体験記 No. 74

「真鍋さんは、どっちの会社の人なんですか」と、二週目に聞かれた

案件アウトドア用品メーカー・投資ファンド主導の経営改善(百日計画)
話の中心立ち上がり
語り手真鍋 詩央 / 31歳・中途3年目(前職・事業会社の経営企画)
読了約8分 · 5,100字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
キックオフの沈黙は十四秒在庫の山は二年半分

依頼してきた人と、毎日顔を合わせる人が、違う会社にいた――真鍋が、倉庫の棚のあいだで数えた百日の記録。

四月十三日、月曜。十時三分から、十四秒だった。

キックオフの会議室で、誰も喋らなかった時間の長さだ。

真鍋です。三十一歳。中途で入って三年目。前は、事業会社の経営企画にいた。

アサイン ―― 三月の終わり

依頼主は、投資ファンドだった。

半年前に、アウトドア用品のメーカーの株式を過半数取得している。創業から四十二年の会社で、テントとリュックとウェアを作っている。従業員は二百六十人。年商は八十七億円。

ファンドの担当者は、堂島さんという三十六歳の方だった。私より年上だが、話し方は同世代に近い。

依頼は、投資後の百日計画の策定と実行支援。期間は五ヶ月。マネージャーの久留島さんと、私と、二年目の芥川さんの三人。

契約書にサインしたのはファンドで、常駐するのは投資先だった。

この一行が、この五ヶ月の全部だったと、あとから思う。

キックオフ ―― 十四秒

四月十三日、投資先の本社で、キックオフをやった。

出席は、社長の宗田さん、専務、工場長、営業部長、管理部長。ファンドから堂島さん。私たち三人。

宗田さんは六十四歳で、創業者の息子だった。この会社を二十三年経営して、半年前に株の過半を手放している。

堂島さんが趣旨を説明した。百日で、事業の現状を整理し、優先順位をつけて、着手する。

そのあと、堂島さんが「何かご質問は」と言った。

そこから十四秒、誰も何も言わなかった。

私は、机の下で腕時計を見ていた。見ていたことを、いま書いている。

最初に口を開いたのは営業部長だった。「資料はどのくらい出せばいいですか」と聞かれた。

その質問は、内容についてではなかった。作業量についてだった。

二週目 ―― 廊下で

現場のヒアリングを始めた。

二週目の水曜、管理部の女性から、給湯室の前で聞かれた。

「真鍋さんは、どっちの会社の人なんですか」

私は「コンサルティング会社の者です」と答えた。

その方は、「そうじゃなくて」と言った。

「ファンドさんに報告するんですよね?」

します、と私は答えた。契約はファンドとなので、と。

その方は、「はい」とだけ言って、給湯室に入っていった。

その日の午後から、依頼した資料の返りが遅くなった。気のせいかと思ったが、気のせいではなかった。三日で来ていたものが、七日になった。

何を間違えたか

私は、この会社に対して「調査に来た人」に見えていた。

見えていたのではなく、そのとおりだった。私は最初の二週間、財務資料と在庫データと人員名簿を集めていた。集めて、堂島さんに毎週金曜、要点を送っていた。

送っていることを、誰にも言っていなかった。

久留島さんに相談したら、こう言われた。

「隠してないよね? 隠してないなら、言えばいいじゃん」

隠してはいなかった。ただ、言うと空気が悪くなると思って、言わなかった。

言わないことは、隠していることと、受け手からは区別がつかない。

三週目の月曜、朝礼のあとに十分もらって、私は説明をした。

毎週金曜にファンドへ報告していること。報告している内容は、社内の会議で使っているものと同じであること。人事評価に関する情報は集めていないこと。

説明したあと、質問は出なかった。

ただ、その週から、資料は四日で来るようになった。

芥川さんが黙った日

二年目の芥川さんは、この案件が二本目だった。

四月の終わり、芥川さんが工場長へのヒアリングに一人で行った。私は本社で財務の整理をしていた。

帰ってきた芥川さんは、机に座って、しばらく何も言わなかった。

どうだった、と聞いたら、「怒られました」と言った。

