「十七時二十分に帰る人」として、私はこの案件の責任者になった
十七時二十分に会社を出る人間が、三十四箇所の店を閉めるかどうかを決める側に立った――筒井が、冬の灯油配送に同行した案件の記録。
十七時二十分に、私は会社を出る。
エレベーターの前で、「お先に失礼します」と言う。言い方は一年かけて短くなった。最初の三ヶ月は、理由を付けていた。
筒井です。三十五歳。マネージャーになって二年目で、そのうちの一年は育休で、復帰して一年が経った。
子どもは二歳三ヶ月。保育園の迎えは十八時十分までだ。延長は十九時まであるが、追加で三百円かかる。
三百円は惜しくない。惜しくないのに、使うと負けた気がする。これは私の問題だ。
アサイン ―― 九月
クライアントは、県内で給油所を三十四箇所やっている会社だった。
創業は七十一年前。石油の元売りから仕入れて売る、いわゆる販売店。給油のほかに、灯油の配送、LPガス、車検と整備、それに自動車保険の代理店をやっている。
社員は二百十四人。売上は年間で百九十八億円だが、燃料の仕入れが大きいので、営業利益は二億六千万円だった。
依頼は二つだった。給油所の数を減らすべきか。減らさないなら、何を併設するか。
社長は六十三歳。創業家の三代目で、会議のとき、ずっとボールペンの先で机を叩いていた。
期間は四ヶ月。私と、コンサルタントの三年目の宮下さんと、アナリストの二年目の黒須さんの三人。
マネージャーは私だった。私が時短であることは、提案の段階でクライアントに伝えてある。
社長は、「こちらは構いません」と言った。そのあとで、「夜は誰がいるんですか」と聞いた。
宮下さんがいます、と答えた。
答えてから、それは答えとしてどうなのだろうと思った。
最初に引いた線
十月の第一週に、三十四箇所の損益を一箇所ずつ並べた。
元のデータは本社の経理にあった。箇所別の売上と、仕入れと、人件費と、地代。地下タンクの法定点検の費用も入っていた。
営業利益が赤字の箇所が、十三あった。
私は、その十三を「一箇所あたりの給油量」で並べた。
月間の給油量が少ない順に並べて、下から十一箇所を閉める候補にした。
十一にしたのは、残り二十三箇所でいまの給油量の八十四パーセントをカバーできる計算になったからだった。
この作業に、三日かかった。三日目の夕方に、宮下さんに送った。
宮下さんは、翌朝に「きれいですね」と言った。
きれいだった。きれいだったことが、まずかった。
十月十七日、灯油に同行した
現場を見ることにしたのは、黒須さんが聞いてきたことがきっかけだった。
「灯油の配送って、どこから出てるんですか」
分からなかった。損益のデータには、灯油の売上が箇所別に入っている。どこから配っているかは、入っていない。
本社に聞いたら、「給油所から出てます」と言われた。
全部ではなかった。三十四箇所のうち、灯油のローリーと配送員を持っているのが九箇所。残りは、その九箇所が担いでいる。
九箇所のうち、三箇所が、私が閉める候補に入れた十一の中にいた。
十月十七日に、配送に同行させてもらった。
朝は八時集合だったが、私は九時三十分からなので、九時四十分に給油所で合流して、十二時までの二時間二十分だけ乗った。
二時間二十分で、十四軒回った。
配送員の方は六十三歳だった。この会社に四十年いる。元は整備をやっていたと言っていた。
家の前にローリーを停めて、ホースを伸ばして、玄関先のタンクに入れる。タンクがない家には、十八リットルのポリ缶を置いていく。
ポリ缶を、一度持たせてもらった。
十六キロ弱だった。片手で持ち上げようとして、持ち上がらなかった。両手で抱えて、三メートル運んだ。
息が上がった。
子どもを抱えている重さと、あまり変わらなかった。抱っこは慣れている。だから、重さではなく、形の問題だと思った。
十四軒のうち、十一軒が高齢の方の家だった。玄関の前に出てきて、配送員の方と話す。
四軒目の家で、八十代の女性が「息子がね」と話し始めて、六分くらい続いた。
配送員の方は、全部聞いていた。
私は、腕時計を二回見た。見たことを、たぶん気づかれている。
給油所に立った
