四つの市と一つの町が、同じ水を別の値段で売っていた
月に一度、二時間の会議を十二回。そのために資料を作る係だった――甘利が、議事録を十七ページ書いた立ち上がりの記録。
水道の料金は、二十立方メートル使ったときの金額で比べる。
家庭で、二人か三人が一ヶ月に使うのが、だいたいその量だ。
私が担当した五つの自治体では、いちばん安い市が二千七百円、いちばん高い町が四千百円だった。
一・五倍ある。
同じ川から取った水だった。取水の場所は、八キロしか離れていない。
甘利です。二十五歳。入社して二年目になる。
アサイン ―― 五月
クライアントは、県の水道の担当課だった。
正確には、県が事務局をやっている協議会で、そこに四つの市と一つの町が入っている。
人口は、五つ合わせて四十七万人くらい。
依頼は、水道の事業を広域で一体化できるかを検討することだった。
検討する項目が三つ。浄水場と配水池の施設をまとめられるか。料金を揃えられるか。経営の組織を一つにできるか。
期間は十ヶ月。会議を月に一回、十二回やる前提で見積もっていた。
フィーは三千四百万円。十ヶ月、四人で、この額だ。
公共の案件は、民間より単価が低い。これは入社したときに教わっていた。
チームは、マネージャーの黒岩さんと、三年目の大山さんと、私と、一年目の冬木さん。
私の役割は、会議の運営と、資料の作成と、議事録だった。
黒岩さんから最初に言われたのは、こうだった。
「甘利さん、この案件の成果物は、たぶん合意そのものです」
意味が分かったのは、六ヶ月後だった。
五月の下旬、名簿と席順
立ち上がりの最初の二週間で、私がやったのは名簿と席順だった。
協議会の委員は十九人いた。
県の課長と課長補佐。四市一町の水道の部長か課長。それに学識の委員が二人。
十九人の名前と、役職と、ふりがなと、所属の正式な表記を一覧にした。
正式な表記が、思ったより面倒だった。
「水道部」と「上下水道部」と「水道課」と「企業局」がある。
一つの町は、水道を総務課が兼務していた。担当は一人で、兼務の仕事が三つあった。
ふりがなも必要だった。読み方を間違えると、一回目で終わる。
五人に電話して確認した。
席順は、黒岩さんが決めた。
決め方には理屈があって、県が上座、学識が県の隣、四市一町は人口の多い順ではなく五十音順にする。
人口順にすると、小さい町が下座に固定されるからだ。
私は、この説明を聞いて、なるほどと思った。
思ったが、三ヶ月後に、その配慮がほとんど効いていないことを知る。
第一回 ―― 六月十二日
第一回の協議会は、県庁の会議室で、十四時からだった。
資料は四十二ページ。前日の二十三時四十分に印刷が終わった。
二十部刷って、ホチキスを左上一箇所で留めた。
留める位置も決まっている。二箇所だと、めくりにくいと言われたことがあるらしい。
議事の二番目に、私が作った資料を入れていた。
「現状の整理」というタイトルで、十八ページある。
その十八ページのうち、六ページ目に、料金の比較の表を置いた。
二十立方メートルあたりの料金を、五つ並べた棒グラフだった。
二千七百円から四千百円まで並んでいる。
私は、この表を「論点の入口」として置いた。
差が大きいものから入るのが、整理の筋だと思っていた。
説明は黒岩さんがした。六ページ目に入って、三十秒くらいで、空気が止まった。
いちばん高い町の課長が、手を挙げた。
「これ、うちだけ高く見えますけど、給水人口が一万二千人で、管が長いんです」
その通りだった。
その町は、面積が広くて、人口が散っている。配水管の総延長を給水人口で割ると、一人あたりの管の長さが、いちばん安い市の四・一倍あった。
次に、二番目に安い市の部長が言った。
「うちは地下水なので、原価が違います」
これも、その通りだった。
そこから四十分、料金の差が何に由来するかという話が続いた。
結論は出なかった。
出なかっただけでなく、議事の三番目以降が、全部次回に回った。
会議は十六時に終わる予定で、十六時二十分に終わった。
何を間違えたか
その日の夕方、黒岩さんと二人で振り返った。
黒岩さんは、「甘利さんの表は、正確だったよ」と言った。
正確だった。数字は、各市町から出してもらったものだ。
