体験記 No. 75

前のチームが残していったのは、段ボール十八箱と、七ヶ月ぶんの正しさだった

案件医薬品卸・前任ファームからの引き継ぎと配送拠点再編の実行
話の中心立ち上がり
語り手逢坂 洋 / 36歳・マネージャー3年目
読了約8分 · 5,000字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
前任の最終報告は214ページ動いていない施策が11のうち9

前の人の失敗の上でだけ、自分は速く見えていた――逢坂が、他人の成果物を読み込んだ三週間の記録。

十月五日の月曜、僕の机の横に、段ボールが十八箱積まれていた。

前のチームが置いていったものだ。

逢坂です。三十六歳、マネージャー三年目。この案件が、引き継ぎというものを初めてやった案件だった。

アサイン ―― 九月の終わり

クライアントは、医薬品の卸だった。地方の三県を営業エリアにしていて、社員は千百四十人。

病院と薬局に薬を届ける会社だ。朝の便で届けて、緊急の注文が入れば昼でも夜でも走る。

この会社には、七ヶ月前から別のファームが入っていた。物流拠点の再編と、配送の効率化。

その契約が、八月末で終わっていた。延長はなかった。

パートナーの椎名さんから説明を受けたとき、僕は一つだけ聞いた。

「なんで切れたんですか」

椎名さんは「報告書は良かったらしいよ」と言った。

良かったのに切れたのだ、という意味だと、あとで分かった。

十八箱

初日、僕は箱を開けるところから始めた。

中身は、紙だった。最終報告が二百十四ページ。中間報告が三回分。分析の中間成果物、インタビューのメモ、拠点ごとの配送データ。

読み始めて、三日で気づいたことがある。

よくできていた。

拠点別の配送コストの分解も、訪問頻度と受注単価の相関も、僕がゼロからやったらこうはならない、という水準だった。特に百七十二ページの図は、僕はいまでもよく覚えている。エリアごとの配送密度と一件あたりコストを、病院と薬局に分けて描いてある。

