自分の退職金を計算したのは、九回目の説明会が終わった夜だった
制度の説明を九回やって、九回とも別のことを聞かれた――樋渡が、人の老後を設計した八ヶ月について書いた記録。
十一月十二日、九回目の説明会が終わったとき、私の声は最後の十五分、ほとんど出ていなかった。
質問は、その回だけで二十二件あった。
樋渡です。三十九歳。シニアマネージャーになって二年目になる。
アサイン ―― 四月
四月の頭に、パートナーの宗形さんから「年金、やれる人が足りない」と言われた。
やれる人が足りない、というのは、やったことがある人は少ないがあなたなら読めるだろう、という意味だ。
私は人事の案件を六年やっている。等級、報酬、評価。ただ、退職給付は初めてだった。
退職給付というのは、要するに退職金と企業年金のことだ。人事の中でも、いちばん数理に寄っている領域で、隣に年金数理人という専門職がいる。
案件の期間は八ヶ月。四月から十一月。
会社 ―― 中堅の製薬
クライアントは、中堅の製薬会社だった。
創業九十六年。売上は九百四十億円。従業員は千八百二十人。うち、研究職が三百十人、MRが四百八十人、工場が五百人ほど。
依頼は、退職給付制度の見直しだった。
理由は、財務だった。この会社の退職給付債務は二百七十億円ある。年金資産が二百十億円。差の六十億円が、貸借対照表に載っている。
そして、制度の予定利率が二・五パーセントで、三十年近く変わっていなかった。
予定利率というのは、簡単に言えば、会社が社員に約束している利回りだ。約束した利回りに運用が届かなければ、差額は会社が埋める。
財務担当役員の朝倉さんは、初回の面談でこう言った。
「これ、私が入社したときに決まった数字なんですよ」
「その頃の定期預金の金利、知ってます?」
私は知らなかった。調べたら、いまとは全然違う世界だった。
立ち上がり ―― 数字が動かない会議
最初の一ヶ月は、現状の把握に使った。
制度は三階建てのようになっていた。退職一時金があり、その上に確定給付の企業年金があり、一部の職種だけ別の加算がある。
規程は四つ。いちばん古いものは、昭和の日付が入っていた。改正の履歴が、末尾に十一行ある。
年金数理人の先生に、月に二回来ていただいた。六十代の方で、話し方がとても静かだった。
その方に、私は一度こう聞いた。
「利率を下げると、どのくらい楽になりますか」
先生は「楽にはなりません。将来の積み立てが減るだけで、過去のぶんは残ります」と言った。
すでに働いた分の約束は、後から引き下げられない。この一線が、この案件のすべての制約だった。
私はそれを頭では理解していた。理解していたのに、五月のあいだ、何度か「過去分も込みで下げたら」という筋の資料を作りかけた。作りかけては、消した。
案 ―― 三つ
六月に、案を三つに絞った。
一つ目。確定給付を維持したまま、予定利率を将来分について引き下げる。
二つ目。確定給付の一部を確定拠出に移す。会社が毎月一定額を拠出し、運用は本人がやる。
三つ目。確定拠出への移行に加えて、「前払い」の選択肢を置く。退職時に受け取る代わりに、毎月の給与に上乗せして受け取る。
会社が選んだのは、三つ目だった。
三つ目がいちばん自由度が高い。ただ、自由度が高いということは、選ばせるということだ。
選ばせるためには、全員が理解している必要がある。
そこが、この案件の本体だった。
誤判断 ―― 個別試算
七月の役員会で、私はある提案をした。
社員一人ひとりに、現行制度と新制度での見込み額を比べた個別の試算表を配る、という提案だ。
理屈はこうだった。制度の一般論を説明しても、自分がどうなるかが分からなければ、人は選べない。
朝倉さんは「それができるなら、いちばん納得する」と言った。人事部長も賛成した。
千八百二十人分の試算を作った。前提は、現在の給与が定年まで一定、運用利回りは年一・五パーセント、退職は六十歳。
作業は、人事のシステムからデータを出して、計算式に流し込むだけだと思っていた。
