体験記 No. 64

「あんた、前は信金だったんだって?」と、オーナーは契約書を机の上に置いた

案件家事代行フランチャイズ本部・ロイヤリティ体系と加盟店支援の再設計
話の中心中間報告
語り手岩本 / 34歳・中途3年目(前職・信用金庫の渉外)
読了約8分 · 5,100字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
加盟240店・年間18店が脱退決算書を貸してくれたのは37人

相手は従業員ではない。辞める自由がある人たちに、辞めないでくれと言う資料を作った四ヶ月――岩本が、かつて同じ側にいたことについて書いた記録。

六月二日、僕は軽ワゴンの助手席に乗っていた。運転しているのは、加盟店のオーナーだった。後部座席には、掃除の道具が積んである。信号で止まるたびに、洗剤の容器が触れ合う音がした。

岩本です。三十四歳。前の職場は信用金庫で、六年、外回りをしていた。この会社に中途で入って、三年目になる。

アサイン ―― 二百四十人

クライアントは、家事代行とハウスクリーニングのフランチャイズ本部だった。

加盟店が二百四十店。直営が十八店。本部の社員は九十二人。

本部の売上は三十四億円。内訳は、ロイヤリティと、資材の販売と、加盟金と、システムの利用料。加盟店を合計した売上は、百九十億円あった。

ロイヤリティは、加盟店の売上の八パーセント。ほかに、システム利用料が月三万円。広告の分担金が月一万五千円。

依頼は二つ。ロイヤリティ体系の見直しと、加盟店支援の再設計だった。

背景は単純だった。新規の加盟が減っている。五年前は年に三十四店増えていたのが、この年は十一店だった。一方で、脱退が増えている。その年は十八店が抜けた。

差し引きで、初めて減った年だった。

本部の事業部長は五十歳で、こう言った。

「オーナーさんから、ロイヤリティが高いという声が出ています」

「ただ、下げると、本部が回らないんです」

立ち上がり ―― 売上しか持っていない

最初の三週間で、僕は本部が持っているデータを全部出してもらった。

二百四十店ぶんの、月次の売上。作業件数。スタッフの人数。契約の開始年と、更新の履歴。クレームの件数。

きれいに揃っていた。十年ぶんある。

ないものが一つあった。

加盟店の利益がなかった。

本部は、オーナーがいくら残しているかを知らない。知る仕組みがない。契約上、報告義務があるのは売上までだった。

僕は、それを聞いたときに、前の職場のことを思い出した。

信用金庫にいたころ、僕が毎日やっていたのは、この規模の事業者の決算書を読むことだった。個人事業主と、従業員が五人から二十人くらいの法人。年間で、たぶん四百枚くらい読んでいる。

読むと、その人の生活がわかる。役員報酬の額。車の名義。生命保険。奥さんが専従者になっているかどうか。

それがない状態で料率の話をするのは、無理だと思った。

三十七人

四月の終わりに、僕は本部に提案した。

オーナーの決算書を見せてもらいたい、と。

事業部長は「それは、難しいと思いますよ」と言った。

理由は、義務がないからだった。オーナーは本部の社員ではない。別の会社を経営している人たちだ。決算書を出す理由がない。

僕は、やってみますと答えた。

やったのは、こういうことだった。

まず、対象を六十人に絞った。地域と、加盟年数と、売上の規模で散らばるように選んだ。

次に、本部の名前ではなく、僕の名前で手紙を書いた。何のために見たいか、どこにも出さないこと、こちらの前職、それから、見せてもらった人には分析結果を個別に返すこと。

