体験記 No. 91

歩留まりの小数点を、私は二週間読み間違えていた

案件半導体材料メーカー・新ラインの歩留まり改善と増産計画の見直し
話の中心中間報告
語り手駒形 大地 / 31歳・中途2年目(前職・化学メーカーの工場技術者)
読了約8分 · 5,300字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
九十六・二と九十一・四は別の指標だったクリーンルームの滞在は一回七十分

分かるつもりの人間がいちばん確認しない――駒形が、防塵服の中で汗をかきながら二週間を無駄にした案件の記録。

防塵服を着ると、呼吸の音が自分に返ってくる。

マスクとフードの中で、吸う音と吐く音が聞こえる。

それが聞こえるようになるのは、だいたい入室して二十分くらい経ってからだ。

駒形です。三十一歳。この業界に入って二年目で、その前は化学メーカーの工場にいた。

十年、技術の仕事をしていた。だから工場は分かる。

分かると思っていたのが、この案件のいちばんの問題だった。

アサイン ―― 五月

クライアントは、半導体の製造の工程で使う高純度の薬液を作っている会社だった。

創業は五十一年前。従業員は七百四十人。工場が二つ。売上は年間で三百十億円。

二年前に、第二工場に新しいラインを一本入れた。投資額は六十二億円。

このラインの歩留まりが、計画に届いていなかった。

依頼は二つ。歩留まりを上げること。それと、この先三年の増産の計画を引き直すこと。

発注したのは、常務取締役の生産本部長だった。六十歳。この会社に三十七年いる。

期間は五ヶ月。パートナーの牧さん、マネージャーの土肥さん、私、それにアナリストの一年目の佐野さん。

キックオフで、土肥さんが私を紹介した。

「駒形は、十年工場にいましたので」

常務は、「ああ、そうですか」と言った。

それから、技術部長のほうを向いて、「話が早いかもしれんね」と言った。

技術部長は、四十八歳の方だった。何も言わなかった。

五月の下旬、数字を貰った

立ち上がりの二週間で、生産のデータを貰った。

二年分の日別のデータだった。投入量、産出量、不適合の件数、設備の停止時間。

項目は六十二列あった。

その中に、「歩留まり」という列が二つあった。

一つが九十六・二パーセントくらいで動いている列。もう一つが九十一・四パーセントくらいで動いている列。

列の名前が、片方が「歩留」、もう片方が「歩留(調)」だった。

私は、「調」が調整後だろうと思った。

前職では、月次で報告する数字と、現場で日々見る数字が違っていた。報告のほうは、他の工程の影響を差し引いて調整していた。

だから、同じことだろうと思った。

思って、聞かなかった。

二週間、九十一・四のほうを使って分析した。

理由は、低いほうが改善の余地が大きく見えるからだ。

これは、ずるい動機だったと思う。あとで考えると、そうだった。

クリーンルームに入った

六月の第一週に、第二工場に行った。

新しいラインは、クリーンルームの中にある。

入るのに手順がある。更衣室で服を替えて、防塵服を着て、エアシャワーを通る。

フードをかぶって、マスクをして、ゴーグルをする。手袋は二重。

眼鏡をかけているので、ゴーグルの中で曇る。

曇るのは、入って四分くらいだ。鼻から抜けた息が上に回る。

前職でも同じだった。前職では、眼鏡を拭くタイミングを自分で持っていた。この工場のルールでは、中で拭けない。

七十分入った。

七十分のあいだ、計器の表示を四回見た。四回のうち、はっきり見えたのは一回だった。

残りの三回は、数字の形で読んだ。

あとで気づいたが、私がその日に読んだと思っていた数字のうち一つは、小数点の位置が一つずれていた。

同行していた製造課長に、帰りの更衣室で確認したら、「それ、桁違いますよ」と言われた。

汗のことを書いておく。

六月の工場の中は、クリーンルームは空調が効いているので寒いくらいだ。

寒いのに、汗をかく。防塵服の中は湿気が抜けない。

出たとき、インナーのシャツが背中に張り付いていた。

更衣室の体重計に乗ったら、朝から一・二キロ減っていた。

仮説を作った

六月の中旬に、仮説を四つ立てた。

一つ、新ラインの配管の洗浄の工程が、旧ラインより一工程少ない。残留が原因で不適合が出ている。

