「この子の名前、カルテに入ってます」と言われて、単価の話をやめた
揃えるものを決める係だった――寒河江が、二十六の待合室を順番に回った六週間の記録。
待合室には、だいたいタオルが置いてある。
キャリーの下に敷くためのものだ。院が用意している院と、していない院がある。
二十六院のうち、置いてあったのは十一院だった。
私はそれを数えた。数えたことを、報告書には書いていない。
寒河江です。二十六歳。入社して三年目になる。
アサイン ―― 四月の金曜
クライアントは、動物病院を二十六院やっているグループだった。
創業したのは獣医師の方で、いまは六十一歳。会長をやっている。
最初の一院が二十四年前。自分で開いた院が九つで、残りの十七院は買って増やした。
買収は五年で十七件。いちばん多かった年が六件だった。
獣医師が九十四人、動物看護師が百三十八人。売上は年間で七十九億円。
依頼は、買った院の運営を揃えることだった。
社長は四十四歳で、獣医師ではない。前は食品の会社で店舗の運営をやっていた人だった。
社長が、最初の打ち合わせで言った言葉を覚えている。
「同じ看板を出してるのに、中が二十六個あるんです」
期間は五ヶ月。マネージャーの倉持さんと、私と、一年目の筧さんの三人。
私の役割は、立ち上がりの六週間で「何を揃えるか」のリストを作ることだった。
最初の一週間で作った表
四月の第二週に、本社から出てきたデータを並べた。
出てきたのは、院別の売上と、処置の件数と、価格表だった。
価格表が、二十六種類あった。
同じ処置で、値段が違う。
猫の避妊の手術が、いちばん安い院で二万一千円、いちばん高い院で四万八千円だった。
二・二倍だ。
犬の歯石の処置は、一万四千円から四万二千円で、三倍だった。
ワクチンは、三千円から七千五百円。
私はこの差分を、処置の項目ごとに全部並べた。項目は三百十四あった。
二日半かかった。
並べているあいだ、面白かった。
値段がバラバラなものを揃えるのは、仕事として分かりやすい。差が大きい順に並べれば、やることが決まる。
三百十四行のうち、差が二倍を超えていたのが八十九行あった。
その八十九行に、私は赤を付けた。赤が多いと、仕事をした気になる。
倉持さんに出したら、「これは効くね」と言われた。
それで、第一週の報告の一枚目に「価格の標準化」を置いた。
置いた根拠は、差が大きいからだった。
大きい差があるものは、揃えると効果が出る。三年の研修でそう覚えていた。
カルテが四種類ある
第二週に、現場に入った。
まず本社の近くの三院。これは全部、自分で開いた院だった。
次に、買った院に入った。
入ってすぐに分かったのは、カルテのシステムが四種類あることだった。
買った十七院のうち、七院が本社と同じもの。五院が別のメーカーのもの。三院が、院長が個人で契約していたもの。
残りの二院は、紙だった。
紙の院の一つは、院長が六十八歳だった。
その人は、カルテを和文タイプの紙に書いていた。棚に、年ごとに箱が並んでいる。箱の背に年が書いてある。
いちばん古い箱が、二十九年前だった。
「これ、電子にしませんか」と私は言った。三週目のことだ。
院長は、「できますよ」と言った。
それから、「でも、うちの患者さんは、ここの棚を見て安心してるんです」と言った。
意味が分からなかった。
院長は、棚を指して、「あれの中に、自分の子がいるから」と言った。
六週間、待合室に座った
四月の下旬から五月いっぱいで、私は十四院に入った。
やり方は、朝の診療の前に院長に一時間話を聞いて、そのあと待合室に座る。
座って、何が起きているかをノートに書く。
書くことはたくさんあった。
受付の人が、キャリーを見ただけで名前を言う院が、七院あった。
「〇〇ちゃん、こんにちは」と言う。飼い主ではなく、動物の名前を呼ぶ。
呼ばれた人が、必ず少し嬉しそうな顔をする。これは十四院で共通していた。
もう一つ共通していたのは、待合室で飼い主同士が話さないことだった。
人間の病院の待合室と、そこは同じだと思う。