芥川さんは、工場の稼働率を聞いていた。ラインごとの、月別の。

工場長は、五十五歳の方だ。芥川さんに、こう言ったらしい。

「その数字、何に使うの。人減らすの?」

芥川さんは「分かりません」と答えたそうだ。

そこで、工場長が立ち上がって、部屋を出ていった。

私は、芥川さんに「分かりませんは、まずかったね」と言った。言ってから、では何と答えるのが正解だったのかを、自分でも持っていないことに気づいた。

人を減らす案が出ないとは、私には言えなかった。五ヶ月後に何を書いているか、四月の時点では分からない。

翌週、私が工場長に会いにいった。

稼働率を何に使うかを説明した。ラインの空き時間に、いま外注している縫製の一部を戻せないかを見たい、と。

工場長は「戻すの?」と聞いた。

分かりません、と私は答えた。芥川さんと同じ言葉だった。

ただ、そのあとに一つ足した。

「戻せないという結論になったら、その理由も一緒にお持ちします」

工場長は、「じゃあ、出すよ」と言った。

芥川さんとの違いは、そこだけだった。分からないことは同じで、分からないあとに何を渡すかを言ったかどうかだけが違った。

このことを、あとで芥川さんに伝えたかどうか、記憶が曖昧だ。たぶん、伝えていない。

倉庫 ―― 五月

在庫を見にいった。内陸の郊外にある倉庫で、最寄り駅からバスで十二分。

棚が高い。テントの箱は大きくて、四段目まで積んである。

倉庫の責任者は、松尾さんという五十八歳の方だった。二十九年この会社にいる。

在庫は、金額で十九億円あった。年商の二割強。

私は、回転日数を計算した。全体で百三十五日。

ただ、商品ごとに見ると、ばらつきが極端だった。上位三十品番は五十日で回っている。下位に、二年半動いていない在庫が四億二千万円分あった。

その四億二千万円の中身を、松尾さんに聞いた。

多かったのは、色違いだった。

同じテントの、生成りと紺と深緑。紺だけが売れて、あとの二色が残る。それが、五年分たまっていた。

「なんで作るんですか」と私は聞いた。

松尾さんは、「社長が、色は三色ないと格好がつかないって」と答えた。

それから、少し笑って、「私もそう思ってましたけどね」と言った。

その「けどね」の中に、二十九年ぶんの何かがあった気がした。

試着室

もう一つ、直営店に行った。全国に七店ある。

私が行ったのは、郊外の大型店だった。土曜の午後で、家族連れが多い。

試着室に入って、自分でもウェアを着てみた。着てみたのは、単純に興味があったからだ。

鏡の前で、値札を見た。二万七千五百円。

私は、この値段を高いと思った。思ってから、この会社の粗利率を思い出した。四十一パーセント。同業の上場企業の水準より、七ポイントくらい低い。

高いと思ったのは、私が着る人だからだ。低いと思ったのは、私が数字を見る人だからだ。

同じ服の同じ値札で、二つのことを同時に思った。

そのウェアは、買わなかった。買うと、何かがずれる気がした。いま思うと、意味のない我慢だった。

百日計画 ―― 六月

六月の第一週に、百日計画を出した。

十一のテーマを、四つの優先度に分けた。着手を三つに絞った。

一つ目。色展開を三色から二色に絞り、在庫のカラーバリエーションを翌シーズンから減らす。

二つ目。滞留在庫四億二千万円を、直営のアウトレットと期間限定の催事で、二年かけて処分する。

三つ目。受注から出荷までのリードタイムを、七日から四日にする。

私は、最初に効果の大きいものから並べた。久留島さんに、順番を変えろと言われた。

「三つ目を一番にして」

リードタイムは、効果額でいえば三つの中で一番小さい。三千万円くらいだ。

久留島さんが言ったのは、こうだった。

「これ、松尾さんの倉庫だけで終わるでしょ。七月中に終わる」

「終わったのを一回見せないと、あと二つは動かないよ」

私は、効果の大きさで順番をつけていた。久留島さんは、終わる速さでつけていた。

百日というのは、短い。四十二年やってきた会社を、百日で変えることはできない。

できないことは、堂島さんも分かっている。それでも百日と区切るのは、百日で一つ終わったという事実を作るためだ。

その事実がないと、あとの三年が始まらない。

