体験記 No. 87

「船はある。人がいない」と言われて、私はその案件を売った

案件内航海運会社・船員の確保と配船計画の見直し
話の中心アサイン
語り手柳田 / 48歳・パートナー4年目
読了約8分 · 5,100字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
十一隻を九隻で回す案は読まれなかった船員の平均年齢は五十四・三歳

売るのは三十分で終わる。張る人がいないことに気づくのは、その夜だ――柳田が、船に一度も乗らないまま終えた案件の記録。

案件が売れるときは、だいたい静かだ。

その日も静かだった。先方の会議室で、社長が「じゃあ、お願いします」と言った。十一時四十分だった。

四ヶ月、二千六百万円。チームは三人という前提で見積もってある。

私は礼を言って、エレベーターで一階まで降りて、ロビーを出た。

柳田です。四十八歳。パートナーになって四年目になる。

売れた瞬間に私が考えていたのは、船のことではなかった。誰を張るか、だった。

依頼 ―― 「船はある。人がいない」

クライアントは、内航の貨物船を持っている会社だった。

西日本と関東を結ぶ定期の航路と、不定期の用船。十一隻。社員は陸上が四十二人、船員が百四十人。創業は六十三年前で、二代目から三代目に代わったところだった。

社長は四十九歳。前職は船に乗っていない。親会社にあたる荷主系の商社から戻ってきた人だった。

依頼の言葉は、最初の訪問のときに聞いた。

「船はあるんですよ。人がいない」

船員の平均年齢は五十四・三歳。五十五歳以上が六十一人で、全体の四割を超えていた。

直近二年で、十九人が辞めて、採れたのが七人。

配船の計画は、月に一度、海務部の次長が一人で組んでいた。エクセルの一枚のシートで、横が日付、縦が船名。乗る人の名前が手で入っている。

その次長は、五十八歳だった。

私は、この案件は売れると思った。思った根拠は、社長が二回「どうしたらいいですか」と言ったことだった。

売ってから探す

社内に戻って、稼働の表を開いた。

四ヶ月、三人。マネージャー一人、コンサルタント一人、アナリスト一人。これが提案書に書いた体制だった。

提案書の体制図には、名前が入っていない。役割と、想定の経験年数だけが書いてある。

これは、私がそうしているのではなく、業界がそうなっている。

売れるかどうか分からない案件に、人を押さえておくことはできない。だから売ってから探す。

探して、いなかった。

火曜の朝に、週次のアサインの会議がある。パートナーが七人と、人事の担当が二人。スクリーンに稼働の表が出る。横が週、縦が人の名前。埋まっているところが濃い色で、空いているところが白い。

