体験記 No. 80

床から六十二センチのところに、線が残っていた

案件業務用調味料メーカー・浸水被害からの復旧と拠点移設の判断
話の中心アサイン
語り手宇佐見 蒼 / 30歳・中途1年目(前職・損害保険会社の損害サービス部門)
読了約8分 · 5,400字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
浸水は床上六十二センチ移設案は作られたが選ばれなかった

損害を査定していた人間が、復旧を提案する側に回った――宇佐見が、乾かない事務所の椅子から書いた案件の記録。

七月十二日の日曜、僕は十一時過ぎに起きて、洗濯機を回していた。

電話が鳴ったのは十一時四十分だった。マネージャーの飯沼さんからで、「明日、朝の七時に東京駅に来られる?」と言われた。

来られますと答えた。洗濯機はまだ回っていた。

宇佐見です。三十歳。この仕事は一年目で、その前は損害保険の会社にいた。

何が起きたか

クライアントは、業務用の調味料を作っている会社だった。

醤油と、だし、それをベースにしたたれやつゆを、外食チェーンや惣菜の工場に売っている。創業は八十六年前。社員は二百四十人で、年商は五十四億円だった。

主力の工場が、県の西部にある。二級河川から六百メートルほど離れた、昔は田んぼだった場所だ。

七月の九日から十日にかけて、そこに雨が降った。

川が溢れたのではなく、排水が追いつかなくなって、周囲の水が集まった。内水氾濫という言い方をする。

工場の一階が浸かった。床上、六十二センチ。

僕たちが呼ばれたのは、水が引いた二日後だった。依頼は、復旧の工程を作ること。それと、経営会議に出す判断材料を作ること。

期間は三ヶ月。飯沼さんと、僕と、二年目の矢島さんの三人だった。

七月十五日

初めて工場に入ったのは、火曜の朝だった。

長靴を借りた。二十八センチが余っていると言われて、僕の足は二十六・五だったけれど、それを履いた。

床は乾きかけていた。茶色い粉が一面に浮いていて、踏むと足跡がつく。

壁に線があった。

床から六十二センチの高さに、茶色い横線が、工場のどの壁にも同じ高さで引かれていた。定規で引いたみたいに真っ直ぐだった。

水位というのは、こういうふうに記録として残るのだと思った。

匂いは、醤油ではなかった。

醤油と、泥と、何かが傷んだ匂いが混ざって、それが一つの匂いになっていた。僕はその匂いを、三ヶ月後まで服から出せなかった。

前の会社の話

僕は前職で、火災と水災の損害サービスにいた。

事故の連絡を受けて、現場に行って、何が壊れたかを確認して、保険金の額を計算する仕事だ。六年半やった。

水に浸かった建物は、たぶん百件以上見ている。工場も、何度もある。

だから、この現場に入ったとき、自分は落ち着いていると思っていた。

実際、何から見るべきかは分かった。電気の盤、モーター、制御の基板。水に浸かったものは、乾かしても使えないことが多い。

工場の施設課の人が「乾けば動くかもしれない」と言ったとき、僕は「このタイプは難しいです」と答えた。

その人は、僕を見て、「お兄さん、詳しいね」と言った。

少し嬉しかった。嬉しかったことを、あとで思い出して、嫌な気分になった。

僕が詳しいのは、壊れたものの値段についてだ。壊れた工場で働く人のことは、六年半、一度も計算したことがなかった。

保険の話

経理部に呼ばれたのは、七月の二十四日だった。

保険金の見込みを知りたいと言われた。約款を見せてもらって、僕はそれを読んだ。

財産の保険に水災の補償が付いていて、免責が五十万円。機械も対象だった。ただし、休業損失の補償は付いていなかった。

付いていないことを伝えると、経理の部長は「え」と言った。

それから、「前に、要らないって言った記憶があるな」と言った。十二年前の更新のときの話だった。

僕は、前の会社でこの会話を百回くらい聞いている。

水に浸かる前に、要らないと言った会話が、必ずどこかにある。言った人は、だいたいもういない。

その場で僕は、「いま入っても今回には使えません」と言った。言わなくてよかったかもしれない。部長は、それから二分くらい黙っていた。

ここで一つ、気をつけたことがある。

僕は、保険金の見込み額を自分で計算して出さなかった。概算のレンジだけを置いて、「最終的には鑑定人と保険会社の判断です」と書いた。

