体験記 No. 73

型は三百四十六本あって、うち百九本は、もう使っていなかった

案件農業機械メーカー・下請取引の適正化(価格転嫁と型の保管)
話の中心仮説構築
語り手甲斐 圭吾 / 29歳・入社6年目
読了約8分 · 5,300字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
支払サイトは平均112日型の保管料は一本も請求されていなかった

是正される側が、依頼してきた側だった――甲斐が、鋳物工場の砂の上で書き直した案件の記録。

四月八日の水曜日、僕は耳栓をして立っていた。

鋳物工場の中は、音がずっと鳴っている。会話は、相手の口元を見ていないと成立しない。

甲斐です。二十九歳、入社六年目。この日まで、鋳物の工場に入ったことがなかった。

アサイン ―― 三月下旬

クライアントは、農業機械のメーカーだった。トラクタに付ける作業機を作っている。従業員は九百二十人。

依頼は、下請取引の適正化だった。

原材料と電力の値上がりが続いていて、取引先から値上げの申し入れが増えている。それを、その場の力関係でなく、決まった手順で処理できるようにしたい、という話だった。

マネージャーの黒岩さんから聞いたとき、僕は正直、地味な案件だと思った。

規程を作って、様式を作って、研修をやる。四ヶ月。三人。

「やることは決まってるから、あとは書くだけだね」

と僕は言った。黒岩さんは「決まってると思う?」と聞き返した。

決まっていなかった。

立ち上がり ―― 誰が困るのかを、聞いていなかった

キックオフは四月二日。出席は、購買部長の岩井さん、購買の担当が三人、法務が一人、経営企画が二人。

岩井さんは五十三歳で、この会社に三十一年いる。名刺を出したとき、「調達は、甲斐さんいくつ?」と聞かれた。二十九ですと答えたら、「じゃあ、うちの息子と同じだ」と言われた。

その日の会議で、僕は取引先の一覧をもらった。直接の取引先が二百十四社。そのうち、年間取引額が一千万円未満の会社が百三十一社あった。

僕は、この百三十一社にどう話を聞くかを考えていた。

黒岩さんが会議のあとで言った。

「甲斐くん、今回、困るのはどっちの会社だと思う?」

僕は「取引先です」と答えた。

黒岩さんは「違う」と言った。

「岩井さんだよ」

この案件のクライアントは、値上げを受ける側だ。是正される側が、是正の仕組みを発注している。そして岩井さんは、三十一年、安く買うことで評価されてきた人だった。

僕は、その構造を四日目まで見ていなかった。

四日目まで、僕がやっていたのは、指針の読み込みと他社の公表資料の整理だった。書けることが多いほど良い仕事をしていると思っていた。三十六枚の論点整理を作って、黒岩さんに見せた。黒岩さんは、二枚目で止めて、「これ、誰に見せるの」と言った。

岩井さんに、と僕は答えた。

「岩井さんが読んだら、どう思う?」

僕は答えられなかった。その三十六枚は、岩井さんの部署がやってきたことを、上から順番に並べて×をつけた紙だった。そういうつもりで作ったわけではない。ただ、そう読める紙だった。

