僕の四ヶ月には、請求先がなかった
請求先のないチャージコードを四ヶ月つけ続けた――和久井が、自分の会社を客として過ごした一件の記録。
四月一日から七月三十一日まで、僕がつけていたチャージコードには、請求先がなかった。
社内の管理番号だ。頭が9から始まる。うちでは、9で始まるコードは客に請求しない仕事を指す。
和久井です。三十五歳。マネージャーになって四年目になる。
三月の連絡
大型の案件が飛んだ。
正確には、飛んだのではなく、延期になった。クライアント側の役員人事が三月に動いて、意思決定が止まった。
僕は四月からその案件でマネージャーをやる予定だった。チームは六人。半年の予定だった。
三月十三日に、パートナーの江藤さんから連絡が来た。
「和久井、四月からちょっと社内の仕事をやってくれないか」
社内の仕事、というのは、社内プロジェクトのことだ。
テーマは、アサインの仕組みと稼働管理の見直しだった。
うちの会社は、この五年で人が増えた。増えたのに、誰をどの案件に入れるかの決め方が、昔のままだった。
具体的には、案件が立ち上がると、その案件のパートナーやマネージャーが、知っている人に声をかける。空いている人のリストは一応あるが、実際には声かけで決まる。
その結果、待機期間の長さに、人によって差が出ていた。
「差がある」というところまでは、みんな知っていた。
なぜ差が出るかは、誰も調べていなかった。
客がいない
社内案件の最初の一週間で、僕が戸惑ったのは、クライアントがいないことだった。
いない、というのは正確ではない。いすぎる。
この仕事の受益者は、全社員だ。意思決定するのは、パートナー会。パートナーは十九人いる。
江藤さんに「誰に合意を取ればいいですか」と聞いた。
江藤さんは「全員」と言った。
「全員というのは、最終的に多数決ですか」
「多数決はやらない。やったことがない」
じゃあどうやって決まるんですか、と聞いたら、「反対する人がいなくなったら決まる」と言われた。
これが、この案件の最後まで効いてきた。
三年前の資料
四月の第二週に、共有フォルダを掘った。
社内案件の過去の成果物は、フォルダの階層の深いところに置かれている。誰も見ないので、整理もされていない。
そこで、三年前の資料を見つけた。
タイトルは「アサインプロセスの現状整理と改善の方向性」。
僕がやろうとしていることと、ほぼ同じだった。
四十二枚あった。分析も、僕が四月に考えていた切り口とよく似ていた。待機日数の分布、案件の立ち上がりのリードタイム、スキルの登録率。
最後の一枚に、提言が三つ書いてあった。そのうち二つは、僕が七月に出すことになる提言と、ほとんど同じだった。
作った人の名前を見た。知っている人だった。二年前に辞めている。
僕はその資料を、三十分見ていた。
それから、江藤さんに聞いた。「三年前に同じことをやってますよね」
江藤さんは「やったね」と言った。
「どうなったんですか」
「途中で、その人が案件に戻ったんだよ。それで止まった」
止まった、という言葉に、責める感じはなかった。事実として、そうだったという言い方だった。
僕は、自分も八月から案件に戻る可能性が高いことを、そのとき考えた。考えて、すぐに別のことを考えた。
データ ―― 同僚の稼働
四月の後半から、データを見た。
見たのは、過去三年分の、コンサルタント一人ひとりの月次の稼働率と、アサインされた案件、案件の規模、評価の履歴、それから入社経路。
対象は、三百四十一人だった。
僕の名前も、その中にあった。
三十五歳、マネージャー四年目、直近三年の平均稼働率は八十八パーセント。
自分の行を見つけたとき、少し変な気持ちになった。他人の行と同じ形をしていた。
分析としては、そんなに難しいことはしていない。待機期間の長さを、いくつかの要因で説明できるかを見ただけだ。
評価。入社経路。職位。専門領域。年次。
それから、直近二年で「誰の下にいたか」。