白いところを、全員が探している。

その週、十月以降で白かったマネージャーは二人だった。

マネージャーの層が、十月から十二月にかけて全部埋まっていた。空いているのは二人で、一人は海外の案件に半分入っていて、もう一人は、中途で入って一年目の人だった。

その一年目の人を、宇田川さんとしておく。三十八歳で、前職は事業会社の物流部門にいた。

私は宇田川さんを張った。

理由を三つ、そのとき自分に言った。物流の経験がある。クライアントの規模が大きすぎない。四ヶ月なら、立ち上がりの遅れを後半で取り返せる。

三つ目が、いちばん嘘だった。

四ヶ月の案件で、立ち上がりの遅れは取り返せない。私はそれを十回以上見ている。

九月、立ち上がり

キックオフは九月の四日だった。

私は出た。パートナーが出るのは初回と、中間報告と、最終報告。それと、何か壊れたとき。

出席はクライアント側が九人。社長、常務、海務部長、海務部次長、人事、総務、それに船長が二人。

船長の二人は、休暇で陸にいるタイミングで呼ばれていた。

一人は六十二歳。もう一人は四十四歳だった。

四十四歳の船長が、最初に口を開いた。

「それ、我々が何か答えるんですか」

宇田川さんが、「現場のお話を伺いたいと思っています」と答えた。

六十二歳の船長は、何も言わなかった。資料を一枚ずつめくって、最後まで行ったら最初に戻していた。

その人の手が、途中で一度止まった。体制図の頁だった。

名前が入っていない頁だ。役割と、経験年数だけが書いてある。

船の世界では、誰が乗るかで仕事が決まる。それは、あとで三好さんに言われて気づいた。

会議は五十五分で終わった。

帰りのタクシーで、宇田川さんが「船長さん、怒ってましたね」と言った。

私は「怒ってない」と答えた。「あれは、何度も同じことを聞かれた人の顔です」

宇田川さんは、「前にもコンサルが入ってるんですか」と聞いた。

入っていた。七年前に一度。そのことは、提案の前に社長から聞いていた。私は提案書にその話を一行も書かなかった。

書かなかった理由は、書くと「じゃあ前回は何だったのか」という話になって、受注が遠のくからだった。

宇田川さんに共有もしていなかった。

乗船調査に、私は行かなかった

十月に、チームは船に乗った。

二泊三日の航海に、コンサルタントの三好さんと、アナリストの一年目が乗った。宇田川さんは陸で次長に張り付いた。

私は行っていない。

行かなかったのは、その週に別の案件の提案が二本あって、どちらも最終のプレゼンだったからだ。片方は取れて、片方は落ちた。

三好さんから、乗船中に一度だけ連絡が来た。電波が入る区間で送ったのだと思う。

「食事が、思ったより良いです」

それだけだった。

戻ってきた三好さんの報告で、いちばん効いたのは数字ではなかった。

船員の休暇の話だった。

内航の船員は、乗って、降りて、休む。この会社の規定は、三ヶ月乗って一ヶ月休む。

実際は、乗船が三ヶ月半から四ヶ月になっていた。降りる人の代わりが来ないので、延びる。

延びた分の休暇は、記録の上では繰り越されている。繰り越されたまま、消えていた。

直近二年で辞めた十九人のうち、十四人が、乗船期間が規定を超えた直後に辞めていた。

人が足りないから乗船が延びる。延びるから辞める。辞めるから足りない。

輪になっていた。

三好さんは、乗船中に船員の九人から話を聞いていた。

そのうちの一人、五十一歳の機関長の言葉が、報告のメモに残っている。

「休みが減るのは、まあええんです。いつ減るか分からんのが、きついんです」

その人は、娘の結婚式に出られなかったという話をしたらしい。乗船が延びた月だった。

出られなかったことを、怒っていなかったとメモにある。

「船なんで」と言ったと書いてあった。

十月、次長の一枚

陸では、宇田川さんが海務部の次長に張り付いていた。

次長は、最初の二週間、ほとんど話さなかったと聞いている。

変わったのは、宇田川さんが配船のシートを一枚、手で写したときだった。

印刷したものを見ながら、罫線を引いて、船名を縦に十一並べて、日付を横に三十一並べた。それを次長の机の横でやった。

四十分くらいかかったらしい。

次長は、途中で「それ、ここ違う」と言ったという。

十月の三週目に、宇田川さんが報告でこう言った。

「あのシート、制約が十一個あります。ご本人は七個だと思っています」

資格の組み合わせ、休暇の残、乗船の上限、船の整備のドック入り、荷主ごとの付き合いの長さ、同じ船に乗せない人の組み合わせ。

最後のものは、シートに書いていない。次長の頭の中にだけあった。

「あの二人を同じ船に三ヶ月は、もたんですよ」と言われたそうだ。

私はこの話を、会議室で立って聞いていた。座らずに聞いたのは、次の打ち合わせまで七分しかなかったからだった。

七分で聞いた話が、この案件でいちばん良い発見だった。

中間報告 ―― 十一月七日