その日、僕は三十六枚を十一枚に落とした。落としたというより、消した。

現場 ―― 四月八日

取引先を回り始めた。全部で十二社。最初に行ったのが、冒頭の鋳物工場だった。

社員は十九人。社長は六十七歳で、名前を山根さんといった。工場の中を、耳栓を渡されて歩いた。

砂の匂いがする。夏はもっときついですよ、と言われた。

事務所に戻って、注文書と請求書を見せてもらった。

僕はそこで、二つの数字を知った。

一つ目。支払いのサイトが、締めから平均で百十二日だった。

現金の分は、締めの翌々月末に振り込まれる。おおむね六十日だ。手形は、同じ日に振り出されて、満期がそこから百二十日先になる。

金額ベースで、手形が四割強だった。加重して平均すると、百十二日になる。

二つ目。この工場には、クライアントの型が三百四十六本置いてあった。

型の話

型というのは、鋳物を作るための金型と木型のことだ。持ち主はクライアントで、置いてあるのは取引先の倉庫だ。

山根さんは、倉庫を見せてくれた。棚が四段、奥行きが二十メートルくらいある。

「これ、どのくらい使ってますか」と聞いた。

山根さんは、台帳を出してきた。手書きだった。

直近三年で一度でも使ったのが二百三十七本。残りの百九本は、三年以上動いていない。いちばん古いものは、十九年前の注文だった。

僕は「保管料は」と聞いた。

山根さんは笑って、「請求したことないです」と言った。

「言い出しにくいですから」

倉庫の面積は、坪で換算すると三十八坪だった。この地域の倉庫の賃料水準から逆算すると、年間で百万円を少し超える。

僕はその場で電卓を叩いた。百八万円。

山根さんは、僕が電卓を叩いているのを見ていた。それから、「そういう金額になるんですね」と言った。

その言い方が、僕の中にしばらく残った。金額になることを、この人は知らなかったのではなくて、金額にしないことにしていた。

仮説が違っていた

僕が最初に立てた仮説は、「値上げの申し入れを、断りにくい仕組みにする」だった。

協議のルールを決めて、断る場合は理由を書かせて、記録を残す。それで、力関係のまま押し切られることが減る。

現場を七社回って、この仮説が半分しか当たっていないことが分かった。

申し入れそのものが、出てきていない。

七社のうち、この一年で値上げを申し入れたのは二社だけだった。残りの五社は、コストが上がっていることを、注文書のやりとりの中で一度も文章にしていない。

理由を聞くと、だいたい同じことを言われた。

「言うと、次の見積りで比べられるので」

四社目で会った樹脂部品の会社の専務は、もう少し具体的に言った。

「甲斐さん、値上げを一回お願いすると、そのあと二年くらい、新しい図面が来なくなるんですよ」

僕は「本当にそうなっていますか」と聞いた。数字で確かめたかった。

専務は、「分からないです」と答えた。

「でも、そう言われてるんです。うちの前の社長から」

確かめられていない因果が、二十年くらい生きている。それは、事実かどうかとは別に、行動を決めていた。

僕は、この話を報告書に入れるべきか、三日迷った。入れると、証拠のない伝聞を資料に載せることになる。入れないと、なぜ申し入れが出てこないかが説明できない。

結局、「取引先側の認識」という囲みを作って、そのまま入れた。囲みの外に出さなかったのは、たぶん自分が逃げたのだと思う。

つまり、協議の手順を整えても、入口に人が立っていなければ何も起きない。

僕は、仮説を書き直した。論点を「断りにくくする」から「言い出せるようにする」に変えた。

中間報告の資料の構成が、これで全部変わった。五月の連休を一日使って、四十一枚を作り直した。

詰められた ―― 五月十四日

社内レビューで、黒岩さんに一つだけ聞かれた。

「言い出せるようにして、全部の申し入れを通すの?」

通しません、と僕は答えた。妥当性は審査します。

「その審査、誰がやるの」

購買部です、と答えた。

黒岩さんは、「いま断ってる人と同じ人だよね」と言った。

僕は詰まった。

そのあと、黒岩さんが言ったことを書いておく。

「甲斐くん、正しいことを言うのは楽なんだよ。書いてる本人が痛まないから。痛む人の設計を書いて」

岩井さんとの一時間

五月二十日、岩井さんに一人で会いにいった。

僕は、支払サイトと型の保管の話をした。百十二日と、百九本と、百八万円。

岩井さんは、しばらく黙っていた。それから言った。

「甲斐さん、うちの購買の評価って、何で決まってるか知ってる?」

僕は「コストですか」と答えた。

「単価の前年比。それだけ」

岩井さんは、自分の部の担当者の名前を三人挙げた。三人とも、前年比でマイナスを出して、その年の評価が上がっていた。

「その三人に、上げていいよって言うなら、評価の紙も一緒に変えてもらわないと」

「じゃないと、口だけの人になる」

僕は、評価指標を変える提案を、この案件のスコープに入れていなかった。人事の領域だと思って、外していた。

最終的に、購買の評価から単価の前年比を外し、代わりに「協議の記録が残っているか」と「供給が止まっていないか」を入れる案を書いた。書いたが、僕が書いたというより、岩井さんに書かされた。