三つ目に、電話をかけた。六十人に、一人ずつ。三日かかった。

出してくれたのは、三十七人だった。

二十三人は断られた。そのうち四人は、「本部に見せたくない」とはっきり言った。

三十七人ぶんの決算書を読むのに、僕は九日かけた。前職なら、三日で読める量だった。三年やっていないと、遅くなる。

読んでわかったこと

八パーセントは、重くなかった。

重いという言い方が正確でないなら、こう書く。八パーセントを七にしても、多くの店では、状況はほとんど変わらなかった。

平均的な加盟店の売上は、年間で七千九百万円だった。八パーセントは六百三十二万円になる。

同じ店の、スタッフの人件費は四千八百万円だった。

五年前と比べると、作業一件あたりの人件費が、十九パーセント上がっていた。時給を上げないと人が採れない。採れないと、受注を断ることになる。

三十七店のうち、十四店が、その年に受注を断っていた。断った件数は、多いところで月に四十件を超えていた。

もう一つ、読んでいて気づいたことがある。

三十七人のうち、九人が、自分に給料をほとんど払っていなかった。

役員報酬が、月十五万円とか、二十万円とか。事業としては黒字になっている。ただ、その黒字は、オーナー本人が自分の分を取っていないから出ている。

前職なら、僕はここを見て、貸せるかどうかを判断していた。この人は返せる、この人は苦しい、と。

いま僕は、この人たちの条件を決める資料を作っている。

六月二日、軽ワゴン

六月に、僕は現場に同行した。十一店回った。

いちばん長くいたのは、県の東部の店だった。オーナーは持田さんという方で、五十七歳。加盟して十二年になる。スタッフは九人。

その日は、朝八時に集合して、三件回った。移動はその人の軽ワゴンだった。

一件目はマンションの一室で、エアコンの分解洗浄だった。作業は二時間十分。僕は横で見ていた。

持田さんは、途中で一度も座らなかった。

車に戻って、二件目に向かうあいだに、こう聞かれた。

「岩本さん、前は信金だったんだって?」

本部の誰かから聞いたようだった。

僕は「はい」と答えた。

持田さんは「うちも借りてるよ」と言って、金融機関の名前を言った。僕がいたところではなかった。

それから、こう言った。

「あのときの担当の人、よくしてくれたよ。うちが二年目で回らなくなったとき」

僕は何も言えなかった。

三件目のあと、事務所に寄った。プレハブの二階で、机が三つある。壁に、スタッフのシフト表が貼ってあった。手書きだった。

持田さんが、契約書を机の上に置いた。加盟店契約の原本だった。十二年前のものと、更新のたびの覚書。

「これ、コピー要る?」

要りました。僕は、その場でスマートフォンで撮った。

抜けた十八店

六月の下旬に、僕はもう一つの作業をした。

前の年に抜けた十八店に、話を聞くことだった。

本部には、脱退の理由が記録されていた。「後継者不在」が六件、「体調」が四件、「業績不振」が五件、「一身上の都合」が三件。

この分類を、僕は信用していなかった。前職でも、廃業の理由として先方が言うことと、決算書に出ていることは、よくずれていた。

連絡先は残っていた。十八人にかけて、話せたのが九人だった。

九人のうち、四人が、同じ趣旨のことを言った。

「続けられなかったんじゃなくて、続ける理由がなくなった」

いちばんはっきり言ったのは、五十九歳の元オーナーだった。加盟して八年、脱退して一年半になる。

その人は、いまも同じ仕事をしていた。看板を外して、個人でやっている。顧客は、三割ほどついてきた。

「売上は半分になったよ。でも、手元に残るのは増えた」

僕は、そのからくりを聞いた。

ロイヤリティと分担金がない。資材は市販のものを使う。研修も、システムも使わない。集客は、以前のお客さんの紹介だけ。

だから、伸びない。伸びないが、暮らせる。

その人は、最後にこう言った。

「あそこの看板があったから、最初の二年は食えたんだ。それは本当。ただ、八年目には、看板の値段が高すぎた」

僕は、この話を資料に入れた。

入れるかどうかは、少し迷った。本部にとっては、聞きたくない話だからだ。

マネージャーの安永さんに相談したら、「入れないと、何のために聞いたの」と言われた。そのとおりだった。

中間報告 ―― 七月十七日

中間報告は、オーナー会の総会でやった。

年に一回、全国から集まる会だった。この年は、二百四十店のうち百六十三人が来た。

会場はホテルの宴会場で、椅子が並んでいる。前のほうに役員席がある。

僕の持ち時間は三十分だった。

出した案は三つだった。

