体験記 No. 65

留学から帰って最初の案件で、僕は三年止まっている稟議書を渡された

案件段ボール・紙器メーカー・新ライン投資(80億円)の投資判断支援
話の中心アサイン
語り手神原 / 32歳・入社6年目(うち2年は社費留学、復帰一本目)
読了約8分 · 5,200字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
稟議書の日付は3年2ヶ月前需要予測の更新は一度もなし

二年ぶりの会議室で、僕は自分の手の速さが戻っていないことに気づいた――神原が、帰ってきた最初の四ヶ月について書いた記録。

四月八日、僕が渡された紙の束の表紙には、三年二ヶ月前の日付が入っていた。稟議書だった。決裁欄は、三つのうち二つに印が押してあって、三つ目が空いていた。

神原です。三十二歳。入社して六年目になる。そのうち二年は、会社の金で海外の大学院にいた。

アサイン ―― 帰ってきて五週間

三月の終わりに帰国して、案件に入ったのが四月だった。

そのあいだの五週間、僕は何もしていない。帰国の手続きと、健康診断と、社内の研修が二日。あとは、自宅で待っていた。

待っているあいだ、僕は二回、人事に連絡した。二回とも「調整中です」という返事だった。

同期は十九人いる。留学に行ったのは、その年は僕だけだった。帰ってきたら、同期のうち六人がマネージャーになっていた。

その六人のうち二人から、帰国の飲み会に誘われた。行った。楽しかった。楽しかったあとで、家に帰って、少し眠れなかった。

案件が決まったのは、四月三日だった。パートナーの梅津さんから電話が来て、「工場の話だけど、いける?」と聞かれた。

僕は「いけます」と答えた。選べる立場ではなかった。

クライアント ―― 段ボール

クライアントは、段ボールと紙器を作っている会社だった。

創業八十一年。売上は三百八十億円。従業員は九百八十人。工場が五つある。

段ボールというのは、原紙を仕入れて、波を付けて、貼り合わせて、印刷して、箱の形に抜く、という流れで作られる。波を付けて貼り合わせる機械を、コルゲータという。

この会社の主力工場のコルゲータは、稼働して二十六年たっていた。

依頼は、新しいラインを入れるかどうかの判断支援だった。

投資額は、八十億円。この会社の年間の営業利益の、四年分に相当する。

この案件で、僕がいちばん最初に驚いたのは、金額でも設備でもなかった。

稟議書が、三年二ヶ月前のものだったことだった。

三年二ヶ月

稟議書は、生産本部が上げたものだった。決裁欄は、本部長と担当役員までは押してある。社長のところが空いている。

差し戻されているわけではない。却下されてもいない。

ただ、止まっている。

僕は、その三年のあいだに何があったかを、議事録で追った。

取締役会の議題に、この件は四回上がっていた。四回とも、結論は「継続審議」だった。

四回目は、一年七ヶ月前だった。それ以降、議題に上がっていない。

添付されていた需要予測は、三年二ヶ月前に作られたものだった。一度も更新されていない。

これは、分析を始める前にわかったことだった。表紙の日付を見ただけだ。

分析より先に日付を見る、というのは、前にどこかで言われた気がする。誰に言われたかは、思い出せない。

「デマンド?」

四月十五日、僕は主力工場に行った。

工場に入るのに、耳栓とヘルメットと安全靴が要る。コルゲータの前に立つと、話し声は聞こえない。

紙の匂いがする。段ボールの匂いというのは、たぶん糊の匂いだ。床には紙の粉が薄く積もっていて、靴の裏が少し滑る。

工場長は五十八歳で、この工場に三十年いる人だった。

会議室で、僕は最初の説明をした。

そのときに、僕は「今後のデマンドの見通しですが」と言った。

工場長が「デマンド?」と聞き返した。

嫌味ではなかったと思う。本当にわからなかったのだと思う。

僕は「需要です、すみません」と言い直した。

その日、僕はそのあとも二回、同じことをやった。「キャパ」と言って、「能力です」と言い直した。

二年前の僕は、こういう言い方をしていなかった。留学の二年間、僕は日本語で仕事の話をしていない。

帰りの新幹線で、自分の資料を読み返した。横文字が十一個あった。全部、日本語に直した。直しながら、これは自分のためにやっているのか、相手のためにやっているのかが、少しわからなかった。