帰りの特急で、僕はこの一時間のことを考えていた。

岩井さんは、抵抗勢力ではなかった。むしろ、僕より先に、この案件の急所を知っていた。知っていて、外部の人間が来るまで言わなかった。

言えなかったのだと思う。自分の部署の評価の話を、自分から持ち出せる人は少ない。

僕は、その役をやるために呼ばれていた。四ヶ月のフィーは、その役の値段だった。

中間報告 ―― 六月三日

中間報告は、六月三日の十四時から、二時間だった。

役員が六人、購買から四人、法務と経営企画。全部で十四人。

僕は、四十一枚のうち、十七枚目で止められた。

止めたのは、生産担当の常務だった。六十一歳。

「甲斐さん、うちが払える総額は増えないよね」

増えます、と僕は答えた。三年で、購買総額の一・八パーセント。金額にして、年間で二億四千万円くらい。

常務は、「その分、どこで取るの」と聞いた。

僕は、販売価格への転嫁を挙げた。

常務は「うちの客も農家だよ」と言った。

会議室が、少し静かになった。

僕は、その先を用意していなかった。用意していなかったというより、そこは自分の論点ではないと決めていた。

黒岩さんが「そこは、別に整理してお持ちします」と言って、進行が戻った。

戻ったが、僕の中では戻らなかった。

上流でやったことは、必ず下流のどこかに出る。僕が作ろうとしているのは、痛みを消す仕組みではなくて、痛みを誰が持つかを決め直す仕組みだった。

そのことを、十七枚目まで一度も書いていなかった。

生活 ―― 二十九歳

年収は六百九十万円。家賃は九万二千円の一人暮らしで、駅から徒歩十四分。

この案件は日帰りの出張が多かった。特急で一時間半。往復で四千二百円の自由席に乗って、行きは資料を読み、帰りは寝ていた。

四月から六月で、二十九回乗った。

工場を回り始めてから、靴を買い替えた。安全靴を貸してもらう工場と、そうでない工場があって、後者では自分の革靴が砂を吸った。八月にソールが剥がれた。

五月に、右の奥歯が欠けた。夜中にコンビニのアーモンドを食べていたときで、噛んだ瞬間に音がした。歯医者に行ったのは七月の末で、その間の二ヶ月、僕は左側だけで噛んでいた。歯医者には「食いしばってますね」と言われた。

自分では、食いしばっている自覚がなかった。

六月のある日、実家の父から電話が来た。何の用でもなくて、田植えが終わったという話だった。

うちは農家ではない。庭の隅で、父が二年前から米を作っている。四畳半くらいの田んぼだ。

僕は、いまトラクタに付ける機械の会社をやっていると言った。

父は「ほう」と言って、「うちのは手でやってる」と言った。

そのあと、電話を切ってから、僕は取引先の名前を三つくらい思い出した。

最終報告 ―― 七月

七月二十二日に最終報告をした。

出したのは、四つだった。協議の申し入れ窓口と様式。回答期限を二十営業日にすること。手形を段階的にやめて、サイトを六十日に寄せる三年計画。型の台帳を作り直して、三年動いていないものは返却か廃棄か有償保管かを決めること。

役員からの質問は、支払サイトのところに集中した。

「一気にやると、資金繰りが持たない」

これは、正しい指摘だった。三年計画にしたのは、そのためだ。

決まったのは、三つだった。型の台帳の作り直しだけが、翌期に送られた。

理由は、担当者がいないからだった。

三百四十六本を数え直して、一本ずつ判定して、取引先と話をつける。誰がやるか、という段になって、誰も手元の紙から目を上げなかった。

僕は、そこで手を挙げなかった。契約は七月末までで、延長の話は出ていなかった。

出ていなかったが、言えば少しは動いたかもしれない。言わなかった理由を、自分ではまだうまく説明できない。

後記 ―― 翌年の二月

翌年の二月に、岩井さんから連絡が来た。

型の台帳は、結局できたそうだ。三百四十六本のうち、百九本は返却か廃棄になった。

そして、あの鋳物工場は、その前の月に廃業していた。

社長の山根さんが体調を崩して、後を継ぐ人がいなかった。従業員は、近くの二社が受け入れたと聞いた。

型は、うちが引き取りましたと岩井さんは言った。トラックで二回だったそうだ。

僕が作った様式で、山根さんが値上げを申し入れたことは、一度もない。

保管料の請求も、なかった。

僕は、あの日に電卓で出した百八万円のことを、いまでも覚えている。

覚えているが、あれを言葉にして山根さんに渡したのが正しかったのかは、まだ分からない。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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