体験記 No. 77

休職者は十一人で、そのうち九人が同じ二つの部署から出ていました

案件ソフトウェア受託開発会社・休職者増加への対応と要員配置の再設計
話の中心中間報告
語り手寺西 由加 / 33歳・シニアコンサルタント
読了約8分 · 5,100字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
十一人のうち九人が二部署から提案は増員ではなく受注の制限

人の限界を設計する側に、自分の数字だけが入っていませんでした――寺西が、面談室の椅子から書いた案件の記録。

七月二日の木曜、私は十四時から十五時まで、誰もいない部屋に座っていました。

産業医の面談室でした。その日は面談がなくて、空いていたので借りたのです。

寺西です。三十三歳。シニアコンサルタントになって、二年目になります。

アサイン ―― 六月

クライアントは、ソフトウェアの受託開発をしている会社でした。

社員は四百三十人。金融機関や物流会社のシステムを、元請けや二次請けで作っています。創業は二十六年前。

依頼は、人事部からでした。

過去三年で、休職する社員が増えている。復職しても、また休む人がいる。採用は続けているが、追いつかない。どうすればいいか。

期間は四ヶ月。マネージャーの土肥さんと、私と、三年目の宮武さんの三人です。

土肥さんは、初日にこう言いました。

「これ、たぶん人事の案件じゃないよ」

その意味が分かったのは、七月の頭でした。

数字を分ける

最初の三週間で、データを見ました。

休職の記録、勤怠、要員の配置、プロジェクトの一覧、売上と原価。

全社の数字だけを見ると、そこまでひどくは見えませんでした。

月の平均残業時間は二十四時間。休職者は年間で十一人。四百三十人に対して、二・六パーセント。

この数字は、人事部の資料にも、そのまま載っていました。

私は、それを部署別に割りました。

十一人のうち、九人が二つの部署から出ていました。

第二システム部と、金融ソリューション部。この二つの部署の社員は、合わせて九十四人です。

九十四人のうち九人。九・六パーセントになります。

残業時間も、この二部署だけを見ると、月の平均が五十一時間でした。上位十人は、七十時間を超えています。

全社平均の二十四時間は、この五十一時間と、他の部署の十七時間を混ぜた数字でした。

混ぜてはいけない数字でした。

なぜ二部署なのか

この二部署が何をしているかを、調べました。

共通していたのは、案件の受け方でした。

どちらも、既存の顧客から、仕様が固まる前に受注しています。

契約は準委任ではなく、請負が多い。金額と納期が先に決まって、あとから仕様が増える。

増えた分は、追加で請求することもありますが、しないこともある。

しない判断をしているのは、営業ではなく、部長でした。

第二システム部の部長は、四十七歳の方でした。二回、話を聞きました。

「断ると、次が来なくなるので」

これは、前に聞いたことがある言葉だと思いました。どの業界でも聞く言葉です。

ただ、この会社では、その一言の先に、九人の休職者がいました。

面談室

冒頭の七月二日です。

その日、産業医の先生に話を聞くことになっていました。先生は月に二回来る方で、時間は限られています。

私は三十分早く着いてしまって、面談室で待っていました。

小さい部屋です。四畳半くらい。椅子が二つ向かい合っていて、間に小さい机があります。ティッシュの箱が置いてあります。

窓はありますが、すりガラスでした。外は見えません。

私はそこで、三十分、自分のパソコンで資料を作っていました。

作りながら、この椅子に何人が座ったのだろうと考えていました。

先生に、その話をしました。

先生は、「去年は百十四回でした」と言いました。

面談の回数です。休職に至らない相談も含めて。

その数字は、人事部の資料には出ていませんでした。私が請求していなかったからです。

話を聞くかどうか

七月の中旬に、土肥さんと一つ相談しました。

復職した人に、直接話を聞くかどうかです。

人事部からは、「本人が希望すれば」という条件で、三人まで紹介できると言われていました。

