンジを引く。レンジの下限を大きく下回っている取引を、優先的に是正する。是正の幅は、取引先ごとの粗利貢献と、切り替えリスク(競合品への乗り換えやすさ)で調整する。
エクセルのモデルは、僕が全部組んだ。前提シート、計算シート、出力シートを分けて、手入力は青字、計算は黒字。3,800品番×2,100社の掛け算は重すぎるので、品番をグループに束ねて、取引先を粗利貢献で4区分に分けた。
結果、全体の平均値上げ率は7.2%になった。効果額は、年間で3.6億円。粗利率は、3年で落ちた4.8ポイントのうち、3.1ポイントぶんが戻る計算だった。
その中に、1品番だけ、42%上げる対象があった。特定の1社にだけ、10年以上、ほぼ据え置きで出していた品番だ。原価が上がりつづけていたので、直近では、その1社への出荷は完全に赤字だった。売れば売るほど損をしていた。
モデルの上では、これは何の迷いもない。是正すべき筆頭だ。僕はそれを、施策の「即時実行」のカテゴリに置いた。
現場 ―― 営業所長の助手席
垂水さんが「須賀、営業所を何箇所か回ってこい」と言った。「数字は合ってる。合ってるものが、なぜ通らないかを見てこい」
3箇所回った。3箇所目が、第7営業所だった。プレハブの2階建てで、1階が倉庫、2階が事務所。エアコンの効きが悪くて、扇風機が2台回っていた。所長の宮下さんは50代で、この営業所に18年いる人だった。
僕が説明用に持っていったのは、その営業所の担当先だけを抜いた、A4で3枚の資料だった。是正対象と、値上げ幅と、想定される粗利改善額。
宮下さんは、1枚目と2枚目を、ゆっくり見た。3枚目で、指が止まった。42%の、あの1社のところだった。
「須賀さん、これ、うちが昔えらい世話になった会社なんですよ」
そこから宮下さんが話したのは、20年近く前のことだった。この営業所が、まだ立ち上がったばかりで数字が全然出ていなかった頃、その会社が、月に一度しか要らないものを毎週買ってくれた。「うちの若いのを育ててくれたようなもんです」と宮下さんは言った。「あの値段は、そのときについた値段なんです」
僕は、聞いていた。聞きながら、頭の中では別のことを考えていた。この話は、経済的な合理性を持たない。20年前の恩は、今日の赤字を正当化しない。それが、僕がこの3ヶ月で組み上げたモデルの立場だった。
宮下さんは「あの客だけは、上げられませんわ」と言った。笑いながらだった。
僕は「ご事情は分かりました」と答えた。ご事情は分かりました、というのは、分かっていないという意味だ。25歳の僕は、その言い方を、たぶんどこかで先輩から拾っていた。
帰りは、また助手席だった。宮下さんが駅まで送ってくれた。途中の自販機で、缶コーヒーを2本買って、1本くれた。微糖だった。僕は微糖が苦手なのだが、飲んだ。飲みながら、この人は僕の資料を1枚も否定しなかったな、と思った。否定せずに、1社だけ外してほしいと言った。それだけだった。
中間報告 ―― モデルは、詰められなかった
中間報告は、9月の頭だった。僕は自分のモデルが詰められることを、かなり覚悟していた。3,800品番を17のグループに束ねた根拠、切り替えリスクの4区分の閾値、数量帯の刻み方。どれも、僕が決めた。決めた根拠は、あるにはあるが、絶対ではない。
ところが、会議で数字の中身はほとんど詰められなかった。営業本部長が「このばらつきは、正直、把握していなかった」と言って、あとは施策の順番の話になった。3ヶ月かけて組んだモデルの前提が、1問も聞かれない。
会議のあと、垂水さんが「拍子抜けした顔してるな」と言った。図星だった。「価格の分析はな、当たると誰も検算しないんだよ。ばらつきの絵が出た瞬間に、あ、これは正しい、で終わる」
それは褒め言葉に聞こえて、実際は警告だった。検算されないということは、間違っていても止まらないということだ。僕のモデルは、切り替えリスクの区分を「過去3年の取引継続年数」と「競合品の有無」の2軸で機械的に切っていた。20年前の恩、みたいな変数は、そもそも入る場所がない。入る場所がないことを、その時点で誰も指摘しなかった。僕自身も、指摘されるまで気づかない側だった。
