体験記 No. 82

六千三百八十四台は、たぶんまだ誰かの台所にある

案件小型調理家電メーカー・製品回収(リコール)の実行支援
話の中心立ち上がり
語り手間宮 一樹 / 25歳・入社2年目
読了約8分 · 5,500字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
対象は一万六千八百台分母を直したら回収率が上がった

回収率という一つの数字を、毎朝九時に更新する役だった――間宮が、お客様相談室の端の机から書いた案件の記録。

五月の十三日、火曜の十六時すぎに、席にいた僕のところにマネージャーの袴田さんが来て、「明日から三ヶ月、空いてる?」と言った。

空いていた。前の案件が二週間前に終わって、僕はその報告書の体裁を直す作業だけをしていた。

袴田さんは、「じゃあ、明日の朝八時半に、向こうの本社集合で」と言った。何の案件かは、そのとき聞かなかった。

間宮です。二十五歳。入社して二年目になる。

何が起きていたか

クライアントは、小型の調理家電を作っている会社だった。

電気ケトル、卓上のIH、ホットプレート、低温調理器。社員は三百十人。年商は百九十億円くらい。自社の工場は持っていなくて、国内と海外の協力工場で作っている。

その会社の卓上IHの一機種で、電源コードの差込部が発熱する事例が出ていた。

五件の報告があって、そのうち一件で発煙していた。けが人は出ていない。

製造していた期間が一年二ヶ月で、その間に出荷したのが一万六千八百台。

会社は、四月の末にそれを公表して、回収と交換を始めていた。

僕たちが呼ばれたのは、始めて二週間経って、進んでいないと分かった時点だった。

依頼は、回収の計画を作り直すこと。それと、毎日の進捗を管理する仕組みを作ること。

期間は三ヶ月。袴田さんと僕の二人。袴田さんは週に二日しか来られないと最初に言われた。

相談室の端の机

常駐したのは、お客様相談室だった。

本社の三階にあって、電話のブースが十二席ある。そのうち七席が普段使われていて、この件が出てから十二席全部を埋めていた。

僕の机は、その部屋のいちばん端に用意された。コピー機の横だ。

室長は、五十二歳の方だった。この会社に二十九年いて、そのうち十八年を相談室にいる。

初日に、僕はその人に挨拶をした。

その人は、「若い方が来ましたね」と言った。歓迎でも拒絶でもない言い方だった。

それから、「電話、聞こえますけど大丈夫ですか」と言われた。

大丈夫ですと答えた。

実際には、大丈夫ではなかった。

保留音

相談室の保留音は、十六秒のメロディだった。

十六秒で一周して、また最初に戻る。オルゴールみたいな音で、何の曲かは分からなかった。

十二席が同時に鳴ることがある。全部ずれて鳴るから、十六秒の中に十二の位置がある。

三日目の夕方、僕はその音を頭の中で鳴らせるようになった。

一週目の終わりに、耳の奥が詰まる感じがした。耳栓は使えなかった。電話の内容を聞いておきたかったからだ。

内容は、だいたい三種類だった。

一つ、これは対象かという確認。型番と製造番号を読んでもらう。

二つ、いつ取りに来るのかという問い合わせ。

三つ、怒っている電話。これは一日に二、三本だった。

三つ目の電話で、相談室の人が言う言葉を、僕はメモしていた。

「ご不便をおかけして、申し訳ございません」

この言葉を、ある人は一日に四十回以上言っていた。

一本だけ、僕が出た

六月の四日、十五時ごろだった。

十二席のうち十一席が通話中で、一席が空いていた。空いていたのは、その人が休憩に入ったからだ。

着信が溜まっていた。待ち呼が七件と表示されていた。

室長が、僕の方を見た。

「間宮さん、型番の確認だけ、できますか」

できますと答えた。研修は受けていない。ただ、型番と製造番号の照合の表は、僕が作ったものだった。

ヘッドセットを借りて、座った。

出たのは、女性の方だった。年齢は分からない。たぶん六十代くらいの声だった。

その人は、「これ、うちのやつ、対象ですかね」と言った。

型番を読んでもらった。対象の機種だった。製造番号も、対象の範囲に入っていた。

僕は、対象であることと、交換の手順を説明した。回収の宅配の箱を送るので、そこに入れて渡してください、と。

その人は、「分かりました」と言った。

それから、「教えてくれてありがとう」と言った。

僕は、「いえ」と言った。

電話を切って、ヘッドセットを外した。

それから、少し気分がよかった。気分がよかったことに、すぐ気づいた。

僕は、この製品が発熱することを教えてもらって、ありがとうと言われた。

回収率の分母に、その一台が入っている。分子にも入った。差し引きゼロではなくて、プラス一だ。

その日、僕はその一本のことを、十九時ごろまで思い出していた。

二日目からは、思い出さなくなった。

数える

最初の一週間で、僕がやったのは数えることだった。

一万六千八百台の内訳を分けた。

販売店の店頭と倉庫にあった在庫が二千百四十台。これは会社が回収すればいい。実際、二週間で全部戻っていた。

自社の通販サイトで買った人が四千九百三十台。この人たちは名前と住所が分かる。

残りが九千七百三十台。量販店やホームセンターで、現金やクレジットカードで買った人たちだ。

誰が持っているか、分からない。

会社の資料では、この三つが分けられていなかった。回収率は、全部をまとめた一本の数字で報告されていた。

五月十六日時点で、二十九・八パーセント。

分けると、まったく違う形になった。

販売店在庫は百パーセント。通販の購入者は四十五・五パーセント。残りの九千七百三十台は、六・四パーセントだった。

六・四パーセント。六百二十三台しか戻っていない。

届く手段

その九千七百三十台に、どうやって届けるか。

できることは、そう多くなかった。

新聞の社告は、公表のときに一度出していた。会社のサイトのトップにバナーがある。製品の取扱説明書に書いてある問い合わせ先に電話が来れば分かる。

僕は、販売店に名簿がないかを当たった。

量販店の二社に行った。一社は、ポイントカードの購買履歴から対象者を抽出して、メールとアプリの通知を出すことに応じてくれた。もう一社は、「個人情報なので」と言われた。