違うのは、動物が鳴くことだ。鳴くと、全員がそっちを見る。見てから、目を戻す。
五月の初めに、処置室から長い鳴き声が聞こえた院があった。
待合室にいた四人のうち、二人が立ち上がりかけて、座り直した。
私はノートに「鳴き声・十一時四十分」と書いた。
書いてから、これを何に使うのかと思った。使い道はなかった。
待ち時間は、院によって全然違った。
いちばん短い院が平均で十二分。いちばん長い院が五十七分だった。
長い院は、郊外の、駐車場が十一台ある院だった。
この院は、一件あたりの診察の時間が長い。平均で二十二分。本社が開いた院は十一分から十四分だった。
二十二分の中身を、私は五件、横で見せてもらった。
見せてもらって分かったのは、診察のうち七、八分が、病気の話ではないということだった。
飼い主の生活の話をしている。
ひとり暮らしかどうか。階段があるか。日中に家にいるか。
院長は、「薬を出しても、飲ませられない家があるので」と言った。
これを聞いて、私は「診療時間の標準化」という項目を、リストから外した。
外したのは、たぶん正しかった。
正しかったが、そのとき私が外さなかった項目が、もう一つあった。
価格だ。
五月二十二日、値上げになる院
五月二十二日の午後、郊外のその院の待合室に座っていた。
三時過ぎに、八十代くらいの女性が来た。
キャリーではなく、段ボールの箱に布を敷いて、猫を入れていた。
受付の人が、「〇〇さん、どうしました」と言った。
女性は「ごはん食べないの」と言った。
診察に入って、十八分で出てきた。
会計のときに、女性が「いくら」と聞いた。
受付の人が、金額を言った。四千二百円だったと思う。
女性は財布から出して、小銭を数えた。数えるのに時間がかかった。
それを待っているあいだ、私は自分の作った表のことを考えていた。
この院は、二十六院の中で安いほうだった。
私が作った案は、グループの平均に寄せる案だった。平均に寄せると、この院は上がる。
項目によっては、三割から四割上がる。
四千二百円が、五千八百円くらいになる。
私は、その差額を頭の中で計算した。
計算してから、計算している自分が嫌だった。
嫌だったことを、いまも覚えている。嫌だったのに、計算は最後までやった。
その日の夜、倉持さんに電話した。
「価格の標準化、一枚目から落としたいです」と言った。
倉持さんは、「理由は」と聞いた。
私は、「揃えると、下がる院と上がる院が出ます」と言った。
倉持さんは、「それはそうでしょ」と言った。
そのあと、少し黙って、こう言った。
「寒河江さん、落とすんじゃなくて、順番を変えよう」
順番を変えた
六月の第一週の報告で、構成を変えた。
一枚目に置いたのは、価格ではなく、「原価と人の配置」だった。
同じ処置で、使っている薬剤と材料が違う。仕入れの単価も違う。これを揃えると、院の利益が増える。値段は上げなくてもいい。
仕入れの単価の差は、大きかった。
同じワクチンを、いちばん安く買っている院と高く買っている院で、一・六倍違った。
これは、買った院が元の取引先を続けていたからだった。
薬剤と材料の仕入れをグループでまとめると、年間で一億四千万円くらい下がる計算になった。
価格の標準化は、四枚目に移した。
書き方も変えた。「三年かけて、下げる院から先に動かす」という案にした。
安い院を上げるのは最後。上げるときは、処置の内容を変える前提にする。
社長は、「三年は長いですね」と言った。
倉持さんが、「二十六院を一年で揃えると、辞める院長が出ます」と言った。
社長は、「何人くらいですか」と聞いた。
倉持さんは「分かりません」と答えた。
分からないと答えたのが、たぶん効いた。社長は三年の案を受けた。
中間報告 ―― 七月十一日
中間報告は、本社の会議室でやった。
出席は、会長、社長、本部の部長が三人、それに院長が五人。
院長の五人は、会長が選んだと聞いた。買った院から三人、自分で開いた院から二人。
私は、揃える項目の一覧を説明した。全部で八十七項目に絞ってあった。
