席は四百二十で、社員は六百十一人でした
巻尺を持って自分の担当フロアを二週間歩いたあとで、久世は「平均」という言葉を使うのをやめました――本社の床を減らす仕事の記録です。
四月十四日の午前十時、私は巻尺を持って、十二階の窓際を歩いていました。柱と柱のあいだが六千四百ミリ。メモに書きました。
久世です。三十歳。入社して八年目になります。
アサイン ―― 三月の終わり
パートナーの入間さんから声がかかったのは、三月二十七日でした。
「床、やったことある?」と聞かれました。
床、という言い方をする人がいるのだと、そのとき知りました。オフィスの床面積のことです。
案件は、プラントエンジニアリングの会社でした。石油や化学のプラントを設計して、建設を管理する会社です。創業七十四年、社員は単体で六百十一人。
本社は、駅から歩いて七分のビルに、四フロア借りていました。九階から十二階まで。合計で三千百坪。
依頼は、そのうち二フロアを返す前提で、残りをどう使うかを設計してほしい、というものでした。
賃貸借契約の更新が翌年の三月で、返すなら六ヶ月前に通知が要ります。つまり九月末が期限でした。
期限がはっきりしている案件は、進めやすいと思いました。実際は、期限があるせいで、議論を飛ばした場面がいくつもありました。
会社 ―― 図面が大きい
最初の週に、四つのフロアを全部歩きました。
九階が管理部門。十階が営業と調達。十一階と十二階が設計でした。
設計のフロアは、明らかに他と違いました。
まず、机が広い。画面が二枚、多い人で三枚。そして、A1の図面を広げるための台が、島ごとに一つ置いてあります。
図面というのは、紙で見ると、全体が一度に目に入ります。画面だと、拡大と縮小を繰り返すことになります。配管の取り合いを見るときは、紙のほうが速い、と何人にも言われました。
それから、機密の区画がありました。客先の情報を扱うため、扉にカードリーダーがついていて、その中の資料は外に出せません。当然、家にも持ち出せません。
つまり、設計の人たちは、在宅が難しい仕事をしています。
このことは、一週目に分かりました。分かっていたのに、私は最初の分析を全社平均で作りました。
聞く ―― 二十二人
四月の後半に、二十二人に話を聞きました。一人三十分です。
管理部門の方は、みなさん協力的でした。「週一しか来ていないので、席はどこでもいいです」と言われました。
営業の方は、「打ち合わせができる場所さえあれば」と言いました。
設計の方の話は、どれも具体的でした。
四十四歳の配管設計の方は、こう言いました。
「図面を広げて、三人で覗き込む時間が、一日に一回はあるんです」
「その三人が、同じ日に来ていないと、一日止まります」
在宅そのものが嫌なのではないそうです。誰がいつ来るかが分からないことが、困るのだと言われました。
二十七歳の方は、別のことを言いました。
「家だと、分からないところを聞けないんですよ」
「画面越しだと、聞くために予定を取るじゃないですか。予定を取るほどのことじゃないときに、詰まります」
この二つを、私は資料に「同時在席の必要性」と書きました。
書いてから、少し違うな、と思いました。この人たちが言っていたのは、席の話ではなく、誰かがそこにいるかどうかの話でした。
面積の資料に、それを書く欄はありませんでした。
測る ―― 一日六回、十日間
在席率を測ることにしました。
入退館のログはありましたが、これは「その日に来たかどうか」しか分かりません。何人が同時に座っているかは分かりません。
それで、実地で数えました。九時半、十一時、十三時、十五時、十七時、十九時の六回。二週間、営業日で十日。四フロア。
一人では回りきらないので、若手の三雲さんという人と二人でやりました。入社二年目の方です。
数え方を決めるのに、半日かかりました。荷物だけ置いてある席は在席にするのか。会議室にいる人はどう扱うのか。
結局、「その瞬間に人が座っている席」を数えることにしました。荷物は数えません。
十日目の夕方、三雲さんが「これ、もっと早い方法ないんですかね」と言いました。
センサーを入れる方法はあります。ただ、入れるのに三ヶ月かかります。