応じてくれた一社の分で、千六百二十人に通知が出た。

そこから二週間で、戻ってきたのが三百八十四台だった。

二十三・七パーセント。悪くない数字だと思った。

もう一社に、僕は二回行った。二回目は、仕入れの担当の方が出てきて、三十分の会議で、同じことを言われた。

「社内で検討します」

帰りの電車で、僕はその会議のメモを見ていた。四行しかなかった。

袴田さんがいない日

袴田さんは、週に二日だった。火曜と金曜。

残りの三日は、僕一人だった。

六月の第二週の水曜に、相談室で揉めごとがあった。

回収品を置く部屋が満杯になって、廊下に段ボールを積んだ。それを総務の人が見て、消防法の話になった。

僕は、その場で何も判断できなかった。

室長が、「外の倉庫を借りますので」と総務の人に言って、その日はそれで収まった。

倉庫の費用は、月に十八万円だった。この費用は、僕が作っていた回収のコストの表に入っていなかった。

入っていなかったことに、僕は三日後に気づいた。

気づいてから、表を直した。直して、袴田さんに報告した。

袴田さんは、「他にもあるよ、たぶん」と言った。

そのあと二人で、回収に関わる費用を全部洗い出した。宅配の往復、交換品の製造、人件費、コールセンターの増席分、倉庫、告知、廃棄の処理。

合計で、二億四千万円だった。

この会社の前期の経常利益が、六億一千万円だ。

袴田さんは、「これ、役員会で出す?」と聞いた。

僕は、「出すべきだと思います」と答えた。

袴田さんは、「じゃあ出そう」と言って、それから「でも、金額の話をすると、回収をやめる話に見えることがあるから、順番を考えて」と言った。

僕は、そのときの助言を、六月二十四日に使わなかった。

僕が提案したこと

六月の中頃、僕は一つ提案を作った。

分母の精緻化という名前をつけた。

回収率の分母が一万六千八百台のままだと、どれだけやっても百パーセントには近づかない。

理由は三つあった。

一つ、すでに廃棄されたものがある。この機種の発売から五年経っていて、小型家電の平均的な使用年数から推計すると、一定数はもう捨てられている。

二つ、贈答で渡ったものがある。この機種は、お中元やお歳暮のカタログに入っていた。買った人と使っている人が違う。

三つ、法人が事業所の給湯室などで使っているものがある。この経路の出荷が、八百四十台あった。

僕は、廃棄済みの推計を千二百台、海外に転売された分を四百台と置いて、分母を一万五千二百台に補正する案を作った。

補正すると、六月十五日時点の回収率が、四十一・三パーセントから四十五・六パーセントになる。

室長が言ったこと

その資料を、室長に先に見せた。

室長は、三分くらい黙って読んでいた。

それから、「これ、数字を小さくする話に見えます」と言った。

僕は、「正確にする話です」と答えた。

室長は、「そうですね」と言った。そう言って、それ以上何も言わなかった。

僕は、そのときの「そうですね」を、同意として受け取った。

いま思うと、あれは同意ではなかった。

役員会 ―― 六月二十四日

六月二十四日に、役員会に出した。

出席は社長、品質保証の役員、営業の役員、生産の役員、それに法務と相談室の室長。

僕は、分けた三つの内訳と、分母の補正案と、九千七百三十台に対する追加の施策を説明した。

追加の施策は三つ出した。

全国紙への二度目の社告。費用が千四百万円。 対象機種の型番を、検索広告とSNS広告で三ヶ月流す。費用が九百万円。 量販店のもう一社に、法務から正式に文書で依頼する。

説明は、十八分だった。