手が遅い

四月の後半、僕は自分の手の遅さに気づいた。

表計算のソフトで、二年前は考えずにやっていた操作が、一度止まる。ショートカットが出てこない。

資料も、遅い。一枚作るのに、以前の一・五倍くらいかかっていた。

いちばんこたえたのは、四月二十四日だった。

チームに、入社三年目の人がいた。田名部さんという人で、僕がいないあいだに入った人だった。

その人に、工場の稼働データの整理を頼んだ。五工場ぶん、三年分。

僕の見立てでは、二日かかる作業だった。

その日の夕方に、できていた。

僕は「速いね」と言った。

田名部さんは「これ、テンプレがあるんです」と言った。

社内の共有フォルダに、こういう整理のための型があるらしい。僕がいないあいだに作られたものだった。

知らなかった、というだけの話だ。二年いなかったのだから、当たり前だ。

当たり前なのだが、その日の夜、僕はそのテンプレートを一時間かけて読んだ。読まなくてもよかった。読まないと落ち着かなかった。

止まっている理由

五月の第二週に、稟議書を書いた本人に会った。

生産本部長で、六十歳。三年二ヶ月前に、この紙を上げた人だった。

僕は、技術的な論点で止まっていると思っていた。設備の仕様か、工期か、原紙の調達か、そのあたりだろうと。

全部違った。

本部長は、三年前の経緯をこう説明した。

一回目の取締役会で、社長が「もう少し数字を見たい」と言った。それで、財務が回収期間の試算をやり直した。

二回目で、今度は営業本部から「この能力を埋める受注の当てはあるのか」という質問が出た。

三回目までに四ヶ月かかって、営業本部が受注の見通しを出した。出たものは、条件付きだった。飲料の大口が継続すれば、という条件だ。

四回目で、その条件を誰が保証するのか、という話になった。

営業本部長は「保証はできない」と言った。当然だ。客が決めることだからだ。

その日、結論は出なかった。そして、五回目が開かれなかった。

僕は「そのあと、誰かが動かそうとはしなかったんですか」と聞いた。

本部長は、少し考えてから、こう言った。

「動かすと、決まるでしょう」

「決まって、当たらなかったときに、上げた人間が残るんですよ」

「私はあと二年です。いま通すと、私はいないときに結果が出ます」

正直な話だった。

僕は、その日のうちにメモを書いた。「技術ではなく、責任の所在で止まっている」。

このメモを、梅津さんに見せた。梅津さんは「そうだろうね」と言って、それから「で、それを資料のどこに書く?」と聞いた。

書けなかった。

最終的に、僕はこれを資料に一行も書いていない。

代わりに、判断に必要な情報の一覧という形にして、誰が何をいつまでに示すかを表にした。名前は書かず、部署だけ書いた。

書けなかったものを、迂回して形にした。それが正しかったのかは、いまもわからない。

需要予測を作り直す

五月から六月にかけて、僕がやったのは、需要予測の作り直しだった。

三年前の予測は、段ボールの国内需要が横ばいで続く前提だった。

三年たって、中身が変わっていた。

飲料向けが減っていた。この会社の最大の客は飲料メーカーで、そこが自社で箱を作る方向に動いていた。三年前の時点では、その話は出ていない。

一方で、通販向けが増えていた。小さいロットで、種類が多い。単価は高いが、大きなラインでまとめて作るのに向かない。

つまり、需要は減っていないが、中身が新しい設備に合っていない。

新しいコルゲータは、速い。速い機械は、同じものを大量に作るときにいちばん効く。

僕が作った予測では、八十億円のラインを入れた場合の稼働率が、五年目で六十七パーセントだった。三年前の予測では、八十四パーセントになっていた。

この数字を作ったとき、僕は少し高揚した。

高揚したことは、書いておく。

三年間、誰も更新していなかった前提を、外から来た人間が更新して、結論をひっくり返す。留学のあいだ、僕はそういう話をケースで何十本も読んでいた。

自分がそれをやっている、と思った。

段階に分ける

六月の終わりに、僕は案を三つ作った。

一つ目。八十億円で、予定どおり入れる。

二つ目。入れない。既存のコルゲータを延命する。修繕に十二億円かかる。