十月の二十二日に、黒須さんと二人で、一箇所に半日立たせてもらった。
国道から一本入ったところにある、フルサービスの店だった。計量機が四基。従業員は所長と、パートの方が三人。
所長は四十七歳で、この店に十一年いる。
九時四十分から十二時四十分までの三時間で、入ってきた車は二十九台だった。
そのうち、十六台が同じ顔だった。所長が全員の名前を知っていた。
名前というより、車で覚えている。「あの軽トラは〇〇さんの下の息子さん」という言い方をする。
給油のあいだに、所長は必ず一言言う。
「車検、来月でしたよね」
「タイヤ、そろそろですよ」
二十九台のうち、七台でその会話が発生した。七台のうち二台が、その場で予約を入れた。
私は、それを数えてノートに書いた。数えたのは、他に何をしていいか分からなかったからだった。
所長は、十一時過ぎに私に言った。
「本社の方は、うち、数字悪いって言うんですけどね」
この店は、私が作った表では、赤字の十三のうちの一つだった。
「油は、もう儲からんです」と所長は言った。
それから、「でも、うちに来る人は、油を買いに来てるんじゃないんですよ」と言った。
そのときは、営業の人の言い方だと思って聞いた。
午後に数字を触って、その言葉が数字だったことが分かった。
仮説が入れ替わった
その日の午後、数字を組み直した。
灯油の配送の売上を、配る側の箇所に付け替えた。
付け替えた瞬間に、閉める候補の並びが変わった。
給油量が下から三番目だった箇所が、灯油の売上を足すと黒字になった。この箇所は、周り十キロに他の給油所がない。灯油の配送の七百四十軒を一人で担いでいた。
逆に、給油量が上のほうにあった国道沿いの二箇所が、灯油をほとんど持っていなかった。この二箇所はセルフで、人件費が低い代わりに、車検も保険も取れていなかった。
ここで気づいた。
この会社は、燃料で儲けていない。
燃料の粗利は一リットルあたり十一円台で、人件費と地代と点検の費用を乗せると、ほとんど残らない。
残っているのは、車検と整備と保険だった。この三つで、営業利益の七割以上が出ていた。
つまり、「どれだけ売ったか」ではなく、「誰と話したか」で採算が決まる構造だった。
私が最初に引いた線は、売った量で引いた線だった。
三日かけて、間違った軸で並べていた。
なぜその軸を選んだのかを、あとで考えた。
理由は、データがその形で来たからだった。経理から出てきたファイルの一列目が、箇所別の給油量だった。
並べやすいものを並べた。
もう一つ理由がある。十月の第一週は、子どもが手足口病で三日休んでいた。
私は家で、短い時間で形になる作業を選んでいた。
宮下さんに、そう言った。
宮下さんは、「でも三日ですよ」と言った。
慰めてくれたのだと思う。ただ、四ヶ月の案件で三日は、小さくない。
中間報告 ―― 十一月十一日
中間報告は、十四時からだった。
私は十七時二十分に出なければならないので、報告を十四時に入れてもらった。社長の予定を動かしてもらった形になる。
このことを、私は社内の誰にも相談していない。自分で先方に頼んだ。
出席は、社長、常務、営業部長、それに所長が六人。所長というのは、給油所の現場の責任者だ。
二十七枚を説明した。
閉める候補は、十一から四に減らしていた。
四箇所は、灯油も車検も保険もほとんど取れておらず、周囲に自社の他の給油所が二キロ以内にある箇所だった。
所長の六人は、最初の二十分、全員黙っていた。
一人が、「四つで済むんですか」と言った。
その言い方が、安心したのか、落胆したのか、分からなかった。
あとで常務に聞いたら、所長たちは十箇所以上閉まると思って来ていたらしい。前年に元売りから「三割減らせ」という趣旨の話をされていたそうだ。
その情報を、私は十一月十一日まで知らなかった。
社長は、「併設のほうは」と聞いた。
併設の案は五枚あった。車検の枠を増やす、保険の人を回す、コインランドリー、宅配の受け取り。
社長は、コインランドリーの頁で手を止めて、「これ、他の会社もやってますね」と言った。
やっています、と答えた。
社長は「じゃあ、うちがやる理由は」と聞いた。
