体験記 No. 86

「来年からは自分たちでやります」が、依頼の内容だった

案件産業廃棄物処理・リサイクル会社・分析と計画機能の内製化支援
話の中心最終報告
語り手千田 克実 / 43歳・シニアマネージャー5年目
読了約9分 · 5,500字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
手順書は三百二十ページから六十八ページへ僕が会議に出なくなった月から定着した

三年ぶんの型紙を渡して、呼ばれなくなるための六ヶ月だった――千田が、片付いた客先の机の前で書いた案件の記録。

四月の九日、水曜日の十時から、客先の会議室で三十分の打ち合わせがあった。

議題は、今年度の支援の範囲についてだった。

新しく来た経営企画部長が、紙を一枚出した。そこに書いてあったのは、こういうことだった。

来年度から、この業務は社内でやる。だから今年度は、やり方を全部渡してほしい。

千田です。四十三歳。シニアマネージャーになって五年目になる。

これまでの三年

クライアントは、産業廃棄物の収集運搬と中間処理をしている会社だった。

工場から出る廃棄物を集めて、破砕や選別をして、一部を再生の原料にして売る。残りは最終処分の業者に流す。

売上は年間で百十二億円。社員は三百八十人。処理の施設が四か所、積替えの保管場所が二か所。車両が百四十六台ある。

この会社と、僕たちは三年つきあっていた。

一年目に中期計画を作った。二年目に事業別の採算を見られるようにした。三年目にそれを使って価格の見直しと、施設の投資判断をやった。

年間のフィーは、四千八百万円だった。

三年で一億四千四百万円。この会社の年間の経常利益が、七億三千万円くらいだ。

新しい部長

四月に来た経営企画部長は、四十一歳の方だった。

中途で、前は別の業界の事業会社の経営企画にいた人だ。

その人が最初に言ったのは、こういうことだった。

「千田さんの作ってる表、すごくいいんですよ。でも、うちの誰も作れないんですよね」

そのとおりだった。

月次の採算の表は、僕が作っていた。正確には、僕が作ったExcelに、クライアントの担当者がデータを貼って、僕が見て、気になるところを僕が調べて、僕が報告していた。

三年やって、クライアント側で同じことができる人は、一人もいなかった。

部長は、「それは、千田さんが悪いという話じゃなくて」と言った。

「でも、このままだと、来年もお願いすることになります」

僕は、「それはありがたいです」と言った。

部長は笑って、「でしょうね」と言った。

僕が最初に作った計画

六ヶ月で何を渡すかを、僕は五月の連休前にまとめた。

渡すものを五つに分けた。

一つ、月次の採算のモデル。車両別、施設別、品目別の原価と収益。 二つ、月次の会議の運営。資料の様式、論点の立て方、議事の残し方。 三つ、価格の見直しのロジック。顧客別の採算と、改定の判断基準。 四つ、投資判断の様式。回収期間と感度分析。 五つ、中期計画の更新の手順。