歩数計を見たら、一日で一万二千歩を超えていました。オフィスの中だけで、です。
結果はこうでした。全社の平均在席率は四十二パーセント。最も高いのが水曜の十一時で、五十七パーセント。最も低いのが金曜の十七時で、二十六パーセント。
四十二パーセント。六百十一人に対して、二百五十七席あれば足りる計算になります。
二フロアを返しても、四百二十席は残せます。
数字の上では、余裕でした。
平均が壊すもの
その余裕は、部門別に割ると消えました。
管理部門の在席率は二十九パーセント。営業は三十三パーセント。調達は四十四パーセント。
設計は、七十一パーセントでした。
しかも設計は、人数が三百二十四人と、いちばん多い部門です。
つまり、全社の平均四十二パーセントという数字は、ほとんど在宅している部門と、ほとんど出社している部門を混ぜて割った結果でした。
平均で席を配ると、設計の人は、朝来て席がない日ができます。
これを最初に言ったのは、私ではありませんでした。三雲さんが、集計の途中で「これ、部門で分けたほうがよくないですか」と言いました。
私は「分けます」と答えました。答えながら、自分が全社一本で作りかけていた資料のことを考えていました。
その資料は、捨てました。四日分の作業でした。
レビュー ―― 五月十九日の夜
中間報告の二日前、入間さんのレビューがありました。二十時から、四十分の予定でした。
一枚目を出したところで、止まりました。
「久世さん、これ、何を決める会議?」
私は「席数の考え方について、合意をいただく会議です」と答えました。
「考え方の合意って、何が決まったら合意なの」
答えられませんでした。
入間さんは、「合意という言葉を使うときは、翌日から何が変わるかを言えないとだめ」と言いました。
それから、十二枚の資料のうち、九枚に赤を入れました。在席率の測り方の説明が三枚ありましたが、「そこは聞かれたら答えればいい」と言われて、一枚になりました。
二十一時半に終わって、私は翌日、全部作り直しました。作り直した資料は八枚でした。
減らしたのに、説明の時間は長くなりました。省いた三枚のうち二枚を、結局、当日に口で説明したからです。
中間報告 ―― 五月二十一日
中間報告は、五月二十一日の十五時からでした。出席は役員が六名。
私は、部門別の同時在席ピークで席数を積み上げた案を出しました。合計で四百二十席。フリーアドレスは管理・営業・調達のみ、設計は固定席を維持。図面台は島ごとに残す。
説明が終わったあと、部屋が三つに割れました。
財務担当の柳井さんは、「四百二十席残すなら、二フロア返す意味が薄い」と言いました。実際、賃料の削減額は、当初の想定より一割ほど小さくなります。
人事担当の方は、逆でした。「出社率が四十二パーセントというのが、そもそも低すぎる。若手が育たない」と言いました。この方は、出社を増やす方向に制度を変えたいと考えていました。
設計本部長の秋沢さんは、六十一歳で、こう言いました。
「図面台の話をしていただいたのは、初めてです」
それから、「ただ、うちの数字が高いのは、うちが古いからだと思われるのは嫌ですね」と付け足しました。
三人とも、私の案に対する反対ではありませんでした。三人とも、別の話をしていました。
私は、そこで「では、出社率の目標を決めてから席数を決めましょう」と言いました。
いま思うと、これが余計でした。
返すほうの金
六月に入って、返却そのものの費用を積むことになりました。
床を返すというのは、空にして返すことです。原状回復の工事が要ります。
見積もりを三社から取りました。十階の千坪弱で、坪あたり四万円台から六万円台。幅がありました。
それから、什器です。机が二百四十、椅子が二百六十、キャビネットが百九十。
このうち、再利用できるものと、できないものを分ける作業を、私がやりました。二日かかりました。
キャビネットは、中身が入ったままのものが六十三ありました。鍵が見つからないものが十一。開けられないキャビネットは、廃棄の見積もりに「開扉費用」という項目がつきます。
一台あたり四千円でした。
その金額を表に打ち込みながら、私は、この十一台の中に何が入っているのかを考えました。たぶん、誰も困らないものです。