私は、聞くべきだと思っていました。数字だけでは、何が起きたのかが分からないからです。

土肥さんは、「聞いて、何に使うの」と言いました。

資料に、と答えました。

「その資料、本人は読む?」

読みません。役員会の資料です。

土肥さんは、しばらく考えて、「聞くなら、使い道を先に本人に言って」と言いました。

結局、二人に話を聞きました。

一人は、三十四歳の男性の方でした。八ヶ月休んで、復職して一年経っていました。

その方は、こう言いました。

「休む前の三ヶ月のことは、あまり覚えてないんです」

「覚えてるのは、家に帰って、靴を脱ぐのに時間がかかったことだけで」

私は、その一文をメモに取りました。取りながら、これを資料に載せていいのかを考えていました。

載せませんでした。

載せれば、役員会の空気は動いたと思います。数字よりも動いたはずです。

載せなかったのは、その方の許可の範囲を超える気がしたからです。

ただ、正直に書くと、迷いは残っています。あの一文が入っていたら、受注の制限は明文化されたかもしれません。

私は、ある人の一言を使わなかったことで、別の誰かの残業を減らし損ねたのかもしれません。

どちらが正しいのかは、いまも決められていません。

宮武さんのこと

三年目の宮武さんは、この案件でデータの整理を担当していました。

七月の終わり、宮武さんが作った集計に、間違いがありました。

部署の区分が、三年前の組織で作られていて、途中の組織変更が反映されていませんでした。

私は、それを二十三時に見つけて、その場で宮武さんに電話しました。

宮武さんは、出ました。会社にいました。

翌朝、直したものが来ていました。時刻を見たら、三時四十分でした。

私は、その日の夕方に、宮武さんに「昨日は遅くまでごめん」と言いました。

宮武さんは、「大丈夫です」と答えました。

それだけでした。

いま思うと、私は「大丈夫です」という返事で終わりにしています。

九十四人の残業時間を数えている月に、自分のチームの三年目が三時四十分にメールを送っていることを、私は問題として扱っていませんでした。

扱っていなかったというより、案件の外のことだと思っていました。

中間報告の直前

八月の頭に、中間報告の資料を作りました。

最初に私が書いた案は、増員でした。

二部署に、合わせて十二人。中途採用と、他部署からの異動。

土肥さんに見せたら、一枚目で止まりました。

「寺西さん、十二人採ったら、何が起きる?」

私は「稼働が下がります」と答えました。

土肥さんは、「その十二人ぶんの売上は?」と聞きました。

採用すれば、その人にも仕事を付けることになります。仕事を付ければ、また同じ受け方で受注します。

つまり、増員は、いまの受け方を前提にして、規模だけ大きくする案でした。

三年後には、休職者が十一人から十四人になる可能性がありました。

土肥さんが言ったのは、一つだけです。

「入ってくる量を減らす案を、同じページに並べて」

中間報告 ―― 八月二十日

八月二十日の十五時から、役員の会議に出ました。

出席は、社長、専務、営業担当の役員、開発担当の役員、人事部長、それに経営企画から二人。七人です。

私は、二十九枚を四十分で説明しました。

九人と九十四人の話をしました。五十一時間と十七時間の話もしました。

そのあとに、三つの案を並べました。

一つ目、増員する。十二人。人件費が年間で一億一千万円増える。

二つ目、受注を制限する。仕様が固まっていない請負契約を受けない。売上が、年間で四億円くらい減る見込み。

三つ目、契約の形を変える。準委任を増やし、追加仕様を必ず追加請求する。売上は維持できる可能性があるが、顧客が離れる可能性もある。

私が推したのは、二つ目と三つ目の組み合わせでした。

説明が終わったあと、誰も何も言いませんでした。ページをめくる音だけがしました。

最初に喋ったのは、営業担当の役員でした。

「四億って、うちの営業利益より大きいんですけど」

そのとおりでした。この会社の営業利益は、年間で二億八千万円です。

私は、四億円は売上であって利益ではないこと、その案件群の粗利率が他より十一ポイント低いことを説明しました。