分母の補正は、承認された。品質保証の役員が、「それは合理的だと思う」と言った。

社告の二度目は、保留になった。

営業の役員が、こう言った。

「補正後で四十五パーセントまで来てるなら、このペースでもう少し見ませんか」

僕は、何も言えなかった。

言えなかったというより、自分が言ったことの結果がそれだと、その場で理解するのに数秒かかった。

僕は、分母を直す資料と、追加の費用を求める資料を、同じ日に出していた。

同じ日に出せば、片方が片方を打ち消す。

袴田さんが、そのあと一つだけ補足した。「九千七百三十台の側の回収率は、まだ十・三パーセントです」と言った。

その一行は、僕の資料の三枚目にあった。三枚目にあったことに、意味はなかった。

生活 ―― 二十五歳

年収は五百八十万円だ。

家賃は八万二千円。会社から六駅の、風呂とトイレが別の部屋に住んでいる。

この案件の僕の残業時間は、五月が七十二時間、六月が八十一時間、七月が六十四時間だった。

残業の中身は、半分くらいがデータの整理だった。回収の受付が三つの経路から入ってきて、様式が揃っていなかった。それを毎晩、一つの表にした。

毎朝九時に、前日までの回収台数を更新して、関係者十四人にメールで送った。

それを、六十一営業日やった。

六月の終わりに、右の人差し指の腹が割れた。

返品された箱を開ける作業を、手伝っていたからだ。相談室の裏に回収品を置く部屋があって、人が足りない日は、僕も段ボールを開けた。

カッターを使う。製品を出して、型番と製造番号を確認して、台帳につける。

一箱に一台。多い日は八十箱来た。

絆創膏を買った。三百二十円だった。

七月に、実家に帰った。母が台所でお茶を淹れていて、その電気ケトルが、このメーカーのものだった。

別の機種だった。対象ではない。

僕は、それを確認するために、裏の銘板を見た。母は「何してるの」と言った。

仕事と答えた。

母は、「それ、まだ使えるわよ」と言った。

最終報告 ―― 八月

八月の五日に、最終報告をした。

成果物は、回収の管理の仕組みと、三経路別の進捗の様式、それと今後の施策の一覧だった。

一覧には、僕が六月に提案して保留になった社告と広告が、そのまま残っていた。優先度は高にしておいた。

社長が、「これ、いつまで続けるんですか」と聞いた。

品質保証の役員が、「終わりはないです」と答えた。

その答えが正しいのだと思う。

八月八日時点の回収率は、補正後で五十三・九パーセントだった。

後記 ―― 翌年の三月

半年後、クライアントの品質保証の方から、年度末の数字を教えてもらった。

補正後の回収率が六十八パーセント。補正前の分母で計算すると、六十二・〇パーセント。

回収されたのが一万四百十六台。

一万六千八百台から引くと、六千三百八十四台になる。

この六千三百八十四台のうち、何台が捨てられていて、何台が今も台所にあるのかは、誰にも分からない。

僕が作った推計では、千二百台が廃棄済みだった。千二百という数字は、僕が平均使用年数から置いた数字だ。千二百に根拠はあるけれど、千二百台の家はどこにもない。

二度目の社告は、出なかった。

検索広告は、九月から三ヶ月だけ流れた。費用は二百八十万円に減っていた。

いま、別の案件をやっている。十六秒のメロディは、もう思い出せない。

思い出せないことに気づいたのが、去年の十二月だった。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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