答えられなかった。十五秒くらい黙った。
黙っているあいだ、所長の一人が湯呑みを持ち上げて、飲まずに置いた。その音が聞こえるくらい静かだった。
宮下さんが、「立地の条件を次回までに整理します」と言ってくれた。
助かった。助かったことが、少し悔しかった。
十七時十分に会議室を出た。十七時二十分の電車に乗って、十八時四分に保育園に着いた。
最終報告 ―― 十二月二十三日
最終は三十九枚になった。
閉めるのは四箇所。うち二箇所は、灯油の配送だけ残して、給油の設備を止める案にした。地下タンクの点検費用が、年間で一箇所あたり八十万円前後かかる。
併設は、車検の枠の増加に絞った。コインランドリーは落とした。
落とした理由は、整備士の資格を持っている社員が五十一人いて、その稼働が平均で六割だったからだ。空いている四割で車検をもう少し取れる。
ここは数字が立った。
立たなかったのは、灯油のほうだった。
配送員は十四人で、平均年齢が六十一歳。最年長が六十八歳。
この人たちが辞めたら、灯油の七千四百軒は配れない。
採用の案を一枚書いた。書いたが、薄い。
社長は、その頁で「これは、どうにもならんよね」と言った。
私は「はい」と答えてしまった。
答えるべきではなかったと思う。マネージャーが「はい」と言ってはいけない場面だった。
ただ、そのとき私が思っていたのは、十八リットルのポリ缶を三メートル運んだときの息の上がり方だった。
あれを一日に四十回やる仕事に、二十代が来る理由を、私は書けなかった。
生活 ―― 三十五歳
年収は千二十万円だ。時短なので、満額からは減っている。
家賃は十四万八千円。夫と子どもと三人。
この案件の私の残業は、月に十五時間から二十二時間だった。残業というより、夜に家でやっている時間だ。
子どもを二十一時に寝かせて、二十一時四十分から二十三時半まで、ダイニングのテーブルでパソコンを開く。
宮下さんから二十二時台にメッセージが来る。私はだいたい返す。
一度、夫に「返さなくていいんじゃない」と言われた。
返さないと、翌朝の九時半まで止まる。九時半まで止まると、宮下さんが先に判断する。
判断してもらっていいこともあるし、よくないこともある。その区別が、二十二時の私には付かない。
十一月の二週目に、保育園から電話が来た。三十八度二分の熱だった。
私はクライアント先にいた。中間報告の二日前だった。
夫が行った。夫の会社は休みを取りやすい。取りやすいから、いつも夫が行く。
そのことについて、夫は何も言わない。言わないことが、一番こたえる。
その日の夜、夫が寝たあとに、私はキッチンで立ったままおにぎりを食べた。
コンビニのもので、百四十八円の鮭だった。
おいしくなかった。おいしくないのは、商品のせいではなかった。
後記 ―― 翌年の十月
十ヶ月後に、営業部長からメールが来た。
閉めたのは二箇所だった。四箇所のうち、二箇所は残った。
残った二箇所は、所長が反対したのではなく、土地の賃貸契約が残っていたからだと書いてあった。
契約の残存を、私は見ていなかった。損益の表に地代は入っていたが、契約の終期は入っていなかった。
聞かなかった私の落ちだ。
車検の枠は増えていた。前年比で入庫が一一七パーセントになったと書いてあった。
灯油の配送員は、十四人から十二人になっていた。
二人が辞めて、採れたのはゼロ。
メールの最後に、一行あった。
「筒井さんが乗った車の、あの方は、まだやってます」
私は、その一行を二回読んだ。
いまも時短のままだ。解除する予定を、春に一度立てて、やめた。
やめた理由は、上の子ではなく、二人目を考えているからだ。これは社内の誰にも言っていない。
言うと、次の案件の体制図から外されるかもしれない。外されないかもしれない。
確かめる方法がないので、言わないことにしている。
十七時二十分に、今日も会社を出る。
保育園までの自転車の前かごに、資料の入った鞄が入らない日がある。
そういう日は、鞄を背負って、前かごには子どもの着替えを入れている。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。