前職の感覚で数字を置くと、それが社内で確定数字として回る。回ったあとで減ると、僕の責任ではなく、経理の部長の責任になる。

飯沼さんには「ちゃんとしてるね」と言われた。ちゃんとしているというより、僕は前の会社で、確定していない数字が社内で回ったあとの揉め方を見ていただけだ。

数える

最初の三週間は、数える仕事をした。

浸水したのは、充填のライン二本、ボイラーの制御盤、配管のポンプ十一台、それと一階の原料倉庫。

原料倉庫には、醤油のもろみを入れたタンクの下部と、だしの原料が置いてあった。乾物だ。

乾物は、水に浸かると使えない。当たり前だけれど、現場でそれを見るまで、僕は乾物の重さを知らなかった。

鰹の削り節が、濡れて、十八キロの箱が二十四キロになっていた。それを矢島さんと二人で運び出した。三十六箱あった。

午後の二時に、工場の裏でおにぎりを食べた。コンビニの、鮭のやつだ。長靴を脱がずに、ブロックの上に座って食べた。

矢島さんが「これ、案件のどこに入ってるんですかね」と言った。

僕は「作業の実態把握」と答えた。二人で少し笑った。

矢島さんのこと

二年目の矢島さんは、この案件で設備の一覧を作っていた。

工場の施設課に台帳があると聞いていたのだけれど、その台帳は、浸かった事務所の一階のキャビネットに入っていた。

紙だった。

乾かせば読めるものと、インクが流れて読めないものがあった。読めない分は、現物を見て一台ずつ型番を書き写すことになった。

矢島さんは、三日かけて二百十四台を書いた。写真も撮っていた。

四日目の夕方、僕は矢島さんの表に「製造年」の列が空欄のものが八十一台あるのを見つけて、「ここ、埋められる?」と聞いた。

矢島さんは、「銘板が読めないんです」と言った。泥で汚れているのではなく、塗装が剥げて消えていると。

僕は、「経理の固定資産台帳と突き合わせれば出るかも」と言った。

矢島さんは、翌日それをやって、六十三台ぶん埋めた。残り十八台は、どうしても分からなかった。

その十八台のうち、四台が今回の更新対象になった。製造年が分からないという理由で、更新の優先順位は「要確認」のまま最終報告まで残った。

資料の中に、一か所だけ分からないままの行がある。僕は、それをそのまま出した。埋めなかった。

埋めなかったのは正しかったと思っている。ただ、そう思っているのは、僕がその行で困る側ではないからだ。

二つの案

八月に入って、論点が一つに絞られた。

同じ場所に戻すのか、移すのか。

同じ場所に戻す案は、十一月の再稼働を目標にして、復旧費用が六億二千万円だった。保険で戻る見込みが、そのうち三億七千万円。

移す案は、県の東側の工業団地に土地を買って、建てる。二十二億円。期間は二年半。その間は、協力工場に生産を委託する。

数字の上では、戻す案のほうが安い。当たり前だ。

僕が引っかかっていたのは、別のところだった。

この工場は、過去十九年で三回浸かっている。一回目は床下、二回目は床上九センチ、今回が六十二センチ。

間隔が、十年、七年、二年と縮んでいた。

僕は、移設案をちゃんと作るべきだと思った。思って、飯沼さんに言った。

飯沼さんは、「作るよ」と言った。それから、「でも、通らないよ」と言った。

工場長の三十八年

工場長は、六十歳の方だった。高校を出てこの工場に入って、三十八年いる。

その人に、移設の話を一度だけした。八月の十九日、昼休みの前だった。

工場長は、怒らなかった。

「移したら、たぶん三十人は来ないよ」

通勤が一時間以上になる人の数を、その人は頭の中に持っていた。パートの方が多い工場だった。

それから、こう言った。

「でも、あんたの言ってることは分かるよ。俺の代で三回だからね」

僕は、そこで何を言うべきだったのか、まだ分からない。

工場長は続けて、「次は、俺はいないから」と言った。

笑って言っていた。

僕が手を抜いたところ

中間報告は、八月二十六日だった。

僕が作ったのは、二案の比較表と、復旧工程、それと浸水の履歴をまとめた一枚だった。

正直に書くと、移設案の精度は、復旧案より明らかに低かった。

土地の価格は工業団地の公表価格をそのまま使い、委託先の候補は「複数社と協議中」と書き、二年半の売上の落ち込みは、過去の稼働率から一律で引いた数字を置いた。

飯沼さんは、そこを指した。

「宇佐見さん、これ、負ける前提で作ってるよね」

そのとおりだった。