思っていたのだが、データが揃わなかった。過去の出向者の扱い、休職期間の控除、途中入社の前職期間の通算。例外が二百件以上出た。
八月は、ほとんどこれで潰れた。チームの若手二人と、深夜まで例外処理をした。
そして、配ったあとに、もっと大きいことが起きた。
試算表を、社員が「約束」として読んだ。
運用利回り一・五パーセントという前提は、紙の右下に小さく書いてあった。書いてあったが、そこは読まれない。
九月の説明会で、四十六歳のMRの方に、こう言われた。
「この紙の金額は、もらえるということでいいんですね」
私は「これは一定の前提を置いた試算です」と答えた。
その方は「じゃあ、この紙は何なんですか」と言った。
正しい質問だった。答えを、私は用意していなかった。
八月 ―― 例外二百件
八月の例外処理は、チームの二人とやった。
入社二年目の福留さんと、三年目の宇留野さん。二人とも、この案件が初めての人事案件だった。
例外というのは、こういうものだった。二十七年前に子会社へ出向して、十一年後に戻ってきた人。育児休業を三回取っていて、そのうち一回は制度改正をまたいでいる人。定年後の再雇用から、また正社員に戻った人。
一人ずつ、規程のどの条文が当たるかを確認して、計算式の分岐を作る。
八月十九日は、二十三時まで会議室にいた。空調が二十二時で切れる建物だったので、最後の一時間は暑かった。
福留さんが、途中で「この人、すごい経歴ですね」と言った。
出向を二回して、休職を一回して、いまも在籍している方だった。入社は三十八年前。
私は「そうだね」と言った。言ってから、この人の三十八年が、私たちにとっては分岐の条件でしかないことに気づいた。
宇留野さんが「名前、伏せたほうがいいですかね」と聞いた。伏せることにした。それ以降、例外の一覧は社員番号だけで回した。
伏せたおかげで作業は速くなった。速くなったことに、私は少しほっとした。
説明会 ―― 九回
説明会は、九月から十一月にかけて、九回やった。
本社で三回、工場で二回、支店で三回、オンラインで一回。合計で千五百人ほどが参加した。
質問は延べ百四十一件あった。私はそのうち、答えられなかったものを別のノートに書いていた。二十三件あった。
世代で、聞かれることが違った。
五十代後半の方は、金額を聞く。「私の場合、いくら減りますか」。
減らない設計にしてある、と何度も説明した。移行するのは将来の積み立て分だけで、これまでの分は保全される。
それでも、三回に一回は「本当に減らないんですね」と念を押された。
四十代は、運用の話をする。「自分で運用して、失敗したらどうなるんですか」。
二十代は、まったく違うことを聞いた。
二十四歳の研究職の方が、手を挙げて、こう聞いた。
「これ、転職するときは、持っていけるんですか」
持っていける。確定拠出はそういう仕組みだ。
その方は「じゃあ、そっちのほうがいいです」と言った。
会場が少しざわついた。五十代の方が何人か、振り返った。
この会社に三十年いる前提で作られた制度と、三年後にいるかどうか分からない前提で聞いている人が、同じ部屋にいた。
私が持っていった資料は、一種類だった。
八回目からは、年代で分けて作り直した。もっと早くやるべきだった。
工場でやった二回は、また違った。
十七時十五分からの回に、作業着のまま来た方が四十人ほどいた。皆さん、終業後だ。残業をつけてもらえるのか、という質問が最初に出た。つく、と人事が答えた。
質問の三件目が、こうだった。
「これ、うちの息子にも同じ話が行くんですか」
その方の息子さんも、この会社の工場で働いているとのことだった。五十六歳の方と、二十九歳の方が、同じ制度の下にいる。
私は「同じ制度になります」と答えた。
その方は「じゃあ、うちで一回話しますわ」と言って、座った。
その日、私の資料より、その家の食卓のほうが説明の場として強い、と思った。思っただけで、何もしなかった。
自分の計算
