体験記 No. 92

「お宅は何年やってるの」と、六十一歳の営業職員に聞かれた

案件中堅生命保険会社・営業職員チャネルの再設計
話の中心仮説構築
語り手麓 / 40歳・業務委託3年目(元ファーム8年)
読了約8分 · 5,300字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
二年で半分が辞める名刺は作らなかった

名刺を持たない人間がチームにいる――麓が、所属を聞かれるたびに言葉を選んだ四ヶ月の記録。

名刺を持っていない。

作っていない。三年、作らずにやっている。

クライアント先では、ファームのマネージャーが「チームの麓です」と紹介する。

所属は言わない。言わないのが、たぶん作法になっている。

麓です。四十歳。いまは業務委託で、ファームのチームに入って働いている。三年目になる。

その前は、同じ業界のファームに八年いた。

どういう立場か

契約の形を先に書いておく。

私は、ファームと業務委託の契約を結んでいる。案件ごとに、期間と、稼働の日数と、単価が決まる。

この案件は四ヶ月、月に十八日稼働、単価が月百三十万円だった。

社会保険はない。国民健康保険と国民年金を自分で払っている。

有給はない。働かない日は、請求が立たない。

評価はされない。目標面談もない。昇進もない。

あるのは、次の契約があるかどうかだけだ。

次があるかどうかは、だいたい案件の終わりの一ヶ月前に分かる。分かるというのは、誰かが言うのではなく、来月以降の予定の相談が来るか来ないかで分かる。

アサイン ―― 六月

クライアントは、中堅の生命保険会社だった。

創業は七十八年前。保有している契約が百九十万件くらい。

販売のチャネルが三つある。訪問して売る営業職員、代理店、それとインターネット。

主力は営業職員だった。三千二百人いる。支社が四十一。

この三千二百人が、問題だった。

採用して、二年で五十二パーセントが辞める。

採用は年に六百人くらいやっている。辞めるのが毎年五百人台。

平均年齢は四十六・八歳。五十五歳以上が六百九十人。

依頼は、このチャネルを再設計すること。報酬の体系、支社の配置、育成の仕組み。

期間は四ヶ月。ファームのパートナーが一人、マネージャーが一人、コンサルタントが二人。それに私。

私が入った理由は、報酬の設計をやったことがあるからだった。

前職の八年で、保険と証券と、あと不動産の販売チャネルの報酬を、合わせて五件やっている。

入るときに、マネージャーの津村さんから言われた。

「麓さんは、インセンティブ設計のところを見てください」

役割がはっきりしているのは、ありがたかった。

ありがたかったが、同時に、入口で結論が半分決まっているということでもあった。

名前を呼ばれない席

立ち上がりの最初の週に、一つ分かったことがある。

チームの朝の打ち合わせは、オンラインで九時十五分からある。

私は呼ばれていた。呼ばれていたが、議事メモの配布先に入っていなかった。

誰かが悪いのではなく、メーリングリストが社員のアカウントで作られているからだった。

津村さんに言ったら、翌日から個別に転送してくれるようになった。

転送は四ヶ月、続いた。

もう一つある。クライアント先の入館証が、私の分だけ毎回「来訪者」だった。

ファームの社員は、四ヶ月の常駐用の証をもらう。私はもらえない。

毎朝、受付で名前を書く。訪問先の部署と、時刻と、氏名。

四ヶ月で、たぶん七十回くらい書いた。

書くのは一分もかからない。かからないが、毎朝、自分がここの人間ではないと確認する一分になる。

受付の方は、三週目くらいから名前を覚えてくれた。

覚えてくれても、用紙は書く。

七月、支社を回った

七月の一ヶ月で、支社を九つ回った。

支社は、だいたい駅から歩いて五分から十分のところにある。古いビルの二階か三階に入っている。

入ると、机が島になって並んでいて、丸椅子が置いてある。

朝礼が八時四十五分から。その日の目標を声に出して言う支社と、言わない支社があった。

九支社のうち、声に出していたのは六つだった。

職員の方に、一人三十分から四十分で話を聞いた。全部で四十七人。

聞いたことは三つ。どうやって見込み客を見つけているか。報酬のどこが不満か。辞めようと思ったことがあるか。