僕は、「通らないと聞いていたので」と言いそうになって、言わなかった。言わなかったけれど、顔には出ていたと思う。

飯沼さんは、「負ける案を手抜きで出すと、勝った案の正しさが下がるんだよ」と言った。

その言葉の意味は、その場では半分しか分からなかった。

比較していないものを比較したと書いた資料は、読んだ人に「比較した」という既成事実だけを残す。移設は検討済みだ、という一行が、議事録に残る。

僕は一週間かけて、移設案を作り直した。委託先の候補に三社当たって、単価の見込みを取った。二年半の売上の落ち込みは、品目別に落とし込んだ。

結論は変わらなかった。二十二億円は、この会社の年商の四割だった。

生活 ―― 三十歳

年収は八百二十万円になった。前の会社の最後の年が六百三十万円だったから、二百万近く増えた。

家賃は十万五千円。前職のときと同じ部屋に住んでいる。引っ越す時間がない。

この案件の僕の残業時間は、七月が九十八時間、八月が八十六時間だった。七月は、現場に通った。

現場の最寄り駅まで、東京から新幹線と在来線で二時間半かかる。ビジネスホテルに泊まった日が、七月は十四日あった。

一泊八千二百円のホテルで、朝食がついていた。四日目から、朝食のご飯に工場のだしのパックが置いてあることに気づいた。

クライアントの製品だった。それをかけて食べた。かけて食べながら、この会社の工場は止まっているのだと思った。

匂いのことを書いておく。

七月の下旬、自宅で洗濯をしても、スーツから匂いが落ちなかった。クリーニングに出して、二回目で薄くなった。

八月の中頃、母から電話が来て、どこにいるのと聞かれた。仕事と答えた。

母は、「あんた、保険のときより忙しいんじゃない」と言った。そうかもしれないと答えた。

前の会社を辞めたとき、僕は「現場の後片付けじゃなくて、その前の判断をやりたい」と言った。言った相手は、当時の上司だった。

あの言葉を、八月の工場の駐車場で思い出した。思い出して、少し恥ずかしかった。僕はあの日、三十六箱の鰹節を運んでいた。

最終報告 ―― 十月

十月の九日に、最終報告をした。

出席は社長、専務、工場長、施設課長、営業の部長、それに経理の部長。六人だった。

結論は、同じ場所で復旧する。あわせて、電気の盤とモーターを一・二メートルの架台に上げる。原料倉庫の一階を空にして、二階と外部倉庫に移す。止水板を入れる。

投資は、復旧の六億二千万円に、一億四千万円を足した額になった。

移設は、「十年後の設備更新のタイミングで再検討」と議事録に書かれた。

社長が最後に、僕にではなく工場長に向かって、「十年後、どうなってると思う?」と聞いた。

工場長は、「分かりません」と答えた。

社長は、「俺も分からん」と言って、それで会議は終わった。

後記 ―― 翌年の七月

工場は、十一月の二十日に再稼働した。目標の十一月中には入った。

パートの方は、三人辞めた。三十人ではなかった。

取引先は、二社離れた。惣菜の工場で、代替の供給を受けたまま戻ってこなかった。営業の部長から、そう聞いた。復旧費用の表には、その二社の行はない。

翌年の七月、僕は別の案件をやっていた。製造業だけれど、水とは関係のない話だ。

七月の七日の夜、雨が強かった。

僕は、スマホで雨雲のレーダーを開いた。開いて、県の西部のあたりを見た。

降っていなかった。

それを確認して、アプリを閉じて、寝た。

次の日の朝、またレーダーを開いた。たぶん、来年の七月も開く。

工場長は、翌年の三月で定年になった。再雇用で、週に三日だけ来ているらしい。

辞めた三人のうち一人は、六十二歳のパートの方で、工場が止まっている四ヶ月のあいだに、近所の惣菜屋で働き始めたと聞いた。そちらのほうが近いのだそうだ。

僕は、その話を聞いたとき、一瞬だけ「三人で済んだ」と思った。三十人と言われていたから。

済んだ、という言い方を自分がしたことに、あとで気づいた。

六十二センチの線は、塗り直されて、もう壁に残っていない。写真だけが、報告書の十四ページ目に残っている。

その写真は、僕が撮った。七月十五日の午前十時三十八分だ。撮ったとき、僕はまだ長靴の中が濡れていることに気づいていなかった。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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