結論も、妥当だった。九つある配送拠点を六つにする。深夜の緊急配送を、外部の運送会社に一部委託する。訪問頻度を、取引先の規模と発注パターンで四段階に分ける。

僕は、その三日間で、前任を否定する材料をひとつも見つけられなかった。

何が動いていないか

初週の金曜、クライアントの物流部長の日下部さんに会った。四十九歳。この案件のカウンターパートを、七ヶ月ずっとやっていた人だ。

日下部さんは、疲れているように見えた。

僕は「よくできた報告書ですね」と言った。

日下部さんは、「そうなんですよ」と答えた。

それから、「そうなんですけどね」と続けた。

僕は、施策の一覧を出して、いまどうなっているかを一つずつ聞いた。

十一の施策のうち、動いていたのは二つだった。

伝票の様式を統一したこと。夜間の受付の電話番号を一本化したこと。

どちらも、日下部さんの部署だけで完結するものだった。

残り九つは、一行も動いていなかった。

主語が空欄だった

その九つを、僕はもう一度、前任の資料で確かめた。

書いてあることは、全部正しい。ただ、「誰が」が書いてない。

たとえば、拠点を九から六にする。書いてあるのは、どの拠点を残すか、統合後の配送ルートがどうなるか、人員が何人になるか。

書いていないのは、その拠点の閉鎖を誰が決めるか、いつの会議にかけるか、地元の病院にどう説明するか、社員の異動を誰が面談するか。

僕は、それを日下部さんに言った。

日下部さんは、「それ、うちの仕事なんですよね」と言った。

「うちの仕事なんですけど、うち、五人なんです」

物流部は、部長を入れて五人だった。日々の配送を回しながら、九拠点の統合の段取りを組むのは、五人ではできない。

前任の提言は、実行主体を、存在しない工数の上に置いていた。

僕が最初にやったこと

十月の第三週、僕は分析を一つもやらなかった。

やったのは、十一の施策を、月と人の名前に割り直すことだった。

誰が、何月に、何をやるか。会議体はどれか。決裁は誰か。

A3の紙一枚にした。前任の二百十四ページを、A3一枚にした。

これは、僕の手柄ではない。二百十四ページがあったから、一枚にできた。

その紙を、十月二十一日の会議で出した。

出席は、物流担当の常務、日下部さん、営業部門の部長が二人、人事から一人。

常務が、紙を見て、こう言った。

「逢坂さん、早いね」

僕は、その言葉に、何と答えればいいか分からなかった。

「早いね」について

会議のあと、僕は少し気分がよかった。

気分がよくて、そのことに三十分後に気持ち悪くなった。

早いわけがない。七ヶ月かけて作られた分析の上に、三週間座っただけだ。僕がやったのは、割り算と、日付を入れることだ。

前任のチームは、この会社を七ヶ月で理解した。僕は、その理解を三週間で借りた。

そして「早い」と言われた。

そのあと、僕は自分の中に、前任を少し悪く言いたい気持ちがあることに気づいた。

言えば、僕の価値は上がる。あのチームは分析だけで実行を設計しなかった、と一言言えば、常務はたぶん頷く。

言わなかった。言わなかったのは、立派だからではない。

三年後に、この会社に別のファームが入ったとき、同じことを僕が言われると思ったからだ。

四時十五分

十月の終わりに、朝の仕分けを見にいった。

センターに入ったのは、四時十五分だった。前の晩は、ホテルで三時間しか寝ていない。

外はまだ真っ暗で、建物の中だけが白く光っている。

薬の箱が、コンベアで流れてくる。仕分けをしているのは、パートの方が十四人と、社員が四人。ほとんどが女性で、年齢は五十代から六十代に見えた。

冷蔵の薬は、別の部屋で扱う。その部屋は五度で、入ると息が白い。

僕は、その部屋で十分立っていて、指先の感覚が鈍くなった。手袋を借りた。

社員の一人に、「何時からですか」と聞いた。

「三時半です」と返ってきた。

僕が段ボールを読んでいた三週間、この人たちは毎日三時半に来ていた。

前任の報告書には、この時間帯の写真が一枚もなかった。データはある。時間帯別の物量も、人時生産性も、きれいに出ている。

写真がないことは、欠点ではない。報告書に写真を入れる必要はない。

ただ、僕は、この日を境に、A3一枚の紙の見え方が変わった。

紙の上で拠点を統合するというのは、この十四人が、来年は別の場所に三時半に来るか、来なくなるかを決めることだった。

前任のマネージャー

十一月に、一度だけ、前任のチームのマネージャーと話した。

共通の知人がいて、その人の送別会で会った。向こうから声をかけてきた。

「逢坂さん、いま卸のとこ入ってますよね」

入ってます、と答えた。

その人は、僕より二つ上だった。悪く言う準備をして来た人の顔ではなかった。

聞いてみた。なぜ延長にならなかったんですか、と。

その人は、少し考えてから、こう言った。

「うちの契約、調査だったんですよ」

「実行まで取りにいったら、たぶん取れてた。取りにいかなかった」

なぜ、と聞いた。

「工数が合わなかったんです。あと、僕が別の案件に引っ張られてて」

そこで、その人は「言い訳ですけど」と付け足した。

僕は、何も言えなかった。

