前のチームが残していったのは、段ボール十八箱と、七ヶ月ぶんの正しさだった
前の人の失敗の上でだけ、自分は速く見えていた――逢坂が、他人の成果物を読み込んだ三週間の記録。
十月五日の月曜、僕の机の横に、段ボールが十八箱積まれていた。
前のチームが置いていったものだ。
逢坂です。三十六歳、マネージャー三年目。この案件が、引き継ぎというものを初めてやった案件だった。
アサイン ―― 九月の終わり
クライアントは、医薬品の卸だった。地方の三県を営業エリアにしていて、社員は千百四十人。
病院と薬局に薬を届ける会社だ。朝の便で届けて、緊急の注文が入れば昼でも夜でも走る。
この会社には、七ヶ月前から別のファームが入っていた。物流拠点の再編と、配送の効率化。
その契約が、八月末で終わっていた。延長はなかった。
パートナーの椎名さんから説明を受けたとき、僕は一つだけ聞いた。
「なんで切れたんですか」
椎名さんは「報告書は良かったらしいよ」と言った。
良かったのに切れたのだ、という意味だと、あとで分かった。
十八箱
初日、僕は箱を開けるところから始めた。
中身は、紙だった。最終報告が二百十四ページ。中間報告が三回分。分析の中間成果物、インタビューのメモ、拠点ごとの配送データ。
読み始めて、三日で気づいたことがある。
よくできていた。
拠点別の配送コストの分解も、訪問頻度と受注単価の相関も、僕がゼロからやったらこうはならない、という水準だった。特に百七十二ページの図は、僕はいまでもよく覚えている。エリアごとの配送密度と一件あたりコストを、病院と薬局に分けて描いてある。
結論も、妥当だった。九つある配送拠点を六つにする。深夜の緊急配送を、外部の運送会社に一部委託する。訪問頻度を、取引先の規模と発注パターンで四段階に分ける。
僕は、その三日間で、前任を否定する材料をひとつも見つけられなかった。
何が動いていないか
初週の金曜、クライアントの物流部長の日下部さんに会った。四十九歳。この案件のカウンターパートを、七ヶ月ずっとやっていた人だ。
日下部さんは、疲れているように見えた。
僕は「よくできた報告書ですね」と言った。
日下部さんは、「そうなんですよ」と答えた。
それから、「そうなんですけどね」と続けた。
僕は、施策の一覧を出して、いまどうなっているかを一つずつ聞いた。
十一の施策のうち、動いていたのは二つだった。
伝票の様式を統一したこと。夜間の受付の電話番号を一本化したこと。
どちらも、日下部さんの部署だけで完結するものだった。
残り九つは、一行も動いていなかった。
主語が空欄だった
その九つを、僕はもう一度、前任の資料で確かめた。
書いてあることは、全部正しい。ただ、「誰が」が書いてない。
たとえば、拠点を九から六にする。書いてあるのは、どの拠点を残すか、統合後の配送ルートがどうなるか、人員が何人になるか。
書いていないのは、その拠点の閉鎖を誰が決めるか、いつの会議にかけるか、地元の病院にどう説明するか、社員の異動を誰が面談するか。
僕は、それを日下部さんに言った。
日下部さんは、「それ、うちの仕事なんですよね」と言った。
「うちの仕事なんですけど、うち、五人なんです」
物流部は、部長を入れて五人だった。日々の配送を回しながら、九拠点の統合の段取りを組むのは、五人ではできない。
前任の提言は、実行主体を、存在しない工数の上に置いていた。
僕が最初にやったこと
十月の第三週、僕は分析を一つもやらなかった。
やったのは、十一の施策を、月と人の名前に割り直すことだった。
誰が、何月に、何をやるか。会議体はどれか。決裁は誰か。
A3の紙一枚にした。前任の二百十四ページを、A3一枚にした。
これは、僕の手柄ではない。二百十四ページがあったから、一枚にできた。
その紙を、十月二十一日の会議で出した。
出席は、物流担当の常務、日下部さん、営業部門の部長が二人、人事から一人。
常務が、紙を見て、こう言った。