この五つに、それぞれ手順書をつける。

僕は、手順書を全部で三百二十ページ書いた。

六月の末に、第一版を出した。

杉戸さんが言ったこと

チームは、僕と、三年目の杉戸さんの二人だった。

杉戸さんは、この会社に二年目から入っている。

三百二十ページを出した次の週、杉戸さんが僕にこう言った。

「千田さん、これ、誰が読むんですか」

僕は、「経営企画の三人」と答えた。

経営企画部は、部長と、二十九歳の課長代理と、二十四歳の担当の三人だった。三人とも、他の仕事を持っている。

杉戸さんは、「三人で、三百二十ページですか」と言った。

僕は、そのとき少し苛立った。

苛立った理由は、三百二十ページを書くのに五十時間くらいかけていたからだ。

一日置いて、僕は課長代理の方に聞いた。

「あの手順書、読めそうですか」

その人は、正直に答えてくれた。

「二十ページくらいまで読みました」

削る

七月に、手順書を作り直した。

三百二十ページを、六十八ページにした。

削った基準は一つだけにした。

「この作業を、来年の四月に誰がやるか」を特定できないページは、全部落とす。

落ちたのは、背景の説明、前提の整理、他社の事例、分析の考え方の解説。

残ったのは、手順と、様式と、判断の基準だった。

それと、別に一枚だけ作った。

月次の会議までの十二日間にやることを、日付と担当者の名前で並べたチェックリストだ。A3で一枚。

このA3一枚が、結局いちばん使われた。

六十八ページの手順書は、たぶん半分も読まれていない。

モデルを渡す

採算のモデルの引き継ぎは、七月から八月にやった。

ファイルは、シートが二十七枚あった。計算式が入っているセルが、十四万くらい。

ファイル名は、こうなっていた。

収益管理_v41_1030.xlsx

バージョンが四十一まで来ていた。1030は、十月三十日のことだ。前の年の。

これを見せたとき、課長代理の方が「四十一版あるんですか」と言った。

僕は、「あります」と答えた。

版が四十一あるというのは、僕が四十一回直したということだ。そのうち何回が改善で、何回が自分の都合だったかは、覚えていない。

渡し方を、二つ考えた。

一つは、このまま渡して、版の履歴を全部説明する。 二つは、作り直して、シートを減らして渡す。

僕は、二つ目を選んだ。

シートを二十七枚から十一枚にした。計算式を減らして、入力するシートと計算するシートと出力するシートを分けた。

作り直すのに、七十時間かかった。この七十時間は、クライアントには請求していない。

正直に書くと、自分のために作り直したところもある。

四十一版あるファイルを他人に渡すのは、恥ずかしかった。

二十四歳の方

経営企画の担当の方は、二十四歳で、入社三年目だった。

もともと営業にいて、去年の十月に経営企画に移ってきた人だ。

八月に、二人でモデルの操作をやった。三時間かけて、一回だけ通した。

その人は、途中で一つ質問をした。

「この車両別の原価って、ドライバーの残業代はどこに入ってるんですか」

僕は、人件費の配賦のシートを開いて、説明した。実績の労務費を、稼働時間で車両に割っている。

その人は、「でも、同じ車両でも、ドライバーによって残業の出方が全然違いますよ」と言った。

僕は、「平均で割っています」と答えた。

その人は、「じゃあ、この原価で判断すると、残業の多い人が乗ってる車両が安く見えますね」と言った。

そのとおりだった。

三年間、僕はそのことに気づいていなかった。

気づかなかったのは、僕がドライバーの顔を知らなかったからだ。その人は、営業にいたときに配車を見ていた。

僕は、その指摘をモデルの課題の一覧に入れた。入れたのは、直す時間がなかったからだ。

課題の一覧は、六十八ページの最後に二ページある。全部で十一項目。

そのうち三項目は、三年間ずっと残っていたものだった。

僕が四ヶ月やめなかったこと

月次の会議に、僕は出ていた。

四月から出ていて、五月も六月も七月も出た。

資料は、七月から課長代理の方が作るようになった。僕は、会議の前に見て、コメントをした。

会議では、僕が発言する回数が、だんだん減っていった。四月は十回以上、七月は三回。

八月の会議のあと、部長が僕を呼んだ。

「千田さん、九月から出ないでもらえますか」

僕は、「はい」と答えた。答えてから、何か言いたくなった。

言いたくなったことは、だいたいこういう内容だった。

まだ論点の立て方が固まっていない。資料の数字の根拠を聞かれたときに、答えられる人がいない。先月の会議で、課長代理の方が一つ間違えた。

全部、本当だった。

部長は、こう言った。

「間違えたほうがいいんですよ。千田さんがいると、間違えないので」

その言葉の意味を、僕は九月に理解した。

九月の会議に、僕は出なかった。

資料だけ、あとで送ってもらった。

資料は、僕が作っていたものより荒かった。グラフの軸が揃っていないし、前月比の計算が一か所おかしかった。

ただ、議事を読むと、僕が三年間一度も引き出せなかった発言が入っていた。

施設の所長が、「その数字、現場だと違う感覚です」と言っていた。

僕が出ている会議で、所長はこれを言わなかった。

計量所

九月に、施設を一つ回った。