僕がA3一枚に落とせたのは、実行まで取る契約で入ったからだ。その契約を取ってきたのは、僕ではなく椎名さんだ。

この人と僕の差は、能力ではなく、契約書の一行だった。

別れ際に、「百七十二ページの図、よかったです」と言った。

その人は、「あれ、若い子が作ったんですよ」と言って、笑った。

詰められた ―― 十一月二十日

椎名さんに、十一月の社内レビューで一度詰められた。

僕が出したA3の紙を見て、椎名さんはこう言った。

「逢坂、これ、うちが去ったあとも回る?」

回ります、と僕は答えた。日付と主語が入っているので、と。

椎名さんは「入ってるのは、うちがいる期間だけだろ」と言った。

そのとおりだった。A3の紙は、翌年の三月までしか書いていない。

拠点の統合は、そこで終わらない。四月以降の分は、白紙だった。

「白紙のところを、日下部さんに書かせて」

僕は、自分で書くほうが早いと思った。実際、早い。

椎名さんは、「早いのが、前と同じ失敗」と言った。

十二月に、日下部さんと二人で、四月以降の欄を埋めた。三時間かかった。僕が一人で書けば四十分だった。

その三時間に意味があったのかどうかは、いまも自信がない。ただ、翌年の五月に日下部さんから来たメールに、その紙の話が出てきた。

拠点の一つ

十一月に、閉める候補の拠点に行った。

県の北のほうで、社員は十四人いた。センター長は、五十二歳の坂田さんという方だった。

坂田さんは、僕がまだ何も言っていないのに、「うちですよね」と言った。

前任の中間報告の資料が、なぜか現場まで回っていた。半年前に。

坂田さんは、その資料のコピーを持っていた。折り目がついていた。

「半年、こっちは何も言われないんです」

「決まってるなら、早く言ってほしいんですよ」

僕は「まだ決まっていません」と答えた。

坂田さんは、「そうですか」と言った。その言い方は、信じていない人の言い方だった。

このとき僕は、実行の設計が抜けることの実害を、初めて具体的に見た。

決まっていない案が、現場に六ヶ月置かれている。人は、その六ヶ月を待たされている。

結論を出すことと、結論を届けることは、別の作業だ。

中間報告と、ひとつの判断

十二月の報告で、僕は九拠点を六にする案を、七にする案に変えて出した。

一つ、残した。坂田さんのところではない。もっと南の、病院が二つしかない地域の拠点だ。

理由は、その地域の道路が冬に閉まることがあるからだった。前任の分析には、この情報がない。配送データからは見えない。

日下部さんに聞いて出てきた話だった。四回目に会ったときに、雑談の中で出てきた。

正直に書くと、僕はこの一つを、自分の仕事の証明のために置いた面がある。

七ヶ月ぶんの正しさに、僕は何も足していなかった。だから、何かを足したかった。

その判断が経済的に正しかったかは、いまも分からない。ただ、冬の二ヶ月に、そこは実際に役に立っている。

生活 ―― 三十六歳

年収は千百四十万円。マネージャーになって三年目で、去年から八十万円上がった。

家は、妻と二人で借りている。家賃は十六万五千円。子どもはいない。

この案件は、月曜の朝に新幹線で入って、木曜の夜に帰る生活だった。ホテルは駅前で、一泊七千二百円。

火曜の夜だけ、必ず外で食べると決めていた。そう決めないと、四ヶ月ずっとコンビニになる。

十一月に、腰をやった。段ボールの十八箱を、自分で移動させたのが原因だ。整形外科で、コルセットをもらった。

医者に「何を運びましたか」と聞かれて、「紙です」と答えた。

妻には、この案件の話をあまりしていない。前の人の資料を読む仕事だと説明したら、「それ、楽しいの」と聞かれた。

楽しくはない、と答えた。ただ、読むのは嫌いじゃない、とも言った。

実際、十八箱を読んでいた三週間は、この一年でいちばん静かな三週間だった。誰にも会わず、紙だけを読んでいた。

三年目のマネージャーになって、そういう時間はほとんどなくなっていた。人に会って、調整して、社内の稼働を見て、提案を書く。

段ボールの前に座っていた三週間、僕は久しぶりに、ただの読み手だった。

そのことを、日下部さんの疲れた顔を思い出すたびに、少し後ろめたく思う。

後記 ―― 翌年の六月

翌年の六月に、拠点の統合が二つ終わった。残りは翌年度に送られた。

坂田さんの拠点は、閉まった。坂田さんは、隣の県のセンターに異動になった。

僕は、最後の報告会で、施策の一覧の出典に、前任の報告書のページ番号を入れた。

「本分析は、前段の調査(二百十四ページ)に依拠する」と、脚注に書いた。

誰もそこを読まなかったと思う。読まれなくてよかった。読まれるために書いたのではない。

常務は、最終報告のあとで「逢坂さんのおかげで動きました」と言った。

僕は、ありがとうございますと答えた。

前任のチームが、この会社の名前を履歴書に書けているかどうかを、たまに考える。

たぶん、書けていない。七ヶ月で切られた案件は、そういう扱いになる。

百七十二ページの図は、いまも正しい。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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