「逢坂さん、早いね」
僕は、その言葉に、何と答えればいいか分からなかった。
「早いね」について
会議のあと、僕は少し気分がよかった。
気分がよくて、そのことに三十分後に気持ち悪くなった。
早いわけがない。七ヶ月かけて作られた分析の上に、三週間座っただけだ。僕がやったのは、割り算と、日付を入れることだ。
前任のチームは、この会社を七ヶ月で理解した。僕は、その理解を三週間で借りた。
そして「早い」と言われた。
そのあと、僕は自分の中に、前任を少し悪く言いたい気持ちがあることに気づいた。
言えば、僕の価値は上がる。あのチームは分析だけで実行を設計しなかった、と一言言えば、常務はたぶん頷く。
言わなかった。言わなかったのは、立派だからではない。
三年後に、この会社に別のファームが入ったとき、同じことを僕が言われると思ったからだ。
四時十五分
十月の終わりに、朝の仕分けを見にいった。
センターに入ったのは、四時十五分だった。前の晩は、ホテルで三時間しか寝ていない。
外はまだ真っ暗で、建物の中だけが白く光っている。
薬の箱が、コンベアで流れてくる。仕分けをしているのは、パートの方が十四人と、社員が四人。ほとんどが女性で、年齢は五十代から六十代に見えた。
冷蔵の薬は、別の部屋で扱う。その部屋は五度で、入ると息が白い。
僕は、その部屋で十分立っていて、指先の感覚が鈍くなった。手袋を借りた。
社員の一人に、「何時からですか」と聞いた。
「三時半です」と返ってきた。
僕が段ボールを読んでいた三週間、この人たちは毎日三時半に来ていた。
前任の報告書には、この時間帯の写真が一枚もなかった。データはある。時間帯別の物量も、人時生産性も、きれいに出ている。
写真がないことは、欠点ではない。報告書に写真を入れる必要はない。
ただ、僕は、この日を境に、A3一枚の紙の見え方が変わった。
紙の上で拠点を統合するというのは、この十四人が、来年は別の場所に三時半に来るか、来なくなるかを決めることだった。
前任のマネージャー
十一月に、一度だけ、前任のチームのマネージャーと話した。
共通の知人がいて、その人の送別会で会った。向こうから声をかけてきた。
「逢坂さん、いま卸のとこ入ってますよね」
入ってます、と答えた。
その人は、僕より二つ上だった。悪く言う準備をして来た人の顔ではなかった。
聞いてみた。なぜ延長にならなかったんですか、と。
その人は、少し考えてから、こう言った。
「うちの契約、調査だったんですよ」
「実行まで取りにいったら、たぶん取れてた。取りにいかなかった」
なぜ、と聞いた。
「工数が合わなかったんです。あと、僕が別の案件に引っ張られてて」
そこで、その人は「言い訳ですけど」と付け足した。
僕は、何も言えなかった。
僕がA3一枚に落とせたのは、実行まで取る契約で入ったからだ。その契約を取ってきたのは、僕ではなく椎名さんだ。
この人と僕の差は、能力ではなく、契約書の一行だった。
別れ際に、「百七十二ページの図、よかったです」と言った。
その人は、「あれ、若い子が作ったんですよ」と言って、笑った。
詰められた ―― 十一月二十日
椎名さんに、十一月の社内レビューで一度詰められた。
僕が出したA3の紙を見て、椎名さんはこう言った。
「逢坂、これ、うちが去ったあとも回る?」
回ります、と僕は答えた。日付と主語が入っているので、と。
椎名さんは「入ってるのは、うちがいる期間だけだろ」と言った。
そのとおりだった。A3の紙は、翌年の三月までしか書いていない。
拠点の統合は、そこで終わらない。四月以降の分は、白紙だった。
「白紙のところを、日下部さんに書かせて」
僕は、自分で書くほうが早いと思った。実際、早い。
椎名さんは、「早いのが、前と同じ失敗」と言った。
十二月に、日下部さんと二人で、四月以降の欄を埋めた。三時間かかった。僕が一人で書けば四十分だった。