二つ、原料のロット間の差を、新ラインの制御が吸収できていない。

三つ、立ち上げから二年のあいだに、オペレーターが十一人替わっている。手順の個人差。

四つ、検査の基準が、新ラインの製品に対して旧ラインと同じまま運用されている。

このうち、私がいちばん自信を持っていたのは一つ目だった。

前職で、似たことをやっている。配管の洗浄の回数を一回増やして、不適合が三割減った経験があった。

データを見ると、新ラインの不適合は、週の初めに多かった。

月曜の不適合率が、週の平均の一・七倍。

週末に設備を止めるので、止めたあとの立ち上げで残留が出る、という筋で説明できる。

きれいだった。

私は、この筋を中間報告の一枚目に置いた。

置くときに、佐野さんが一つ聞いてきた。

「洗浄の工程が一つ少ないって、どこに書いてあるんですか」

工程表の比較表だと答えた。

佐野さんは、「薬液の濃度は、どこに書いてあります?」と聞いた。

その質問に、私は「そこまでは出てない」と答えた。

出ていないなら聞けばいい。一年目はそう思っていたと思う。

私は聞かなかった。聞かなかった理由は、工程が一つ少ないという事実のほうが分かりやすかったからだ。

佐野さんは、「分かりました」と言って、資料を直した。

一年目の質問が正しかったことを、私は七月九日の十四時四十分に知る。

中間報告 ―― 七月九日

中間報告は、本社の会議室で、十四時からだった。

出席は、常務、技術部長、生産管理部長、第二工場の工場長、製造課長、それに経営企画が二人。

私が説明した。三十四枚のうち、二十一枚を私が話した。

一枚目の筋を説明して、月曜の一・七倍のグラフを出した。

技術部長が、そこで初めて口を開いた。

「それ、前から知ってます」

私は、「はい」と言った。

技術部長は、「月曜が悪いのは、立ち上げの温度が安定するまで二時間かかるからです。残留じゃないです」と言った。

それから、「洗浄の工程は、新ラインは一回ですけど、薬液の濃度を上げてるので、総量では旧ラインより多いです」と言った。

私は、「そうでしたか」と言った。

言ってから、四秒くらい黙った。

牧さんが「濃度のデータは頂いていますか」と聞いた。

技術部長は、「出してないです。聞かれてないので」と答えた。

ここで、空気が変わった。

常務が、「駒形さん、工場にいたんですよね」と言った。

いました、と答えた。

常務は、それ以上は言わなかった。言わなかったことが、いちばんきつかった。

そのあと、歩留まりの数字の話になった。

生産管理部長が、「この九十一・四は、何の数字ですか」と聞いた。

私は「調整後の歩留まりです」と答えた。

生産管理部長は、「調整後じゃないです。これは最終製品の合格率です。九十六・二が工程の通過率です」と言った。

二つは別のものだった。

九十六・二は、工程を通った量の割合。九十一・四は、それを出荷の検査まで通した割合。

差の四・八ポイントは、出荷の検査で落ちた分だった。

つまり、工程の歩留まりの問題と、検査で落ちる問題は、別の問題だった。

私は二週間、二つを一つとして扱っていた。

列の名前の「(調)」が何の略かを、一度も聞いていない。

会議は十六時十分に終わった。

会議のあとの十分

会議室を出て、エレベーターホールで、製造課長が私の横に来た。

四十二歳の方で、現場に十九年いる。

その人は、こう言った。

「駒形さん、あの一・七倍の話、俺も最初そう思ったんですよ」

私は「そうですか」と言った。

課長は、「三年前に同じ資料作って、部長に同じこと言われました」と言った。

少し笑っていた。

笑ってくれたのだと思う。

それから、課長はこう続けた。

「部長はね、知ってることを言われるのが嫌なんじゃないんです。知ってることが論点になってるのが嫌なんです」

その違いが、そのときは分からなかった。

エレベーターが来て、課長は乗った。私は階段で降りた。

階段で降りたのは、顔を見られたくなかったからだった。

詰められた

その日の夕方、うちのオフィスに戻って、牧さんと土肥さんと三人で話した。

牧さんは、怒らなかった。

「駒形さん、なんで聞かなかったんですか」と聞かれた。

私は、説明を始めた。前職での歩留まりの定義の話と、月次と日次で指標が違う運用の話をした。

三分くらい話した。

牧さんが、途中で止めた。