五月 ―― 作ってはいけない表
五月の連休明けに、僕は一つの表を作った。
パートナー別に、そのパートナーの案件に入ったメンバーの、その後の稼働率と評価を並べた表だ。
パートナーの名前が、そのまま行になっていた。
作ったとき、僕は「これは強い」と思った。
数字ははっきりしていた。特定の何人かのパートナーの下に入った人は、その後の待機が短い。別の何人かの下に入った人は、待機が長い。
差は、平均で十九日あった。
僕はこの表を、江藤さんとの打ち合わせに持っていった。五月十二日の夕方だった。
江藤さんは、表を三十秒見て、こう言った。
「和久井、これ、誰かに見せた?」
「まだです」
「消して」
理由を聞いた。
江藤さんは「内容が間違ってるとは言ってない」と言った。
「ただ、この紙が一枚あると、これから先、この会社で起きる全部のアサインが、この紙の話になる」
僕は納得しなかった。その場では「分かりました」と言ったが、納得していなかった。
一週間かけて、僕は同じ分析を、パートナーを匿名化した形で作り直した。A、B、Cと記号にして、順番も入れ替えた。
作り直した結果、言えることは変わらなかった。差は十九日のままだった。
変わったのは、会議でその紙を出したときに、誰も自分の話だと思わなくなったことだ。
そして、誰も自分の話だと思わなくなった瞬間、その紙は少し弱くなった。
江藤さんが言ったのは、たぶん、そういうことだったのだと思う。いまでも、あれが正しかったのかは分からない。
聞く ―― 二十六人
六月に、社内の二十六人に話を聞いた。
若手からパートナーまで。一人四十五分。
同僚に話を聞くのは、客に聞くより難しかった。
まず、僕のことを知っている。僕がどの案件をやってきたかも、僕がどのパートナーの下にいることが多いかも知っている。
三年目の人が、最後にこう言った。
「和久井さんって、江藤さんのところですよね」
「はい」
「じゃあ、そういうことですよね」
何が「そういうこと」なのかは、説明されなかった。説明されなくても、分かった。
僕は、待機が短いほうの群にいる。
四年目の別の人は、もっと具体的だった。
「去年、二ヶ月空いたんです」
「そのあいだ、社内の研修の手伝いをやって、いちおう九から始まるコードをつけてました」
「評価面談で、その二ヶ月のことは、話題に出なかったです」
出なかった、というのが、いちばんきつい言い方だと思った。
根回し ―― 七月の前半
パートナー会の前に、五人に個別に説明した。
これは江藤さんに言われてやった。「会議で初めて見る人がいると、その人は反対する」と。
五人のうち三人は、十五分で終わった。「いいんじゃない」と言われた。
四人目は、五十代の方で、四十分かかった。
その方は、僕の分析のうち「誰の下にいたか」の部分について、こう言った。
「これ、逆じゃないの」
「できる人を引っ張ってる人の下に、できる人が集まってるだけでしょう」
反論としては、まっとうだった。
僕は、評価の履歴で補正した結果を見せた。評価が同じ層に絞っても、差は十一日残る。
その方は「ふうん」と言った。
それから、「和久井くん、これ、僕は何をすればいいの」と聞いた。
僕は「週次の配置会議に出ていただきたいです」と答えた。
「四十分?」
「四十分です」
その方は、手帳を見て、「木曜の朝ならいけるかな」と言った。
この会話が、僕がこの四ヶ月でいちばん手応えを感じた瞬間だった。
七月の会議では、この方は何も発言しなかった。
七月 ―― パートナー会
最終報告は、七月二十四日のパートナー会だった。
十九人のうち、十六人が出席した。時間は、九十分のうち僕の枠が四十分。
僕が出したのは、四つだった。
一つ。待機期間の長さは、能力や評価より、「誰の案件にいたか」で説明できる部分が大きい。
二つ。空いている人のリストは存在するが、案件が立ち上がる時点では使われていない。使われるのは、声かけが失敗したあとだ。