その三時間に意味があったのかどうかは、いまも自信がない。ただ、翌年の五月に日下部さんから来たメールに、その紙の話が出てきた。
拠点の一つ
十一月に、閉める候補の拠点に行った。
県の北のほうで、社員は十四人いた。センター長は、五十二歳の坂田さんという方だった。
坂田さんは、僕がまだ何も言っていないのに、「うちですよね」と言った。
前任の中間報告の資料が、なぜか現場まで回っていた。半年前に。
坂田さんは、その資料のコピーを持っていた。折り目がついていた。
「半年、こっちは何も言われないんです」
「決まってるなら、早く言ってほしいんですよ」
僕は「まだ決まっていません」と答えた。
坂田さんは、「そうですか」と言った。その言い方は、信じていない人の言い方だった。
このとき僕は、実行の設計が抜けることの実害を、初めて具体的に見た。
決まっていない案が、現場に六ヶ月置かれている。人は、その六ヶ月を待たされている。
結論を出すことと、結論を届けることは、別の作業だ。
中間報告と、ひとつの判断
十二月の報告で、僕は九拠点を六にする案を、七にする案に変えて出した。
一つ、残した。坂田さんのところではない。もっと南の、病院が二つしかない地域の拠点だ。
理由は、その地域の道路が冬に閉まることがあるからだった。前任の分析には、この情報がない。配送データからは見えない。
日下部さんに聞いて出てきた話だった。四回目に会ったときに、雑談の中で出てきた。
正直に書くと、僕はこの一つを、自分の仕事の証明のために置いた面がある。
七ヶ月ぶんの正しさに、僕は何も足していなかった。だから、何かを足したかった。
その判断が経済的に正しかったかは、いまも分からない。ただ、冬の二ヶ月に、そこは実際に役に立っている。
生活 ―― 三十六歳
年収は千百四十万円。マネージャーになって三年目で、去年から八十万円上がった。
家は、妻と二人で借りている。家賃は十六万五千円。子どもはいない。
この案件は、月曜の朝に新幹線で入って、木曜の夜に帰る生活だった。ホテルは駅前で、一泊七千二百円。
火曜の夜だけ、必ず外で食べると決めていた。そう決めないと、四ヶ月ずっとコンビニになる。
十一月に、腰をやった。段ボールの十八箱を、自分で移動させたのが原因だ。整形外科で、コルセットをもらった。
医者に「何を運びましたか」と聞かれて、「紙です」と答えた。
妻には、この案件の話をあまりしていない。前の人の資料を読む仕事だと説明したら、「それ、楽しいの」と聞かれた。
楽しくはない、と答えた。ただ、読むのは嫌いじゃない、とも言った。
実際、十八箱を読んでいた三週間は、この一年でいちばん静かな三週間だった。誰にも会わず、紙だけを読んでいた。
三年目のマネージャーになって、そういう時間はほとんどなくなっていた。人に会って、調整して、社内の稼働を見て、提案を書く。
段ボールの前に座っていた三週間、僕は久しぶりに、ただの読み手だった。
そのことを、日下部さんの疲れた顔を思い出すたびに、少し後ろめたく思う。
後記 ―― 翌年の六月
翌年の六月に、拠点の統合が二つ終わった。残りは翌年度に送られた。
坂田さんの拠点は、閉まった。坂田さんは、隣の県のセンターに異動になった。
僕は、最後の報告会で、施策の一覧の出典に、前任の報告書のページ番号を入れた。
「本分析は、前段の調査(二百十四ページ)に依拠する」と、脚注に書いた。
誰もそこを読まなかったと思う。読まれなくてよかった。読まれるために書いたのではない。
常務は、最終報告のあとで「逢坂さんのおかげで動きました」と言った。
僕は、ありがとうございますと答えた。
前任のチームが、この会社の名前を履歴書に書けているかどうかを、たまに考える。
たぶん、書けていない。七ヶ月で切られた案件は、そういう扱いになる。
百七十二ページの図は、いまも正しい。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。