「船はある。人がいない」と言われて、私はその案件を売った
売るのは三十分で終わる。張る人がいないことに気づくのは、その夜だ――柳田が、船に一度も乗らないまま終えた案件の記録。
案件が売れるときは、だいたい静かだ。
その日も静かだった。先方の会議室で、社長が「じゃあ、お願いします」と言った。十一時四十分だった。
四ヶ月、二千六百万円。チームは三人という前提で見積もってある。
私は礼を言って、エレベーターで一階まで降りて、ロビーを出た。
柳田です。四十八歳。パートナーになって四年目になる。
売れた瞬間に私が考えていたのは、船のことではなかった。誰を張るか、だった。
依頼 ―― 「船はある。人がいない」
クライアントは、内航の貨物船を持っている会社だった。
西日本と関東を結ぶ定期の航路と、不定期の用船。十一隻。社員は陸上が四十二人、船員が百四十人。創業は六十三年前で、二代目から三代目に代わったところだった。
社長は四十九歳。前職は船に乗っていない。親会社にあたる荷主系の商社から戻ってきた人だった。
依頼の言葉は、最初の訪問のときに聞いた。
「船はあるんですよ。人がいない」
船員の平均年齢は五十四・三歳。五十五歳以上が六十一人で、全体の四割を超えていた。
直近二年で、十九人が辞めて、採れたのが七人。
配船の計画は、月に一度、海務部の次長が一人で組んでいた。エクセルの一枚のシートで、横が日付、縦が船名。乗る人の名前が手で入っている。
その次長は、五十八歳だった。
私は、この案件は売れると思った。思った根拠は、社長が二回「どうしたらいいですか」と言ったことだった。
売ってから探す
社内に戻って、稼働の表を開いた。
四ヶ月、三人。マネージャー一人、コンサルタント一人、アナリスト一人。これが提案書に書いた体制だった。
提案書の体制図には、名前が入っていない。役割と、想定の経験年数だけが書いてある。
これは、私がそうしているのではなく、業界がそうなっている。
売れるかどうか分からない案件に、人を押さえておくことはできない。だから売ってから探す。
探して、いなかった。
火曜の朝に、週次のアサインの会議がある。パートナーが七人と、人事の担当が二人。スクリーンに稼働の表が出る。横が週、縦が人の名前。埋まっているところが濃い色で、空いているところが白い。
白いところを、全員が探している。
その週、十月以降で白かったマネージャーは二人だった。
マネージャーの層が、十月から十二月にかけて全部埋まっていた。空いているのは二人で、一人は海外の案件に半分入っていて、もう一人は、中途で入って一年目の人だった。
その一年目の人を、宇田川さんとしておく。三十八歳で、前職は事業会社の物流部門にいた。
私は宇田川さんを張った。
理由を三つ、そのとき自分に言った。物流の経験がある。クライアントの規模が大きすぎない。四ヶ月なら、立ち上がりの遅れを後半で取り返せる。
三つ目が、いちばん嘘だった。
四ヶ月の案件で、立ち上がりの遅れは取り返せない。私はそれを十回以上見ている。
九月、立ち上がり
キックオフは九月の四日だった。
私は出た。パートナーが出るのは初回と、中間報告と、最終報告。それと、何か壊れたとき。
出席はクライアント側が九人。社長、常務、海務部長、海務部次長、人事、総務、それに船長が二人。
船長の二人は、休暇で陸にいるタイミングで呼ばれていた。
一人は六十二歳。もう一人は四十四歳だった。
四十四歳の船長が、最初に口を開いた。
「それ、我々が何か答えるんですか」
宇田川さんが、「現場のお話を伺いたいと思っています」と答えた。
六十二歳の船長は、何も言わなかった。資料を一枚ずつめくって、最後まで行ったら最初に戻していた。
その人の手が、途中で一度止まった。体制図の頁だった。
名前が入っていない頁だ。役割と、経験年数だけが書いてある。
船の世界では、誰が乗るかで仕事が決まる。それは、あとで三好さんに言われて気づいた。
会議は五十五分で終わった。