中間報告は、私が出た。

宇田川さんが二十二枚を説明して、私が最後に五分話す段取りにした。

二十二枚のうち、十四枚がこの輪の話だった。

社長は、聞き終わって、こう言った。

「分かるんですけど、採用の話はどこですか」

採用の施策は、十八枚目から三枚あった。

社長は、その三枚を指して、「これを厚くしてもらえますか」と言った。

私は、ここで引かなかった。

「採用を厚くしても、乗船が四ヶ月になっている限り、採った人から順に抜けます」と言った。

社長は、「それは分かります」と言った。

それから、「でも、うちは船を減らせないので」と言った。

十一隻を減らす話は、資料に入れていた。九隻で回す案だった。

社長は、その頁を飛ばした。飛ばす前に、一秒だけ目が止まった。飛ばしたのは意図的だったと思う。ページ番号を読み上げずに次に行った。

会議のあと、常務が廊下で私に言った。

「柳田さん、船を減らす話は、社長の前ではもう出さないほうがいいです」

理由は聞かなかった。聞かなくても、だいたい分かる。社長は船を増やして戻ってきた人だった。

最終報告 ―― 十二月十九日

最終は三十四枚だった。

配船の計画を組むためのモデルを作った。エクセルだが、次長が一人で手で入れていたものを、乗船の上限と休暇の残と資格の組み合わせで制約にした。

これは効いた。次長が十二月の計画を、四時間で組んだ。前は三日かかっていた。

採用の施策も厚くした。社長の言った通りにした。

船を減らす案は、付録に移した。本編から外して、巻末の参考資料にした。

外したのは私の判断だった。宇田川さんは「本編に残したいです」と言った。

私は、「残すと、全部が反対されます」と言った。

これは、間違っていないと思う。いまでも思う。

ただ、付録は読まれない。それも知っていて外した。

社長は最終報告のあと、「来期も何かお願いするかもしれません」と言った。

受注の話としては、良い終わり方だった。

生活 ―― 四十八歳

私の年間の受注目標は、三億二千万円だ。

この案件は二千六百万円。十二分の一にもならない。

パートナーになって四年、達成したのは二年。達成しなかった年は、三月の面談で、数字が印刷された紙を見ながら一時間話す。

年収は、達成した年と、しなかった年で、三百万円くらい違う。

家は十四年前に買った。ローンは残り十一年ある。

子どもが二人いて、上が高校二年、下が中学二年。上の子の進路の面談に、妻が一人で行った。

私は、その日は西の都市にいた。別の案件の提案だった。

夜に電話して、どうだったと聞いた。妻は「普通だった」と言った。

それ以上は聞かなかった。聞くと、行かなかった話になる。

身体のことを書いておく。

血圧の薬を三年飲んでいる。朝に一錠。飲み忘れると夕方に頭の後ろが重くなるので、忘れなくなった。

去年の健康診断で、腎臓の数値に初めて印がついた。再検査には行った。もう一度来てくださいと言われて、まだ行っていない。

十二月の最終報告の日、帰りに駅の立ち食いそばを食べた。四百六十円。かけそばに、ゆで卵を足した。

六十円だった。

おいしかった。そのことを、家に帰って誰にも言わなかった。

後記 ―― 翌年の六月

半年後に、海務部長から電話があった。

配船のモデルは、使っているという話だった。次長が四月に定年で、その後任に引き継いだと言っていた。

それから、船員が二人辞めたと聞いた。

一人は五十六歳で、乗船が四ヶ月十一日になっていた。

もう一人は二十七歳だった。この人は、私たちが入っていた期間に入社している。

入社したときに、三好さんが一度話を聞いていた。報告書に、そのときの言葉が一行入っている。

「船の上は、意外と静かだと思いました」

辞めた理由は、聞いていない。

宇田川さんは、三月に辞めた。別のファームに移った。

送別の席で、宇田川さんは私に「柳田さん、あの船、乗ってないですよね」と言った。

酔っていたのだと思う。

乗っていない、と答えた。

宇田川さんは、「乗ったら、付録にしなかったかもしれないですよ」と言った。

それから、「すみません」と言って、別の人と話しに行った。

私は、その夜のことを何度か思い出している。

思い出すたびに、別の結論になる。

乗っていても付録にしたと思う日と、乗っていれば本編に残して、受注を一本落としていたと思う日がある。

どちらが正しいのかは、たぶん分からない。

今期の私の数字は、六月の時点で一億一千万円だ。足りていない。

来週、また別の提案に行く。病院の、給食の委託の話だ。

体制図は、もう作ってある。役割と、経験年数が書いてある。

名前は、まだ入っていない。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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