「正確なんだけど、あの表は、五人に『うちは事情がある』と言わせる表なんだよ」
それから、黒岩さんはこう言った。
「広域化の検討で最初にやるのは、誰も反論しないことだけを並べる回なんです」
誰も反論しないこと、というのは何かと聞いた。
黒岩さんは、「施設が古いこと」と答えた。
五つの自治体の浄水場と配水池と管の、法定の耐用年数を超えている割合。
これは、どこも悪い。全部悪いと、誰も自分だけ悪く見えない。
だから、そこから入る。
私は、その発想を持っていなかった。
持っていなかった理由は、民間の案件を二つやって、どちらも「差が大きいところから入る」で通っていたからだ。
一つの会社の中では、差を見せると動く。
五つの主体がいるときは、差を見せると止まる。
台帳の列が違っていた
六月の下旬から、私は五つの自治体の台帳を集める作業に入った。
管の台帳、施設の台帳、それと財務の数字。
ここで、二つ目の問題にぶつかった。
管の台帳の様式が、五つとも違った。
ある市は、管を敷設した年と、口径と、材質と、場所が一つの表に入っている。GISと連動していた。
別の市は、紙の図面に手で書き込んだものを、十四年前にスキャンしていた。
町は、エクセルだった。ただ、材質の欄に入っている言葉が十一種類あった。
「塩ビ」「VP」「硬質塩化ビニル管」が、同じものを指していた。
書いた人が違うからだ。三十年分の台帳に、書いた人が何人いたのか分からない。
この名寄せに、私と冬木さんで三週間かかった。
十一種類を、六種類に寄せた。
寄せる作業のうち、二つだけ判断がつかなかった。県の課長補佐に聞いたら、「そこは分からないので、注記で残してください」と言われた。
注記で残した。注記は、最終の報告書にも残っている。
三週間かけて作ったのは、比較の表ではなかった。列の名前を揃えた台帳だった。
成果物としては地味だ。
地味だが、これがないと何も比べられない。
第一回で私が出した料金の表は、この作業の前に作っていた。
作れたのは、料金が公表されている数字だったからだ。
公表されているものだけで作った表は、公表されていない事情で殴られる。
浄水場に行った
七月の二十四日に、五つの浄水場を二日で回った。
朝の八時に県庁を出て、一日で三箇所。翌日に二箇所。
いちばん古い浄水場は、昭和三十八年にできたものだった。
建屋の中に入ると、匂いがある。
塩素の匂いだ。プールの匂いに似ているが、ずっと薄い。
案内してくれた職員の方は、五十四歳だった。
その人が、配水池まで階段で連れて行ってくれた。
階段が五十八段あった。数えたのは、途中で息が切れたからだ。
七月の二十四日で、気温が三十四度だった。
配水池の上は、コンクリートの平らな面で、何もない。
そこから、町が見えた。
職員の方が、「あのへん、全部ここの水です」と言った。
それから、「でも、ここ、あと七年なんですよ」と言った。
耐用年数のことだった。
その人は、定年まで六年だと言った。
「ぎりぎり、逃げ切るかな」と言って、笑った。
笑ったあとで、「冗談です」と言った。
冗談ではなかったと思う。
第四回から第八回
第二回は、施設の老朽化の話から始めた。
反論は出なかった。全員が悪いからだ。
第三回で、施設の統廃合の案を三つ出した。
第四回から第八回は、ほとんど同じ構造の会議だった。
資料を出す。各市町が「持ち帰って検討します」と言う。次の回に、持ち帰った結果が来る。来ないこともある。
一回の会議が二時間。議事録を、私が書く。
第一回の議事録は十七ページだった。発言を、ほぼ全部拾った。
黒岩さんに見せたら、「これは長い」と言われた。
ただ、短くはできなかった。
公共の議事録は、委員が確認する。削ると、「私の発言が入っていない」という話になる。
第二回以降も、だいたい十二ページから十五ページ書いた。
書く時間は、会議のあと四時間くらいだった。
十二回で、議事録だけで百六十ページを超えた。
退屈だった。
退屈だと思っていることを、途中で一度、大山さんに言った。
大山さんは、「俺も最初そう思った」と言った。
それから、「でも、甘利さんが書いたものが、十年後に根拠になるよ」と言った。
そう言われても、その日の二十三時に書いている議事録は、退屈だった。
第十回 ―― 二月
二月の第十回で、料金の話に戻った。