最後の確認のためだった。原価の計算に使っている数字が、現場のどこで取られているかを、杉戸さんに見せておきたかった。

計量所がある。トラックが乗る大きな秤で、入るときと出るときに重さを測って、差が廃棄物の重量になる。

その数字が、全部の分析の出発点だ。

九月の施設は、暑かった。

においのことを書いておく。

産業廃棄物の施設のにおいは、品目によって違う。この施設は、建設の廃材と、工場の汚泥を扱っていた。

汚泥のほうが、重いにおいがする。夏は特にだ。

作業服を貸してもらって、長靴を履いて、一時間半いた。

出てきたとき、杉戸さんが「服、においつきますね」と言った。

僕は、「三年目で初めて来たから」と言った。

三年つきあって、僕がこの施設に来たのは、その日が四回目だった。

四回だ。

月次の会議には、三十六回出ている。

最終報告 ―― 九月三十日

九月三十日の十四時から、最終報告をした。

出席は、社長、経営企画部長、財務の部長、営業の部長、施設の統括、それに経営企画の三人全員。

僕が説明したのは、渡したものの一覧と、来年度の運用の体制と、残っている課題だった。

残っている課題は、三つ書いた。

一つ、品目別の原価の配賦のルールが、まだ一部あいまいである。 二つ、価格の改定を判断する会議体が決まっていない。 三つ、モデルを更新できる人が、課長代理の方一人である。

三つ目を、僕は赤字で書いた。

社長が、「それは、一人だとまずいですか」と聞いた。

僕は、「その方が辞めたら止まります」と答えた。

社長は、「じゃあ二人目を決めよう」と言って、その場で担当の方を指名した。二十四歳の方だった。

その人は、「えっ」と言った。

部長が、「大丈夫」と言った。

生活 ―― 四十三歳

年収は千五百八十万円だ。

家は、十一年前に買った。ローンの残りが二千六百万円ある。

子どもが二人いる。小学四年と、小学一年。

この案件の僕の残業時間は、四月が二十八時間、五月が三十四時間、六月が五十一時間、七月が六十二時間、八月が三十時間、九月が二十六時間だった。

六ヶ月で、二百三十一時間。

少ない。僕の過去五年で、いちばん少ない半年だった。

六月に、下の子の授業参観に行った。

平日の午後だった。行けたのは、この案件の会議が午前で終わったからだ。

教室の後ろに立って、三十分見ていた。

子どもが振り返って、僕を見つけて、少し笑った。

それだけのことだった。それだけのことが、その半年でいちばん覚えていることだ。

八月の評価面談で、上の人からこう言われた。

「千田さん、今年の案件、数字はちょっと弱いよね」

フィーの話だった。四千八百万円の年間契約が、来年はゼロになる。

僕は、「移管の案件なので」と答えた。

その人は、「分かってるよ」と言った。それから、「でも、次の種は撒いた?」と聞いた。

撒いていなかった。

六ヶ月、僕は自分の仕事を渡すことだけをやっていた。

身体のことも書いておく。

去年から、Excelの表示を百二十五パーセントにしている。百パーセントだと、数字の桁が見えにくい。

四月に眼鏡を作り直した。四万二千円だった。

腰は、もうずっと痛い。椅子を替えたら少し楽になった。

後記 ―― 一年半後

翌年度、この会社から仕事は来なかった。

それが成功の定義だったので、僕はそれを成功として報告した。

課長代理の方からは、年に二回くらいメールが来た。配賦のルールの相談と、モデルの計算が合わないという相談。

どちらも、三十分の電話で終わった。請求はしていない。

二年目の四月に、その課長代理の方が別の会社に転職した。

モデルを更新できる人は、最終報告で二人目に指名された二十四歳の方だけになった。その人は、二十六歳になっていた。

去年の秋、その会社が、分析と計画の支援について提案を募っていると聞いた。

同業の知り合いから聞いた話だ。

募集の資料に、添付の参考資料がついていたらしい。

僕が作った六十八ページの手順書だった。

現行の運用はこのとおりなので、これを前提に提案してほしい、ということだった。

僕の名前は、どこにも入っていない。手順書に名前は書かなかった。クライアントの文書として納めたからだ。

その話を聞いたとき、最初に思ったのは、自分たちで提案に出ようか、ということだった。

出なかった。別の案件が入っていて、手が空いていなかった。

誰が取ったのかは、知らない。

一つだけ、はっきりしていることがある。

あの六十八ページは、読まれている。

三百二十ページだったら、添付されていなかった。

最後の日に、客先の机を片付けた。

三年間、その会社の三階の窓際に、僕の机があった。引き出しは使っていなかったけれど、机の上にはモニターと、ノートと、ペン立てがあった。

全部持って帰って、机の上を拭いた。

そのあと、写真を一枚撮った。

何も載っていない机の写真だ。

なぜ撮ったのかは、いまも自分でよく分からない。

写真のデータを見ると、撮った時刻は十八時四十一分だった。

その日、僕はそのあと会社に戻って、別の案件の提案書を二時間書いた。提案書のファイル名は、v3で終わっている。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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