「真鍋さんは、どっちの会社の人なんですか」と、二週目に聞かれた
依頼してきた人と、毎日顔を合わせる人が、違う会社にいた――真鍋が、倉庫の棚のあいだで数えた百日の記録。
四月十三日、月曜。十時三分から、十四秒だった。
キックオフの会議室で、誰も喋らなかった時間の長さだ。
真鍋です。三十一歳。中途で入って三年目。前は、事業会社の経営企画にいた。
アサイン ―― 三月の終わり
依頼主は、投資ファンドだった。
半年前に、アウトドア用品のメーカーの株式を過半数取得している。創業から四十二年の会社で、テントとリュックとウェアを作っている。従業員は二百六十人。年商は八十七億円。
ファンドの担当者は、堂島さんという三十六歳の方だった。私より年上だが、話し方は同世代に近い。
依頼は、投資後の百日計画の策定と実行支援。期間は五ヶ月。マネージャーの久留島さんと、私と、二年目の芥川さんの三人。
契約書にサインしたのはファンドで、常駐するのは投資先だった。
この一行が、この五ヶ月の全部だったと、あとから思う。
キックオフ ―― 十四秒
四月十三日、投資先の本社で、キックオフをやった。
出席は、社長の宗田さん、専務、工場長、営業部長、管理部長。ファンドから堂島さん。私たち三人。
宗田さんは六十四歳で、創業者の息子だった。この会社を二十三年経営して、半年前に株の過半を手放している。
堂島さんが趣旨を説明した。百日で、事業の現状を整理し、優先順位をつけて、着手する。
そのあと、堂島さんが「何かご質問は」と言った。
そこから十四秒、誰も何も言わなかった。
私は、机の下で腕時計を見ていた。見ていたことを、いま書いている。
最初に口を開いたのは営業部長だった。「資料はどのくらい出せばいいですか」と聞かれた。
その質問は、内容についてではなかった。作業量についてだった。
二週目 ―― 廊下で
現場のヒアリングを始めた。
二週目の水曜、管理部の女性から、給湯室の前で聞かれた。
「真鍋さんは、どっちの会社の人なんですか」
私は「コンサルティング会社の者です」と答えた。
その方は、「そうじゃなくて」と言った。
「ファンドさんに報告するんですよね?」
します、と私は答えた。契約はファンドとなので、と。
その方は、「はい」とだけ言って、給湯室に入っていった。
その日の午後から、依頼した資料の返りが遅くなった。気のせいかと思ったが、気のせいではなかった。三日で来ていたものが、七日になった。
何を間違えたか
私は、この会社に対して「調査に来た人」に見えていた。
見えていたのではなく、そのとおりだった。私は最初の二週間、財務資料と在庫データと人員名簿を集めていた。集めて、堂島さんに毎週金曜、要点を送っていた。
送っていることを、誰にも言っていなかった。
久留島さんに相談したら、こう言われた。
「隠してないよね? 隠してないなら、言えばいいじゃん」
隠してはいなかった。ただ、言うと空気が悪くなると思って、言わなかった。
言わないことは、隠していることと、受け手からは区別がつかない。
三週目の月曜、朝礼のあとに十分もらって、私は説明をした。
毎週金曜にファンドへ報告していること。報告している内容は、社内の会議で使っているものと同じであること。人事評価に関する情報は集めていないこと。
説明したあと、質問は出なかった。
ただ、その週から、資料は四日で来るようになった。
芥川さんが黙った日
二年目の芥川さんは、この案件が二本目だった。
四月の終わり、芥川さんが工場長へのヒアリングに一人で行った。私は本社で財務の整理をしていた。
帰ってきた芥川さんは、机に座って、しばらく何も言わなかった。
どうだった、と聞いたら、「怒られました」と言った。
芥川さんは、工場の稼働率を聞いていた。ラインごとの、月別の。
工場長は、五十五歳の方だ。芥川さんに、こう言ったらしい。
「その数字、何に使うの。人減らすの?」
芥川さんは「分かりません」と答えたそうだ。
そこで、工場長が立ち上がって、部屋を出ていった。