このころ、僕の生活はわりと平穏だった。3年目で、年収は同年代の倍近くあって、家賃10万9千円の部屋に住んでいた。データの掃除をしている時期は、夜も落ち着いている。22時には帰れる日が多かった。帰って、風呂に入って、ゲームを1時間して、寝る。土日は基本的に空いていた。
だから、この案件のしんどさは、稼働ではなかった。営業所を3箇所回った、あの1週間だけが重かった。数字を触っている3ヶ月は、僕にとって快適で、快適だったぶん、人に会った3日間の記憶だけが、やたらと濃く残っている。
最終報告 ―― 例外を作らない、と僕は言った
最終報告は、役員会。僕は3年目で、説明はしない予定だった。ところが、質疑で常務が「現場から反対は出ていないのか」と聞いて、垂水さんが「須賀、営業所を回った話を」と振った。
僕は立って、こう言った。「営業所からは、個別の取引先について例外扱いを求める声がありました。ただ、例外を認めると、他の営業所からも同様の要望が出て、原則そのものが崩れます。今回は例外を設けない設計としています」
言い切った。会議室の空気が、少し締まったのが分かった。常務が「そのとおりだ」と言った。社長も頷いた。その日の議事録で、僕の発言は、この案件でいちばん長く引用された。
正しかったと思う。いまでも、論理としては正しい。価格改定で例外を一つ認めると、その情報は営業所のあいだで必ず共有されて、翌週には5件の要望になる。そうやって崩れた値上げを、僕は他の事例で読んでいた。
ただ、僕はあの場で、宮下さんの20年前の話を、一度も持ち出さなかった。持ち出す必要がないと思った。あれは、事情であって、論点ではない。そう整理した。整理は、たぶん速すぎた。
値上げの通知は、翌々月に出た。42%の1社には、宮下さんが説明に行った。同行の申し出はしなかった。しなくていい、と自分で判断した。判断の中身は、たぶん、行きたくない、だった。
後記 ―― 半年後の、1,400万円
半年後、垂水さんが実行状況のフォローで先方に行って、帰ってきて教えてくれた。
値上げは、9割の取引先で通っていた。効果額は、年換算で3.4億円。想定の3.6億円に、ほぼ届いていた。粗利率は戻りはじめていた。誰が見ても、成功した案件だ。社内の事例集にも載った。載ったページの分析グラフは、僕が作ったものだ。
離反したのは、17社だった。そのうちの1社が、あの42%の会社だった。年間の取引額は1,400万円。競合の製品に切り替えたらしい。
17社ぶんの失注額を全部足しても、値上げ効果の10分の1に届かない。数字の上では、圧勝だ。モデルにも、切り替えリスクの想定は入れてあった。想定の範囲内だった。想定の範囲内、という言葉は、ずいぶん便利だ。
宮下さんが、その後どうしているかは知らない。垂水さんに聞けば分かったかもしれないが、聞かなかった。
一度だけ、効果測定の指標を設計するときに、僕は「離反件数」をモニタリング項目に入れようとした。垂水さんは「入れていい」と言った。入れて、先方に出した。半年後のフォローで、その欄は空欄だった。誰も埋めていなかった。埋める担当が決まっていなかったからだ。効果額の欄は、月次で更新されていた。組織は、上がった数字は自分から数えて、失った数字は誰かに頼まれないと数えない。責める話ではなく、たぶん、そういうものだ。だから設計する側が、誰が数えるかまで書いておくしかない。書かなかったのは、僕だ。
僕は、いまも価格の案件をやっている。3件目だ。ばらつきを見つけるのは、相変わらず得意で、相変わらず楽しい。ただ、異常値のセルに条件付き書式で色がついたとき、少しだけ手が止まるようになった。この値段は、いつ、誰が、何のためにつけたのか。全部は聞けない。3,800品番の全部に理由を聞いていたら、案件は終わらない。
だから僕は、1件だけ聞くことにしている。いちばん外れている1件だけ。それで足りているとは、まったく思っていない。足りていないと分かっていることを、手順にして持っておくくらいしか、いまのところ思いついていない。
微糖の缶コーヒーは、あれ以来、一度も買っていない。自販機の前で、その列だけ視線が滑る。それだけのことが、三年経ってもまだ続いている。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。