帰りのタクシーで、宇田川さんが「船長さん、怒ってましたね」と言った。
私は「怒ってない」と答えた。「あれは、何度も同じことを聞かれた人の顔です」
宇田川さんは、「前にもコンサルが入ってるんですか」と聞いた。
入っていた。七年前に一度。そのことは、提案の前に社長から聞いていた。私は提案書にその話を一行も書かなかった。
書かなかった理由は、書くと「じゃあ前回は何だったのか」という話になって、受注が遠のくからだった。
宇田川さんに共有もしていなかった。
乗船調査に、私は行かなかった
十月に、チームは船に乗った。
二泊三日の航海に、コンサルタントの三好さんと、アナリストの一年目が乗った。宇田川さんは陸で次長に張り付いた。
私は行っていない。
行かなかったのは、その週に別の案件の提案が二本あって、どちらも最終のプレゼンだったからだ。片方は取れて、片方は落ちた。
三好さんから、乗船中に一度だけ連絡が来た。電波が入る区間で送ったのだと思う。
「食事が、思ったより良いです」
それだけだった。
戻ってきた三好さんの報告で、いちばん効いたのは数字ではなかった。
船員の休暇の話だった。
内航の船員は、乗って、降りて、休む。この会社の規定は、三ヶ月乗って一ヶ月休む。
実際は、乗船が三ヶ月半から四ヶ月になっていた。降りる人の代わりが来ないので、延びる。
延びた分の休暇は、記録の上では繰り越されている。繰り越されたまま、消えていた。
直近二年で辞めた十九人のうち、十四人が、乗船期間が規定を超えた直後に辞めていた。
人が足りないから乗船が延びる。延びるから辞める。辞めるから足りない。
輪になっていた。
三好さんは、乗船中に船員の九人から話を聞いていた。
そのうちの一人、五十一歳の機関長の言葉が、報告のメモに残っている。
「休みが減るのは、まあええんです。いつ減るか分からんのが、きついんです」
その人は、娘の結婚式に出られなかったという話をしたらしい。乗船が延びた月だった。
出られなかったことを、怒っていなかったとメモにある。
「船なんで」と言ったと書いてあった。
十月、次長の一枚
陸では、宇田川さんが海務部の次長に張り付いていた。
次長は、最初の二週間、ほとんど話さなかったと聞いている。
変わったのは、宇田川さんが配船のシートを一枚、手で写したときだった。
印刷したものを見ながら、罫線を引いて、船名を縦に十一並べて、日付を横に三十一並べた。それを次長の机の横でやった。
四十分くらいかかったらしい。
次長は、途中で「それ、ここ違う」と言ったという。
十月の三週目に、宇田川さんが報告でこう言った。
「あのシート、制約が十一個あります。ご本人は七個だと思っています」
資格の組み合わせ、休暇の残、乗船の上限、船の整備のドック入り、荷主ごとの付き合いの長さ、同じ船に乗せない人の組み合わせ。
最後のものは、シートに書いていない。次長の頭の中にだけあった。
「あの二人を同じ船に三ヶ月は、もたんですよ」と言われたそうだ。
私はこの話を、会議室で立って聞いていた。座らずに聞いたのは、次の打ち合わせまで七分しかなかったからだった。
七分で聞いた話が、この案件でいちばん良い発見だった。
中間報告 ―― 十一月七日
中間報告は、私が出た。
宇田川さんが二十二枚を説明して、私が最後に五分話す段取りにした。
二十二枚のうち、十四枚がこの輪の話だった。
社長は、聞き終わって、こう言った。
「分かるんですけど、採用の話はどこですか」
採用の施策は、十八枚目から三枚あった。
社長は、その三枚を指して、「これを厚くしてもらえますか」と言った。
私は、ここで引かなかった。
「採用を厚くしても、乗船が四ヶ月になっている限り、採った人から順に抜けます」と言った。
社長は、「それは分かります」と言った。
それから、「でも、うちは船を減らせないので」と言った。
十一隻を減らす話は、資料に入れていた。九隻で回す案だった。