三つ目は、だいたいみんな「ある」と答えた。

二つ目も、よく答えてくれた。歩合の比率、継続率の評価、支社の目標の割り振り。

一つ目が、答えが詰まる質問だった。

「お宅は何年やってるの」

七月の第三週に、地方の支社に行った。

その支社で、六十一歳の職員の方に話を聞いた。

この会社に三十四年いる人だった。

話は、最初の十分は普通に進んだ。

十分くらい経ったところで、その人が、私の手元のノートを見てこう言った。

「お宅は、何年やってるの」

質問の意味を、一瞬取り違えた。

保険の仕事を何年やっているか、ではなかった。この仕事――人に話を聞いて、資料を作る仕事――を何年やっているか、だった。

私は、三秒くらい考えて、「十一年です」と答えた。

ファームの八年と、独立してからの三年を足した。

その人は、「じゃあ、三分の一だね」と言った。

三十四年の三分の一。合っている。

それから、こう言った。

「うちの娘が、来年三十四になるのよ」

私は、笑ったほうがいい場面なのか分からなかったので、少し笑った。

その人は笑わなかった。

その後の二十分で、その人は見込み客の話をした。

三十四年のあいだに、契約を取った相手が延べで九百人くらいいるという。

いま毎月会っているのは、そのうちの六十人くらい。

新しい人は、年に三人か四人。

「もう、紹介が来ないのよ」と言った。

「紹介してくれる人が、死んじゃうから」

仮説が二つになった

支社を回り終えた七月の末に、私は報酬の分析をまとめた。

分かったことは、はっきりしていた。

この会社の報酬は、新しい契約を取ったときの歩合が大きい。固定の部分が三割強で、残りが歩合だった。

同業の平均より、固定の比率が低い。

辞める人の月収を追うと、辞める三ヶ月前から下がっている。最後の月は、固定とほぼ同額になる人が多かった。

固定だけだと、手取りで十六万円台になる。

これは説明として強い。歩合に寄りすぎた報酬が、入って二年の人を飛ばしている。

私は、この筋で設計案を作った。固定の比率を上げて、代わりに継続率の評価を厚くする案。

三週間かけて、モデルも作った。全職員の過去三年の報酬を、新しい体系で再計算した。

会社の人件費の総額が、一・八パーセント増える。その代わり、二年の離職を五十二パーセントから四十一パーセントに下げられると置いた。

置いた、というのは、根拠が同業の事例だということだ。

ここまでは、良い仕事だと思う。

ただ、私がノートに書いていて、資料に入れなかったものがもう一つあった。

四十七人のうち、入って三年以内の人が十九人いた。

その十九人に、見込み客をどこから見つけているかを聞いている。

答えは、ほぼ全員が同じだった。

親族。前の職場の同僚。子どもの同級生の親。地元の知り合い。

全部、入る前から持っていたつながりだった。

そのつながりの数を聞いた人が、十一人いた。

十一人の平均が、四十人台だった。

四十人のうち、契約になるのが七、八人。

一年で尽きる人と、二年で尽きる人がいる。尽きたあと、新しい人を見つける方法を教わっていない。

これが、二年で半分辞める本当の構造だと、七月の末に私は思っていた。

なぜ資料に入れなかったか

入れなかった理由を、三つ書く。

一つ、私の役割が報酬の設計だったこと。

二つ、見込み客の開拓の話は、別のメンバーが担当していて、そこに踏み込むと領域が重なること。

三つ目が、本当の理由だ。

私は、報酬の設計が得意だ。得意なことで評価されたかった。

評価というのは、津村さんが来月以降の相談をしてくれるかどうかだ。

四ヶ月の案件で、三ヶ月目に入っていた。

見込み客の構造の話をすると、私の設計案の効果の見積もりが弱くなる。離職の原因が報酬だけではないということになるからだ。

弱くなった案を出した人に、次の相談は来にくい。

そう考えた。考えたことを、はっきり覚えている。

八月の第二週に、津村さんに一度、口で言った。

「報酬だけでは、たぶん半分です」

津村さんは、「半分でも、うちが出せるのはそこなので」と言った。

それは正しい。クライアントがこのチームに頼んだのは、制度の設計だ。

正しいので、私はそこで止めた。

止めたのは津村さんではない。私だ。

八月の飲み会

八月の中間報告のあと、チームで打ち上げをした。