一つ目。ロイヤリティを、売上の段階に応じて変える。一定額を超える部分は、八パーセントから六・五パーセントにする。

二つ目。資材の価格を見直す。

三つ目。採用の支援を本部でやる。求人の出稿と、初期研修を本部が引き取る。

説明が終わって、質疑になった。

最初に立ったのは、四十代のオーナーだった。

「一つ目、うちは対象になりませんよね」

なりませんでした。段階を超えるのは、二百四十店のうち三十一店だった。

次に立ったのが、持田さんだった。

僕は、少し安心した。あの人なら、と思った。

持田さんは、こう言った。

「岩本さん、あんたが出してる適正利益っていうのに、俺の給料は入ってるの」

入っていませんでした。

僕が作った損益のモデルでは、オーナー本人の労働は費用に入れていなかった。決算書がそうなっていたから、そのまま使った。

つまり僕は、九人が自分に給料を払っていない状態を、そのまま「適正」の基準にしていた。

僕は「入っていません」と答えた。

会場が、少しざわついた。

持田さんは、そのあと何も言わずに座った。

三十分の枠を、七分超えて終わった。

生活 ―― 二十七店

三十四歳。年収は八百八十万円。

前職の最後の年は、五百十万円だった。三年で三百七十万円増えた。

この案件で、僕は四ヶ月に二十七店回った。運転は自分ではしない。オーナーの車に乗せてもらうか、駅から歩く。

信用金庫にいたころは、原付だった。夏は暑いし、冬は手が痛い。一日に三十軒回る日もあった。

いま、一日に回るのは二軒だ。

二軒しか回らないのに、夜は二十三時まで資料を作っている。前職では、十九時には支店を出ていた。

家は、会社から三十五分の2LDK。家賃は十六万円。妻と二人で住んでいる。妻は、僕が信用金庫を辞めることに賛成した唯一の人だった。

七月の中間報告の日、帰ってから、僕は持田さんの質問のことを妻に話した。

妻は「その人、怒ってたの」と聞いた。

僕は「怒ってはいなかったと思う」と答えた。

実際、怒ってはいなかった。怒っていたほうが、楽だった。

最終報告 ―― 九月

九月十一日に、最終報告をした。

段階ロイヤリティは、落ちた。役員会で、本部の収益への影響が大きすぎると判断された。

通ったのは、二つ目と三つ目だった。資材は十一品目で価格を下げた。採用の支援は、翌年の四月から始まることになった。

それから、一つ足した。

オーナーの損益を、任意で本部に出してもらう仕組み。出した店には、同規模の店との比較を返す。義務にはしない。

これは、三十七人の決算書を読んだところから出てきた案だった。

事業部長は「集まりますかね」と言った。

僕は「三十七人は出してくれました」と答えた。

言ったあとで、それは僕が電話をかけたからだ、と思った。本部の名前で頼んだら、たぶん集まらない。

報告会のあと、社長と少し話した。六十二歳で、この会社を作った人だった。

社長は、七月の総会の話をした。持田さんの質問のことだ。会場にいたらしい。

「岩本さん、あれ、うちは三十年言われてるんですよ」

三十年、と言われて、僕は返す言葉がなかった。

「オーナーさんの給料をいくらと置くか。置くと、うちの取り分が説明できなくなる」

「だから、置かないできた」

僕は「それは、まずいと思います」と言った。

社長は「まずいですよね」と言った。

それで終わりだった。次の議題に移った。

置かないできた、と認めている人に、置きましょうと言う資料を、僕はもう作れなかった。四ヶ月の最後の日だった。

後記 ―― 十二月

その年の十二月に、本部の担当の方から連絡をもらった。

損益の任意提出は、初回で五十二店から集まったそうだ。予想より多い。

採用の支援は、予定どおり始まる。資材の値下げは、九月から効いている。

脱退は、その年、十四店だった。前の年より四つ少ない。

十四店の中に、持田さんの店が入っていた。

理由は、後継がいないことだった、と聞いた。腰を痛めて、作業に出られなくなった時期があったらしい。

スタッフ九人のうち、六人は、近くの別の加盟店が引き取った。

僕は、電話をしていない。名刺はある。番号もある。

かけようと思った日が、二回あった。二回とも、何を言うのかが思いつかなくてやめた。

十二年前の契約書を、僕はまだスマートフォンの中に持っている。撮ったときの日付が、六月二日になっている。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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