九回目が終わったのが、十一月十二日の夜だった。
工場の会議室で、机を片付けて、二十時半に出た。駅前の定食屋で、から揚げ定食を食べた。九百二十円だった。声がほとんど出なくて、注文を指で差した。
ホテルに戻って、私は表計算を開いた。
八月に作った計算式のファイルだ。前提を入れると、退職時の見込み額が出る。
自分の数字を入れた。三十九歳。うちの会社の制度は、この会社とは違う。だから正確な計算にはならない。
それでも、勤続年数と、月額の拠出と、利回りを入れた。
出てきた数字は、思っていたより小さかった。
私は八ヶ月、他人の老後の金額を並べていた。並べているあいだ、自分の老後については一度も考えていなかった。
住宅ローンの残りが二千八百万円ある。子どもが二人いて、上が小学三年生。
その晩、私は式を二回作り直した。二回目のほうが、少しだけ大きくなった。前提を甘くしたからだ。
前提を甘くして数字を大きくする、というのは、私が社員の方に「やってはいけません」と説明していたことだった。
同意と、最終報告
制度の変更には、社員の同意が要る。
この会社には労働組合があり、加入率は六割ほどだった。組合員以外については、過半数代表者を選出して協議する。
十月から十一月にかけて、協議を六回やった。
組合の書記長は、五十一歳の方だった。最後の回で、こう言った。
「反対はしません」
「ただ、うちの組合員のうち、何人がこれを理解してるかというと、私は自信がないです」
同意は取れた。同意書の回収率は九十四パーセントだった。
十一月二十七日に、最終報告をした。
制度案、移行スケジュール、規程の改定案、説明資料の一式、それから相談窓口の設置。
朝倉さんは「よくここまで来ました」と言った。
人事部長は「来年の四月からですね」と言った。
私の仕事は、そこで終わった。実際の移行は、翌年の四月からだった。
生活 ―― 三十九歳
年収は千四百万円。家は郊外の戸建てで、ローンが二十一年残っている。
この八ヶ月、平日の帰宅は二十二時を回ることが多かった。上の子が九時に寝るので、平日に顔を見た日は、数えられる程度だった。
十月の人間ドックで、初めて「所見あり」が二つついた。肝臓の数値と、血圧。
それから、手元の文字が見えにくくなった。四十歳が近い。眼鏡屋で「これは老眼の入り口ですね」と言われた。
説明会で配った資料の脚注が読めなくて、資料を離して見ていたことを、あとで思い出した。
前提を読まなかったのは、社員の方だけではなかったかもしれない。
十一月の最後の週、家に帰って、妻に「うちの退職金っていくらか知ってる?」と聞いた。
妻は「知らない」と言った。それから「あなたが計算すればいいじゃない」と言った。
計算した、とは言わなかった。
後記 ―― 翌年の七月
翌年の七月、人事部長から電話があった。別件の相談だった。
話のついでに、移行の状況を聞いた。
前払いを選んだ人が、想定の三倍いた。
私たちの試算では、前払いの選択率は五パーセント前後だった。実際は十六パーセントだった。
選んだ人の多くが、三十代前半までの層だった。
人事部長は「若い人が、思ったより現金を選びましたね」と言った。それから「まあ、悪いことではないので」と付け足した。
悪いことではない。制度としては、そう設計した。
ただ、私が九回の説明会で伝えたかったのは、選択肢があるということであって、いま受け取るほうが得だ、ということではなかった。
どこで、そう伝わったのかは分からない。伝わり方を測る仕組みを、私は作っていなかった。
私が答えられなかった二十三件の質問は、ノートに残っている。あとで回答を作って人事に渡した。渡した回答が社員に届いたかどうかは、確認していない。
二十四歳の研究職の方の「持っていけるんですか」という質問を、いまでもときどき思い出す。
あの質問に、私は「持っていけます」と、たぶん、少し嬉しそうに答えた。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。