三つ目。段階に分ける。まず四十八億円で、通販向けに対応できる中規模のラインを入れる。三年後に需要を見て、大型ラインを追加するかどうかを決める。

三つ目が、僕の推しだった。

不確実性が高いときは、全部を一度に決めない。決めるための情報が手に入るまで、判断を分割して持つ。

これは、留学で習ったことの、いちばん役に立った部分だと思っていた。

七月九日、経営会議で説明した。

社長は六十四歳で、三代目だった。

僕が三つ目を説明し終わったあと、社長がこう言った。

「これは、いまは決めなくていいということですね」

僕は「いえ、第一段階は今年決めていただく必要があります」と答えた。

社長は「なるほど」と言った。

会議のあと、財務担当の役員が、廊下で僕に声をかけた。五十五歳の方だった。

「神原さん、あれ、たぶん第一段階も止まりますよ」

僕は「どうしてですか」と聞いた。

その人は、少し笑って、こう言った。

「うちは、分けられると、分けたところで止まるんです」

「三年前も、そうだったので」

生活 ―― 三十二歳

三十二歳。年収は、留学から戻って千五十万円になった。留学中は、給与の一部が出ていた。

家は、会社から二十五分の1LDK。家賃は十五万四千円。留学に行く前と、同じ部屋だ。荷物は預けていたので、戻ってきたら、二年前と同じ配置になった。

時差ぼけは、二週間で抜けた。抜けたと思ったが、六月まで、朝四時に目が覚める日があった。

向こうにいたときは、自炊をしていた。帰ってきて、一ヶ月でやめた。

七月に、健康診断があった。体重が、留学に行く前より六キロ減っていた。向こうで走っていたからだ。走るのは、帰ってきてから一度もしていない。

八月に、留学のときの同級生から連絡が来た。その人は、向こうで転職して、こちらには戻らないことにしたらしい。

「日本どう?」と聞かれた。

僕は「悪くない」と返した。

悪くはなかった。ただ、その返事を打つのに、十五分かかった。

八月の下旬、工場に行った帰りに、駅前の立ち食いのそば屋に入った。四百二十円のかけそばを食べた。

向こうにいた二年間、僕がいちばんよく食べていたのは、大学の食堂の、九ドルくらいのサンドイッチだった。

そばを食べながら、そのことを思い出して、比べている自分に気づいた。

帰ってきて五ヶ月、僕はまだ全部を二年前と比べていた。比べても何も出ないことは、わかっている。

そばは、汁が少ししょっぱかった。

最終報告と、そのあと

九月二十四日に、最終報告をした。

三つの案と、それぞれの前提と、判断に必要な情報の一覧。

僕は、三つ目の案の紙に、一つだけ足した。第二段階に進むかどうかを判断する時期と、その時点で見る指標を三つ、書き込んだ。

財務担当の方に廊下で言われたことが、頭に残っていた。

社長は、最終報告の最後に「よく整理していただきました」と言った。

決議は、その場ではなかった。取締役会に諮る、という話になった。

十月の取締役会の結果は、聞いていない。案件は九月で終わっている。

後記 ―― 翌年の秋

翌年の十月、別の案件の場で、この会社の名前を聞いた。

同じ業界の別の会社を担当していた人が、「あそこ、新しいライン入れましたよ」と言った。

金額は四十八億円だと聞いた。

僕の三つ目の案の、第一段階の金額と同じだった。

決まったのは、その年の六月だそうだ。僕が報告してから、八ヶ月かかっている。

第二段階の判断時期が、僕が書いた三つの指標のとおりに設定されているかどうかは、わからない。聞ける相手がいない。

嬉しかったかというと、よくわからない。

八ヶ月というのは、僕が「今年決めてください」と言ったものが、一年近く止まったということでもある。

三年二ヶ月が八ヶ月になった、と考えることもできる。

そういう考え方をしている自分に、僕はあまり感心していない。

あの稟議書は、いまもどこかにあるのだと思う。三年二ヶ月前の日付と、二つだけ押された印と、更新されなかった需要予測が挟まったまま。

僕が作り直した予測も、三年たてば、そうなる。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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