私は、芥川さんに「分かりませんは、まずかったね」と言った。言ってから、では何と答えるのが正解だったのかを、自分でも持っていないことに気づいた。
人を減らす案が出ないとは、私には言えなかった。五ヶ月後に何を書いているか、四月の時点では分からない。
翌週、私が工場長に会いにいった。
稼働率を何に使うかを説明した。ラインの空き時間に、いま外注している縫製の一部を戻せないかを見たい、と。
工場長は「戻すの?」と聞いた。
分かりません、と私は答えた。芥川さんと同じ言葉だった。
ただ、そのあとに一つ足した。
「戻せないという結論になったら、その理由も一緒にお持ちします」
工場長は、「じゃあ、出すよ」と言った。
芥川さんとの違いは、そこだけだった。分からないことは同じで、分からないあとに何を渡すかを言ったかどうかだけが違った。
このことを、あとで芥川さんに伝えたかどうか、記憶が曖昧だ。たぶん、伝えていない。
倉庫 ―― 五月
在庫を見にいった。内陸の郊外にある倉庫で、最寄り駅からバスで十二分。
棚が高い。テントの箱は大きくて、四段目まで積んである。
倉庫の責任者は、松尾さんという五十八歳の方だった。二十九年この会社にいる。
在庫は、金額で十九億円あった。年商の二割強。
私は、回転日数を計算した。全体で百三十五日。
ただ、商品ごとに見ると、ばらつきが極端だった。上位三十品番は五十日で回っている。下位に、二年半動いていない在庫が四億二千万円分あった。
その四億二千万円の中身を、松尾さんに聞いた。
多かったのは、色違いだった。
同じテントの、生成りと紺と深緑。紺だけが売れて、あとの二色が残る。それが、五年分たまっていた。
「なんで作るんですか」と私は聞いた。
松尾さんは、「社長が、色は三色ないと格好がつかないって」と答えた。
それから、少し笑って、「私もそう思ってましたけどね」と言った。
その「けどね」の中に、二十九年ぶんの何かがあった気がした。
試着室
もう一つ、直営店に行った。全国に七店ある。
私が行ったのは、郊外の大型店だった。土曜の午後で、家族連れが多い。
試着室に入って、自分でもウェアを着てみた。着てみたのは、単純に興味があったからだ。
鏡の前で、値札を見た。二万七千五百円。
私は、この値段を高いと思った。思ってから、この会社の粗利率を思い出した。四十一パーセント。同業の上場企業の水準より、七ポイントくらい低い。
高いと思ったのは、私が着る人だからだ。低いと思ったのは、私が数字を見る人だからだ。
同じ服の同じ値札で、二つのことを同時に思った。
そのウェアは、買わなかった。買うと、何かがずれる気がした。いま思うと、意味のない我慢だった。
百日計画 ―― 六月
六月の第一週に、百日計画を出した。
十一のテーマを、四つの優先度に分けた。着手を三つに絞った。
一つ目。色展開を三色から二色に絞り、在庫のカラーバリエーションを翌シーズンから減らす。
二つ目。滞留在庫四億二千万円を、直営のアウトレットと期間限定の催事で、二年かけて処分する。
三つ目。受注から出荷までのリードタイムを、七日から四日にする。
私は、最初に効果の大きいものから並べた。久留島さんに、順番を変えろと言われた。
「三つ目を一番にして」
リードタイムは、効果額でいえば三つの中で一番小さい。三千万円くらいだ。
久留島さんが言ったのは、こうだった。
「これ、松尾さんの倉庫だけで終わるでしょ。七月中に終わる」
「終わったのを一回見せないと、あと二つは動かないよ」
私は、効果の大きさで順番をつけていた。久留島さんは、終わる速さでつけていた。
百日というのは、短い。四十二年やってきた会社を、百日で変えることはできない。
できないことは、堂島さんも分かっている。それでも百日と区切るのは、百日で一つ終わったという事実を作るためだ。
その事実がないと、あとの三年が始まらない。
私はそれを、資料を作り直しながら理解した。理解したが、最初から分かっていたようには書けないので、ここに書いておく。