社長は、その頁を飛ばした。飛ばす前に、一秒だけ目が止まった。飛ばしたのは意図的だったと思う。ページ番号を読み上げずに次に行った。
会議のあと、常務が廊下で私に言った。
「柳田さん、船を減らす話は、社長の前ではもう出さないほうがいいです」
理由は聞かなかった。聞かなくても、だいたい分かる。社長は船を増やして戻ってきた人だった。
最終報告 ―― 十二月十九日
最終は三十四枚だった。
配船の計画を組むためのモデルを作った。エクセルだが、次長が一人で手で入れていたものを、乗船の上限と休暇の残と資格の組み合わせで制約にした。
これは効いた。次長が十二月の計画を、四時間で組んだ。前は三日かかっていた。
採用の施策も厚くした。社長の言った通りにした。
船を減らす案は、付録に移した。本編から外して、巻末の参考資料にした。
外したのは私の判断だった。宇田川さんは「本編に残したいです」と言った。
私は、「残すと、全部が反対されます」と言った。
これは、間違っていないと思う。いまでも思う。
ただ、付録は読まれない。それも知っていて外した。
社長は最終報告のあと、「来期も何かお願いするかもしれません」と言った。
受注の話としては、良い終わり方だった。
生活 ―― 四十八歳
私の年間の受注目標は、三億二千万円だ。
この案件は二千六百万円。十二分の一にもならない。
パートナーになって四年、達成したのは二年。達成しなかった年は、三月の面談で、数字が印刷された紙を見ながら一時間話す。
年収は、達成した年と、しなかった年で、三百万円くらい違う。
家は十四年前に買った。ローンは残り十一年ある。
子どもが二人いて、上が高校二年、下が中学二年。上の子の進路の面談に、妻が一人で行った。
私は、その日は西の都市にいた。別の案件の提案だった。
夜に電話して、どうだったと聞いた。妻は「普通だった」と言った。
それ以上は聞かなかった。聞くと、行かなかった話になる。
身体のことを書いておく。
血圧の薬を三年飲んでいる。朝に一錠。飲み忘れると夕方に頭の後ろが重くなるので、忘れなくなった。
去年の健康診断で、腎臓の数値に初めて印がついた。再検査には行った。もう一度来てくださいと言われて、まだ行っていない。
十二月の最終報告の日、帰りに駅の立ち食いそばを食べた。四百六十円。かけそばに、ゆで卵を足した。
六十円だった。
おいしかった。そのことを、家に帰って誰にも言わなかった。
後記 ―― 翌年の六月
半年後に、海務部長から電話があった。
配船のモデルは、使っているという話だった。次長が四月に定年で、その後任に引き継いだと言っていた。
それから、船員が二人辞めたと聞いた。
一人は五十六歳で、乗船が四ヶ月十一日になっていた。
もう一人は二十七歳だった。この人は、私たちが入っていた期間に入社している。
入社したときに、三好さんが一度話を聞いていた。報告書に、そのときの言葉が一行入っている。
「船の上は、意外と静かだと思いました」
辞めた理由は、聞いていない。
宇田川さんは、三月に辞めた。別のファームに移った。
送別の席で、宇田川さんは私に「柳田さん、あの船、乗ってないですよね」と言った。
酔っていたのだと思う。
乗っていない、と答えた。
宇田川さんは、「乗ったら、付録にしなかったかもしれないですよ」と言った。
それから、「すみません」と言って、別の人と話しに行った。
私は、その夜のことを何度か思い出している。
思い出すたびに、別の結論になる。
乗っていても付録にしたと思う日と、乗っていれば本編に残して、受注を一本落としていたと思う日がある。
どちらが正しいのかは、たぶん分からない。
今期の私の数字は、六月の時点で一億一千万円だ。足りていない。
来週、また別の提案に行く。病院の、給食の委託の話だ。
体制図は、もう作ってある。役割と、経験年数が書いてある。
名前は、まだ入っていない。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。