六人で、クライアント先の近くの居酒屋だった。

私は呼ばれた。呼ばれて、行った。

会計のときに、コンサルタントの一人が「経費で落ちます」と言った。

落ちるのは社員の分だ。私の分がどうなるのかは、誰も言わなかった。

その場では、全員分まとめて払われた。私は何も出さなかった。

あとで考えて、たぶん落ちているのだと思う。チームの会食として処理すれば通る。

ただ、その処理をしている人が、私の名前をどう書いたのかは分からない。

「外部一名」だろうか。

そういうことを考えるのが、三年で癖になった。

考えるのをやめる方法を、まだ見つけていない。

中間報告と最終報告

中間報告が八月の二十二日。最終が十月の十七日だった。

中間で、報酬の設計案を三つ出した。固定を上げる幅の違いで三案。

役員は、いちばん固定の低い案に寄った。人件費の増加が一・一パーセントで収まる案だった。

最終は、その案を詰めたものになった。

離職の改善の見積もりは、五十二パーセントから四十七パーセントに下げて書いた。

四十一ではなく、四十七にしたのは私だ。

根拠は、固定の上げ幅が小さいからだ。これは数字として正直だった。

役員は、「五ポイントですか」と言った。

「はい」と答えた。

それ以上の議論はなかった。

報告のあと、営業本部長が私に声をかけた。

「麓さん、支社まわってくれたんですよね」

はい、と答えた。

「どうでした、うちの職員」

私は、少し迷って、「三十四年やってる方に、三分の一だと言われました」と答えた。

本部長は、「ああ」と言って、笑った。

「あの人たちの代わりが、いないんですよ」

それだけ言って、別の人と話しに行った。

その一言が、私がノートに書いて資料に入れなかったものと、同じことを言っていた。

生活 ―― 四十歳

この案件の請求は、月に百三十万円だった。四ヶ月で五百二十万円。

年間では、去年が千四百十万円だった。稼働していない月が二ヶ月あった。

経費を引いて、国民健康保険と国民年金を払って、税金を払うと、手元に残るのは半分より少し多いくらいだ。

ファームにいた最後の年の年収は千百万円だった。

数字だけなら、いまのほうが上だ。

上なのに、毎年二月に「今年はどうなるか」と考える。

住んでいるのは、賃貸で十万五千円のところ。一人で住んでいる。

身体のことを書いておく。

歯の治療を、二年先延ばしにしていた。左の奥歯だ。

去年の十一月に、痛くなって行った。抜くことになった。

抜いたあとの処置に、通院が六回必要だと言われた。

六回のうち、四回が平日の昼間だった。

稼働している日に抜ける。抜けると請求が減る。

結局、三回は土曜に詰めてもらって、一回は平日に行った。

平日に行った日の分は、請求しなかった。十八日の稼働のうちの一日だから、七万二千円くらいだ。

七万二千円の歯だと、しばらく思っていた。

出張のときは、ホテルは実費で精算される。ただ、上限がある。

一泊九千円だ。九千円で取れない街がある。

超えた分は、自分で出している。四ヶ月で、たしか一万四千円くらいだった。

言えば出してもらえるかもしれない。言っていない。

後記 ―― 翌年の四月

この案件のあと、次の相談は来なかった。

来なかったのは十一月で、十二月と一月は稼働がゼロだった。

二月に、別のファームから声がかかって、いまはそちらにいる。

半年後に、津村さんから一度メールが来た。

報酬の制度は、翌年の四月から入ったと書いてあった。

それと、見込み客の開拓について、別のチームが入ることになったと書いてあった。

そのチームに、私は呼ばれていない。

六十一歳の方のことを、ときどき思い出す。

あの人の娘さんは、いま三十四になっている。

私が十一年やっていると答えたとき、あの人が「三分の一だね」と言ったのは、たぶん嫌味ではなかった。

三十四という数字が、頭にあっただけだと思う。

私は、この仕事を十四年目まで続けられるかどうか、まだ分からない。

三十四年は、たぶん無理だ。

無理だと思っていることを、支社の丸椅子に座っていたときには、一度も考えなかった。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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