私はそれを、資料を作り直しながら理解した。理解したが、最初から分かっていたようには書けないので、ここに書いておく。

取締役会 ―― 六月十七日

百日計画は、六月十七日の取締役会にかけた。

出席は、宗田さんと専務と、ファンドから派遣された社外の取締役が二人。堂島さんは陪席。

私は、二十六枚を三十五分で説明した。

宗田さんは、色の絞り込みのページで、一度だけ手を挙げた。

「三色を二色にすると、売り場が寂しくなる」

私は、直営店七店の棚の写真を出した。前の週に、自分で撮ったものだ。

そのうち五店で、生成りと深緑は、棚の下段か、背面の在庫棚に入っていた。売り場に出ていない。

宗田さんは、写真をしばらく見ていた。

それから、「これ、いつの写真」と聞いた。

先週の土曜です、と答えた。

「私が行くと、出てるんだよ」

会議室で、専務が小さく笑った。宗田さんも笑った。

その笑いで、この議題は通った。論理ではなかった。宗田さんが自分で言った冗談で、自分の立場を下ろした。

私は、そのとき、自分の資料が何かを動かしたとは思わなかった。写真を撮ったのは自分だが、笑ったのは宗田さんだ。

決議は、原案どおりだった。

宗田さんのこと

社長の宗田さんとは、五ヶ月で十四回、同じ部屋にいた。

二人だけで話したのは、一度だけだ。七月の夕方、会議のあとに残ったとき。

宗田さんは、窓のほうを見て、こう言った。

「うちのテント、使ったことある?」

ありません、と私は答えた。

「一回、使ってみたら」

それだけだった。

宗田さんは、私の名前を一度も呼ばなかった。五ヶ月で、一度も。

「コンサルさん」か「そちら」だった。

嫌われていたのだとは思わない。ただ、名前を覚える相手のリストに、私は入っていなかった。

生活 ―― 三十一歳

年収は八百二十万円。前の会社より三百十万円上がった。

上がったぶん、家賃を上げた。十四万八千円。一人で住むには広い。

この案件は、週に三日、投資先の本社に行った。片道五十分。残りの二日は、ファンドのオフィスか自社に行った。

自分の会社の席に座る日が、週に一日もない月があった。

七月に、前の会社の同僚とご飯を食べた。私が辞めたあと課長になった人だ。

「真鍋さん、いま楽しい?」と聞かれた。

私は「楽しい」と答えた。答えてから、楽しいというのは正確ではないと思った。

面白い、は合っている。楽しいかどうかは、あまり考えていなかった。

八月の頭に、四日だけ休みを取った。予定を何も入れずに、二日間ほとんど寝た。

三日目に、実家に帰った。母に「痩せた?」と聞かれた。体重は、四月から三キロ減っていた。

減った理由は、忙しさではないと思う。投資先の本社には社員食堂があって、三百八十円で昼が食べられる。私は、そこに行かない日が多かった。

行くと、必ず誰かの隣に座ることになる。その十五分で、どちら側の人間かを、また少し判定される。

コンビニのサラダを自席で食べるほうが、楽だった。

楽なほうを選んでいた三ヶ月で、私は現場の話をいくつ聞き逃したのだろうと、いまは思う。

九月に、一度だけ社員食堂に行った。松尾さんが手を挙げてくれて、向かいに座った。

その日に聞いた話が、最終の資料の脚注に一行だけ入っている。

後記 ―― 十二月

九月に案件が終わった。

リードタイムは、七月末に四日になった。色の絞り込みは、翌シーズンの企画に反映された。滞留在庫は、十二月時点で一億一千万円ぶんが処分されている。

十二月に、堂島さんから連絡が来た。次の投資先の話だった。私は、別の案件に入っていて、行けなかった。

堂島さんは、「宗田さん、最近いいですよ」と言った。

在庫の話を、自分から会議で出すようになったそうだ。

私は、よかったですねと言った。

言ってから、自分がその会議室にいないことを、少しだけ寂しく思った。

寂しく思ったことに、自分で驚いた。あの会社で、私は五ヶ月、ずっと「どっちの人か」と聞かれ続けていたはずだった。

テントは、まだ使っていない。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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