八ヶ月ぶりだった。
台帳が揃っていたので、今度は原価の構造まで分解できた。
一立方メートルあたりの給水の原価を、取水、浄水、送配水、人件費、減価償却に分けて並べた。
五つのうち、いちばん高い町の原価が、いちばん安い市の二・三倍だった。
料金の差は一・五倍。原価の差は二・三倍。
つまり、高い町は、原価のほうが料金よりもっと高い。一般会計から繰り入れて埋めていた。
この表には、反論が出なかった。
出なかったのは、作り方が正しかったからではなくて、八ヶ月かけて同じ台帳で作ったからだと思う。
そのあと、料金を揃える案を三つ出した。
十年で段階的に揃える案。経営だけ一体にして料金は据え置く案。それと、施設の共同化だけやる案。
町の課長は、十年の案に反対しなかった。
反対したのは、いちばん安い市だった。
「うちの市民に、なぜ上がるのかを説明できません」
この発言が、議事録の第十回の九ページ目に入っている。
最終報告 ―― 三月二十六日
最終の協議会は、三月二十六日だった。
報告書は本編が百四十二ページ、資料編が二百八十ページ。
結論は、「経営の一体化と施設の共同化について、次年度も検討を継続する」だった。
料金の統一は、結論に入らなかった。
一つの町が、広域の枠組みから外れる意向を示していた。理由は、県の企業局に事業を譲渡する別の選択肢を検討したいというものだった。
この意向は、第十一回の非公式の場で出たもので、議事録には書いていない。
黒岩さんは、最終の場で「次年度の検討の体制」を一枚だけ入れた。
誰が、いつまでに、何を決めるか。その表だ。
県の課長が、「ここは少し持ち帰らせてください」と言った。
持ち帰った結果が来たのは、四月の半ばだった。私たちの契約は三月末で終わっている。
生活 ―― 二十五歳
年収は六百二十万円だ。
家賃は八万四千円。一人で住んでいる。
この案件の残業は、月によってかなり違った。
会議がある月が七十時間台。会議がない月が三十時間台。
議事録を書く週だけ、二十三時を超える。
十ヶ月の案件なので、同期の多くより案件の数が少なかった。
同期の一人が、半年で三件やっていた。その三件が、製造とヘルスケアと金融だった。
飲みに行ったとき、その話を聞いて、少し焦った。
焦っている自分を、言葉にしないようにした。言葉にすると、本当に焦るからだ。
身体のことを書いておく。
座っている時間が長い。会議の二時間と、議事録の四時間で、一日に六時間は座っている。
十一月に、右の尻のあたりが痛くなった。整形外科で、坐骨の周りだと言われた。
クッションを買った。四千二百円のもので、いまも使っている。
水のことを一つ書いておく。
浄水場に行ってから、家の蛇口の水を飲むようになった。
それまでは、ペットボトルを箱で買っていた。二リットル九本で、千五百円くらい。
やめた理由は、節約ではない。
飲むたびに、配水池の階段が五十八段あったことを思い出す。
思い出すのが、嫌ではない。
後記 ―― 翌年の十月
一年半後に、県の課長補佐からメールが来た。
協議会は続いていた。
施設の共同化は、二つの市のあいだで、一つの浄水場の統合が決まったと書いてあった。
料金の統一は、議題に載っていない。
町は、まだ枠組みに残っていた。残っているが、県への譲渡の検討も続けているらしい。
私が作った台帳は、使われていた。
メールにこう書いてあった。
「甘利さんの名寄せのルール、そのまま使ってます。注記も残ってます」
注記が残っているのは、私が判断できなかった二つの管のことだ。
二つの管は、たぶんいまも、どちらか分からないまま地面の下にある。
浄水場で会った五十四歳の職員の方は、まだ勤めていると書いてあった。
配水池は、建て替えの計画に入ったらしい。
あと七年と言っていた人が、建て替えの計画の初年度に立ち会っている。
逃げ切れなかったことになる。
それを本人がどう思っているかは、書いていなかった。
いまは民間の案件にいる。小売の、本部の組織を作り直す話で、会議は週に二回ある。
議事録は、一回二ページで足りる。
二ページで足りるのが、便利だと思う日と、物足りない日がある。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。