「いま、仕組みの説明をしてますよね」

はい、と言った。

「聞いてるのは、なんで聞かなかったかです」

分かるつもりでした、と答えた。

牧さんは、「はい」と言って、それで終わりにした。

土肥さんが、あとで一つだけ言った。

「駒形さんの強みは、現場の話が通じることなので、それは残してほしい」

残してほしいという言い方が、優しくて、だから痛かった。

私は、その夜、二十三時半までデータを組み直した。

帰りのタクシーで、前職の同僚からメッセージが来ていた。

「こっち、来年ライン増やすらしい」

返信を、翌朝にした。「すごいね」と書いた。

最終報告 ―― 九月二十六日

後半の二ヶ月で、二つの問題を別に扱った。

工程の通過率のほうは、原料のロット間の差が効いていた。

原料の仕入先が三社あって、そのうち一社のロットで、通過率が平均より一・一ポイント低かった。

新ラインの制御のパラメータが、その仕入先のロットの幅を想定していなかった。

これは、制御の設定の変更で対応できる話になった。効果は年間で一億二千万円くらい。

出荷の検査で落ちる分のほうは、原因が一つに絞れなかった。

落ちている製品の七割が、同じ検査項目だった。その項目の基準は、旧ラインの立ち上げのときに決めたもので、十四年前のものだった。

顧客が求めている水準より、二段厳しかった。

基準を顧客の水準に合わせると、落ちる分の六割が落ちなくなる。

ただ、この基準を緩めるかどうかは、技術部長が決める話だった。

技術部長は、最終報告の場で、「検討します」と言った。

それ以上は言わなかった。

増産の計画は、三年で一・四倍に引き直した。もともとの計画は一・七倍だった。

常務は、「下げるんですね」と言った。

牧さんが、「上げられる前提が立っていません」と答えた。

常務は、「分かりました」と言った。

分かりましたという声が、低かった。

生活 ―― 三十一歳

年収は八百六十万円だ。前職より二百四十万円上がった。

家賃は十一万四千円。妻と二人で住んでいる。

この案件の残業は、五月が四十四時間、六月が七十八時間、七月が九十六時間、八月が八十一時間、九月が六十九時間だった。

七月が、中間報告の月だ。

七月の二週目の土曜に、妻と買い物に行く約束をしていた。行けなかった。

夜に家に帰って、妻が何も言わなかった。

言わないほうがこたえると、前に書いた人がいるかもしれない。私もそう思う。

身体のことを書いておく。

左の肩が、前職のときから悪い。整備のときに重いものを持つ仕事をしていた。

いまは重いものを持たない。持たないのに、悪くなっている。

姿勢だと、整形外科で言われた。椅子に座っている時間が、前職の三倍になっている。

八月に、湿布を箱で買った。四十枚入りで、一ヶ月で使い切った。

前職の工場にいたとき、デスクワークの人のことを少し軽く見ていた。

いま、自分がそれになっている。そのことは、前職の同僚には言わない。

後記 ―― 翌年の七月

十ヶ月後に、第二工場の製造課長から連絡が来た。

新ラインの工程の通過率は、九十六・二から九十八・一に上がっていた。

原料の制御のパラメータは、変えていた。

検査の基準は、変えていなかった。技術部長が最後まで判断しなかったと聞いた。

それでも、出荷の合格率は九十一・四から九十四・六に上がっていた。

上がった理由を、課長に聞いた。

課長は、「分からないです」と言った。

それから、こう言った。

「駒形さんがいた頃から、オペレーターの入れ替えが止まったんですよ。たまたまですけど」

たまたま、と言った。

私が立てた四つの仮説のうち、三つ目がそれだった。

オペレーターの手順の個人差。中間報告で、私は三つ目を四枚しか割いていない。

一つ目に二十一枚使って、三つ目に四枚だった。

当てたとは思っていない。並べただけだ。

並べたものの中に当たりがあったのに、私は自分が得意な方に枚数を使った。

いまは別の案件にいる。物流の倉庫の案件で、クリーンルームには入らない。

防塵服を着ないと、呼吸の音は聞こえない。

聞こえないほうが、仕事はしやすい。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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