取締役会 ―― 六月十七日
百日計画は、六月十七日の取締役会にかけた。
出席は、宗田さんと専務と、ファンドから派遣された社外の取締役が二人。堂島さんは陪席。
私は、二十六枚を三十五分で説明した。
宗田さんは、色の絞り込みのページで、一度だけ手を挙げた。
「三色を二色にすると、売り場が寂しくなる」
私は、直営店七店の棚の写真を出した。前の週に、自分で撮ったものだ。
そのうち五店で、生成りと深緑は、棚の下段か、背面の在庫棚に入っていた。売り場に出ていない。
宗田さんは、写真をしばらく見ていた。
それから、「これ、いつの写真」と聞いた。
先週の土曜です、と答えた。
「私が行くと、出てるんだよ」
会議室で、専務が小さく笑った。宗田さんも笑った。
その笑いで、この議題は通った。論理ではなかった。宗田さんが自分で言った冗談で、自分の立場を下ろした。
私は、そのとき、自分の資料が何かを動かしたとは思わなかった。写真を撮ったのは自分だが、笑ったのは宗田さんだ。
決議は、原案どおりだった。
宗田さんのこと
社長の宗田さんとは、五ヶ月で十四回、同じ部屋にいた。
二人だけで話したのは、一度だけだ。七月の夕方、会議のあとに残ったとき。
宗田さんは、窓のほうを見て、こう言った。
「うちのテント、使ったことある?」
ありません、と私は答えた。
「一回、使ってみたら」
それだけだった。
宗田さんは、私の名前を一度も呼ばなかった。五ヶ月で、一度も。
「コンサルさん」か「そちら」だった。
嫌われていたのだとは思わない。ただ、名前を覚える相手のリストに、私は入っていなかった。
生活 ―― 三十一歳
年収は八百二十万円。前の会社より三百十万円上がった。
上がったぶん、家賃を上げた。十四万八千円。一人で住むには広い。
この案件は、週に三日、投資先の本社に行った。片道五十分。残りの二日は、ファンドのオフィスか自社に行った。
自分の会社の席に座る日が、週に一日もない月があった。
七月に、前の会社の同僚とご飯を食べた。私が辞めたあと課長になった人だ。
「真鍋さん、いま楽しい?」と聞かれた。
私は「楽しい」と答えた。答えてから、楽しいというのは正確ではないと思った。
面白い、は合っている。楽しいかどうかは、あまり考えていなかった。
八月の頭に、四日だけ休みを取った。予定を何も入れずに、二日間ほとんど寝た。
三日目に、実家に帰った。母に「痩せた?」と聞かれた。体重は、四月から三キロ減っていた。
減った理由は、忙しさではないと思う。投資先の本社には社員食堂があって、三百八十円で昼が食べられる。私は、そこに行かない日が多かった。
行くと、必ず誰かの隣に座ることになる。その十五分で、どちら側の人間かを、また少し判定される。
コンビニのサラダを自席で食べるほうが、楽だった。
楽なほうを選んでいた三ヶ月で、私は現場の話をいくつ聞き逃したのだろうと、いまは思う。
九月に、一度だけ社員食堂に行った。松尾さんが手を挙げてくれて、向かいに座った。
その日に聞いた話が、最終の資料の脚注に一行だけ入っている。
後記 ―― 十二月
九月に案件が終わった。
リードタイムは、七月末に四日になった。色の絞り込みは、翌シーズンの企画に反映された。滞留在庫は、十二月時点で一億一千万円ぶんが処分されている。
十二月に、堂島さんから連絡が来た。次の投資先の話だった。私は、別の案件に入っていて、行けなかった。
堂島さんは、「宗田さん、最近いいですよ」と言った。
在庫の話を、自分から会議で出すようになったそうだ。
私は、よかったですねと言った。
言ってから、自分がその会議室にいないことを、少しだけ寂しく思った。
寂しく思ったことに、自分で驚いた。あの会社で、私は五ヶ月、ずっと「どっちの人か」と聞かれ続けていたはずだった。
テントは、まだ使っていない。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。