三つ。だから、アサインの決定を、案件側の希望だけでなく、全社の配置として一度通す場を作る。週次で、四十分。
四つ。待機が一定日数を超えた人については、担当を決めて経過を見る。
説明が終わったあと、部屋は静かだった。
反論は出なかった。
一人が「面白いね」と言った。
一人が「工数はどれくらいかかるの、この週次の会議」と聞いた。四十分です、と答えた。
一人が「まあ、やってみる価値はあるよね」と言った。
結論は、「来期から試行」ということになった。
試行、というのは、いつから、誰が、何を、というのが決まらないまま終わる、ということだ。
そのことは、部屋を出た瞬間に分かっていた。
分かっていて、僕はその日、少しほっとしていた。
反対されなかったからだ。誰も怒らなかったからだ。
四ヶ月で、いちばん嫌だったのは、この「ほっとした」だと思う。
評価面談 ―― 八月
八月に、期の評価面談があった。
評価者は江藤さんだった。
社内案件の四ヶ月について、江藤さんはこう言った。
「内容はよかった。ただ、今期の評価は、正直むずかしい」
理由は、分かっていた。うちの評価は、案件での成果と、売上への貢献で決まる。
僕の四ヶ月には、売上がない。
江藤さんは「来期でちゃんと返す」と言った。
その言葉を、僕は信じた。信じたというより、信じるほうが楽だった。
面談のあと、エレベーターで、さっきまで話していた自分の数字のことを考えた。
僕は四ヶ月、待機の長さと評価の関係を分析していた。
そして、自分の四ヶ月が、評価の対象から外れていた。
分析していたことと、自分に起きていることが、同じ形をしていた。
そのことに、面談が終わるまで気づいていなかった。
生活 ―― 三十五歳
年収は千二百六十万円。家は都心から三十分の2LDK、家賃は十七万八千円。
この四ヶ月、僕は十九時に会社を出る日が多かった。客先の締切がないからだ。
四年ぶりに、平日にジムに行った。週に二回、三ヶ月続いた。体重が四キロ落ちた。
五月の連休は、四日休んだ。前に四日続けて休んだのがいつだったか、思い出せなかった。休みの三日目に、やることがなくなって、平日の昼間に映画館に行った。客は十一人だった。
映画の内容は、あまり覚えていない。覚えているのは、上映中に一度もスマートフォンを見なかったことだ。見なくても、何も起きなかった。
六月に、妻に「最近、機嫌がいいね」と言われた。
僕は「暇だから」と答えた。答えてから、暇という言葉を使ったことに自分で驚いた。
暇ではなかった。作業量は、案件のときの六割くらいはあった。
ただ、誰にも待たれていなかった。待たれていない仕事は、どれだけ量があっても、暇に感じる。
七月の終わり、案件に戻ることが決まった。八月からだ。
決まった日の夜、僕は少し眠れなかった。うれしかったからだ。
四ヶ月かけて「アサインの仕組みが属人的だ」という報告をした人間が、自分のアサインが決まって安心して眠れなくなっている。
これは、書いておく。
後記 ―― 翌年の二月
翌年の二月の時点で、週次の配置会議は、始まっていない。
待機が長い人の経過を見る担当は、人事の部門に置かれた。これは実行された。担当者は一人だ。
僕が話を聞いた四年目の人は、去年の十月に辞めた。事業会社に移ったと聞いた。
辞めるときの面談で、待機の話をしたかどうかは、知らない。
僕の資料は、社内の共有フォルダに入っている。パスは、パートナー会の議事録からリンクされている。
去年の十二月に、一度だけ、若手から「あの資料、読みました」というメッセージが来た。入社二年目の人で、僕は名前しか知らなかった。三ヶ月空いたあとだった、と本人が書いていた。
返信に何を書くか、十分くらい考えた。
結局、「ありがとう。あれ、実行されてないけどね」と書いて送った。
送ってから、これは書かなくてよかったかもしれない、と思った。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。