最初に出てきたリストは三百十四項目だったので、三分の一以下にしている。
落とした項目のうち、いちばん大きかったのは診察の時間だった。それと、院の内装と、受付の言葉の決まりごと。
受付の言葉を揃える案は、本部の部長の一人が出したものだった。
私は、それを落とす理由を一枚にした。
十四院で、受付が動物の名前を呼んだ院が九院。呼んだとき、飼い主の表情が変わるのを数えた。四十一件のうち三十四件で変わった。
名前を呼ぶのは、決まりで揃えるものではない。カルテに名前が入っていて、受付の人がそれを覚えているから起きる。
部長は、「それはそうですが、言葉くらいは」と言った。
会長が、そこで初めて口を開いた。
「寒河江さん、うちで『この子』って言う院、何院ありました」
全部でした、と答えた。
会長は、「じゃあ、それはもう揃ってる」と言った。
部長の案は、落ちた。
落としてもらったのは私ではない。会長だ。それは分かっている。
最終報告 ―― 九月十八日
最終は六十二枚だった。
三年の工程表を作った。一年目が仕入れと在庫、二年目がカルテと予約の仕組み、三年目が価格。
初年度の効果が、一億四千万円。三年の累計で三億二千万円。
社長は、「もっと早くできませんか」と言った。
倉持さんが、「一年目をもっと詰めるのはできます」と答えた。
それから、「三年目を前に持ってくるのは、やめたほうがいいです」と言った。
社長は、「価格ですよね」と言った。
倉持さんは「はい」と答えた。
社長は少し笑って、「寒河江さんが、郊外の院で粘ったやつですね」と言った。
粘ったつもりはなかった。順番を変えただけだ。
ただ、社長の中ではそう整理されていた。
その整理のほうが正しいのかもしれない。
生活 ―― 二十六歳
年収は六百八十万円だ。
家賃は八万九千円。駅から十二分のところに、一人で住んでいる。
この案件の残業は、四月が五十一時間、五月が六十四時間、六月が七十二時間だった。
六週間、院に通った。移動が多かった。二十六院のうち、片道で二時間近くかかる院が四つあった。
服に毛が付く。
黒いパンツは三週間でやめた。グレーに替えた。それでも付く。
コロコロを鞄に入れて持ち歩くようになった。
匂いのことを書いておく。
動物病院には匂いがある。消毒の匂いと、動物の匂いと、フードの匂いが混ざっている。
最初の一週間は、帰りの電車で自分から匂っていないか気にしていた。
三週間で気にならなくなった。
気にならなくなってから、実家の母に「犬飼ってた頃の匂いがする」と言われた。
実家では、十六年、犬を飼っていた。私が高校二年のときに死んだ。
名前を、ここには書かない。
五月の連休に実家に帰ったとき、母が仏壇の横に置いてあるその犬の写真を、少し動かしていた。
理由は聞かなかった。
後記 ―― 翌年の七月
一年後に、本社の経営企画の方からメールが来た。
薬剤と材料の仕入れは、まとまっていた。前年より八千九百万円下がったと書いてあった。一億四千万円には届いていない。
届かなかったのは、六院が元の取引先を続けたからだった。
理由は、取引先が地元の会社で、院長が長く付き合っているからだという。
価格の標準化は、下げる院から始まっていた。十一院が下がった。
上げる予定だった院は、まだ動いていない。
それと、院長が一人辞めていた。
紙のカルテの、六十八歳の方だった。
辞めたのは電子化が理由ではないと書いてあった。年齢と、体のことだと。
その院は、後任の獣医師が入って続いている。
カルテは電子になった。
棚の箱は、どうしたのか書いていなかった。
私は、メールの返信にその質問を書いて、消した。
消したのは、聞いてどうするのか、自分で答えられなかったからだ。
いまは別の案件にいる。食品の工場の案件で、待合室はない。
黒いパンツを、また履いている。
毛は付かない。
ただ、コロコロはまだ鞄に入っている。
入れたままになっているだけで、理由はない。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。