数字の上では、説明できました。

説明できたのですが、会議は、その日は結論に至りませんでした。

社長が「持ち帰らせてください」と言って、終わりました。

廊下で

会議のあと、人事部長が廊下で私に追いついてきました。

五十二歳の女性の方です。この案件を発注した方でした。

「寺西さん、あの資料、私は出せなかったです」

私は、どういう意味かを聞きました。

「私が同じことを言っても、営業の話をするなって言われるので」

外の人が言うと、通ることがあります。同じ内容でも。

私は、それを知っています。知っていて、この仕事をしています。

ただ、その日は、少し嫌な気持ちになりました。

私が特別に正しいわけではありません。私は、この会社で何も失わないから、言えるだけです。

決まったこと

九月に、二つ決まりました。

仕様が固まっていない案件は、部長の判断ではなく、開発担当の役員の承認を必要とすること。

第二システム部の要員を、六人増やすこと。十二人ではありませんでした。

受注の制限は、明文化されませんでした。承認を要することにしただけです。

私は、そこまでだと思いました。四ヶ月でできることの上限が、たぶんそこでした。

最終報告は、十月一日でした。

社長が、最後に一つだけ聞きました。

「寺西さん、これで人は壊れなくなりますか」

私は、「分かりません」と答えました。

答えてから、それでは何のために四ヶ月いたのかと思われるのではないかと、少し怖くなりました。

社長は、「正直でいいですね」と言いました。

それから、「うちの中の人は、そう言わないので」と付け足しました。

その言葉は、褒め言葉として受け取りました。受け取りましたが、帰りの電車で、もう一度考えました。

分かりませんと言えたのは、私が十月二日からこの会社にいないからです。

いる人は、分かりませんとは言えません。言えば、明日から自分の部署の話になります。

私の正直さは、立場に支えられた正直さでした。

生活 ―― 三十三歳

年収は九百六十万円です。

家賃は十二万三千円。一人暮らしで、実家は電車で一時間半のところにあります。

この案件の私の残業時間は、六月が六十二時間、七月が七十一時間、八月が八十四時間でした。

八月は、中間報告があった月です。

私は、九十四人の平均が五十一時間であることを問題として資料に書きながら、自分は八十四時間働いていました。

そのことを、資料には書いていません。

書く場所がなかった、というのは言い訳です。書かないほうが、資料が通ると思っていました。

八月の終わりに、肩が上がらなくなりました。右です。整形外科で、四十肩の初期だと言われました。三十三歳でもなりますと言われました。

宮武さんには、「寺西さん、最近ずっと肩さわってますよ」と言われました。

自分では気づいていませんでした。

九月に、三日休みました。実家に帰って、母と二人で買い物に行きました。

母に、いまどんな仕事をしているのと聞かれて、「人が働きすぎない仕組みを作る仕事」と答えました。

母は「あんたが?」と言いました。

笑って終わりにしましたが、その夜、少し眠れませんでした。

後記 ―― 翌年の七月

一年後、人事部長から連絡が来ました。

休職者は、その年、十一人から六人に減ったそうです。

減った、と聞いて、私は最初、よかったと思いました。

そのあとに、もう一つの数字を聞きました。

退職者が、十九人から二十七人に増えていました。

増えた分の多くが、あの二部署の三十代でした。

人事部長は、「因果は分かりません」と言いました。

私も、分かりません。

休職という形で止まっていた人が、辞めるという形に変わったのかもしれません。あるいは、まったく別の理由かもしれません。

承認を要することにした案件は、その年、十四件が役員まで上がって、三件が受注を見送られました。

三件です。

面談室の椅子は、まだ同じ場所にあるのだろうと思います。

私は、あの部屋で三十分、自分の資料を作っていました。あの三十分のことを、ときどき思い出します。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

タイプ診断へ 他の話を読む