削減額の議論は、賃料の話としては億単位でした。その横で、私は四千円を十一回足していました。
水曜がピークなのは
議論が出社率の話に移ったので、私はもう一度データを見直しました。
見直して、気づいたことがあります。
水曜の在席率が高いのは、水曜に全社の定例会議が三つ置かれているからでした。部門定例、安全衛生の会議、案件レビュー。どれも対面が原則です。
つまり、ピークは需要ではなく、会議体の設計が作っていました。
私は、六月の報告で「定例を曜日分散すれば、ピークが下がり、席数をさらに絞れる」と提案しました。
論理としては正しいと思いました。
三ヶ月後、この提案は、部分的に実行されました。安全衛生の会議が火曜に移りました。
移った結果、火曜に出社する人が増え、水曜のピークは四ポイントしか下がりませんでした。そして、会議の前後の移動が増えたぶん、会議の総数が二つ増えました。
私が提案したのは、ピークをならすことでした。実際に起きたのは、山が二つになることでした。
生活 ―― 三十歳
年収は八百二十万円です。家は会社から四十分の1LDKで、家賃は十三万六千円。
この案件のあいだ、私は週に四日、クライアントのオフィスにいました。自分の会社のオフィスには、ほとんど行っていません。
面白かったのは、他人の会社の床を設計しながら、自分の席が自分の会社にあるのかどうかを、私も知らなかったことです。
うちもフリーアドレスです。私は火曜と木曜に空いている席を探しています。
五月の連休は、三日休みました。三日目に、実家に帰って、母に「何の仕事をしているの」と聞かれました。
「会社の机の数を決めている」と答えました。母は「それは仕事なの」と言いました。悪気はなかったと思います。
六月に、靴を買い替えました。二週間フロアを歩き回ったせいで、右の踵だけが斜めに減っていました。三年履いた靴です。修理に出すか迷って、結局、同じ型のものを買いました。一万四千円でした。
減り方が左右で違うのは、フロアを同じ向きに回っていたからだと思います。十日間、いつも十二階から下りて、九階で終わりにしていました。
七月の平日に一度、十九時に上がれた日がありました。駅の反対側に、賃料の比較表に入れたビルが建っていて、私はしばらく見上げていました。中の人が何人座っているのかを数えようとして、途中でやめました。
その日、家に帰って、自分の部屋の床面積を測りました。二十八平方メートルでした。一人あたりの基準として資料に書いた数字の、四倍以上ありました。
その数字を見て、特に何も思いませんでした。何も思わなかったことのほうを、あとで少し考えました。
最終報告 ―― 九月四日
九月四日に最終報告をしました。
決まったのは、一フロアの返却でした。二フロアではありません。
十階を返し、九階と十一階と十二階を残す。席は五百十席。設計は固定席のまま、管理と営業をフリーアドレス化する。図面台は減らさない。
賃料の削減は、年間で当初案の六割ほどになりました。
柳井さんは、最終報告の場で「まあ、こんなところでしょう」と言いました。納得した、という言い方ではありませんでした。
秋沢さんは、何も言いませんでした。会議のあと、エレベーターの前で「久世さん、うちの図面台、幅は測ってくれましたか」と聞かれました。
測っていました。千八百ミリです。そう答えたら、「そう」とだけ言われました。
後記 ―― 翌年の二月
翌年の二月、別件でそのビルの前を通りました。
十階の窓は、まだ明かりがついていました。返却の工事が翌年度にずれたそうです。
三雲さんから聞いた話では、九階と十一階で、席が足りない日が月に三回ほどあるそうです。
三回というのは、私が出した案の許容範囲の中でした。範囲の中なのですが、その日に席がなかった人にとっては、範囲の話ではありません。
私が二週間かけて数えた四百二十という数字は、いまはもう使われていません。五百十になり、そのあとも動いたと聞いています。
巻尺は、返しそびれて、いまも自分の鞄に入っています。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。